ゲーム領域で福祉業界の「利益が出ない」構造を打破

テクノツール株式会社 
取締役 島田真太郎 氏

テクノツールは、障害を持つ人たちが抱える手足の動きや五感の不自由さを技術の力で補い、QOLを高める各種支援機器を提供している。2020年11月に肢体不自由者向けのNintendo Switch公式コントローラーを発売したことをきっかけに、ゲームアクセシビリティと呼ばれる分野への展開を本格的にスタートした。

この事業を主導する取締役の島田真太郎さんには姉がいた。重度の障害を持って生まれ、幼くしてこの世を去ったことがきっかけで、父親が脱サラして創業したのがテクノツールだ。

家業が誕生した背景に重みを感じつつも当初は継ぐ気はなく、サラリーマンをしていたが、東日本大震災が発生。「人はいつ死ぬかわからない」。そう突き動かされるように25歳で家業に戻った。そこから数年、「儲からない構造になっている福祉業界」に行き詰まりを感じながら、もがきながら行動を続け、ゲーム領域に活路を見出した。現在34歳。数年後に社長交代を控える島田さんにアトツギとして見えている現在、そして未来を聞いた。

 

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

亡き姉の命を背負い、生まれた会社

ズッキー
ズッキー
会社の概要と現状を教えてください。
重度肢体不自由の方や視覚障害者の方向けの福祉機器と呼ばれるものを提供していて、自社開発だけでなく輸入販売も行っています。その中でもコンピュータの入力支援がメインで、例えばスマートフォンのタッチ操作ができない、パソコンのキーボード、マウスが使えない方々にその代わりとなる入力機器を提供しています。最近は入力支援機器の事業をゲーム分野に広げており、2020年11月には手が不自由な人向けのNintendo Switch公式コントローラーを発売しました。今、ゲームアクセシビリティと呼ばれる分野に本格的に取り組んでいるところです。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
島田さんが8歳の時にお父さんが起業されているんですね。記憶にありますか。
細かいことはわかりませんでしたけど、突然、社長の息子になったっていう高揚感みたいなのはありましたね(笑)。なんとなく父と母が言い争っていた様子も覚えています。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
どういうことでしょうか。
私の4つ上の姉が生まれつき重度の障害を持っていて、4歳の時に亡くなってるんです。父はもともと航空機関連のエンジニアをしてたんですが、その技術を生かして障害のある方に手助けができないかとの思いで創業しました。生活が不安定になるかもしれないということで、創業するにあたっては、たぶんいろいろぶつかってたんじゃないかなと。でも父の思いは母も納得しているんですよね。母もそこから大学に通い直して教員免許を取って、特別支援学校の先生になりました。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
そうなんですね。。。家族の人生を変えたんですね。島田さんも意識しちゃいますよね。
いや、高校生の頃までは何も考えてませんでしたね。父も家では仕事の話を一切しませんでしたし、無干渉でした。たぶん、自分の強い思いで始めたことなので息子まで巻き込みたくないという思いがあったんだと思います。
島田氏
島田氏

 

 

 

「人はいつ死ぬかわからない」家業に戻ることを決断

ズッキー
ズッキー
島田さんは電子部品メーカーに就職されましたよね。就職先については家業を意識してたんですか?

将来の選択肢として家業のことが頭の片隅にありました。ぼくはド文系だったので、もしいずれ家業にいくとしたらメーカーでものづくり現場も知っておいたほうがいいかなと思って選びました。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
どんな仕事を担当されていたんですか。
ルート営業です。特定のお客さんがいてそこの工場の技術者の方々とお話をしてそれを自分たちの工場の技術者に伝え、製品として形にしていく感じですね。すごく自由にやらせてもらいましたし、それでいて責任はしっかりとってくれる理論家の上司のもとで働いていたので充実していました。ああ、こんなふうに物事を考えて仕事を進めていくんだなっていうのをすごく教わりました。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
でも25歳の時に家業に戻っていますね。それだけ会社員生活が充実していたのになぜ?
火がついちゃった、っていうひと言に尽きます。2011年3月に東日本大震が起きて、人っていつ死ぬかわかんないっていうのを実感したんですね。仕事は面白いけど、これが一番やりたいことなのかなあってモヤモヤしてた時期で。ベンチャーを経験するってのもあるし、家業もあるよなあ、と。それで、家業に飛び込んだんです。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
ベンチャーではなく家業のほうを選んだんですね。
やっぱり姉のことがあって創業しているので、なくしちゃいけない会社だという思いがありました。父は「ちょっと考えさせてくれ」と言って、すこし準備があったみたいで2012年4月に入社しました。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
その時って、もう結婚もされていましたよね。奥様の反応は大丈夫でした?
モヤモヤしていた思いも伝えていたのでとくに反対はありませんでした。彼女、あまりネガティブに考えない性格なんで助かってます(笑)。
島田氏
島田氏

