会社の強みを明らかにし、事業領域を拡大 アトツギのいない中小製造業を束ね、ともに成長を目指す

神奈川県
株式会社由紀精密
代表取締役社長 
大坪 正人

1950年に創業した由紀精密は、ネジ製造からスタートし、その精密な切削加工技術を生かしたものづくりを手がけてきた。だが、創業50年を越えたころ会社は存亡の危機を迎える。他社に勤務していた大坪正人社長はそこで迷うことなく、経営を立て直す使命を持って家業に戻った。毎月の資金繰りさえ危ぶまれる中、会社の強みを確認したうえで、それが生かせる航空宇宙分野、医療分野に新たな市場を求め、領域を広げてきた。また、アトツギのいない中小企業をグループ化し、共に成長する新たな企業連合モデルにも挑み続けている。状況を悲観することなく、自分を追い込む目標を掲げ、それを実現してきた大坪社長にその原動力を尋ねた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

 

親の会社で働くなんて夢にも思わなかった

マッキー
マッキー
由紀精密の歴史をかいつまんで教えてください。
1950年に祖父が創業した会社で、当時は通信機などに使う小さなねじを中心に、ロクロと呼ばれる、部品を回転させて削る機械を使って加工していました。その後は公衆電話に使われる部品なども製造していました。
大坪氏
大坪氏

 

私は2006年10月、つぶれる寸前だった家業に戻ってきて、会社を立て直すところから取り組んでいきました。設計開発部門を新たに設け、現在では様々な難削材の切削加工技術を生かし、航空宇宙関連機器、医療機器の部品にまで広がっています。また、2017年には由紀ホールディングスを立ち上げ、後継者がなく廃業の危機にある中小製造業をグループ化し、ともに成長していくモデルを作っているところです。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
もともと家業に戻ろうと考えていたのですか。

▲父・大坪由男会長と

小さい頃は、家と工場がすぐ近くにあったので、よく工場にも行きましたし、機械を眺めているのも好きでした。僕自身はクルマが大好きで、父親が家に持ち帰ってきたクルマのカタログをみて車種を隅々まで見て、あのクルマは 1997㏄でとか言えるようなクルマオタクな子どもでした。超合金のミニカーとかも大好きだったのですが、親の会社でやっている金属加工の仕事とは全然結びつかなくて、親の会社で将来働くなんて夢にも思っていませんでしたね。

 

ずっと家業のことなど考えることもなく、大学院を卒業した後も3次元プリンタの技術をもとにしたサービスを提供するインクスに入社し、携帯電話の試作金型工場の開発プロジェクトに携わり昼夜をおかず仕事に取り組んでいました。

大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
インクスを選んだのは。

▲インクス時代の大坪氏(前列左から2番目)

大学4年生の設計研究室で3次元プリンタを研究対象にしていて、樹脂を積層する造形のソフトウエアを作っていました。その時にすでにインクスという会社を知っていました。その経験があって、デジタル技術でモノづくりの世界を変えていくことに魅力を感じ入社しました。なので、家業とはまったく関係のないところで就職しました。
大坪氏
大坪氏

 

 

 

給料の支払いにも窮するほどの苦境を乗り越えて

マッキー
マッキー
そこからなぜ、家業に戻る決断を。

当時、由紀精密はITバブル崩壊後、倒産の危機に直面しました。その時には、インクスの社長にも家業に戻らせてくださいとお願いしたほどです。ただ、その時は父が何とか乗り切って事なきを得ました。それでもWebサイトを作ったり、週末に営業を手伝ったりとかのサポートはしていました。それでもなかなか状況は改善しませんでした。

 

そのうちに父の体調が悪くなり、うちの一族は早世の家系だったのでそのことも気になっていました。インクスではデジタル系のものづくり技術をもとに、他社の自動化や標準化のコンサルティングをしていました。それなのに、苦しんでいる親の会社に対して何もできていないことを心苦しく思っていました。戻って社長を継ぐというよりも、まず会社を立て直すことをミッションに入社しました。

大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
僕も、父から戻って来いと言われていて、戻らなかったらどうなるのだろうと考えることがあるのですが、戻らないという選択肢もあったのでしょうか。

戻らないままでいたら、おそらく父は自己破産していたでしょうね。そうしたら父の家も含めて財産も全て失ってしまうわけですから、そういうことを想像すると放ってはおけませんでした。戻らないという選択肢はなかったですね。なんとか事業を軌道に乗せて、借金を返せるようになる状態まで持っていけばお役御免だなと思っていたのですが、想像以上に困難でした。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
何が一番大変でしたか。
当時は、月末になるたびに社員の給料を払えるだろうかというくらい資金繰りに苦しんでいました。お金を使わずに事業を縮小していく方法もあったのですが、借入額が多すぎて、縮めていくと返済ができない状態で、拡大していくしかありませんでした。でもお金はないのでコストをかけずにできることからやっていった感じです。
大坪氏
大坪氏

 

 

 

品質が重視される航空機、医療機器分野に挑む

マッキー
マッキー
そうした苦境の中で、どんなことから始めたのでしょうか。
創業以来60年、切削加工一筋で歩んできた会社の強みを見つけてそこをアピールしようと考えました。なかなか自社では強みがわからなかったのでお客さんにアンケートを取りました。精度が高い品質を安定して納入している信頼から発注していただいているということがわかり、そこをしっかりアピールしていこうと考えました。品質がより重視される航空機や医療機器の分野に出ていこうと考え、長期ビジョンを立てて、展示会出展やWebサイト、動画や資料などをその考えに基づいて作り、情報発信していきました。
大坪氏
大坪氏

