草食系アトツギの猪突猛進! 「新しい事業」は始めるもんだと思っていた

株式会社新和工芸
専務取締役 石塚伸宏 氏

「お前、帰ってきて一体何するんだ?」

先代の社長から放たれた言葉を反芻しながら、アトツギは家業の未来を信じて行動する── 秋田県秋田市に本社を置く株式会社新和工芸は、昭和40年の創業以来、カーディーラーや金融機関などの屋外広告(看板)事業を営んできた。

そんな新和工芸の三代目・石塚伸宏氏が先代から提示された事業承継の条件は「新しい事業を持って帰ること」。トライアンドエラーを繰り返して三代目が持ち帰ったのは不動産鑑定事業。不動産の客観的な価値把握を行う専門的な仕事だ。

看板と不動産鑑定? なぜ? シナジー効果は? 柔らかな物腰で穏やかに語る石塚さんに、鰹節屋のアトツギ、ズッキーが聞く。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

3社を渡り歩いて紆余曲折。挫折の中で見つけた不動産鑑定業

ズッキー
ズッキー
いつごろから家業に興味を持ち始めましたか?

ずっと家業に入りたいと思っていたんですよ。長男なので、家業に思い入れの強かった祖母から刷り込みように「お前が継ぐんだよ」って言われ続けてましたし、父からは継ぐなら、「何か新しいものを持って帰ってこい!」とずっと言われていました。

 

東京の大学に進学して、とりあえず広告業界は受けようと思ってマスコミ研究会に入ってました。看板も広く捉えれば広告(屋外広告)ですから。でも結局就職したのは人材業界という。

石塚氏
石塚氏

ズッキー
ズッキー
え、全然違う業界じゃないですか。なんでまた?
キャリアデザインセンターという会社に出会いまして、そこで働いている方々がとても魅力的で。 

 

それでも一応メディア職での採用だったんです。看板業と同じくフォトショップ、イラストレータを扱う業務。色んな業界に取材に行ける仕事だったので、将来、家業に戻った時の事業開発のヒントも得られると思っていました。でも入社のタイミングでリーマンショックが起きて、会社も苦しくなりメディア職に人を割けないということで営業に配属されました。大きな実績は残せなかったけど、仕事の基礎を教えて頂いたし、この会社がファーストキャリアで良かったなと思っています。

石塚氏
石塚氏

でも親が体調を崩したので、退職して秋田に帰ろうと思ったんです。でも、それを伝えたら、先代が「いや、お前帰ってきてなにするんだ」って言ったんです!なんだこの親父と思いましたよね(笑)。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
まだ新規事業のネタ見つけてないだろ!ということですね(笑)。
でも会社には退職届を出してしまったあとだったので……
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
うわああ!!
それで急いで就活をして、webベンチャーに就職しました。元経営者の人たちが多く集まる会社だったんですが、「ここで結果出せば親父も見返せるだろう」くらいの動機で入ってしまったんですよね。当然うまくいかず、大した結果も出せないまま、体調を崩して退職しました。

 

そんな自分を見かねてなのか、父親知り合いの不動産鑑定士と食事をする機会に呼んでくれたんです。そこで不動産鑑定業というものを知ったわけです。

石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
でも、どういう動機付けで不動産鑑定士を目指すことになるんですか?
ぶっちゃけた話をすると、当時はかなり落ち込んでいたので、とにかく目の前に目標が欲しかったんです。それに不動産鑑定業のデスクワークとフィールドワーク(現場の調査)の両方をバランスよくやる仕事のスタイルは自分に向いているような気がして。

 

秋田は鑑定士がすごく少ないし、営業も苦手な方が多いそうなんですよ。私は営業はがっつり経験してきたし、それにプラスして自分のフィールドを持てたら勝ち筋が見えるんじゃないかと思っていました。

石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
いったん不動産鑑定士の資格を取ることになったんですね。家業に戻ったのはいつですか?
その後、仙台の予備校に通って資格を取得して、不動産鑑定会社で働きながら勉強させていただきました。ちょうど娘が生まれたのもあって家族のいる秋田に帰ることにしたんです。
石塚氏
石塚氏

 

 

 

更地になった被災地に立って、家業に馳せた想い

ズッキー
ズッキー
いよいよ家業に入られるわけですが、「ずっと家業に入りたかった」んですよね。全国のアトツギの皆さんにお話を聞いていると、「子どもの頃は家業なんか継ぎたくなかった」という方が圧倒的に多いのですが。

