主要事業撤退、赤字転落、トラブルを乗り越えた先に得たもの
株式会社ミライエ
代表取締役 島田義久 氏
たい肥化装置や、脱臭装置などを製造する環境分野のベンチャー企業としてその名が知られる、株式会社ミライエ(島根県松江市)。2代目社長の島田義久氏は、創業者である父の死をきっかけに、当時の主要事業であった測量設計事業を撤退。のこった社員と2名で再スタートを切る。
その後、さまざまな苦境を乗り越え、会社の存続に向き合いながら、ベンチャー経営者として世の中に新しい価値を生み出すまでに会社を成長させていく。島田氏の生き様は、今まさに奮闘中の若い世代のアトツギに、勇気を与えてくれるだろう。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
朝から晩まで、先代から叱られ続けた日々
私が入社したのは2000年、今から20年前です。元々うちの会社は測量設計の中でも、下水道の設計がすごく得意で、そういった案件の仕事を多く受注していた会社でした。
今から30年ほど前ですかね、父が「いずれ下水が整ってきたら設計の仕事はもうなくなるだろう。そうなれば今度は、下水汚泥の処理が社会課題になるはずだ」と思い立ったようです。全くの素人だったんですが、5年がかりで下水汚泥を有機肥料にする装置の特許をとりました。
その時「これで新規事業を起こすから、帰ってこないか」と言われて、後を継ぐことを決意したんです。
▲夜な夜なクラブで遊んでいた大学生時代(写真右)
葛藤よりも、そろそろ新しいことをやりたい、という気持ちが大きかったですかね。
サラリーマンをやっていた時も楽しかったんですけど、当時これから環境のマーケットが飛躍的に伸びるだろうという予感はすごくあって。
父はすごく新しいもの好きで、過去に会社を3社ほど経営してきてた起業家精神に溢れる人だったので、その父が始める新規事業に共感したというのが大きいかもしれません。
いや、それが、入社してからはもう、親父から怒られなかった日はないくらい、ずっと朝から晩までダメ出しされる日々だったんですよ(笑)。
普通は「アトツギ」ってだけで、白い目で見られたりすることもあると思うんですが、社内では誰よりも社長から怒られていたので、社員からも「いくら親子でもあんなに言うことないよね」って、むしろかばわれるくらいでした(笑)。
先ほど言った新規事業の「環境部」に部長というポジションで入社をして、ちゃんと事業化するまでに育てる、というのが最初のミッションでした。私の他には社員1名だけの部署です。
特許をとったとはいえ、すぐにビジネスが始まるわけではないので、3年ほど研究開発を続けて、ちゃんと売れるものに育てていったという感じですね。
父が亡くなり主要事業を捨て、社員2人からの再スタート
実は、一時、会社の倒産危機があったんです。
私が入社した2000年ころは業績がピークで、非常に良い時期でした。しかしその後、公共工事をどんどん減らす流れになったんですね。うちはほぼ100%公共工事関連の仕事だったので、たった数年の間に仕事が3分の1ほどに激減してしまったんです。
なかなか改善ができず赤字を垂れ流していた時期に母が亡くなり、父が経営に向き合えないくらいに落ち込んでしまって、さらに赤字が膨らみました。そのときに「俺はもう無理だから、代わってくれ」と言われました。
そこはまったく考えませんでした。あんなに強かった父が気落ちしているのを見るのが初めてだったというのもあり、なんとか支えないと、という気持ちもありました。それに、父から「お前の方が、もう俺を超えているから代わってくれ」と言われたんですよ。あんなに毎日叱られていたのに。そんなふうに見てくれていたんだって思うと、そう簡単には逃げられない。
当時は税理士さんとの打合せを繰り返しながら、どうやって立て直すかを延々と考えていました。しばらくはお金のことだけを考えた時代が続きました。
父からも言われていたんで、おぼろげにはあったと思います。でもまずはきちんと会社を立て直さないとといけなかったので、当時はまだ決断できませんでした。父が「お前が決めたことならそれでいい」と言ってくれました。
結果的に一度ゼロに戻って、一つの事業に絞って再スタートを切ったことが、立て直しのきっかけになったんだと思います。
トラブルの解決に必要なのは、技術力よりも精神力
まだ波があって、決定的に収益を出すほどには軌道に乗っていたとは言えない状況でしたね。営業を続けながら、導入いただいた企業様にフィードバックをいただき、細かく調整していき、さらに開発を続ける、ということを繰り返していました。
ただ同時に、島根県の畜産試験場が協力をしてくださり、共同開発をさせていただくきっかけを得ました。また、地元の牧場も協力してくれ、お陰で今のうちの主力商品の技術の元になる研究開発を進めることができました。そうした提携先に教えを請うて、少しずつ精度を高めていったんです。
