目の前の社員や既存事業と向き合うのもアトツギの責任。逃げの新規事業は辞めた方がいい。

長野県
エムケーカシヤマ株式会社
代表取締役社長 樫山 剛士

長野県佐久市に本社のあるエムケーカシヤマは、自動車の大衆化が本格化する1960年から自動車部品の製造販売を開始し、ブレーキパッドやブレーキシューといった自動車部品における国内有数のメーカーとして知られている。また、レース・サーキット用ブレーキの製造も手掛けており、ドリフトやラリーの世界大会で活躍する選手のサポートも行う企業だ。

「家業に就職するか一度外で働くべきか迷っていたとき、『早く経営に携わって経験を積んだ方がいいよ』と言われて、すぐに家業に入ることにしたんですよね」

そう語るのは、25歳で家業に入り、翌年には取締役となった樫山剛士社長。

若手アトツギとして順風満帆なスタート・・・と思いきや、実際は大幅な売上下落、迫られた人員削減に事業売却など、いばらの道が待っていた。

何度も苦渋の決断を迫られながらも前進を続け、現在では入社当時の2倍の売上が出るまでに事業を立て直した樫山社長。これまでの経験やアトツギとしてのスタンス、加えて取材の中で飛び出した「今は、アトツギが早く継ぐべきとは思わない」という言葉の真意を聞いた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

「早く引退したい」父親の意向で、家業に入った翌年には取締役に

マッキー
マッキー
樫山さんは、幼い頃から家業を継ぐことを意識していましたか?

アトツギあるあるかもしれないけど、周りの人たちから「君が継ぐんだよね」って言われてたんですよ。場所がら軽井沢にも近いから、夏場に会社のお客さんとかもよく遊びに来ていて、毎日のようにその人らとの食事にも付き合ってました。小学生のとき、それが嫌になってぶうたれてたら、親父に外に連れて行かれひっぱたかれて、「お前、これは仕事だぞ」と言われて。「そうか、これは仕事なのか」と思って(笑)
樫山氏
樫山氏

マッキー
マッキー
いきなり強烈なエピソードですね(笑)「なんで俺が継がなきゃいけないんだ」みたいな違和感はなかったんですか?
それは無かったかなあ。小さい頃から父の仕事について海外に行ったりもしてたから嫌じゃなかったんだと思います。思春期くらいにはすでに経営に興味があって、片道1時間半くらい掛けて中学に通学してたんですが、その間、偉大な経営者のエピソードが出てくる城山三郎の本やニューズウィークを読んでました。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
すごい中学生ですね(笑)じゃあ、大学を卒業してからは迷わず家業に入ったんですか?
まずは一度外で働いてから家業に入る方がいいんじゃないかと思うことはあって。だけど迷ってたときに、ある経営者の方から「今は、IT系も含めて20代の経営者がすごく増えてる。君も早く経営に携わって経験を積んだ方がいいよ」って言われて、確かにそうだなと。それで、仕事に必要な英語を学ぶために1年半留学した後、25歳で家業に戻ったんですよね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
帰国後、家業に戻ってからはどんな風に働き始めたんですか?
何もわからないのにいきなり新工場の設立責任者を務めることになって。当時はエムケーカシヤマ以外に樹脂の金型を作る会社もあって、そこは折りたたみ携帯電話に使う金型分野では国内有数のメーカーでした。その二社どちらもに入ったという感じですね。帰国した2001年は、金型の会社が過去最高の売上25億を挙げて新工場を建てるタイミングで、設立責任者を務めた翌年には二社ともの取締役に。
樫山氏
樫山氏

▲タイ工場立ち上げの時、工場のメンバーと。

 

マッキー
マッキー
え、すごいスピードですね。お父様からいきなり任されたんですか?
僕が入ったころには、親父が「早く引退したい」て言っててね(笑)。祖父が早く亡くなって父も若くして継いだからもう疲れ切っていたというか。だから、どんどん丸投げでやらされていった感じです。
樫山氏
樫山氏

 

 

 

