強い商品力でブランド確立、数々の失敗で気づいた家業の軸の大切さ
鳥居食品株式会社
代表取締役 鳥居大資 氏
鳥居食品株式会社は1924年から続く地ソースメーカーで、トリイソースのブランドで知られる。祖父の代は洋食屋向けに、先代は飲食店や工場の食堂向けに、と時代とともに顧客も販売チャネルも商品も変えてきた。
3代目の鳥居大資社長は、三菱商事、米国GEで得た経営ノウハウを家業の再建に生かすべく、勇んで故郷に戻ったものの当初は意気込みばかりが空回りしていたという。その後、試行錯誤の末、6年前に食品添加物を使わないウスターソースを開発してからは、強い商品力により全国のスーパーに販路を切り拓く。
そして今、ソースを活かした飲食業態にも新たに挑もうとしている。「でもうちの軸足はあくまでもソースづくり。この軸足をベースに、次の代を引き継ぐアトツギもまた別の新しいことをやればいい」と根幹の事業を引き継いでいく大切さを説く。
会社員時代と家業とのギャップを乗り越えようと数々の失敗を繰り返す中で、次第に気づいた家業が持つ本質的な価値を見つけ出した鳥居社長に話を聞いた。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
いつしか「継げ」と言わなくなった父
業務内容から教えてください。
うちは社員17人のこぢんまりとした地ソースのメーカーです。木桶で熟成するまろやかなソースをつくっていて、ソースが嫌いな方でも気に入ってもらえるような醤油っぽい味のポジションにいるソース屋です。
地ソースっていうことは、それぞれに地域に根付いたソースメーカーがあるってことなんですね。創業は大正13年(1924年)と、ずいぶん歴史が古いですよね。
曽祖父は農業をしていたのですが、祖父は次男だったため農業を継ぐことはありませんでした。大正時代に入って新しい調味料としてソースが普及し始め、あたらしもん好きの祖父はそこにチャンスを感じてソースづくりを始めたようです。
日本酒や醤油は年に1度大量に作ってそれを在庫で持っておけるだけの資本力が必要だったので、いわゆる地方の名士が経営しているケースが多いんです。一方、ソースはその都度つくればよいものだから新規参入しやすかったんでしょう。父の代の時には浜松だけで10社くらいソースメーカーがありましたからね。
鳥居さんはもともと家業を継ぐつもりでいたんですか。
姉2人のあと、鳥居家にとって待望の男児として生まれたので、小さい頃から継ぐもんだと言われて育ちました。ただ、高校に入った頃から「継げ」とはパタリと言わなくなったんです。バブルが弾けて、もう右肩上がりの時代ではないと悟ったのでしょうね。むしろ息子が東京の一流企業に入ったというのがうれしかったようで父にとっては飲み屋での自慢話のネタになっていたみたいです。
確かにすごくピカピカなキャリアですよね。
とにかく浜松から出たいという思いで東京に出て。東京に出たら今度は海外に出たいと思うようになりました。三菱商事に入社したのですが、その後米国のGEに転職して、そこで挫折を経験するわけです。
V字回復できると思い込んで戻ったものの
当時はGEの経営者、ジャック・ウェルチ氏の経営がもてはやされていました。そのノウハウを真似れば家業なんて簡単にV字回復できるだろうと思って家業に戻ったんです。大きな勘違いでしたけどね。
先代のお父さんとの関係はどうでしたか?
ぼくが子どもの頃から、父は外に飲み歩いてて家にはほとんど帰ってきませんでした。だから会話をしたことがないんです。だから私が継いだ後も、父親と直接話をすることはまずなくて。すべて母親が間に通訳で入ってました(笑)。「お父さんがこう言ってたよ」って感じで。
それでも鳥居さんが戻ると聞いた時、お父さんは嬉しかったんじゃないですか?
通訳を介して(笑)「けっこう喜んでいたみたいよ」と。
ちなみに戻ることを決める前に、家業の経営状態とか知ってたんですか。決算書とか見ました?
