福岡県庁から一般社団法人ベンチャー型事業承継へ。“ベンチャー支援”の仕組みづくりにフルコミット!
一般社団法人ベンチャー型事業承継
九州エリア統括マネージャー
山岸 勇太さん
1982年石川県小松市生まれ。実家は建築業を営んでおり、一族全員が大工家系。
2005年法政大学工学部を卒業後、NTT西日本に入社。自治体向けSE、家庭向け電化製品の開発及びサービス企画・開発に従事。
2013年福岡県庁民間中途採用枠で入庁。現在は、スタートアップ支援担当として、福岡・九州から世界に通用するスタートアップエコシステムの構築に従事。2021年からは、福岡発スタートアップ&アトツギ向けアクセラレーションプログラム「ISSIN(イッシン)」を事業責任者として立ち上げ。
2022年4月より一般社団法人ベンチャー型事業承継。
福岡県庁時代にベンチャー支援のいろはを学ぶ
ピエール
まずはこれまでの経歴を簡単にお聞かせください。
大学卒業後、僕の社会人としてのスタートはNTT西日本で始まり、計8年間勤めました。仕事は楽しくてやりがいがあったのですが、異動がとても多い会社で、勤務地と業務が2年ごとに変わりました。人生の設計がしづらくて、家族が増えたこともあり、どこか一カ所に腰を据えて仕事を突き詰めたいと思うようになりました。
ベンチャー企業と仕事をした経験から、「ベンチャーに関わる仕事がしたい」とばく然と思っていましたが、いきなり自分で起業というのはやっぱり怖い。何かないかと探していたら、福岡が県をあげてベンチャー支援をやっていることを知り、民間企業出身者を中途で採用する県庁の制度に応募し、ご縁があり福岡県でベンチャー支援に携わることになりました。
ベンチャー企業と仕事をした経験から、「ベンチャーに関わる仕事がしたい」とばく然と思っていましたが、いきなり自分で起業というのはやっぱり怖い。何かないかと探していたら、福岡が県をあげてベンチャー支援をやっていることを知り、民間企業出身者を中途で採用する県庁の制度に応募し、ご縁があり福岡県でベンチャー支援に携わることになりました。
マーティ
ピエール
福岡県庁では具体的にどのような業務をされていたのですか。
最初は情報システム部門に配属されて、3年間そこで働きました。その後、自分の行きたい部署に自分で応募できる制度を利用して2016年からベンチャー支援業務を担当しました。失敗もたくさんしましたし、学ぶことはとにかく多かったですね。
例えば、2年間運営に携わった、福岡県主催のピッチイベントであるフクオカベンチャーマーケットでは、毎月5~8社のベンチャー企業のピッチを聞きながら「ビジネスモデルってこうやって作るんだ」、「ビジネスを作るときにはこういう観点から疑問を問いただしていくんだ」といったことをなんとなく学んでいきました。福岡ベンチャークラブというベンチャー経営者の学びの場の運営に携わっていたときは、コミュニティ運営のいろはを学ばせてもらいました。
例えば、2年間運営に携わった、福岡県主催のピッチイベントであるフクオカベンチャーマーケットでは、毎月5~8社のベンチャー企業のピッチを聞きながら「ビジネスモデルってこうやって作るんだ」、「ビジネスを作るときにはこういう観点から疑問を問いただしていくんだ」といったことをなんとなく学んでいきました。福岡ベンチャークラブというベンチャー経営者の学びの場の運営に携わっていたときは、コミュニティ運営のいろはを学ばせてもらいました。
マーティ
ピエール
一番記憶に残っているプロジェクトは何かありますか。
ISSINという、スタートアップとアトツギそれぞれを支援するアクセラレーションプログラムですね。完全に自分でゼロから立ち上げた仕事だったので、ものすごく印象深いです。自分で予算を取って、設計して、外部の人を呼んで…。県に残せた良い事業だと思います。
スタートアップ支援では、スタートアップのステージでいう”アーリー期”、シード期の調達が完了し、次の数億円クラスの大きな金額を調達する段階の支援に特化したところが特徴的だったと思います。スタートアップの各段階に合わせて、支援メニューを変えていくことをそこで学んだような気がします。アトツギ支援では、新規事業開発のローンチ期限を設けて、その期限に向けてアトツギに全力でいろんな支援メニューを投下していく、ということをやりました。元大手広告代理店出身のマーケターの方々や地元のテレビ局など、プロフェッショナルな方々と混ざりながら一体でプロジェクトを回していく経験ができました。アトツギ支援の一つのパターンを作れたと思います。