家業への想いは、鑑定士になる前と、なった後で変化しました。以前の動機は使命感でしたね。祖父の代から続いてきたものを自分の代で途切れさせるのはもったいないという。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
鑑定士になってから家業の見え方が変わったってことですか??
仙台の不動産鑑定会社で働いているとき、当時は東日本大震災の直後だったのもあって、被災3県の事業再生の仕事がすごく多かったんです。とくに沿岸部は「工場が流されてしまいました」とか「あとを継ぎたくてももう無理。他に売ってしまうしかない」というケースをたくさん見ました。

 

石巻で震災以前の街の写真を見せていただいたときにもやりきれませんでした。私が立っている更地にはかつて会社があったのだと思うともう……。そして家業が継げる状態にあるのは、なんてありがたいことなんだろうかと実感しました。

石塚氏
石塚氏

 

 

 

アトツギ息子とアトツギ娘の結婚!?

付き合う前から意思表明しておくべし

ズッキー
ズッキー
ちなみに、ご結婚はいつのタイミングだったんですか? 僕は彼女もまだいなくて、出会いについてもお聞きしたいです!
鑑定士としての見習い期間中に仙台で結婚しました。予備校時代に、友人の紹介で知り合ったんです。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
そうか〜!!やっぱり友人の紹介か!!僕も家業に入ったらますます出会いはなくなるんじゃないかと、若干焦っております。

 

実際、アトツギの恋愛事情ってけっこう問題で。知人のアトツギは付き合っていた恋人に家業を継ぐつもりだって言った途端フラれたらしく……。東京で働く大企業のサラリーマンだと思ってたらいきなり地方の中小企業の社長になるって言われた彼女の動揺もわからなくはないですが、同じアトツギとして切ない(笑)。

私は付き合う前から、秋田で家業を継ぐって言っていました。だからそれが無理なら付き合わないでほしいというスタンスで。以前、失敗したことがあるので……(笑)。ただ妻の実家も自営業で、彼女がアトツギ候補だったのをこっちにひっぱってきちゃったので、そこは少し大変でしたけど。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
え?奥様もアトツギムスメ!?
妻の実家は司法書士事務所を経営しているんです。予備校に来ていたのも、そのための資格取得を目指してのことでした。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
それはご両親を説得するのがかなり大変だったのでは?
最終的には「好きにしたらいいよ」って言ってくださったんですが、当初はご両親にも葛藤はあったと思います。でも家業を継ぐことも、新規事業を始めることについても、一切何もおっしゃらなくて。「はじめのうちは大変なんだから、あんたが支えてあげなさい」って妻に言ってくれたくらいです。やっぱり経営者の家庭だなと。
石塚氏
石塚氏

 

 

 

不動産鑑定と看板作りを掛け算する?

ズッキー
ズッキー
家業に入ってからまず、どんな仕事から始めたんですか?
入社すると同時に不動産鑑定業を始めたので、最初のころは手続きにかかりきりでした。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
看板業には関わらず?
最初はあんまり……とにかく父が看板業をさせたがらなくて。父はね、看板業には未来がないと思ってるんですよ。でも私は看板業もやり方を変えればうまいことできるって思っています。そこでいつも意見が対立するんですけどね。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
お父さんは、未来のない看板業には石塚さんを関わらせたくないと?
そうでしょうね。だから私の方から勝手にずんずん入っていってます。普通は親の方が既存事業を嫌がるアトツギにさせたいのに、うちは珍しいパターンですよね(笑)。

 

父自身も葛藤があるんでしょうね。父は、創業者である祖父との関係があまり良くなかったみたいなんです。頭から押さえつけられて、やりたいことの一つもやらせてもらえなかったとか。その反面教師的な部分もあるのかも。ま、私が看板関係の資格を取るときはなんだかんだ応援してくれましたけど。

