得意先をごっそり入れ替え、事業を再生。社員が社長を目指せるコミュニティシップ経営を実践。
株式会社 アベキン
代表取締役社長 阿部隆樹 氏
アベキンの3代目、阿部隆樹社長の小さい頃のあだ名は「アベキン」。祖父が創業した会社に誇りを持ち、継ぐこと以外の選択肢は考えていなかった。だが、修業先から戻ったアベキンは瀕死状態。「アベキン」を残したい一心でがむしゃらに働く一方、得意先をガラリと入れ替え、台車メーカーからオフィス家具メーカーに生まれ変わらせた。ここ数年は相次いで3社をM&Aし、グループ経営を実践。それぞれの会社で番頭を育て、社員から社長を出すコミュニティシップ経営へと舵を切ろうとしている。「ぼんぼんで、すねかじり、何に対しても自信が持てなかった」という阿部社長が、どのように会社を立て直し、逆境をはねのけていったのか、そのプロセスに迫った。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
ぼんぼん育ちで、ずっと「ずぼら」で生きてきた
修業目的です。三兄弟ですが、長男のぼくはオフィス家具メーカーに、次男は別のオフィス家具メーカーに。三男は店舗什器メーカーにそれぞれ就職しました。次男、三男は3年で家業に戻りましたが、ぼくは6年間修業しました。 2年間、製造部門で塗装、溶接、組み立てなどを経験し、その後購買、品質管理の部門にもいました。工場長には目をかけてもらい、厳しくしごかれました。整理整頓することで指示にもすぐに応えられるようになり、仕事も預けてもらえるようになり、仕事に面白味が出てきました。だらしない人間だったので必要とされるとうれしいもので。
家業の経営が悪化し、戻ることを決断
工場の汚さには目を覆うばかりでした。明らかに使っていない設備や材料があり、良品なのか不良品なのかも区別できず、ものを探すのにも時間がかかっていました。まずは工場の整理整頓といったような当たり前のことから始めました。 戻った年は5千万円の赤字を計上し、6億円の売り上げに対し8億円の借り入れがあり、債務超過の状態でした。債務超過だと銀行は追加融資してくれません。機械メーカーに頼み込んで支払いを2年据えおいてもらいました。社員に残業をさせればその分お金が出ていくので、兄弟3人で365日休まず働き、平日は夜中12時までに帰ることはほとんどありませんでした。坂道を転がり落ちている時は、転げ落ちているボールを止めるだけでも大変です。それに5年かかりました。
採算を重視、台車メーカーからオフィス家具メーカーへ
得意先ごとに納めている製品がちゃんと採算がとれているのか原価計算をすることから始めました。採算が取れていない得意先との取引はやめ、5年で主要得意先10社のうち9社との取引がなくなりました。一方でオフィス家具など新しい取引先を開拓していきました。 前の会社で要求品質、値ごろ感はわかっていたので。どのくらい仕入れてどのくらいで売れれば利益が出るという勘所はつかんでいました。得意先変えていくと、仕入れ先も変わり、利益が出るようになります。そうなると金融機関との付き合い方も変わり、さらに利益が出るようになって、社員に還元できるようになるとモチベーションが上がってさらに利益が出るという好循環が生まれました。
辞められて困る人が辞めたときこそ変われるチャンス
農機具、カゴ台車をつくっていた当時の塗装は「色が付いていればいい」という程度の塗装で、高級家具会社の得意先が工場に来られた時は「ここでうちの家具を作る気ですか?」とあきれられたほどです。 新しい得意先からの仕事が入って、ベテランの職人に、こんなふうに塗ってほしい、加工してほしいと頼んでも「これがアベキンのやり方。これでいいんだ」と変えようとしませんでした。それでぶつかって数人が退社していきました。 債務超過の時でしたが高校の新卒採用を始め、若い世代の中途採用もしました。ベテランが退社した直後は大変でしたが、思いのある若手社員が考えてモノづくりに臨んでくれた結果、あっという間に技術を身に付けていきました。固定概念が強く柔軟性が足りないベテランがいたために変えられなかったことができるようになりました。
M&Aをして2カ月後に当時の工場長、製造部長、金型のリーダーの現場のトップ3が、新しい会社では自分たちは不要だろう、とごっそり退職してしまいました。これは堪えました。 アベキンから若手を出向させるとともに人材紹介会社を使って即戦力の人材を採用しました。アベキンでも体験済みでしたが、この人に辞められたらやっていけなくなるというほどの人に辞められたほうが、結果的には全く新しいことを考えていくことができると思えるようになりました。
階段を上がるたびに見える景色が変わる
階段を上がっていくと見える景色も変わるということを実感しています。家業に戻った当初は、なんとかつぶれない会社にする、つまり借金を減らすということだけで精一杯でした。借金が減り、売上が上がっていくと今度は10億円という売上を目指すようになり、M&Aでそれを実現することができました。 M&Aは、互いの技術、経験、知識、設備、得意先、そして人を共有することによって、単なる足し算ではなく掛け算になって成果が出ることがわかりました。そこからさらにM&Aをしていこうと考えるようになりました。今、生産性を上げるために大改革中ですが、これもグループだからこそ増えた武器を、おおいに活用していこうと思っています。 ぼくは、もともと何にも自信を持てない人間でしたが、環境が変わることで心が変わり、行動が変わりました。心が変われば、行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変わるということを実感しています。
M&Aをした会社の社名を変えない理由
一人ひとりの社員が社長になれる可能性を持てる会社に
ぼくは4社の社長を務め、いわゆるリーダーシップ経営をしてきましたが、ここにきて優秀な人材がたくさん入ってきていることから、4社それぞれに番頭が育っています。しかも報告・連絡・相談が徹底しているのですべての状況を把握できている状態です。2020年9月からぼくが東京駐在でいられるのもそのおかげです。 その番頭には社員全員と個人面談に加え、採用も任せており、自ずと社員を守らなければという意識になっているようです。また番頭が次の番頭を育てつつあります。彼らが社長になれば、下の社員にも夢を与えることになります。今、社長になりたいという20代社員が2人出てきています。
今までアベキンは阿部家3兄弟でやってきたので、だれも社員から社長になれるなどと思っていなかったでしょう。息子も入社するつもりでいてくれていますが、アベキン本体も息子より優秀な人がいたら社長になればいいし、そのとき阿部家はオーナーになればいいと思っています。一人ひとりが社長になる可能性を持てるコミュニティシップ経営をこれから進めていこうと思っています。
【新潟県】
アベキングループ http://abekin.co.jp/
代表 阿部 隆樹 氏
■取材した人
ゴードン/編集長
家業である和紙卸問屋で4代目候補として8年従事。
アトツギの苦悩を誰よりも理解していることから、孤軍奮闘するアトツギに感情移入しがち。関西大学「ガチンコアトツギゼミ」非常勤講師。