町工場をかっこよくきれいに健康的に、板金業の枠を超えて新領域に挑む
株式会社創円(愛知県)
代表取締役 服部太志さん
愛知県名古屋市港区に本社を置く株式会社創円は、業務用厨房機器メーカーなどを主要取引先として、薄板の精密板金を中心とした金属加工を手掛けている。
「男として生まれたなら、父親を超えていくのが親孝行だぞ。継いで、俺を超えてくれたら、こんなにうれしいことはない」
この父親からの言葉に心を動かされ、家業を継ぐことを決意したのが、服部太志代表取締役である。
家業に入ってからは、社内で誰も身に付けていないスキルの習得や最新機械のマスターなどを父親に命じられるなど、入社時から“会社の未来を創る”ための種まきに時間を費やしてきた服部社長。
現在は、自社製品を開発したり、地域に根差した企業になるために地域活性にも繋がるプロジェクトを盛り上げたりと、新しいチャレンジに果敢に取り組んでいる。
入社以来ずっと見据えていたビジョンをはじめ、「新規事業アイデアピッチ(Nagoya Atotsugi Venture Conference)」へチャレンジした理由など、服部社長にお話を伺った。
「俺を超えろ」父親のその一言で、家業を継ごうと決意
ティム
まずは御社の事業内容から教えていただけますか。
ステンレスを中心に、切ったり曲げたり溶接したり組み立てたりといった精密板金加工を手掛けています。業務用厨房機器メーカーや、焼肉屋さんの煙を吸う機械を作っているメーカーなどが主な取引先になります。
服部さん
ティム
家業の創業背景や現在に至るストーリーも教えていただけますか。
もともと金型屋をやっていた祖父が、お客様から要望を受けてプレス加工業に取り組んだことが家業の始まりです。二代目である私の父親が、プレス加工業も引き継ぎつつ、精密板金加工の業界に足を踏み入れました。ただ、初代と二代目の仲がむちゃくちゃ悪くて。実は、もともとは服部工業という会社だったんですが、創円という企業を新しく作って僕が初めから代表に据えられたのも、父親が「親子間のトラブルを引き継がせたくないから」と気遣ったからなんです。昨年までは2社で並行して事業を行っていました。
服部さん
ティム
そうなんですね。家業を継ぐことは、子どもの頃から意識されてましたか。
「お前が三代目だ」と特別言われて育ったわけではないので、意識はしていませんでした。中学生のときに、父親から「実は、うちは工場なんだよ」と言われて、それから意識し始めたのかなと。継ごうと思った決め手は、高校生のときに、父親から「男として生まれたなら、父親を超えていくのが親孝行だぞ。継いで、俺を超えてくれたら、こんなにうれしいことはない」って言われたことです。ぐっときて。
服部さん
ティム
そんな熱い言葉を言われたんですね。
僕の中にも、父親を超えたいし、父親に認められたいという気持ちがあったんだと思います。それに、もともと新しいことにチャレンジしたり、ものづくりをしたりするのが好きな気質で。高校の時は四半期に1回部屋の模様替えをしたり、大学のときは友達と遊び半分で服を作ってブランドを立ち上げて、クリエーターズマーケットに出店したりしていたので。そういう性格だから、抵抗も無かったんだと思います。
服部さん
ティム
家業の事業内容を具体的に知ったのはいつだったんですか?
大学生のときです。家業でアルバイトとして働く中で、どんな事業をしているのかを知ったり、経営者がどんな立場であるのかを学んでいったりしました。
服部さん
ティム
けれど、大学を卒業してすぐ家業に入ったわけではないですよね?
ストレートに家業に入るよりも、たくさんの経営者と会って視野を広げたい気持ちがあって。就職活動では経営者とお仕事をする機会が多そうな企業を受けたものの、全部落ちてしまったんです。就職先が決まらないまま迎えた大学4年の1月、父親から「全国の板金業界の会合で、北海道の企業の面白い経営者に出会った。お前、3月からそこに行け」と言われて、飛ばされました(笑)
服部さん
ティム
そんな経緯で!北海道には何年くらいいたんですか?
3年修行する予定でしたが、結果的には家業が忙しくなって「戻って来い」と言われたので、8カ月ほどしかいませんでした。ただ、朝から晩まで溶接をみっちり学ばせていただいて、良い経験ができました。
服部さん
「まずは現場に出ろ」とは言われず、新しい技術の習得を命じられた
ティム
家業に戻ってすぐは、どんな仕事をしていたんですか?
