デジタル化・無人化を早くから模索、先進的なビジョンと設備で機械加工業の未来を描く

熊本県
株式会社エムイーエス
代表取締役 大曲 世紘さん

1991年に福岡で設立し、現在は熊本空港の近くに工場を構えて半導体部品などの機械加工を行うエムイーエス。「5軸加工機」と呼ばれる高精度のマシンを用いるだけでなく、精度を補正するプログラムを自社開発するなど、精密な仕事ぶりで存在感を発揮している。

2代目の大曲世紘社長は18歳で入社し、38歳で代表に就任。ソフトウエアの自社開発にこだわり、工場の優れた設備やプロ並みという先代の財務知識を生かしながら、先進的な「部品加工屋」を追求するアトツギベンチャーの典型例。だがそこまでの道のりは決して平坦ではなかった。

日付が変わるまでの残業が常態化し多くの社員が去っていく中、世間で「働き方改革」が言われる何年も前から必死にデジタル化や無人化を模索。「死ぬほど苦労したけど、苦労できたことが最高」「若い人に好きなことで苦労してほしい」と話す大曲社長の“苦労”に迫れば、アトツギや製造業の未来が見えてくる。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

悪ガキが猛勉強で工業高校へ

マッキー
マッキー
僕は父が福岡で運送業をしているアトツギで、今はエンジニアとしてアプリ開発をしています。柳川市出身で、御社も柳川で設立されたと知ってご縁を感じています!大曲さんという苗字の方も、周りにいっぱいいました。まずは家業に入った経緯から教えてください。
小学校時代から悪ガキで、中学での成績は200人中198位でした。でも3年のとき親友が熊本工業校を目指すと言いだして「負けてられるか」って猛勉強始めたんです。「もし受かったら10万円やるよ」って父からも言われたし(笑)。熊工では勉強はそこそこに楽しく過ごしましたが、卒業のときデフレ不況と就職難が重なって……。高校生枠が極端に少なくて、地元や東京の企業を受けたけどダメでした。「じゃあうちに来い」と父に言われてハイと答えました。他に行くところがなかったから半分は仕方なくといった感じですが。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
高校野球の強い熊工ですね!工業高校に入ったのは家業を意識して?
はい、そこは違和感なく。中学生の頃から汎用フライスを使ったりネジの穴を空けたり、毎週のように柳川の会社に通っていましたから、いつかは家業に入るんだろうと。
大曲氏
大曲氏

 

 

 

社長が現場、会長が財務で役割分担

マッキー
マッキー
今の業務内容を教えてください。
現在は半導体部品を多く手がけていて、5軸加工機という複合マシニングセンタを使って他者との差別化を図っています。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
その機械を持っている会社は少ないんですか?
高価だし制御が難しいのであまり普及していませんが、うちは10年ほど前から研究しながら使っています。たとえばこのキャラクターのキーホルダー。普通こういう立体的なものは上からしか削れないんですが、横から斜めから、いろんな方向から加工できます。
大曲氏
大曲氏

マッキー
マッキー
どの角度からも削れて精密なものができるんですね。
はい。この機械が今5台あって、機械をコントロールするプログラムは自社で開発しました。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
高価で扱いにくいマシンを導入した経緯は?
ショールームに置いてあった展示機を「安く提供できる」と言われ、先代が購入したのが始まり。安いと言っても普通の機械の2倍はしたし、使える保証がない中での決断でした。でも「新しいことに挑戦しないと生き残れない」というマインドを先代も持っていました。
大曲氏
大曲氏

マッキー
マッキー
先代はどのような方でしょうか。
今メインの顧客になっている地元企業の出身で、ロボット開発をしていました。そこから20数年前に独立して、今は会長として財務面を見てくれてます。税理士並みにお金の知識があって、資金繰りも自分で計画してきた人なので、そういう面で尊敬しています。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
先代は創業してから実務の中で会計や財務について学ばれたんですね。
父は新しい機械を扱えないので、父がお金、私は技術と、きっちり役割分担できているんです。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
先代が技術、アトツギはビジネスが得意という会社が多いですが、逆パターンですね。

 

 

 