うちみたいな環境分野の装置は、常に技術開発を続けないといけないんです。最初に納品するタイミングで、どうしても何らかのマイナートラブルって出てしまうものなんですよ。でもお客様にはすごく恵まれていて・・・もっとこうしたら良くなるよ、と意見をいただいて、さらにそれを改善させてもらう、ということを続けました。社員もその頃には10人くらいになっていました。
ただ、そんな中マイナートラブルとはいえないような、大規模なトラブルを、大きな現場で発生させてしまったことがありました。
装置の性能が根本的に出ないような欠陥が、お納めして数か月後に見つかったんです。もう全部やり直し。そのときも会社が潰れるかと思う危機でした。
その通りです。ただ何でしょうね、僕は大きなトラブルの解決に必要なものって技術はもちろん大切なんですが、一番はやっぱり精神力だと思っているんです。先の見えなくてどっちに進んでいけばいいか分からない時って、やっぱり結構しんどいんですよ。
だからこそ、精神的な部分を乗り越えた社員がいることが、うちの強みです。今では受注が決まった段階で、営業と技術が一緒になって、綿密に打ち合わせを重ねて、先回りしてどんなトラブルが起きそうかを予測し、チェックするという新しい進め方ができるようになりました。そういう仕組みは、過去のトラブルから学んでできたものだと思います。
水の中で体を伸ばすと、気持ちが前に向く
何とかせんと、っていう気概はもちろんあるんですけど、趣味で水泳をやっているんです。泳いでいる間にリセットしようと思って。とはいっても結局泳いでいる間も会社のことを考え続けちゃっているんですけどね(笑)。
でも水泳って、体を伸ばすんですよね。前に進むために。そういう動作を続けていると、自然と気持ちも前に向くんです。
本当に経営が大変な時って、邪(よこしま)なことを考えちゃうんですよ。何でもいいから、とにかくこの苦境を脱したいって。
だけど水の中で考え事をしていると、目の前のことから逃げないで、ちゃんとやんないとだめなんだって思えるんです。
自分よりも年下のスタートアップ経営者に、気づかされたこと
ピッチに出ると、自分の子どもと同じくらいの起業家が、ものすごい多額の資金を調達していたり、見ている世界もずっと大きいものだったりして、刺激になるんですよね。自分ももっと大きな世界を見ないといけないよな、と。
事業を拡大していった先に見えている世界があるなら、そこを目指していきたい。もちろんリスクはとらなければいけないんですけれども。
スタートアップは、経営資源であるお金もない、人もない、何もないないづくしですよね。でも夢はある。自分の目指す世界に対して共に歩んでいける仲間を募って、どんどん大きくなっていく、というのは魅力的ですよね。ゼロからのスタートですから、失敗を恐れずにチャレンジできるっていうのは大きな強みであり、仮に失敗しても自分の財産になるので、その点はすごく大きいのかな、と。
でも以前、知り合いのスタートアップの社長に「ゼロからイチを生み出すのってすごいよね」って話したんです。そしたら彼が「確かにそうなんだけど、どんなに自分が望んでも手に入らないものがある、それが”歴史”だ」って言われたんですよ。そこでハッとして。 確かにスタートアップの人から見たら、アトツギベンチャーはきっとうらやましいはずなんですよ。だったらびびっている暇なんてない。どんどん動いていかないと、って思えたんですよね。
ビジョンに共感してくれる社外の仲間を見つける
とにかく社外の人に会うことですね。最近は特に中小企業同士の連携の重要性が増しているなと思います。
新しいことを始めようとするときに、うちの会社の力だけでできることってやっぱり限られていて。そこで中小企業同士が連携して、スピードや資金、ノウハウ、人などを補いあって、一つのプロジェクトを進めていく。うちは、周りの中小企業の力がなければ今のようなビジネスは、全く出来ていないと思います。
今のプロダクトに新しい機能をつけたり、新しいサービス展開をしようと思って、それをすべて自前で抱え込もうなんて無理なんですよ。コアはうちのプロダクトかもしれないけれど、成長するために付随する機能でうちがもっていなければ、得意な人と手を組めばいい。
そうすれば3年かかるところが1年でできる、なんてことはザラにありますよね。
「自分で決められる人生」大事なのは自分の感じ方
そうですね、1つ僕がすごく印象に残っている、ある先輩経営者の方から頂いた言葉があるんです。
「島田君、社長って大変?」って聞かれて。「めちゃくちゃ大変ですわ」って返したんですよ。そしたら「お前、自分の好きなことをやっているのに、それを大変だとか言って、贅沢じゃないか」って言われたんです。
確かに、自分で決めて、自分でリスクを負って、自分でやっていることだよなって。このときに、肩ひじ張っていのが、すっと楽になったことを覚えています。大事なのは自分の感じ方なんだと思います。
【島根】
株式会社ミライエ https://miraie-corp.com/
代表取締役 島田義久氏
■取材した人
ズッキー
1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。