 

 

 

業界の制約に限界を感じたから業界の外で勝負する

ズッキー
ズッキー
戻られてからはどんな仕事をしたんですか。業界のことも知らないし、製造とか技術のことも覚えなきゃいけませんもんね。
そうですね。最初は営業と製造を並行してやってました。でも、実際に手を動かして作るのは自分には向いてないなって思ったのと、売るほうでできることがたくさんあるなと思って、営業に専念することにしました。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
そこでなにか困ったことはありましたか。
福祉関連の市場は国や自治体の制度によって成り立っていて、価格も決められているし、使う限度も設けられたりして構造的に儲からないようにできている業界なんです。多様なニーズがありますが、なんでもかんでも自分たちで作って売るには市場が小さすぎて採算が取れないので、まずヨーロッパからの輸入品を増やして商品の選択肢を広げていきました。
島田氏
島田氏
ズッキー
ズッキー
でも海外の仕入先を見つけてくるってのって大変なんじゃないですか。言葉の問題もあるし。
ヨーロッパの展示会でいくつかの企業と縁ができてそこから広がっていきました。福祉機器の業界っていろんな製品を組み合わせて使うことが多いので横のつながりがあるんです。ぼくは留学経験もないし、学校で習う英語が得意という程度でしたが、恐怖心はなかったですね。展示会できっかけさえつかめばあとはメールとかテキストベースでのやり取りが多いので Google 翻訳とか辞書とか使いながらやってました。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
それでも2年前、32歳くらいの時に行き詰まりを感じてますよね。

輸入品で商材を増やしたり、学会、患者会などへの露出も増やして知名度も出てきたんですけど、制度の枠内で成り立っている福祉機器の市場ってやっぱり限界があるなってあきらめがついたのが32歳のときですね。それで、制度の外で勝負できるところに挑もうって思って、ゲーム向けをやり始めたんです。
島田氏
島田氏

 

 

 

エンドユーザーを知り尽くしている強みを武器に、メーカーに飛び込み営業

ズッキー
ズッキー
ゲーム向けをやろうと思ったきっかけは。

重度肢体不自由者のお客さんで、世界中から集めた機材、ソフトを連携させてゲームを楽しんでいる方がおられたんです。気軽に外出できない自分たちにとって、ゲームはいろんな人とコミュニケーションができて、だれとでも対等に勝負できる手段なんだって聞いて目が覚めました。面倒なことをしなくてもすぐにゲームができるツールがあればこの市場は可能性があるなと感じました。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
コントローラーの開発って、どうやって始まったんですか?

以前から任天堂さんのライセンス品を開発してきたコントローラーの世界的メーカー、株式会社ホリさんに、一緒に作ってくれませんかと飛び込みで話を持っていったんです。任天堂さんもホリさんもとくに人権意識の強い欧米市場で重度肢体不自由者からの要望を受けていたようですが、じゃあどういうものつくればいいのかわからないっていう悩みがあったみたいです。そこにぼくたちが話を持っていったのですぐに乗り気になっていただけました。ホリさんが開発をしてくれることになり、テクノツールは監修として協力させてもらいました。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
開発中に、日本経済新聞が主催するベンチャーピッチイベントの「スタアトピッチ」に出場してアトツギベンチャー部門賞を受賞されましたね。ゴリゴリのスタートアップに混ざっての出場でしたけど、狙いがあったんですか?