先代以外CADを使えなかったこともあって、まずCADを勉強させられました。先代が教えてくれるわけではなく、「教えてくれる会社に電話を掛けて学べ」と言われて(笑)あとは、「勉強してきたから溶接はできるだろう。仕事をいっぱい取ってきたからやれ」と言われて、一人で黙々と溶接をしていました。さらに、僕は専務として入社したんですが「専務として入ったなら、借り入れしてこれを買え」と先代に命じられて、6000万円のレーザー加工機を買わされて(笑)使いこなせるように頑張っていました。結果的に、CADも溶接もレーザー加工機を使った作業も、当時社内で出来るのは僕だけという状態でしたね。
服部さん
ティム
板金業は現場色がすごく強くて「まずは現場に入れ」と言われる叩き上げのイメージだったんですが、全然想像と違いますね。
いろんなことにチャレンジさせていただいて、恵まれた環境だったと思います。
服部さん
浅野
ティム
お父様も、服部さんがこれから会社を継いで経営を上向きにするためには新しい技術を知っておいてほしいという思いを持っていたんでしょうか?
確かに、先見の明があったのかもしれませんね(笑)とにかく驚くくらい放置されていたので、「まずは自分から何かを始めないといけないし、最終的にケツを拭くのも自分」という経営者としての覚悟みたいなものも、その期間で身に付いたように感じます。
服部さん
大事にしたい価値観やビジョンを打ち出せば、共感してくれる仲間が残った
ティム
ちなみに、服部さんが新しいことにチャレンジしている一方で、周りの社員さんは現場で働いてるわけじゃないですか。陰口を叩かれたり、揉めたりすることはなかったんですか?
バイト時代から顔見知りでしたし、特に何か言われることは無かったです。ただ、当時は社員同士の仲がすごく悪くて、会社が荒れてました。
服部さん
ティム
えっ。どんな状態ですか?
毎週、社内会議があって。家業に戻って二度目に参加する会議から僕が司会進行を任されることになったんです。すると、会議である社員が「●●さんの働き方が悪いと思います」と発言して、それに対して指摘された社員も「何言っとんやお前」と怒って喧嘩が始まって…。父親が進行していた前回は平和だったので、びっくりしました。おそらく、父親がスーパートップダウンだったために、これまで蓋をできていたものが、爆発してしまったようで。
服部さん
ティム
大変でしたね。ちなみに服部さんが家業に入ったタイミングか、もしくは代表に就任したタイミングで、組織の雰囲気を良くするための試みって何かされましたか?
僕が家業に入ったのは2007年なんですが、当時からひたすら自分がしたいことは声高に言い続けてました。もちろん、社員の声にも耳は傾け続けていました。だけど、社員同士の人間関係については、因縁が根深いケースもあって、僕が介入してどうこうできることじゃなかったんです。それに、そもそもの思いや目指すところ、働き方のスタンスがズレている社員は、こちらがどう頑張っても辞めていかれるもの。そういった経験を経て、採用段階でしっかりと自分の思いや目指すビジョンを伝えて、それに共感してくれる方を採用することが大事だという学びを得ました。あと、海外技能実習生を受け入れたことも転機になったんです。
服部さん
ティム
どんな効果があったんですか?
それまでは、新しく入ってくれた方に対して、教える側が「なんでわからんの。見りゃわかるだろ」とつい言ってしまうような良くない状態だったんです。だけど、言葉が伝わらない海外技能実習生に教えなければいけない事態に直面すると、教える側に「自分たちが変わるしかない」という意識が芽生えて。今は、どんな人が入ってきても、しっかりと教育ができる風土になりました。
服部さん
ティム
自分たちから変われるって素晴らしいですね。
変われる社員だけが残りましたね。今は、「“つくる”にこだわる」という価値観の元、「人づくり・モノづくり・コトづくりを、しっかりと自分たちでやっていこう」というぶれない軸もあって。若手から古参の方まで、こういった価値観に共感できる社員が働き続けてくれています。
服部さん
目指す自社製品づくり。アイデアの種は社員の“ある声”から
ティム
今後、会社として目指す未来像も教えていただけますか。
デザインからメンテナンスまで一貫して行う「真のものづくり企業」を目指しています。現在は設計少しと試作・量販をメインにやっていますが、ものづくりは「デザイン→設計→試作→量産→アフターフォロー→メンテナンス」というプロセスのすべてを指しているので、一気通貫でできるようになりたいですね。
服部さん
ティム
なるほど。
それと、2030年には自社製品を持つメーカーになっていたいと思っているんです。実は、これは継いで間もない頃から僕が目指していることで。父親から「お前、どんな会社にしたいんだ?」って聞かれたときに、「街中で、『これ、うちで作ったんだよ』と指差せるくらい当たり前に、うちの製品がある状態を創りたい」と言ってたんです。ただ、僕らはこれまで図面をいただいて図面通りに作る技術は磨いてきたものの、アイデアの発想やコンセプト作りといったゼロ→イチがとても苦手で。
服部さん
ティム
今までとは違う観点や能力が必要ですもんね。
