「やりたくない」から誕生したヒルトップシステムで世界を驚かせる

HILLTOP株式会社
ヒルトップアメリカ現地法人CEO  山本勇輝氏

「そもそも製造業が嫌いで……」

思っていたとしても、そんなことをはっきり言う製造業のアトツギも珍しい。ただ、話を聞いていくと、その「嫌い」という想いから始まった改革が、今や国内外の著名企業からも認められるHILLTOPの根幹をつくっているのだとわかる。

HILLTOPは、量産ではなく8割が1個、2個という試作品の部品加工会社だ。本来ならまさに職人の腕が試される世界だが、その技術をデータベース化してシステムによって、誰もが機械を動かし、部品加工ができる「ヒルトップ・システム」を開発した。現在、難易度の高い部品加工のみならず、医療分野の開発案件にも業容を拡げている。お話を伺ったのはその立役者であり、HILLTOPアメリカ現地法人CEOの山本勇輝氏。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

 

広告代理店に勤務。クレームがきっかけで辞めて家業に

ズッキー
ズッキー
そもそも家業を継ぐことを意識し始めたのは、子どもの頃だったんですか?

父の背中を見ているので、「自分で会社をやる」というイメージはあったんですけど、全然「継ぐ」意識はなかったですね。そもそもあまり製造業が好きじゃないので(笑)。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

ええ?そうなんですか!!そんなこと言っちゃっていいんですか(笑)?

製造業のいわゆる“工場の中で汗水たらして”みたいなイメージとかが嫌で。今でこそきれいな工場になっていますけど、当時はそうじゃなかったので。技術的なことも入ってみないとわからないですしね。

山本氏
山本氏

▲野球に明け暮れた少年時代

 

ズッキー
ズッキー

ライフラインを見ると、「鉄工所の火災で父が重傷を負う」ってありますけど、この時に意識に変化があったんですか??

今思うと、ある程度やっぱりそこでちょっと意識したというのはあるかな。父は死ぬ寸前までいってるんで。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

えっ!そんな……?

火傷の箇所が50%近くて、お医者さんに呼ばれて、「次にこれやってダメなら覚悟してください」って言われたので。幸い回復した後も、やっぱり「親父はいつまで働けるのかな」とは思っていました。でも、父から「後を頼む」みたいなことは言われたことがなかったですね。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

その後、就職されていますが、広告代理店を選んだ理由は何ですか?

HILLTOPとは関係なく、単純に「社長にはなりたい」って思ってたんで、営業力は必要だろうと。BtoBの法人営業で、人材系ならいろんな会社のトップと話ができるし勉強になるかと思って、大手の人材系の広告代理店に行ったんです。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

でも、2年くらいで家業に入ってますよね。どういう心境の変化があったんですか?

営業マンとしては成績も良かったんです。でも、ある時、100%僕のミスでクレームになって。もちろんお客さんには謝りに行きましたが、リカバリーできるような解決策を会社には提案したんですけど、社内政治的なことが理由で却下されてしまって。

その時、いろいろ父親にも相談して。それで、理想とする会社のあり方とかを真剣に考えるようになって、辞めました。

山本氏
山本氏

 

 

 

ものづくりが嫌い。だから新システムを構築できた

ズッキー
ズッキー

入社して、最初はどういう立場だったんですか?

現場の一番下っ端からスタートです。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

ものづくり、おキライなのに!やっぱり今後マネジメントしていくにしても、現場のことがわかっていないといけないから、ということでですか?

そうですね。今までの流れ通りをこなすだけなら、いきなり役員になってもいいんですけど、時間がどんどん経っていく中では新しい技術も生まれるし、逆に今まで主流だった技術が消えることもあるじゃないですか。今の事業をただ実務としてこなしていくだけだと、先細っていきますよね。事業自体を変えていかないと発展はないし、変えるなら全体を知っておかないと。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

下っ端から会社全体をいろいろ見られて、山本さんが最初に改革されたことは?

最初は「採用」でしたね。僕が入社した時、社員は35人で、いわゆる「町工場」だし交通の便がいい場所にあるわけでもないし、大卒の新卒を採用するなんてほぼ無理だったんです。お金をかけて広告出したところで大手の中では埋もれてしまいますしね。でも、僕は求人広告の仕事をしてたからテクニカルな仕掛けもできるし、時期もちょうどリーマンショックの頃だったから、大手は採用を控えるので、これはチャンスだと。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

なるほど。前職の経験がめちゃ活きますね。どんな仕掛けをしたんですか?