ただ、品質が良いと自分たちで言うだけでは説得力に欠けるので、 ISO 9001や航空宇宙関連防衛機器の品質マネジメントシステム、JISQ9100を取得しました。お客さんの会社の認定工場も取得していくことで、あそこの認証を持っているなら安心だねとも言われました。時間はかかりますが、長い目で見ると仕事を増やしていくために必要なことだったと思います。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
ずっとおられた社員の方々との確執はありませんでしたか。 
それまで社員が集まって話をするような機会はなく、まず会議室を作るところから始めました。そして毎週月曜日の朝に社員全員を集めて朝礼をし、その場でアンケートの結果や、ビジョンを説明していきました。新しいお客さんから難削材を切削するような難しい仕事の依頼が入ってきて、最初はもちろんやりたがりませんでしたが、とにかく仕事を増やしていかないといけないので一緒に相談してやっていきました。

 

たまたま中高の同級生や前職の後輩が私に先駆けて入社していたこともあり、彼らが機械設計やシステム開発のところを担ってくれていたので助けられました。システムを開発するといっても現場に入って在庫を見たうえで在庫管理システムをつくったり、実際の製造工程に入る際も、機械の操作を覚えるところから始めて、もともとある切削加工技術の知見をリスペクトしながらそれをどう活用していくかということを考えていました。

大坪氏
大坪氏

 

 

 

立て直す責任感から従業員を養う責任感へ

マッキー
マッキー
お父様はどのような役割を果たしておられたのですか。 
父は社長なのでもちろん経理なども見ているのですが、根っからの職人です。人前で話すということもほとんどしない人です。なので、父は基本的に現場でものづくりに携わっていて、経営の戦略を立てたり、外部にプレゼンをしたりという役割は私が担っていました。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
前職での経験は生きていますか。
大いに生きています。インクスでは、経営の向かうべき方向をしっかり決めてからそこに向かっていくというやり方が取られていたので、それも参考になりました。技術の価値の部分と効率化できる部分を切り分け、自動化するための仕組みを作り上げる考え方など、ほとんど無駄なく生きてますね。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
もともと会社を立て直すために戻ってきた大坪さんが、社長になられたのは2013年ですが、そこで何か気持ちは変わりましたか。

立て直さないといけないという責任感は、だんだんと従業員を養っていかなければという責任感に変わってきました。一緒に苦労を共にしてくれた社員、そして家族のことを考えると絶対に会社をつぶしてはいけないという気持ちになっていったのです。自然とそのような気持ち変わっていったので、社長になったからといってとくに意識が何か変わることはありませんでした。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
何か新しい挑戦する時に大切にしていることはありますか?
「ものづくりの力で世界を幸せに」というミッションを掲げているのですが、精密部品の製造、機械の設計、それに伴うサービスにより、エンドユーザーが今よりも豊かに、お客様がより満たされるように、自社で働くメンバーが一層輝けるように、と考えています。そのためには楽しくなきゃいけないですし、面白いとか、かっこいいとか、取り組むこと自体でみんなのモチベーションが上がるようなことをやるようにしています。
大坪氏
大坪氏

 

 

 

常に新たな目標を作り、自分を追い込む

マッキー
マッキー
大変な状況に直面しながらもモチベーショングラフがずっと高いままですね。
自分で追い込むタイプです。死にそうだけど頑張んなきゃ、みたいな。目指すところよりも高いところまで目標をつくって、そこに向けてがむしゃらにやっています。10年ほどかけて売り上げも4、5倍に増えて、借り入れも年間の売り上げを下回るところまで持ってこられました。そして2017年に製造業のグループを作り13社まで会社が増えました。そうなるとやらなきゃいけないことが本当にたくさんあって、難しいことは増えるのですが、面白いことも増える。それがうまく回り始めると、また違う目標を立てて自分を追い込んでいくんだろうなと思っています。
大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
昔から何事にもチャレンジするタイプだったんですか。

めちゃくちゃチャレンジしない小学生だったんですけどね。たまたま、ボーイスカウトに頭のいい子がいてそれに刺激を受けて、親の反対を押し切って中学受験をしました。中学以降はジャズバンドで毎週演奏会をしながら部活も続けました。高3になって活動が終わると急にやることがなくなって、和田秀樹さんの「受験は要領」という本を読んで。そこから一気に我流で受験勉強に没頭して志望していた大学に受かりました。でも一番懸命だったのはインクスに入ってからですね。

大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
人とか書物との出会い、環境の変化の中で自分を追い込んでいったわけですね。これから会社をどんなふうに導いていきたいですか。

自分たちでつくったいろんなものが世の中を良くしていくことにどこまで貢献できるかというチャレンジを、生涯を通じてやっていきたいなと思っています。例えば脊椎インプラントは、高齢者の方にも負担の少ない手術方法を実現しました。グループ会社の明興双葉と共同で超伝導ワイヤーを開発していますが、これがモノになれば将来的には、従来の超伝導ワイヤーではまかなえなかった各種超伝導応用が期待できます。そのほかにも宇宙のごみ(スペースデブリ)を掃除するプロジェクトにも関わっています。

 

由紀ホールディングスという持株会社のもと、優れた要素技術を持つ中小企業を束ねていく計画も進行中です。各会社のオーナーはそのままに、私が支配するわけでもなく、由紀ホールディングスのインフラを利用しながらそれぞれの会社が成長していく企業連合形態は、日本における事業承継の一つのモデルになりうると考えています。このモデルをグループで検証しながら、一つの解として提示できたらと思っています。

大坪氏
大坪氏
マッキー
マッキー
未来を感じるお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

 


神奈川

株式会社由紀精密    https://www.yukiseimitsu.co.jp/

代表取締役社長 大坪 正人 氏


 

■取材した人

マッキー

1995年生まれ。ベンチャー企業に勤務しながら、アトツギベンチャー取材やイベント運営を担当。

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