入社した会社でオーナーから事業承継。地域、人を大事にした前オーナーの心受け継ぐ。
和歌山県
南海砂利株式会社
代表取締役 上田 純也さん
南海砂利株式会社の上田純也社長は、いわゆる世襲による親から子への事業承継ではなく、オーナー会社に勤務していたサラリーマン時代に子会社の株式を譲り受け、事業を引き継いだ。もともとオーナーが経営する砕石、砂、生コン製造会社で「第二の父親のように思っていたオーナーをサポートするナンバー2」を目指して働いていた。やむを得ない事情から子会社の南海砂利の経営を任され、ひとり立ちすることになった時は不安でたまらなかったという。それでも経営が行き詰まった同業の生コンクリート製造会社・砕石製造会社を次々に買収して立て直し、自動車教習所の経営にも乗り出すなど、本業の充実と多角化で事業を成長させている。「常に、前のオーナーだったらどうするのか考えながら、模索を繰り返しつつ経営に当たっている」という上田社長に、独立時に直面した苦労をどう乗り切り、どのようなことを大切にしながら事業を広げていっているのか思いを聞いた。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
ヘリコプターに乗って仕事がしたい
もともと数学、理科、英語が得意で大学は工学部に進み、卒業後は大手編機メーカーに就職しました。大学で学んだことを生かせる電子技術系の部署に配属されましたが、本当に自分がやりたいことを見つめ直し、営業でも修理でもいいから外に出る仕事がしたいという希望を出していたが電子技術系の内勤が続いて、性に合わずに退職したんです。
その後、ヘリコプターの免許を取得するためにオーストラリア留学してますね。
編機メーカーに勤務していた5年の間、プライベートではスキーやキャンプを企画したり、サッカーチームを作ったりと充実していたんです。ただ、やっぱり人生の時間の大半を占める仕事そのものが楽しくないと面白くないわけで。ヘリコプター乗って仕事できたら楽しいだろうなという思いが芽生えたんです。
結局免許を取られたんですね。
そうです。それでヘリコプターを運転したいと思って、ヘリを所有している会社だからということで入社したのは前のオーナーの会社だったんです。
会社で同業の南海砂利を買収することになったとき、オーナーが南海砂利の経営を私に任せてくれました。それが40歳の時です。その2年後にオーナーが親会社の経営から退かれるというので、そのタイミングで南海砂利の株を譲り受け、完全に独立しました。
オーナーのナンバー2を目指して
上田さんはもともと経営者になりたいと思っていたのですか。
社長になるなんて、これっぽっちも思ってませんでした。オーナーの人柄や手腕にひかれていたので「この人の元で、ナンバーツーを目指そう」という気持ちではいました。オーナーには跡取りがおらず「おまえががんばって後継げるようになれよ」と冗談っぽく言われた時もありましたが「そんなん無理や」と思ってました。
ぼくの親は運送業を経営していて将来継ごうとは思っているのですが、継ぐときにちゃんと従業員の雇用を守れるだろうかとか不安になるんです。一社員からいきなり社長になった時って不安はありませんでしたか。
初めの1年半はオーナーの親会社に守られていて、僕がお金を借り入れるわけではなく、個人保証することもなかったので、自由にやらせてもらっていました。ただ、株式を譲り受けていざひとり立ちするときはすごく不安でしたね。
銀行からの貸しはがしを乗り越えて
しかも親会社から会社を譲り受けたときにつらい目にあっているんですね。
前オーナーご自身はとても立派な方だったのですが、近い人がコンプライアンス上問題のある人がいたのか、そのことをきっかけに親会社に対する世間の風当たりがきつくなったんです。ぼくに対しても同じように見る人はいるわけで、取引銀行からある日インターネットバンキングの利用をいきなり止められ、そして借りていた融資を引きあげられる。いわゆる貸しはがしにあいました。もしそれで会社がつぶれるようなことになれば、社員やその家族が路頭に迷いますからすごく不安な日々でした。あれはつらかったですね。
どう切り抜けたんですか。
むしろ社員から励まされました。「他の銀行もあるから大丈夫です」って。それは心強かったですね。なんとか別の銀行は今まで通り取引を継続してもらって、乗り切ることができました。
オーナーの思い受け継ぎ、地域貢献
その後の経営で、ご自身が親会社におられたときの経験、スキルが生かされたところはありますか。
前オーナーの会社運営をずっとそばで見ていたので、経営方針等で迷った時はそのオーナーのやり方を思い出して真似れるところは真似ています。時にはアレンジも加えながら。たとえば地域貢献もそうです。少年野球の「南海砂利旗トーナメント」、少年サッカーの「ナンジャリカップ」を主催しているのもその一つです。
