祭好きな国籍の異なる3人で「祭」をテーマにしたクラフトビール事業をスタート

滋賀県
HINO BREWING株式会社 代表取締役
田中宏明さん

酒屋という家業を継ぎ、新規事業でクラフトビールの醸造を始めた――。そう聞けば、よくある話のようにも思えるが、ヒノブルーイングが面白いのは「全国全世界の『祭』をテーマにした、祭のためのビールづくりを目指している」ということ。「祭」をテーマにビールをつくっている会社は、おそらく全世界でもここだけだろう。

ビール事業に乗り出した背景や、社員であるトム氏とショーン氏との出会い、そして、なぜ「祭」をテーマにしたのかを、江戸時代から続く酒屋「酢屋忠本店」の六代目であり、ヒノブルーイングの代表でもある田中宏明氏に聞いた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

 

「看板を守ってほしい」という父の言葉で……。

ティム
ティム
まずは家業を継ぐまでのことを教えてください。

絵を描くのが得意だったんで、京都芸術大学の環境デザイン学科に入学しました。デッサンだけで入れるって聞いて(笑)。高校までの勉強とは違って制作活動が面白くて、特に3年生くらいからは熱心に取り組んでました。それで卒業後はハウスメーカーに設計で入社しました。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
建築を学んでたんですか?
いや、僕はランドスケープを専攻してたんで、建築はほぼ素人。かなり苦労しました。で、1年ちょっとして京都の「くろちく」っていう会社に転職しました。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
転職した理由というのは?

 

ハウスメーカーの設計業務って、なるべく多く工数をこなすほうが評価されるんです。お客さんに向き合って、もっといいもの作ろうと思っても、時間をかけたりするのは許されなくて。そこが当時は不満で、もっとモノづくりに向き合っていろんなことがしたいと、大学の先生に相談したんです。そしたら、くろちくを紹介されました。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
くろちくでは何をされてたんですか?

 

町家をリノベーションしてカフェにするとか、そういうののハシリの会社で、表向きは和雑貨メーカーなんですけど、いろんな新規事業をやっていました。その実行部隊として入社したら、いきなり「新卒を採るから採用担当やってくれ」って言われて(笑)。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
町家の設計とかじゃなかったんですね(笑)。

最終的には、町家の再生とか不動産の利活用とか、事業計画書を作るような仕事をしていました。あとは宮津市に、大学の先生が受託していた景観条例を作る仕事があったんですけど、それも引き継いだり。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
そこでようやく大学で勉強した内容が活かされてきた感じですね。

 

そう。やりたかったことが全部できてしまったこともあって、続けていこうかどうしようか迷っていた時に、家業のことがチラついてきて、そういえば30までに辞めるつもりだったなと。社長に相談して、仕事を後の人に引き継いでから、30になる手前で会社を辞めて実家へ戻りました。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
いつから家業を継ぐって決めてたんですか?

 

 

実家の酒屋は「酢屋忠本店」っていうんですけど、江戸時代から続いていて父親が五代目だったんですね。小さな町の酒屋ですし、市場の流れもあって酒屋だけでは厳しいから、父親もコンビニとかコインランドリーを始めてたんですけど、頑なに酒屋だけは守ってたんですよ。

で、僕が17歳の時に父親がガンになって、闘病生活している時に店の看板だけは守ってほしいと。どういう形でもいいから看板だけは守ってくれと。

田中氏
田中氏

 

ティム
ティム
その時に継ぐと決めたんですね。

 

いつかは戻らないといけないなというのはありました。というのは、その後母親が代表になって、妹と二人で家業をやってくれていたので、いつまでも任せっきりは悪いなと。
田中氏
田中氏

 

 

 

農業は失敗したが、モノづくりはしたい。

 

ティム
ティム
実家に戻られてからどんなことをされたんですか?

 

いろいろやりましたよ、農業とか……。うちの周りって土地が余っててタダで使えるんで、ここで何か生み出せたらビジネスチャンスだと思ったんです。それで山椒を作って山椒の加工品とか売ろうとしたんですけど、試しに畑借りて植えてみたら、全部枯れました(笑)。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
えっ!それは経験が乏しかったからということですか?

