「ソースなんて」が原動力/敵がいないニッチで一番になればいい/心にいつも「果たし状」を持っておく
鳥居食品株式会社
代表取締役社長 鳥居大資 氏
1971年生まれ。33歳で帰省、廃業予定だった家業を継ぐ。老朽化した設備を逆手にとり、手づくりならでは製法に切り替えて地元を代表するソース(調味料)メーカーになる。自社の置かれたポジションを分析し、身の丈に合せた戦略で先代からの販路や商品を入れ替えし、新しい市場を開拓してきた
シーラック株式会社
代表取締役社長 望月洋平 氏
地元食品会社を退社後、2003年にシーラック株式会社入社、2009年に代表取締役就任。脱下請けを目指し、2010年に発売した自社ブランド家庭用第一号商品「バリ勝男クン。」はシリーズ累計2,000万食を突破。2014年に焼津魚センター内に直営店「だし専門店 勝男屋」をオープン。2018年には2号店のパルシェ店オープン。ホテル経営も手掛けており、焼津・甲府・宇都宮・水戸・仙台・高崎にて展開中。昨年10月には7店舗目となる郡山店をオープン。会社の存在意義、存在価値を求め日々奮闘中。
大阪製罐株式会社
代表取締役社長 清水雄一郎 氏
お菓子のミカタを運営する大阪製罐は文字通り缶を製造するメーカー。その歴史は今年で72年。そんな老舗メーカーの3代目。戦後間もない頃は絵の具用のバケツ缶や薬の缶など、さまざまな缶を製造していたが、現在はお菓子用の缶がメイン。その中でも自社で企画デザインした既製品を販売する新事業「お菓子のミカタ」を展開している。町の洋菓子店からハンドメイドアプリでお菓子を販売している方まで幅広い店舗で使用されている。SNSでの反響は消費者だけでなく、洋菓子店にも広がっており、大阪の工場で実施される工場見学会には申し込みが殺到。今後も「お菓子屋さんの味方で」という姿勢は崩さず、デザイン缶で業界を盛り上げる。
同じアトツギだからこそ共有したい苦労と挑戦の遍歴を先輩が語るトークイベント「アトツギこそイノベーターであれin静岡が2020年11月7日に開かれた。
ゲストは、鳥居食品株式会社の鳥居大資代表取締役社長、本シーラック株式会社の望月洋平代表取締役社長、大阪製罐株式会社の清水雄一郎代表取締役社長。一歩行動を踏み出した時に気づいた資源を磨き上げ、新たな製品やサービスの開発に挑んだ軌跡を振り返ってもらった。
主催:(公財)静岡県産業振興財団、静岡商工会議所
運営:一般社団法人ベンチャー型事業承継
第3者の言葉が自社の強みに気づくきっかけになる
浜松市にある地ソースメーカーの3代目です。祖父が創業し、はじめは洋食屋さん向けに、父は工場の食堂向けに、そして私の代でスーパーに、と客も販売チャネルも扱う商品も変わっていきました。
跡を継ぐ気はなかったのですが、外資系企業でバリバリ働きたいと渡ったアメリカで挫折を経験し、家業があるじゃないかと気づき戻りました。大手は大量生産で鮮度を追求した商品を送り出している中で差別化を考え、木桶で長時間熟成させたソースを商品化しました。
10年前、ある食材コンテストで入選したのですが、審査委員長から「味はいいが添加物が入っているのが残念」と言われたのが悔しくて。じゃあ変えてやろうと、4年がかりで化学調味料を使わないウスターソースを開発し、全国のお店に認めていただけるようになりました。
創業75年のかつお節メーカーで私は6代目です。贈答品向けが強く、とくに結婚式の引き出物向けでてはトップシェアです。ただ、OEM商品ばかりで優位性を出せずにいたので自社ブランド商品を出すことにしました。
味の優位性を出すために引き出物用に食べられるかつお節を出そうと開発したのが、かつお節チップスの「バリ勝男クン」です。これが好評で、どこで買えるのという問い合わせが相次ぎ小売りを始めました。
ある新郎新婦に、縁起物として削る前の鰹節を持っていったら「これ何の木ですか」って言われてしまって(笑)。その時に、ああ今の若い世代は鰹節を知らないのが当たり前なんだって気づいて。でも鰹節がなければみそ汁もかつ丼もラーメンも食べられないでしょ。逆に鰹節があればどんな商品でも作れるのがうちの強みだなって気づくことができました。ちょうど昨日、ご当地ラーメン「静岡万調ラーメン」を出したところです。
お菓子用の缶とスチールキャビネットのメーカーで、ぼくで3代目になります。2013年に社長になり、14年から「お菓子のミカタ」という街のお菓子屋さん向けの缶ブランドを立ち上げました。
以前は大手菓子メーカー向けに最少3千ロットからでオリジナル缶のオーダーを受けていたのですが、「お菓子のミカタ」では、うちがデザイン・企画し5千~1万個の在庫を持っておき、50個ずつ売っています。2018年、東京・恵比寿に解説した路面店が「マツコの知らない世界」に取り上げられ、一気に認知度が上がりました。
私自身のツイッターでお菓子缶のことを発信しているうちに42,000人のフォロワーがつき、ときどきバズってます。街のお菓子屋さん向けに年1回工場見学をしており、昨年は北海道から愛媛まで19社29名が集まりました。缶を通じてお菓子屋さんを元気にする仕事だと思っています。
肩で風切って帰ってきたって感じですね(笑)。
望月さんは、どんなきっかけで戻ってきたのですか?