オーナーは、ダンプカーや10トンミキサー車のような大きなクルマを走らせることで、地域の人に威圧感を与えてしまっているという気持ちから、地域への恩返しの思いを込めて子どもたちや地域に役立つことをいつも考えていました。
将来は野球やサッカー以外のスポーツも増やし、地域の子どもたちのオリンピック「ナンジャリピック」を開けたらいいなと考えています。
ぼくの家業の本社は福岡ですが、ぼく自身も地域に貢献できればという思いを持っています。
当社の本社は和歌山県橋本市です。事業を展開していくうえで県内だけでは市場が小さいので、作った砕石類を奈良や大阪などの県外にも運んでいます。そうやって和歌山県や橋本にとっていわゆる“外貨的”な売上げを獲得して、地域で雇用を生み出し、もちろん税金を納めることで地域貢献できているのかなと感じています。
本来なら大阪で就職しようと考えていた若い子が南海砂利なら入ってみてもいいかなと思ってくれれば、地域の人口の流出を食い止めることにもなります。そうなれたらいいなと思っています。
買収を判断する決め手は「人」
南海砂利では生コンの会社をいくつも買収しています。買収した会社の経営をどのように立て直してきたのですか。
買収した会社は経営が厳しくなって買い手を求めていたわけですが、そういう会社をどこでも買収するというわけではありません。立て直せそうな経営状態なのか数字をちゃんと見ますし、それ以上に、どんな社員がいて、今後もポテンシャルを持ったスタッフがちゃんと残って働き続けてもらえるのかを、見極めてから買収するかどうか決めます。優秀な人材をゼロから集めて育てることが一番大変ですから。
自動車教習所の経営はなぜ引き受けたんですか。
生コンの会社を買収していくと、時に飲食店などの他業種をやってほしいというような話も舞い込んできました。ぼくは畑違いの事業はしないと決めていたんですが、その自動車教習所は、小中通っていた柔道教室の先生が社長を務めていまして。経営に行き詰って事業譲渡先をいったんは見つけたのに、急きょ話が流れてしまったそうなんです。
それで助けを求めてきた、と。
はい。自動車教習所って、講習料が前払いなので、もし倒産したら返金されないんです。18歳の子が25万失ったらきついですよね。それを聞いて、ほっとかれへんなあ、と。
そこまで考えたんですね。
それだけじゃないですけどね。よくよく考えてみると自動車教習所って公安委員会指定の事業で、高齢者講習とか違反者講習があると代金は和歌山県警から振り込まれるんです。警察と取引があるってすごい信用だよな、と。
この会社の事業譲受した時にコンプライアンスのことで痛い思いをしたこともあり、警察との取引があることできちんとした会社というイメージで見てもらえるなら、多少採算に乗らなくても挑戦してみようと思って引き受けることにしたんです。
実際に買収を決める前に、教習所のスタッフとうちのスタッフとでごはんを食べに行きました。そうしたら、教習所の仕事に誇りをもって、「この仕事が好きだ」という気持ちが伝わってきました。このスタッフ達となら、経営も立て直せると感じました。
上田さんの判断って、いつも人を軸にして決めているんだなって感じます。コロナの影響はどうだったんですか。
今回、一番心配だったのは自動車教習所です。自動車学校は2、3月が一番忙しい時期なんですけど、その頃から感染が広がっていて、その状況で教習をさせるのは従業員を虐待しているに等しいと感じていました。休んだ時の教習期間の延長が得られるよう業界団体を通じていろいろお願いしました。それが認められたのが4月です。緊急事態宣言が出た時は休業しました。県内の自動車学校で休業したのはうちだけでしたね。
業界全体での改革が必要
ぼくの家業は運送業で、いわゆるきつい業界で斜陽産業でもあります。建設関連業も同じようなところがあると思います。そういう業種での戦い方があればアドバイスをお願いします。
業界のイメージ向上のための取り組みはいろいろしているんですけど、うち一社で頑張ってもしょうがないんです。たとえばうちがいち早く、働き方改革のもと週休2日制を導入しても、土日営業して残業もする会社に仕事が流れてしまうんです。業界を巻き込んで同業者どうし手を組んで働き方改革や業界発展のために志を寄せ合い、業界が一枚岩になることが必要だと思っています。
業界全体で改革をめざすのですね。ありがとうございました。
【和歌山】
南海砂利 株式会社 http://www.nankai-jari.co.jp/
代表取締役 上田 純也 氏
■取材した人
マッキー
1995年生まれ。ベンチャー企業に勤務しながら、アトツギベンチャー取材やイベント運営を担当。