貸借対照表を見ると借金も少ないしこれはいろいろな投資ができそうだなと思ったんですけど。損益計算書見たら売り上げはじわじわと減ってるんです。ソース業界って、急に落ちることもないけれど、逆に何かやったところで急に伸びるわけでもない。このままじわじわと落ちていったら茹でガエルになるなって思いました。
やる気はあるが空回り
戻ってどんなことから始めたんですか。
量で勝負する大手に対抗するには少量多品種でいくしかないな、と。それでお好み焼き屋さんやとんかつ屋さんに、お店オリジナルのソースを作ってあげたら喜ぶんじゃないかって思ったんです。確かに求められてはいたんですけど、価格が折り合わなくて。こんなに高いんじゃ買えないよって。いきなり頓挫しました。
なるほど。。。ニーズはあるけどコストが合わないというのはどの業界もある話かもしれませんね。
それだけじゃありません。父はもともと自分の代で会社を畳むつもりでいたので、社員が全員高齢者なんです。それでぼくは若手をたくさん採用して、そのベテランさんたちに指導してもらうわけですけど、昔ながらのソースの作り方しか知らないから応用がきかなくて。ぼくは「こんなのを作りたい」ってイメージを伝えるんだけどできない。当時は社員も大変だったと思います。
欲しかったストーリー、でも社員は…
ベテランの社員さんたちとはよく衝突してたんですか。
いやもう自分が勝手に衝突してただけで。彼らは今まで通りのやり方でやれていればよかったのに、ぼくが新しいことをやりたいばかりに、それを伝えきれずにイラついていただけで。ぼくが勝手に空回りしてたんです。
伝えきれないというと?商品作りへの要望ですか?
ソースには香辛料を入れるんですけど、それぞれの香辛料にはその香りを発する最適な温度帯があるんです。一般的なソースだと香辛料を全部いっぺんに釜に入れておしまいなんですけど、ソースの熱い温度が木桶の中で下がっていく途中、最適な温度になった時に香辛料を入れてほしいと頼んだわけです。
だれもがそうした方がいいのはわかってるんですけど、めんどくさいですよね。しかもそれをやったところでどれだけ味が変わるのかって言われると微妙だから、こっちも押し切れない。でもぼくとしては、そうやって理想を求めて手間を惜しまないっていうストーリーにこだわってたんですよね。
ストーリーにこだわる鳥居さんと、それをしたところで手間かかるだけでしょという社員とののせめぎあいですね。これは失敗したっていう商品があればそれも教えてもらえますか。
ミカンのお酢ですね。このあたりはミカンの産地なんで、やっぱりご当地の産物を使った商品を出してみようと思ったわけです。
道の駅とかで売れそう!
それが全くおいしくないんですよ(笑)。地元のものを使えばいいってもんじゃないですよね。全く売れずに撤退しました。
たまたま知り合った人の紹介で販路拡大
売上が安定するきっかけとなった商品って何だったんですか。
6年前に添加物が入っていないソースが完成したんです。
ちょうどその頃、東京で胡椒に関するセミナーがあって行ったんです。そこで出会ったこだわりの納豆メーカーの社長さんがいるんですが、その方のFacebookを見ていると、「今日はこだわりスーパーAへ営業に行った、次の日はこだわりスーパーBへ営業に行った」って書いてある。それで、スーパーを紹介してくれないかと頼んだんです。
そっか。商材も違うから頼みやすいですね。
スーパーのバイヤーさんも、その方が勧めるメーカーなんだったら大丈夫だろうということで、スーパーが置いてくれるようになりまして。そこから有名なスーパーへの取り扱いがどんどん決まったという感じです。
今は、営業しなくても売れるようになったってことですか?すごい!