 

 

まあそうですね。隣のおじいちゃんも畑やってはるんで、聞いたら「土が大事」って言うし、理屈はわかるんですけど、本当にうまくいかなくて。それに、畑やりながら店の仕事をしてると母親に怒られるんですよ(笑)。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
お母様は反対だったんですか?
母親は新しいことをやることは是としないというか、挑戦的なほうではないんですね。そんなに資金的な余裕があるわけじゃないこともあったし。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
そんな中でクラフトビールをやろうと思われた背景というのは?

 

日野町って人口21,000人の町なんで、こんな小さい商圏で近隣の酒屋と取り合いしても仕方ないし、問屋さんもいるので規模を大きくするのは難しいかなと。それで、利益率高い商品を扱って専門店化しようと思ったんです。

でも、日本酒に特化してるとか、そういうポイントを押さえている店はもうあるんですよね。なので、これは自社商品しかないと思って。ものづくりが好きだし、いつかはメーカーになりたいとも思ってたんで。

田中氏
田中氏
ティム
ティム
もともとモノづくりに興味があったんですね。
そうですね、作っていくことの楽しさを学んだのは大学かな。あと、前職で事業の立ち上げに関わっていて思ったのは、立ち上げるのは意外と簡単だけど続けていくのは難しいなって。

経済的なことじゃなくて、モチベーションですね。儲かってるのに楽しくなさそうなお客さんはたくさん見てきました。新規事業をローンチした状態のままアップデートしないで、時代に置いていかれて衰退するという事例も見てたから、何かやっていくのであれば、モチベーション保てて、内発的に何か生み出されるようなコンテンツであるべきかなと思っていました。

田中氏
田中氏

 

 

 

トムとショーンとの出会いがクラフトビール事業のきっかけ

ティム
ティム
ビールを作ることになったきっかけを聞かせてください。

2017年の春に徒歩1分くらいの近所にイギリス人のトムが引っ越してきて、もともと近江商人が住んでた600坪くらいあるお屋敷を改装して住み始めたんです。で、日野町には祭りがあって、トムにも「参加してくださいね」って言っていたら、その年のお祭りにはお囃子の笛も覚えてくれて。それを見ていた町内の人たちが、年寄りばっかりで外国人とどう接していいかって感じだったのに、「トムさんすごいな」となったんですよ。僕も感動したし。もう何年も地元にいる人みたいに仲良くなって、地域の祭りが持つ力も感じました。

で、お祭りの後にトムの家に遊びに行くことになったら、14年日野町に住んでるポーランド人のショーンも一緒に来て、僕が「メーカーになりたい」とかいろいろ話してたら、ショーンが「ビールやったら造れるで」と。

田中氏
田中氏
ティム
ティム
なんかすごい展開!めっちゃ面白くなってきました(笑)。それで、ショーンさんのビールを飲んだんですか?

そう。日を改めて持って来てもらって飲んだら、これがむちゃくちゃおいしかったんですよ。「これやったら売れるんちゃう?」「じゃあビールの会社つくれるな」と。ほんまに部活ノリで始まったんですよ、最初は。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
僕はビールを造るためにトムさんとショーンさんを海外から連れてこられたのかなと思ってたんですけど、偶然の出会いだったんですね!そこから会社を設立するまでは?

 

さっきの話につながるんですけど、会社にするんやったら続けていけるようなものにしたいから、モチベーションが大切だと思っていて、「何のためにビールを造るのか決めよう」って最初に言ったんです。

で、お祭りの話になるんですけどね、日野町のお祭りって、各町内にもよりますが、祇園祭の山鉾みたいな曳山やお神輿を凄く少ない軒数で維持管理していて、一軒あたりの負担も重くて、運営するのがいろいろ大変なんですよ。

でも、僕ら3人はお祭りが大好きだし、新しい取り組みで祭りの負担が減ったらみんなも喜んでくれるし、日野町も元気になるし、他所から祭りを見に来て面白いなと思った人が住んでくれるかもしれない。これが上手く機能すれば、他の地域の困っているお祭りの助けになれる可能性もある。だから「ビールを通して祭りを元気にできる会社を作ろう」ってことでスタートしました。

田中氏
田中氏
ティム
ティム
それからすぐに動き出したんですか?

