コロナ禍の今こそ、強みを見つめ直す。九州の食の未来を背負う覚悟ふたたび

株式会社一平ホールディングス
代表取締役社長 村岡浩司 氏

“世界があこがれる九州をつくる”という理念のもと、飲食業展開をはじめ、さまざまな企業とのコラボレーションで九州産の素材を使った食品製造を手掛けている株式会社一平ホールディングス(宮崎県宮崎市)。代表取締役であり2代目の村岡浩司氏は、もともとは一軒の寿司屋だった家業の事業多角化を図り、「九州パンケーキ」などの主力商品を生み出してきた。

若い世代のスタートアップ顔負けの行動力と発信力。九州を一つの経済圏として束ねる大胆な発想で挑戦を続ける村岡氏の起業家精神は、かつて斬新な郷土料理を生み出した父親譲りだという。「継ぎたくなかった」寿司屋に戻ることになった背景、もがき苦しみながらも新しい世界に踏み出した30代、口蹄疫(家畜伝染病)の流行では経営危機をも経験した村岡氏が、「コロナ禍の今こそ、希望を」を語ってくれた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

アメリカで起業したものの失敗。借金を抱え、父に頭を下げて家業に

ズッキー
ズッキー
まずは、会社の成り立ちから教えていただけますか。
宮崎市内の一軒の寿司屋からスタートした会社で、僕が家業に入った後にコーヒーショップの展開を始めました。その後、食品製造業にも参入して、2012年に発売した「九州パンケーキミックス」が看板商品になっています。現在は九州をひとつの島として捉えて、豊かな食材の宝庫である九州ブランドの食品を届けていこうとしています。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
お寿司屋さんが「コーヒーショップを展開しよう」とは普通考えないですよね?村岡さんの発想はどこから生まれたんでしょうか?

もともと僕が寿司屋を継ぎたくなかったからじゃないですか(笑)?

寿司屋の二階で生まれ育ったんですけど、独立心旺盛だったので、このまま一階の世界の中だけで自分の一生を終えることに抵抗があって。できるだけ遠くに逃げようとアメリカの大学に行きました。

村岡氏
村岡氏

▲創業者の父(前列中央)と村岡さん(前列左)

 

ズッキー
ズッキー
海外で留学中に起業されたんですよね?

古着やアンティーク家具のバイヤーの仕事をしていました。ここでは経営スキルよりも大切な、売上や利益を生み出すたくましさは身に付けました。

 

ちょうど1992年ごろから日本の古着やアンティーク家具のマーケットが盛り上がってきたので、ビジネスを広げるために帰国しました。けれど、商売が立ち行かなくなって、事業を畳みました。

村岡氏
村岡氏

▲アメリカ滞在中の20代

 

ズッキー
ズッキー
それが家業のお寿司屋さんに入るきっかけなんですね。そのまま別の事業を立ち上げようとは思わなかったんですか?
当時は本当にお金が無かったですからね。社員の給料や家賃はなんとか払えたけれど、借金の返済に充てられるお金が無くて。万策尽きて、最後の最後は父に「助けてください」と頭を下げたんです。窮地を助けてもらったこともあって、家業に戻って寿司職人になりました。
村岡氏
村岡氏

 

 

 

先代もアイデアマン。「伝統に縛られると、ろくなことがないぞ」

ズッキー
ズッキー
家業に入って3年間寿司職人として修行された後、2001年にタリーズコーヒージャパンとフランチャイズ契約を締結されたんですよね。このときはどういった心境だったんですか?
「寿司屋だけではこの先厳しいんじゃないか」と思い、これからを考える中で思い浮かんだのが、アメリカで体感したスペシャルティコーヒーのムーブメントでした。「日本にも必ず波が来るだろう」と。当時の自分にとっては大きな投資でした。
村岡氏
村岡氏

ズッキー
ズッキー
お父さんから反対されることはなかったんですか?
応援してくれましたよ。当時父親はすでに病気になっていたのですが、「お金を返していくのも、この会社の方向性を決めるのもお前の役割だ。できることは協力する」と言ってくれました。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
そうなんですね。寿司職人って頑固一徹なイメージだったので意外です……!

なんせ、うちの父親は、「レタス巻き」を作り出した人ですからね。

酢飯にエビとレタス、マヨネーズを組み合わせた宮崎の郷土料理です。「サラダ巻き」や海外で人気の「ロール寿司」の原型でもあるんですよ。そんな斬新な商品を開発した父親なので、柔軟な考え方の持ち主でしたし、「伝統に縛られると、ろくなことがないぞ」とよく言っていました。

村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
そうだったんですね!2004年にお父様が亡くなられて代表取締役に就任されていますが、寿司職人をしながらタリーズの運営も手掛けていたんですか?
月曜から金曜はタリーズの仕事、金曜の夕方と土日は寿司を握るという生活を38歳まで続けました。2008年にタリーズの仕事でシンガポールに1年間行くことになったことを機に、立ち位置をプレイングマネージャーから経営者に転換しました。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
加えて、商店街の活性化の活動にも取り組まれていたんですよね?めちゃ忙しいじゃないですか。どうやってタイムマネジメントをされていたんですか?
何も考えてなかった(笑)。商店街や地域の仲間を巻き込んで年間300回くらいイベントをしてました。とにかく忙しかったですが、当時の経験から「地域」の概念が深く刻まれて、「九州パンケーキ」の開発コンセプトにも繋がったんです。スティーブ・ジョブズの「Connecting the dots (点と点をつなげる)」という有名な言葉がありますが、今思えばあの経験もひとつのドットでした。
村岡氏
村岡氏

 

 

 