売上半減、人員削減、事業売却……。波乱の20~30代

マッキー
マッキー
そこからは、順調に事業成長を遂げられたんですか?
それが全然。金型の会社は、借金して新工場を建てたのに売上が一気に17億まで落ちてしまって。親父に相談したら「俺はわかんないから、若い感覚でお前がやれ」って言われたんですよね(笑)。これはきついぞと。エムケーカシヤマの方も、当時はピーク時の1990年前後に比べると売上が半減してて、親父は「会社を海外の企業に売却する」って言ってるタイミングでした。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
2社とも大変な状況ですね……。そこからどのようにして立て直しを図ったんですか?
20代後半は、両社の事業を立て直しに奮闘する毎日でした。金型の会社は、新規顧客の獲得に力を入れつつ、大幅な人員削減を行ったり、生産性の改善を図ったり。エムケーカシヤマの方は、海外の企業と事業売却交渉を進めていたんですが、やっと決まったと思った話が破談になって。他にも、ジョイントベンチャーで提携していたインドネシアの企業とのアグリーメントの更新が難航してしまったことも……。諸々のストレスが大きすぎて、潰瘍性大腸炎になっちゃったんですよね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
それだけハードだと身体も壊しますよね。壮絶な20代を超えて、30代に入ってからはどうでしたか?
30代も結構な暗黒期でした(笑)金型の会社は、金型事業単体だけではこの先難しいと思って、ある上場企業のグループに入ったんですけど、うまくいかなくて。株を買い戻してみたものの、スマートフォンの時代に移り変わっていたこともあって、売上が半分以下になっていました。一方のエムケーカシヤマの方も、タイに建てた自社の工場が全然うまくいかなくて、大変な赤字になってしまってクローズせざるをえない、という感じで……。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
ええ……想像しただけで胃が痛くなりそうな状況……

いろいろ手を打ってなんとか業績は回復してきたんですが、ここからさらに利益を出すにはどうしたらいいかわからなくなってしまって。社員に満足な賞与が出せない状態なのも不甲斐ないし、「自分には経営の力がないんだ」「他の人に任せた方がいい」って思い詰めすぎてた時期で。結局、金型の会社は2016年に事業譲渡をして。今となっては後悔もあるけれど、当時は精神的にも限界でしたね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
断腸の思いで事業譲渡を決断したんですね。それからエムケーカシヤマに集中して、業績は回復していきましたか?
そうですね。2017年には、僕が入社した2001年当時の2倍ほどの業績を挙げられたし、わずか2%ほどだった自己資本比率をこの4年間で30%近くまで戻すことができて、安定してきたかもしれないですね。
樫山氏
樫山氏

 

 

 

大変な時代だからこそ、「早く継ぐこと」に重きを置かなくていい

マッキー
マッキー
家業に入って以来かなりご苦労が多かったと思うんですが、振り返ってみていかがですか?
僕は29歳で経営者になったんですが、若いうちから経営者にならなくていいんじゃないかって今は思ってますね。僕もリーマンショックや東日本大震災を経験したけれど、今の世の中ってとにかく変化がめまぐるしいでしょう。産業構造もダイナミックに変わっているし。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
ええ、本当に。
そういった荒波に耐えられる力を、20代や30代前半ではまだ持てていないんじゃないかなと思うんですよ。しかも、20代で継いでしまうと、そこから40年以上その荒波の中で経営をすることになるでしょ。だから、疲れてしまうんじゃないかなって。
樫山氏
樫山氏

マッキー
マッキー
なるほど。そうすると、家業には20代や30代のうちから携わっていたとしても、継ぐのは40代以降がベストですかね?
僕はそう思ってます。親のことや事業の状況、アトツギの性格などいろんな要素によってベストな選択は変わるけど、大変な時代だからこそ、親に「やりきった」と思えるまでやってもらってから継いでもいいんじゃないかな。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
家業って、マラソンみたいなものですもんね。だから、永続的にやっていくという観点から見ると、すごく納得しました。社員の皆さんとの関係性はどうですか?
社員との関係性づくりにおいて、大きな苦労はしてないんです。けれど、経営状況が苦しいときには「どうすれば社員に辞めないでいてもらえるか」って常に考えてました。特に中小企業の場合、経営面で苦しいときにはなかなかお金で報いることができない。だから、僕が経営者としてや人として、魅力的じゃないと付いてきてくれないだろうと思って、どうすれば魅力的になれるだろうかとはずっと考えていたかもしれないですね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
そうなんですね。経営者としての在り方はどう変わってきたんですか?
30歳くらいのときは正直なところ、社員に対して「なんで、これができないんだろう」って思ってしまうことも多かったんです。だけど、ここ数年で、「人間なんだから、そんなにうまくできるわけないよな」って思えるようになりましたね。諦めるのではなく、受け入れるというか。
樫山氏
樫山氏