けれど、実はアイデアの種はすごく身近にあったんです。というのも、女性社員の方と面談をしたときに、手が荒れていたので、「手、ひび割れてますけど大丈夫ですか?」って聞いたんです。すると、「工場で働いてるので、その辺に関しては諦めてます」って答えられて。そう聞いて、経営者として切なくなってしまったんです。製造に携わるから自分の身体が多少傷付くのは仕方ないと思ってほしくない。もっと、「働くみんなが仕事に誇りとやりがいを持って、かっこよくきれいに健康的に働ける企業を増やしたい」し、まずは自分たちがそういった存在になりたいという思いが浮かび上がってきて。そんなコンセプトに沿った、自社オリジナルのものづくりを進めていこうとしています。
服部さん
ティム
なるほど。ある意味、社員をペルソナに置いて製品をデザインするわけですね。
そうです。自分たちが「欲しい、買いたい」と思える製品や道具や工具を生み出していきたいと思います。1月に名古屋で開催された「アトツギによる新規事業アイデアピッチ(Nagoya Atotsugi Venture Conference)」で、工場で発生する粉塵を吸収する不燃構造の「集塵テーブル」のアイデアを話したのも、「かっこよくきれいに健康的に働ける職場環境づくり」という軸に基づいて生まれたものです。
服部さん
ピッチへの参加が、新規事業に向けて一歩を踏み出すきっかけになった
ティム
服部さんの思いとピッチの内容が結び付きました。ちなみに、「アトツギによる新規事業アイデアピッチ(Nagoya Atotsugi Venture Conference)」には、そもそもなぜ出られたんですか?
愛知産業振興機構様から、「新規事業を考えられているなら、こういった機会もありますよ」と紹介していただいたことがきっかけです。もう一つは、社内でSWOT分析を実施した際に、「うちは、新規事業に対する取り組みがめちゃくちゃ弱いですよね」と社員に言われてしまって。確かに、僕も「新規事業をやりたい」「モノづくり企業になりたい」と言うだけで、実現に向けた具体的な行動ができてなかったんですよね。ここで社外でのピッチという機会に参加して周りに揉まれなければ、自分自身も変われないし、会社としても前進できないと危機感を感じたので、参加を決めました。
服部さん
ティム
すごい。自分で必要だと感じたから出られたんですね。服部さんがピッチに参加されることで、社内の活性化にも繋がるんじゃないでしょうか。
服部さん
そうなればいいなと思います。個人的にもいろいろな活動を始めていて。たとえば、横の繋がりを活用してお客様の多様なニーズに応えていこうと、「ものづくりパートナーズ」にも加えて頂いてたり、他には、地域に根付く中小企業を目指すために、「みなと区工場男子」というPRムービーを作ったり、まだ企画段階ですが、地域の中小企業4~5社で連携して「モノづくりスタンプラリー」という子ども向けのイベントを考えていたり。いろんな活動を通して、「地域にこんな中小企業があるんだよ」ということを知ってもらおうとしています。
ティム
工場や会社の存在自体は知られていても、何をしているかは広報をしないとなかなか知ってもらえないですもんね。服部さんの取り組みはすごく地域活性に繋がりそうだと感じました。
服部さん
ありがとうございます。将来的には、「板金事業」を深めるだけではなく、設計開発や部品の海外手配を手掛ける「総合事業」、鍛冶屋さんが減って困っている企業さんもいるので代わりに現場施工を担うような「建築事業」、あとは自社製品をECで販売する「IT事業」など、広く展開していこうと考えています。
ティム
事業範囲を広げていかれるんですね。
新工場を建設中ですが、手始めに新工場に掲げるステンレス看板を自作していて。「ステンレスの看板を一気通貫で作れる企業が少なくて、複数社に分けて頼まないといけないのが面倒だ」という悩みを持っている企業さんがいたので、自分たちのところでうまく作れたら、うちで引き受けたいですね。
服部さん
ティム
新しいチャレンジ、とても良いですね。では、最後にアトツギの方に向けてメッセージをいただけますか。
「こうしたい」「ああしたい」という思いを叶えるために、ひたすら突き進んでください。内部環境と外部環境の両方で、絶対に何らかの障害は立ちはだかります。けれど、文句を言っててもキリが無いので、理想の状態に向けて進んでほしいですね。私は、2007年からずっと「街のあらゆるところに、自社製品がある状態」を理想として描いていました。なぜそう思ったかというと、多くの人の目に留まるモノづくりに携われたら、社員が働きがいを感じられそうですよね。それに、「パパ(ママ)の働いてる会社で作ったんだよ」とお子さんに自慢できたら嬉しいだろうなと思ったからです。ずっと描いてきたものが、ここ数年ようやく形になり始めているように感じます。譲れない信念や目標を持って、とにかく前向きに挑戦してみてください。
服部さん
株式会社創円(愛知県) http://www.k-souen.co.jp/
代表取締役 服部太志さん
■取材した人
ティム/マスオ型アトツギ
コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!