かつてはスーパーに営業に行くと必ず「おたくの売りはなんなの」って聞かれました。スーパーの調味料の棚って1年見ててもほとんど入れ替えがない棚で、よほど何かがない限りは置いてもらえないんです。
それが今ではすっかり営業しない営業になりました。うちの作り方を説明して気に入っていただければよろしくお願いしますと。営業力ではなく商品力で勝負できるようになりました。
それにしても単なるセミナーの参加者同士なのに、よく仲良くなれたもんですね。
めったに行かない東京に行ってるわけですから、なんか結果残さずには帰れないよな、としがみついた感じですね。当時は東京にほとんど行くことはなかったんです。
三菱商事を退職するときに、家業に戻ることを上司に伝えたら「10年は東京に戻ってくるな」って言われたんです。言わんとしたことは、まず浜松に溶け込んで浜松の人間として認めてもらえてから東京に出てくればいい、ちゃらちゃらした目的で来るんじゃない、っていう教えだったんだなと。ありがたい言葉でした。
あきらめずに挑戦をし続ける
振り返ってみて、どのタイミングでうまくいくようになっていったと思いますか。
もうこれは確率論の世界です。数撃ちゃ当たるっていう。結果が出たことに対しては後から何とでもこじつけできるんですけど、ほんとたまたまうまくいったってだけです。
さっきも言いましたけど、ソースとか調味料の世界は既存の商売が急になくなるわけじゃないのでそのなかで最低限できることがあるんです。スピード感のない業界での立ち居振る舞いっていうか。
でも、だんだんとやっていることが社内からも理解されるようになってきたんですね。
少しずつぼくの考えた商品が売れるようになってくると「社長が言ってることもまんざら間違いじゃないんだな」と理解してきてもらっているとは思います。
ソースを軸に飲食業態に挑戦
家業をやり続けてきたからこそわかったことってありますか。
これまでもいろんな調味料を商品化したんですけど結局残りませんでした。本業のソースから離れようとするとだいたい失敗するっていうのを学びましたね。だから、市場は小さいけれど、成熟した市場だけれど、やっぱりソースに軸足を置いて事業をやってかなきゃいけないんだなと思っています。
これからやってみたいことはありますか?
ソースってどこまでいってもわき役なんです。ある食べ物にかけたり、付けたりして初めておいしいって言われるものなので、ソース単体でおいしい、おいしくないって評価はしてもらえないんです。だから、ソースのおいしさを突き詰めていくと、それをかける食べ物も作らないといけないんだなと。
それで今、飲食業態をやろうと考えているところです。このソースが引き立つ料理の提供までやって、おいしいって言ってもらえる世界を自らつくっていく。これが、ここからの10年で目指す方向かなと思ってます。
醤油メーカーが卵かけご飯屋さんをやるみたいな感じですか?
そうですね。なんでそう思ったかっていうと、もうソースの工場の規模は大きくしないと決めてるんで、たくさん作ってたくさん売るというビジネスモデルはもうできないんです。じゃあどこで売り上げ、利益を伸ばしていけばいいのかって考えると、うちのソースを使う飲食業態を回していくビジネスモデルで勝負しようと。
もう具体的に何か考えているんですか。
まだ内緒です(笑)。今年はキッチンカーを買うつもりです。で、もし飲食業態がうまくいけばフランチャイズ展開して広げていって。でもその事業は自分の代で売却するつもりでいます。
売っちゃうんですか??また、どうして。
飲食店はあくまでもぼくがやりたいと思ってやることですから。ぼくが次の代に渡すのは、祖父から続いてきた会社の歴史と小さなソース工場だけにしようと思ってるんです。引き継ぐものは小さいものであるべき。次の後継者が、それを使ってその時代に合ったことをやればいい。そうやって家業が続いていけばいいなと思っています。
【静岡】
鳥居食品株式会社 https://www.torii-sauce.jp/
トリイソース 3代目
代表取締役社長 鳥居 大資 氏
■取材した人
マッキー
1995年生まれ。ベンチャー企業に勤務しながら、アトツギベンチャー取材やイベント運営を担当。