始めようとしている事業が、ゲーム向けということで一般受けしそうなテーマだと思ったのと、障害者向けの製品への理解が深まるんじゃないかと思って出場することにしました。スタートアップと違ってアトツギは社外の人の意見をもらう機会がないので、そこでもらったフィードバックは役立ちました。家業のこと、自分のやりたいことを社会にわかりやすく理解してもらえるように組み立てていくことの重要性に気づかされました。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
そして、2020年11月にNintendo Switchの公式コントローラーとして発売されましたよね。今後の事業展開について教えてください。

日本で先行発売し、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアでも2月には発売する予定です。ただ、日本は障害のある方がゲームを楽しむという文化自体が根付いていないのでものがそろっただけでは売れないんです。今考えているのは障害者の入力支援で専門性を持つ作業療法士の方たちやYouTuberの方たちと組んで広げられないかなと戦略を練っているところです。

島田氏
島田氏

 

 

 

チャレンジするのは、「そうするしかないから」

ズッキー
ズッキー
アトツギの新しい挑戦に、古参の社員や先代が反対するというのがアトツギあるあるなんですが、島田さんのお父さんはどんなスタンスなんですか。

あんまり事前に相談することはないですね。父は技術者なので、作りたい人なんです。だからコントローラーを作るっていう時にはいろいろアドバイスをもらいました。でも、福祉業界でお金をどう回すかみたいな話は興味なさそうなので、そういうことについては相談なしでどんどんやってます。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
じゃあけんかになるっていうようなこともないんだ。

入社してから5年くらいは細かい方向性の違いでもめることはありましたね。でも事前に言いすぎるともめるんだなみたいなポイントがわかってきたので(笑)、今ではある程度進んでから言うようにしています。そうすると何も言われません。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
それにしても、アトツギって島田さんのように挑戦できる人って少ないと思うんですけど。島田さんのモチベーションってなんですか?

おとなしくしてられる余裕はうちの会社にはないからですよ。焦りがあるからでしょうね。家業が安定していたら、むしろなにもチャレンジしてなかったんじゃないかな。一人で考えていても行き詰まるので、とりあえず外に出て人と会うようにはしています。
島田氏
島田氏

 

 

 

人と会う!行動に移して苦手を克服する!

ズッキー
ズッキー
ぼくもアトツギとして、今年からはがっつり外に出てできる限りいろんな人に会おうと思っているんですけど、なにせコミュ障なんで(笑)。表面的には話ができても、コラボレーションとか深い話まで持っていくのが苦手なんですよね。

ぼくもそうですよ。雑談が苦手!目的がないと話せないタイプです。でも経営者として克服しないといけないなと思って頑張ってる(笑)。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
会社を継ぐタイミングは決まっているんですか。

はい、もう1、2年のうちにというふうに父とも話しています。
島田氏
島田氏

ズッキー
ズッキー
ぼくもこれから事業を承継するにあたって、現場の仕事は各部門の責任者に任せて、経営の方にシフトしていくタイミングが気になるんですが、島田さんの場合どんな感じでしたか。

どちらかというと、父はものづくりが好きで、ぼくは経営に興味があったので、経理のことも入社後から見てますし、口も出していました。そうしているうちに経営のウエイトがぼくのほうに寄ってきた感じです。今では取引の見積もりも、会社で何かものを買うときもぼくの承認だけで済んでます。
島田氏
島田氏

 

 

 

福祉業界にお金が回る仕組みをつくる

ズッキー
ズッキー
10年後ってどんな会社になってますか?というか、したいですか?

ぼくたちは、遊ぶことにも、勉強することにも、働くことにもハードルがある人たちに、そのハードルを下げて乗り越えるためのパワーを与えることはできます。そのような人たちが社会に入ってくれば、その社会は間違いなく柔軟で強くなるはずです。

 

そこに価値を見出していただける企業にお金をいただいて、障害のある人たちをテクノロジーで支援するための費用にあて、その取り組みを発信することで資金をいただいた企業の価値も上がるというような仕組みが作れないかと考えています。

 

じゃあどうしたら企業にお金を出しても良いという価値を提供できるかというところでまだ迷っているんですが…。10年後には少なくとも、今の「構造的に儲からない業界」という問題はクリアしていて、次のステージに行っていたいですね。

島田氏
島田氏

 


【東京】

テクノツール株式会社  https://www.ttools.co.jp/

取締役 島田真太郎氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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