あきれられても、信念をもって突き進む
最初はぼんぼんのアトツギが入ってきてっていう見方をされてたでしょうね。でも私が32歳の時に父が急逝して社長になって、とにかくがむしゃらにやってきたところは認めてもらえたのかなって思います。
そんなときに「バリ勝男クン」を商品化して。同業者には60代、70代の社長が多く、そういう人たちからは「ふざけたお菓子つくりやがって」とも言われました。
ただバイヤーからは「静岡のおみやげにはしょっぱいお土産がなかった」と喜ばれまして。ニッチで敵がいないところで一番になればいいんだなと実感しました。消費者向けの仕事が初めてだったので、毎日のように電話や手紙をいただき、社員のモチベーションも上がっていったんです。
老舗、ものづくりに抱くイメージとのギャップを突く
老舗、モノづくりとのギャップをうまく利用されたんですね。
あ、ここで視聴者から、質問が来てますね。
新規事業にとりくんだことで本業にもたらした良い影響はありましたか?という質問です。
「お菓子のミカタ」で好き放題に自分たちがつくりたい缶を出していったことで、既存の大手の洋菓子メーカーや、新規の中堅のお菓子メーカーからもぜひつくってほしいと、オリジナル缶の製造依頼が増えました。
悔しさや恥ずかしさがビジネスの原動力に
ぼくの場合悔しさというより恥ずかしさも原動力になっています。リーマンショックの後に売上げ下がって拡販しないといけなくなって。飛び込みで街のケーキ屋さんに、大手のお菓子メーカー向けにする営業をしてしまったんです。最少3千ロットを50万円からでつくれますよと。
ロットも金額も大きすぎて、街のケーキ屋さんからしたら「何言ってんだおまえ」って感じで。ただ、一人だけ「この缶好きだけど、うちには多すぎて扱えないよね」と言ってくださって。それがきっかけになって後に「お菓子のミカタ」を思いついたんです。動いて飛び込んでみてわかることがたくさんあります。
若さはチャンス、今すぐに行動を。
僕は会社の中でムードメーカーなんですけど、心の中ではいつも果たし状を持っているんです(笑)。差し出す相手はだいたい父で、父が辞めるか、おれが辞めるかみたいな(笑)。次のビジネスのヒントがひらめくと、ああまた果たし状持ってかないといけないなー、って気持ちになるんでいやなんですけど(笑)。
でも最後にケツ拭くのは自分なんで。ケツも拭けないのに、だめだとか、やるなとかそういうこと言ってくる人は無視してます。面白そうだなとかやりたいことまず見つければ謙虚でいられなくなる。まずそこから始めてみたらいいんじゃないすか。
まだこれっていうものを見つけていないアトツギの人も多いと思います。そのためにも日常のルーティンの中に、あえてイレギュラーな行動を起こしてみてください。
やろうと思えることを見つけたときに先代や社内から反対にあったら、反対を押し切ってでもどうしてもやりたいことかと、自分の熱量を確認するプロセスくらいに捉え直してみたらいい。とにかく行動を起こしてみてください。今日はありがとうございました。
アトツギ甲子園HPへ
■取材した人
ジル
ああ