 

試算して、東京とか大阪に出てクラフトビールのお店もいろいろまわってリサーチして、ちょっとずつ輪郭が見えてきたところで、母と衝突しました(笑)。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
お母様は新しいことはあまり……っておっしゃってましたもんね。
母親にしたらポーランド人とイギリス人が会社に入って来るって、ワケわからんじゃないですか。国籍も常識も考えも違うのに絶対うまくいかん!ってスーパー大反対(笑)。

それで、ルールもお金の流れも違うから法人格を分けようと思って資本提携の形で会社つくったんですよ。既存事業の屋台骨に傷をつけなければいいって条件だったんで。

田中氏
田中氏
ティム
ティム
初期投資とかは試算通りにいったんですか?

それが、初期投資なしでスタートしたんですよ。というのは、「ブルーメの丘」っていう農業公園があるんですけど、その中にビール醸造所があるから「うちもビール造るんで」って挨拶に行ったら、醸造設備が休眠中であることを知りました。それで、「どうせやるならここでやらないか」と声をかけていただき、車で5分、10分のところなんで、場所と設備を引き継がせてもらいました。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
ラッキーじゃないですか!!
ほんとラッキーでしたよ。銀行は泣いてましたけどね。借りてくれないんですかって(笑)。
田中氏
田中氏

 

 

 

「ビール」は手段で、「お祭り」が軸

ティム
ティム
今回もそうですけど、メディアに取り上げられることは多いんですか?

実はメディアに取り上げてもらって、広告宣伝費をかけずに世間にPRする狙いもありましたが、「僕らはビールそのものを売りたいんじゃない。社会的な問題の解決が事業目的で、あくまでも手段としてビールを造っている」と発信しました。そうするとメディアは好意的に取り上げてくれて、結果的に商品も宣伝してもらえる。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
戦略なんですね。社会的な問題というのは、祭りのことですよね?
そうです。たとえば、滋賀県って盆踊りで「江州音頭」ってあるんですけど、担い手が高齢になっていて継承に困っておられるんですね。その方とコンタクトとって、「江州音頭を知ってもらうためのビールを造ろうと思うんですけど」って話したら「どんどんやってくれ」と。それで、ビールのボトルの裏にQRコードを付けて、江州音頭の映像にアクセスできるようにしたんです。県内のローソンのうち100店舗が取り扱ってくれてニュースにもなった。テーマにさせていただいているお祭りへの貢献がメディアに取り上げられるという感じです。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
すごく勉強になります。会社の未来像というのはどう考えていますか。

ビール会社として他に無い毛色の会社になりたいです。具体的にはお祭りに軸足を置いた会社にしていきたいと思っていて、ビールは勿論ですが、お祭りのコンテンツも作っていく計画です。「ヒノブルーイングのビール飲むとお祭りが知れるで」っていう会社になりたい。

お祭りのお手伝いもして、地域の文化の中にうまく入り込んでいけるような会社になっていきたいなと思ってます。そうすることで、地域に必要なビールと会社になれると考えています。お祭りとか文化が軸。地元の継承されていない踊りや音楽もあるので、そういうのを残したりもしたい。

田中氏
田中氏
ティム
ティム
最後に、若いアトツギの方にメッセージをお願いできますか。
何やっても最初は反対されると思うんですけど、親心からの「心配」だと思うので、その気持ちは無下に反発するものでもないし、週末とか自分の空いた時間とかちょっとくらいあると思うんで、そこを削ってちょっとずつ小さい結果を積み重ねていけば、そのうち認めてくれるんじゃないかなと思います。うちはそうだったし、親は心配してるだけなんで、うまくいってたら何も言われなくなっていくと思います。
田中氏
田中氏
ティム
ティム
田中さんの場合は行動を怠らずにやっていたからこそ、いろいろうまくいったのかなと思いました。いろいろ勉強になりました!ありがとうございました。

 


【滋賀】

HINO BREWING株式会社    http://hinobrewing.jp/

代表取締役 田中  宏明 氏


 

■取材した人

ティム/マスオ型アトツギ

コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!

SNSで記事をシェア