石塚氏
石塚氏

ズッキー
ズッキー
ところで、事業にコロナの影響とかはありますか?
鑑定業の方はあんまり……むしろコロナをきっかけに事業承継が進んだというケースが多くて、相談は増えたくらいです。でも看板業はやはり影響がありますね。工事自体の遅延もありますし、看板の修繕を先延ばしにするクライアントさんが多いので依頼はグッと減りました。会社全体としても、採用を強化して、積極的に仕事を取りに行くぞという時にコロナがやってきたので、計画はかなり狂いました。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
そうなんですね……。でも複数の事業の柱があって良かったですね。これから本格化しようとしている看板業と鑑定業をリンクさせるビジネスについて教えてください。
事業承継で鑑定評価を入れるときって、親族承継はもちろんですが外部に事業譲渡するケースも多いんですね。そうすると、会社の名前が変わるから看板を変えたいという要望がけっこうあって。
石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
確かにそのタイミングで看板を新しくする人は多そう!
鑑定評価のときに一緒にご提案すると、「ちょうどやりたいと思ってたんだよね」という方は多いですね。鑑定業は権利面のお手伝いになりますが、同時にハードのことについても提案できるのは強みかなと思っています。この事業アイデアで、今度地銀のビジコンに出すつもりです!
石塚氏
石塚氏

ズッキー
ズッキー
いや、石塚さんならではですね。鑑定業×看板業の掛け算ができる人、そうそういないですよ! 
看板業としての新規事業では、飛沫感染防止用のアクリル板のパーティションの販売。ホームページ経由でけっこう売れるんです。うちは今まで小口の商品、数万円単位の個別販売はやってこなかったんですけど、いざ始めてみると意外とお声がけいただいて。うちはもともと、内製比率が高いんです。社で最終製品まで作れるので、強みになるんじゃないかなって思っています。
石塚氏
石塚氏

ズッキー
ズッキー
アトツギが手間がかかる小口の商品を作る時って先代が反対するってよく聞きますけど。 
最初、ホームページを作る時も「費用が高い」とか文句言ってたのに、注文が入ってくるようになったら「最近、ホームページの方はどうだ」とか言ってくるんですよ(笑)。やっぱり実績を出すことが社内を納得させることにつながるんだと思います。
石塚氏
石塚氏

 

 

 

やっちゃえ!のテンションで軽やかに挑戦しまくるアトツギが描く未来とは

ズッキー
ズッキー
石塚さんって穏やかな優しい雰囲気の人なのに、やってることは大胆なんだよな。先ほどお話しされた不動産鑑定を活用した事業承継支援サービスで日本経済新聞のベンチャーピッチのスタアトピッチに出場されてますよね。新しいことに踏み出すのに不安はないんですか? 
やっちゃえ!みたいな感じ(笑)。

深く考えてたらビビって出られなかったと思います。日経新聞読んでて「あ、なんか面白そう〜」って思って、ちょうど家業のHPがないことも気になっていたので「これに出ればPRできるな!よし出よう!」という感じで。東北って、そもそも手を挙げる人が少なく注目してもらえるかもしれない。地方の強み(笑)。

石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
たしかに。東京とか大阪とかだと埋もれちゃいますもんね。出たもん勝ちですよね。露出が増えれば、話もくるし、実績もできて……そうすると次のステージが見えてきますもんね。 

昔から「家業に入るなら新しい事業を」と言われていたので、新しいことに対する抵抗感がないのかも。

 

それに、新しいことやる時には当然リスクも考えますけど、ピッチやビジネスコンテストなんかはリスクが殆どないと思うんですよね。強いて言うなら恥を掻くくらいのもの。事業が良くなるのなら、積極的に恥をかくし、失敗もどんどんします。今までのキャリアもたくさん挑戦してたくさん失敗して、だからこそ見えてきたものってあると思うので。

 

あと、アトツギが新規事業を始める時って、先代が反対するってよく聞きますが、父親世代を説得するのに新聞系のイベントで評価されるのは効き目があると思います(笑)。

石塚氏
石塚氏
ズッキー
ズッキー
10年後の新和工芸はどういう姿であってほしいと思いますか? 

今と全然違うことをやっていたら面白いなぁ。

でもそのためにも、もっと看板事業にコミットしていきたい。いま現在の課題を解決していこうと思います。そうすることで、もっともっとアイデアが浮かぶと思いますし。

 

今一度、変えるべきだなと思っているのは売り方。作るのは得意なんですが、売るのが下手なんですよ。うちは、みんな職人気質で「ものがよければ必ず売れる」と思っている……。

だから売り方も発信も見直して、小さくても実績を出していくことで、社内を説得しながら巻き込んで行きたいと思います。

石塚氏
石塚氏

 


【秋田】

株式会社新和工芸 https://shinwakogei.jp/

石塚 伸宏 氏


 

■取材した人

ズッキー

  1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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