スタートアップ支援では、スタートアップのステージでいう”アーリー期”、シード期の調達が完了し、次の数億円クラスの大きな金額を調達する段階の支援に特化したところが特徴的だったと思います。スタートアップの各段階に合わせて、支援メニューを変えていくことをそこで学んだような気がします。アトツギ支援では、新規事業開発のローンチ期限を設けて、その期限に向けてアトツギに全力でいろんな支援メニューを投下していく、ということをやりました。元大手広告代理店出身のマーケターの方々や地元のテレビ局など、プロフェッショナルな方々と混ざりながら一体でプロジェクトを回していく経験ができました。アトツギ支援の一つのパターンを作れたと思います。
マーティ
ピエール
ISSINの実現にはどんな経緯でたどり着いたのですか。
ISSINを開催したのはベンチャー支援に携わるようになって6年目でしたが、それまでの5年で、ベンチャー支援に対していろいろな疑問が僕の中に蓄積されていたんです。アクセラレーションって、皆さんの成長のために継続的に支援するものじゃないと意味がないのに、そういう本質的な支援ができているケースは意外と少なく、点だけの支援になっていることが多いと感じていました。例えば、著名人の話が聞けても熱量が一瞬上がって終わりで、そのあとその方とまめに連絡が取れるわけでもありません。だからこのプログラムには、大前提として「皆さんの成長にクリティカルに響くようなプログラムにしたい」という思いがありました。とにかく結果にこだわりまくったプログラムをやりたいと、ずっと思っていたんです。
マーティ
ピエール
その熱量は社団にとって強いパワーです。ところで、マーティはずっと企画運営の分野で仕事されてきたんですね。得意分野は企画ということになるんでしょうか。
そうですね。テンションが上がるというか、やっていてわくわくするのは、企画をしたり新しいモノやサービスを作ったりするときです。エネルギーが湧いてくる感じです。
マーティ
アトツギ支援に地方ベンチャー支援の未来を見出す
ピエール
ベンチャー型事業承継に触れられたきっかけはなんですか。
2019年7月の福岡のイベントがきっかけです。当時の僕は地方ベンチャーの支援をしつつも、「地方でベンチャー支援をやる意味ってなんだろう、スタートアップ支援しかないのだろうか」とモヤモヤしていました。こういうものはどうしても東京や海外など、大きいところにどんどん出て行ってしまうし、そこで勝負するのが当たり前なので。そんな時にイベントで、「地方の若い後継者たちはベンチャーになる」という話を聞いたんです。地方のアトツギの事業承継をベンチャー事業に変えていく。こんな考え方があったのかと、ものすごく衝撃を受けました。僕自身もアトツギで、家業を継がなかったことには根幹で負い目を感じていたから、「自分が高校生や大学生のときにこの話を聞いていたら、絶対、家業への価値観も変わってたなあ」と共感もしました。
マーティ
ピエール
そんな衝撃の出会いがあったんですね。
その後、すぐに交流会で「何かやらせてください」と代表のジル(山野 千枝氏)に言ったら、少しあとになって「エヴァンジェリストという制度があるから、それになってよ。好きに勝手に宣伝していいよ。」と、エヴァンジェリストの肩書の入った名刺を渡されました。ちなみに僕が第1号だったんです。それを持って福岡のほとんどの大企業や支援者に行きました。経営者の勉強会で登壇者として呼ばれたり、ほかの自治体から声がかかるようになったりして、どんどんアトツギベンチャーの世界にのめり込んでいきましたね。
マーティ
ピエール
社団に移る選択をされたきっかけも、その流れの中にあったんですか。
そうです。県庁ではどうしてもジョブローテーションがあるので、いつまでも同じような立場、同じような自由度で動けないのは分かっていました。役職が上がったら自由度はむしろ下がってくるとも思って、それからはずっと「県庁の外でもベンチャー支援はできる」と考えていました。
マーティ
まずは仕組みづくりで力を発揮したい
ピエール
社団で今後取り組んでいきたいことを教えてください。
僕が一番やりたいのは、事業アイデア完成以降の事業化の枠組みを作るというところです。自分が呼んでいただいた意味は仕組みを作ることにある、と勝手に解釈して野心を燃やしています。まずはそこに自分のすべてをぐっと注ぎ込みたいです。
マーティ
ピエール
聞いているだけでワクワクしますね!「こんな人がいたら、一緒になんかやろうぜ!」というイメージがあれば、お聞かせください。
「アトツギベンチャーを日本のカルチャーにしていく」ことに共感してくれて、自分の持っているものをなんでも注ぎ込める人ですね。それから、僕にできないものを持っている相手と積極的に一緒に仕事をしたいです。そういう人たちが仲間になってくれると、アトツギベンチャー支援のレベルもすごく上がると思うんですよ。彼らにアトツギベンチャー支援の素晴らしさに少しでも触れてもらい、共感してもらう機会もなるべく作りたいですね。
マーティ
■取材した人
ピエール
某大手銀行に就職。その経験を活かし、アトツギベンチャーと金融機関の、次世代のあり方を世に問うべく、メディアに取り上げられるような案件をアトツギと実現することが目標。