大手企業って求人の出し方が一貫しているので、違う形で出せば目に留まりやすくなるんですよ。あとは、会社説明会を開かずに、うちの工場まで来ていただいて現状を見てもらって、うちの社員たちの誰かが必ず学生さんと話をする状況をつくりました。工場も新しくなったタイミングだったので。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

そもそも人材を増やせるような仕事量はあったんですか?

実はちょうど新しいシステムをつくってたんですよ。当時、リーマンショックで試作品の発注先の見直しが起こるだろうと踏んで、コストが上がったとしても利益が出る仕組みに社内改革してたんです。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

システム????生産管理のシステムみたいな感じですか?

当時は他社と一緒で、うちでもベテランがプログラムを組んでいたんですけど、入ったばかりの新卒でも同じことができる仕組みを作ったんです。それで新卒採用も並行し始めました。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

その時って山本さんが入社されてから2、3年の頃ですよね。なんでその仕組みをつくればいいとか、気づくことができたんですか?

そもそも製造業が嫌いだからだと思います(笑)。要するにものづくりが好きな人って、その工程が好きなんですよ。僕はそもそも好きじゃないので、「これって俺がやらんとあかんかな」と思うんですよね。「俺じゃなくてもいいよね」って(笑)。そうすると「これって別に人間がやらなくていいよね」って発想になってきて。そういうところからですかね。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

なるほど~。ものづくりがキライだからこそ思いつけたんだ(笑)。面白い!

この発想はどの業界のアトツギにも参考になりますね。無理やり好きになろうとするより、キライな理由をなくせばいいんですね。

 

ちなみに、人材確保には中途じゃなくて新卒採用をされているのは、「会社を変えていく」っていう時には新卒のほうがいいってことですか。

そのほうがいいケースもありますけど、バランスだと思うんです。うちの場合だと、職人さんは技術はあるけどパソコン使えないんですよね。逆に、新卒の子はパソコン使うスキルははるかに高い。でも知識はない。そこをうまくミックスできるようなやり方ってないかというところからスタートしてるんで。

山本氏
山本氏

 

 

 

「アメリカで会社をつくって成功させてこい」

ズッキー
ズッキー

社内改革して、システムと人材がそろってきた中で、今度はアメリカへ行かれていますが、そのきっかけは?

父が「お前アメリカ行くか」。僕が「はい、行きます」。それだけですね。あと、事業承継の試験みたいなものだと思っていました。お前に2億投資してやる。アメリカで会社つくって事業成功させてこい、と。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

ええ?何から始めたらいいか困惑しそう。どんなふうに動き始めたんですか?

ほとんど現地の人たちを頼りにしていました。誤解を恐れずに言うと、海外にいる日本人は日本人コミュニティの中でビジネスをまわすから発展しないと感じていたので、日本人会とかには入らなかったんです。コンサルも雇わなかった。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

それでどうやって現地の人とつながったんですか?

僕らの仕事ってとりあえず材料が必要じゃないですか。向こうのメーカーのほうが安いので、「工場つくりますよ、僕らお客さんですよ」って話すといろいろ話してくれるんですよね。

競合相手も「僕らも加工屋さんです」って話すと最初は嫌な顔されるけど、「僕らはアルミしかできなくて、他の注文をさばいてくれる人を探してるんだ」と。それで、「あなたたちはどういうことできるのか」って聞いたらレベルもわかるし、普段はクローズな部分も、僕らがお客さんだとわかったら話してくれるんです。そうやってネットワークを増やしていきました。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

でも販路はどうやって探したんですか?

いろんな展示会に出しています。お金もなかったんで、簡易ブースを自分たちでつくって、場所だけ借りて。営業さんは素人を集めてきたんで、アテンドの仕方を体系化しました。彼らは加工のことはわからないので、「試作品5日でやります」というのを出して、目を引いたお客さんに対して極力時間をかけないでバッジスキャンだけしてもらう。展示会は「明日からの営業リストをつくること」だけに終始しなさいと。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

さすがは元営業マンですね。作戦が明快ですね。

日本から参加している会社って、3日間で30社くらいらしいんですけど、僕らは多ければ3日で500社とか。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

それはすごいですね!僕たちアトツギからすると、山本さんって成功者のイメージですけど、失敗とか、試行錯誤ってあったんですか?