マッキー
マッキー
受け入れると、経営者としてのスタンスや行動が変わりそうですよね。
たとえば仕事がうまく回らない、営業の売上が上がらないって課題があったら、社員じゃなくて会社の仕組みに問題があると考えるようになった。自分が仕組みをつくるか、部門長と一緒に仕組みを考えればいいんだと。

 

それと、ここ数年、社員の方々に対して感謝の気持ちが年々強くなってきていて。これまで若い経営者だったこともあり、人としても未熟だったところもあって。リストラとか本来やるべきでないこともしたし、先輩社員の方々には失礼な対応もあったと思うんですよね。

それでも一生懸命仕事をしていただいて、会社を支えてくれてる社員の方々への感謝の気持ちが今はとても大きくなっていて。

樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
樫山さんの考え方が変わると、社内の雰囲気も変わりましたか?
若い社員から意見が出やすくなった気はします。飲み会のときに話す機会があったら、「社長、こういう悩みがあるんです」って言ってくれるようになって。聞いて、帰宅したら全部メモに取って、翌週の部門長会議で改善を求めるってサイクルができているかな。
樫山氏
樫山氏

 

 

 

家業に入るのなら、既存事業と向き合うのも責任

マッキー
マッキー
ちなみに、金型事業も自動車事業も順風満帆ではなかったですよね。そういった時期って、新しい事業にも挑戦したくなると思うんです。そんな中、どうして既存事業で踏ん張ることができたんですか?

親がやってきた家業の中に入るのであれば、既存事業が軸だと思っていたので。もちろん、自社にあるリソースや伝統・ブランドを活用して、既存事業を生かすための新規事業を立ち上げるのはいいと思いますよ。それに、時代に合わない商慣習や仕事の進め方を変革することはもちろん大事だし、僕もやってきました。だけど、家業や親のことを批判して、まったく別の新規事業に手を出すのは違うなと思ってて。
樫山氏
樫山氏

マッキー
マッキー
なるほど。
家業をちゃんと見つめないまま新規事業を走らせるのって、親にも社員の方にも失礼なんじゃないかなと思っていて。やるなら新規と既存の両方にしっかりコミットすべきだし、全く違うことがしたいなら自分で別会社をつくった方がいいこともあると思うんですよね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
今の話を聞いて我が身を振り返ると、自分も考え直さなきゃいけないなと思いました。僕も運送業の三代目なんですけど、「今のままやっててはダメかもしれない」って、逃げ道を探すような感じで新しいことをやろうと考えていたので。
マッキー
マッキー
ちなみに、最後に伺いたいんですけど、経営者には中長期を見通す力が必要じゃないですか。その力を養うために、普段から意識していることはありますか?
同業他社や製造業の会社で、「この会社、すごくいい会社だ」と感じる会社があれば、信用調査会社から情報を取り寄せていて。優秀な他社を知ることで、業界において自社がどのポジションにいて、目指すべきレベルがどれほどで、自社に不足しているものとやるべきことが見えてくるから。ただ、上ばかりを見るとすごくへこむから(笑)、卑下しすぎず客観的に見ることが大事かもししれないですね。
樫山氏
樫山氏
マッキー
マッキー
そんなリサーチをされているんですね!経験談も、経営者としての視点もとても勉強になりました。本日はありがとうございました。

 


【長野県】

エムケーカシヤマ株式会社    http://www.mkg.co.jp/

代表取締役社長 樫山  剛士 氏


 

■取材した人

マッキー

1995年生まれ。ベンチャー企業に勤務しながら、アトツギベンチャー取材やイベント運営を担当。

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