「もう限界です。帰ります」 

マッキー
マッキー
入社後のライフラインで気になったのが29歳のとき。「リーマンショックで主要人員が退社」とあって、その後も社員の退社が続いて気分的に大分下がってますよね。
以前はロボットの設計・製作もしていたんですが、リーマンショックの影響でロボット事業部が終了し、部品加工一本になりました。まずそこでロボット開発をしていたメンバーが一斉に退社してしまったんです。
大曲氏
大曲氏

マッキー
マッキー
その後は「残業が多くて社員の退社が相次ぐ」とあります。
デジタル化をめざして新工場を立ち上げたのですが、終わりが見えないくらいの量の仕事が一気に流れ込みだしたんです。当時の定時は夜11時。深夜、下手したら朝まで仕事。「もう限界です。帰ります」って機械の前に置手紙があったこともありました。残業するのが当たり前って、確かに嫌になりますよね。そこからは、人が入ってきては辞めていくの繰り返しでした。

旧工場にコンピューターで機械のプログラミングを作る「CAD/CAM」を1人1台導入したときも、ベテラン社員がごっそり同時に辞めました。それまで彼らは機械の側に行って直接入力し、手動で材料を交換する昔ながらの仕事をしていたんです。

大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
ベテラン社員が辞めたとき、会長は何と?
「前からこうなると分かっていたから、どんどん進めていい」と。

デジタル化を果たした新工場で働いていたのは若手社員。いわゆる古参と若手の対立構造でした。デジタル化に反対したベテラン全員が辞めたにもかかわらず、売り上げは逆に伸びたんです。

大曲氏
大曲氏

マッキー
マッキー
その後旧工場でもデジタル化が進んで、ますます効率が上がったわけですね。

はい、そのための仕組みをずっと作ってきたので。その後はむしろ金属加工の経験者を入れないようにしました。経験者はいままでのやりかたに凝り固まってる人が多い。それまでの加工屋の常識を持って入ってくるんです。異業種から来た人なら、例えば工場内にカメラがあっても何も感じない。カメラの設置はサボってないか見張る意味ではなく、もっと稼働率あげるために冷静な判断をするためのツールとして導入しているのです。でも昔ながらの働き方をしている人は、監視されてるみたいに感じて嫌がります。管理下に置かれてるイメージが嫌なのはわかりますが。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
よく「人が辞める時が一番つらい」という話を聞くんですが、社員の退職が続く中で大曲さんはモチベーションをどう保ったんですか?

悔しいという気持ちが強かった。「こんな仕事終わるはずない」「会社が面白くない」って辞めていく人から言われたことが悔しくて、「じゃあどう改善しようか」という思いがモチベーションになりました。残った社員たちと「どうすればいい?」「こうしたら楽になるんじゃない?」って意見を出し合いながら、無人化などの対策に前向きに取り組みました。月に百何十時間もあった残業がほとんどなくなって、今は遅くて19時に帰るぐらいです。

その後から、世間で「働き方改革」って言葉が使われるようになったんです。先にやっててよかったなと思いました。

大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
先駆けだったんですね!すごいです。

 

 

 

DXに熱心な部品加工屋さん

マッキー
マッキー
その後社長に就任するまでの経緯はどんな感じでしたか?
実は継ごうと腹をくくったのはつい最近で、ずっと嫌だったんです。私は今までメーカーさんから評価されるくらい技術を高めようとがんばってきた技術職。事務的、計画的な作業は苦手で、畑違いの「経営」を自分でやるということが想像できませんでした。

けれど近年、だんだん会長の先を見通す力が弱まってきた気がして、2年ほど前に交代しました。まだ財務管理は父にかなわないので、お金のことは今も勉強中ですが。「お金を見られないと経営者じゃない」って、ずっと言われてます……(笑)。

大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
就任してから、気持ちや業務の変化はありましたか?
率先して機械の前で作業していましたが、「自分でやっていてはだめだ」「人にやらせるためにはどうしたらいいか」という思考に変わってきました。今はプログラマーの社員も2人いて、デジタル化を進めるために頑張ってくれています。仕上げ・検査作業との兼任だから、加工品の仕上げや検査をするかたわらでプログラムを組んでますよ。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
社員さんもマルチなんですね。大曲さんはもう機械を触ってないんですか?