売上って徐々に増えていくじゃないですか。その間は人も増やさないといけないし給料もあるので、銀行口座の数字が目減りしていくわけですよ。そんな時に大型の案件があったんですけど、うちはアルミ加工なのに、残念ながらそれは鉄だったんですね。後にも先にもその時だけですけど、父に受けるべきか、相談したんです。普段なら断ってるんですよ。でも、これ受けたら、社員の給料出るなと思ってしまって。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

目の前のこと考えたら迷いますよね。で、受けたんですか?

父には「受けるべきではない」って言われたのに、受けてしまったんですよ。あの時は失敗しましたね。その仕事を受けたせいで、結局、本来入るはずの仕事が入らなくなったし、慣れてないから思ったような成果は出なかった。

山本氏
山本氏

ズッキー
ズッキー

慣れてないことは引いたほうがいいんですね、やっぱり。

いや、「慣れてないから」という意味ではなくて、「何を目的にやるかが大事なんだ」と思って。あの時は、一時しのぎのためにやったのが間違いだったんだな、と。それが本当にやりたいことでチャレンジだったら失敗しても後悔はしないし、迷わなかったと思うんです。

あと、その時に経営者として、口座の数字が目減りしていく怖さとか、リアリティを感じたし、事業を決める時は本気でやりたいと思わないと意味がないし、うまくいかないってことを学びましたね。

山本氏
山本氏

 

 

 

AI化で生産量が31倍?!装置開発事業を推進

ズッキー
ズッキー

今後のビジョンを教えてください。

受託での部品加工の事業は引き続きやりますけど、10年前から開発事業もやっていて、売上はもう同じくらいになっていますね。たとえば、あるベンチャー企業と5年前からPCRを共同開発していていますし、コロナ対策用デバイスやワクチン投与用の製品も共同で開発しているところです。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

まさに社会課題!そんなタイムリーな分野も手がけられているとは!!

はい、基本的にはFA(ファクトリーオートメーション)とか装置開発が強いんです。今はコロナの影響で飲食店からも人が介在しないようなシステムの需要が増えてきたし、今後は部品加工会社から装置開発会社になっていくんじゃないかな。あと、もう1つ主力になってくるのが、AI CAMですね。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

AI  CAMってなんですか?

部品加工しようとすると機械がいりますよね。でも、機械だけあっても意味がなくて、セッティングから生産管理、工程管理、品質管理といろいろやらないと部品加工はできない。これをAI化して誰でも簡単にできるシステムを開発して、他社向けに4月から本格的にリリースします。生産量は当社比ですけど、31倍くらいになるという成果が出ていますね。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

さ、31倍?え~っ!すごい!

人の集中力って続かないけど、AIなので考えている時間とか計算時間とか人の8倍速くて、そのペースで24時間土日も動き続ける。職人さんの技術が必要と言われる判断もすべてAIがやるんですよ

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

それって、すべては山本さんがものづくり好きじゃなかったから、できたのでは?(笑)

そうなんですよね。結局「俺がやらなあかんのか?」精神なんですよね(笑)。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

最後に、若いアトツギに向けてメッセージをお願いします。

必ずしも家業を継ぎたくてやる気満々の人がうまくいくわけではないと思うんですね。「自分はそれ好きじゃないし」っていうことで家業を継ぐか悩んでいる人って多いかもしれないけど、僕はそのほうがうまくいくケースってあるんじゃないかと思っていて。それは僕自身がそうなので。

それに対して「変えたいと思うかどうか」ですよね。自分が新しいものをつくっていくイメージを持てるかどうか、それだけかなと思います。好きになれないということに対しては、悲観的に捉える必要はないかな。

山本氏
山本氏
ズッキー
ズッキー

モノづくりの家に生まれたからって、必ずしもモノづくりが好きなわけじゃない。でも、そこからイノベーションが生まれるのかもしれないって思いました!

ありがとうございました!

 


【京都】

HILLTOP株式会社  https://hilltop21.co.jp/

ヒルトップアメリカ現地法人CEO  山本勇輝氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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