受注をこなすためじゃなくて、システムを構築するために機械を触るようになりました。「2025年の崖」から落ちないように、タブレットで遠隔操作して仕事を完結させるのを目指しています。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
経営資源と新しい発想の組み合わせが、まさにアトツギベンチャーのお手本です!
部品加工という業態はこれから5年、10年確実に苦しい時期に入るので、時代に合わせて進化するべきだと思っています。ソフトウエア開発や自動化に力を入れるのはもちろん、無人搬送車の研究やAIのディープラーニングみたいな、部品加工屋らしくないこともやっています。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
それもいわゆる新規事業でしょうか? 
生き残り策ですね。コンピューターで機械を動かすのが当たり前になるだけじゃなく、若い人の考え方も変わってきて、寝ずに働いて技術をとことん追求する、みたいな人にはもう巡り会えなくなってきた。そんな働きかたが必要ない環境を作らないと生き残れないし、外国にも負けてしまいます。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
うちも同じく3K、人手不足で斜陽産業。そんな中でどうやって新しいことに取り組まれているのでしょうか。 
私の理想がSier(システムインテグレーター)に近い仕事場。なので、私の設計に合わせてまずプログラミングを作ってもらって、それをソフトウエアで構築していくみたいなことをやっています。いまは自分の業務時間の大半をシステム開発に費やしています。
大曲氏
大曲氏

 

 

 

好きなことで苦労できる研究所創設を

マッキー
マッキー
継いでから一番苦しいと思った出来事は?
やっぱりお金の勉強ですね。資金繰りって、勘と経験が必要。設備投資のタイミング、減価償却の計算。お金を上手に運用するって本当に難しいです。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
こういった質問に「先代や社員との確執」って答える方が多いんですが、大曲さんは経営的な問題なんですね。
資金繰りって長期戦だから。会社の方針に合わない社員が辞める苦労は味わってきたけど、振り返ってみると社員との確執ってほぼないですね。DX(デジタル技術を使った業務変革)の必要性が叫ばれる中で製造現場の無人化に反対する人はいないし、何よりデジタル化を進めると楽になるって社内でも実証が積み上がっているので。
大曲氏
大曲氏

マッキー
マッキー
僕も含めて、後継者っていつ戻ろうか悩んでいると思います。若くして家業に戻ってよかったことや、よそを経験した方がよかったと思うことはありましたか?
正直言うと、他社に行ってみたかったと思ったことも。でもサラリーマンを経験してたら今の自分を形成するための苦労ってできなかったなと。高校卒業して18歳から家業に入って、起きてから寝るまで必死に働いてきたからこそ、部品加工だけじゃなくてソフトウエア開発やAIのディープランニングなどに目を向けようというマインドになれたと思います。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
総合的にみて、大曲さんは若い頃から家業に入ってよかったんですね。
そうですね。半年連続出勤とか死ぬほどの思いをしたけど、「苦労」できたのが最高だった。仕事ばかりで遊びを知らずにここまで来ちゃったけど、苦労できたのが本当によかったです。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
これから40代。どんどん新規事業を進められると思いますが、10年後目指す姿を教えてください。

部品加工からもっとIT系にシフトする目標はありますが、会社を大きくしたいとは考えていません。それよりも人を育てられる会社を目指しています。具体的には、工場併設の研究所を作りたい。新しい人材が入ったときに、そこで1年間自由に研究してもらうんです。ロボットでもいいし、業務と関係のないことでもいいし、好きなテーマで。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
自身の経験から、そういう環境があればいいなと?
はい。苦労を経験することは大事。「若いときの苦労は買ってでも」って正しい。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
与えられた環境で好きなことしていいなら、苦労じゃないのではと思いますが?
確かにそうですね(笑)。でも私は好きなこと、新しいことへの挑戦こそが、本当の「苦労」だと思っています。やりたいことになら苦労できる。挑戦して失敗しても好きなことなら24時間でも頑張れる。でもそこまで苦労したいことに巡り合えたら幸せですよね。
大曲氏
大曲氏
マッキー
マッキー
なるほど、やりたいことを追求するのが本当の苦労だと。奥の深いお話、どうもありがとうございました。

 


【熊本県】

株式会社エムイーエス    http://kk-mes.jp/

代表取締役 大曲  世紘 氏


 

■取材した人

マッキー

大学卒業後、某ベンチャー企業にエンジニアとして就職。実家は福岡の物流企業。家業に戻るまでに、アトツギベンチャー経営者の体験をシャワーのように浴びようと、副業で「アトツギU34」に参画。全国各地のイベント運営やアトツギベンチャー経営者の取材などに携わる。

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