個性が強い「どローカル」な存在ほど、世界にメッセージが伝えられる

ズッキー
ズッキー
2019年には株式会社一平ホールディングスを設立されましたよね。ホールディングス化したのはどうしてですか?
飲食業も食品製造業も「食を通じてお客様を笑顔にしたい」という世界観は同じだからこそ、ホールディングスとして上位概念を描いた方がコントロールしやすいかなと。資金調達や企業価値の極大化がホールディングスの役割です。家業から食の総合商社に進化した感じですね。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
ちなみに、すでに事業が多角化されていたのに、あえて先代であるお父さんのお名前「一平」を冠したのはなぜですか?
“どローカル”感じがするのも悪くないし、英語に直すと「ワンピース=世界平和」という意味になるでしょう。台湾でパンケーキ教室を開催していても感じるんですが、パンケーキが真ん中にあることでみんなが笑顔になることは、世界平和につながるなと。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
九州パンケーキを海外展開されるなど、グローバルを意識したビジネスをされているじゃないですか。一方で、地元の廃校をリノベーションしてオフィスを構えられているので、グローバルとは一見真逆に見える取り組みに驚きました。

僕は、ローカルとグローバルの境目を、物理的距離で測るのって古い概念だと思っていて。

今はSNSやWebサイトなど伝える手段はさまざまある。だからこそ、ローカルでユニークなことをしている存在の個性が強いほど、世界にメッセージが伝わっていくように思うんですよね。

 

“どローカル”の方が質感があるし、持っている世界観を遠くに飛ばしやすい気がして。「ブルーボトルコーヒー」だって、もともとはサンフランシスコのローカルコーヒーショップでしたから。

村岡氏
村岡氏

 

 

 

企業家として果たす使命と二代目アトツギとして果たす使命

ズッキー
ズッキー
現在、ホールディングス化してさまざまな事業を展開されている村岡さんにとって、家業はどんな存在ですか?
二代目の僕個人としては、「父親が作ったレタス巻きのレシピを絶対に次世代に継承しなければ」という強い使命感があります。他の事業については、社員や株主にとって一番メリットのある形で継承してくれる方がいれば引き継ぐことも考えますが、寿司屋だけは僕の責任においてちゃんと守っていかなければなと。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
家業に対しては特別な思いがあるんですね。
ある意味、レタス巻きを守るために飲食事業を多角化したり、食品製造を始めたりしてきたわけですから。結果的に、コロナ禍で飲食事業が苦境に陥った今も食品製造の柱があることで経営を保てていますし。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
もともとは「寿司職人になりたくない」って思っていたじゃないですか。いつから「家業を守りたい」という気持ちに変わったんですか?
いつからかはわかりません。ふと立ち止まったときに、父親のものだった家業が自分のものになる瞬間があったんですよね。周りからの呼び名が「一平さんの息子さん」から、会社名の「一平さん」に変わったときにも、実感したような気がします。
村岡氏
村岡氏

 

 

 

苦境の今は、新しいことより「今ある強み」に目を向ける

ズッキー
ズッキー
コロナ禍の今、どのような影響を受けていますか?
飲食部門は大変な状況で、時短営業や休業に追い込まれています。ただ、僕は悲観の反対は楽観ではなくて、「希望」でなければいけないと思っていて。コロナ禍に入ってもう1年になるし、そろそろ言い訳ができなくなるからこそ、今自分たちにできることをしていくしかないなと思って、九州パンケーキミックスを使った新たな展開を始めています。
村岡氏
村岡氏
「九州チーズタルト」という焼菓子を作ったり、長崎の老舗和菓子屋と一緒にカステラを現代的にアップデートした商品を開発したり。九州パンケーキミックスを使って、九州の産地や工場会社との協働でさまざまな製品を作って行こうと思っています。販売の主力はオンラインになっていくと思っていまして、こうした「食」のD2Cはこれからの主流になると感じています。
村岡氏
村岡氏

▲クラウドファンディング(マクアケ)で応援購入を募った九州チーズタルト

 

ズッキー
ズッキー
九州パンケーキという商品力のある製品があったおかげですね。九州パンケーキは、どういうきっかけで誕生したんですか?
2010年に宮崎で口蹄疫(こうていえき)という家畜伝染病が流行って、飲食業の経営が大変だった時期があったんです。追い詰められた中で、「最後の賭け」くらいの気持ちで生み出した商品が九州パンケーキでした。その商品が巡り巡って今、また私たちを救ってくれようとしています。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
自分たちが既に持っている商品の中に、「希望」があったということでしょうか。そういう意味では他の業界のアトツギにとっても、今すでに家業にあるものの中から、コロナ禍の窮地を救ってくれるものが見つかるかもしれないですね。
そうそう。今はある意味、原点に向き合う時期なんじゃないでしょうか。その中で自分たちのコア・コンピタンスとなる技術や製品やサービスに気付けたら強いですよね。うちの場合は、先代が作ったレタス巻きと、僕が生み出して大事に育ててきた九州パンケーキがめちゃくちゃ強いと改めて気付くことができました。
村岡氏
村岡氏

ズッキー
ズッキー
窮地だからこそブランドの強さを再確認できるって、すごくいいですね。
アトツギは自分の存在を世の中や社会に示すためにも、「新しいことをやりたい」という思いが強くなりがちですよね。だけど今は、「会社や事業が持っている一番の強みは何なのか」を見つめ直して、若い感性で磨き直した方が面白いことができる時代なんじゃないかと思います。
村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
「磨き直す」ですか……!響きました。確かに新しいことをやりたいと思ってしまうんですが、自分らしさだけを追うのではなく、家業の「今まで」にヒントがないか探すタイミングなのかもしれません。最後に、僕のような20~30代のアトツギに向けてメッセージをいただけますか。

僕たち先輩経営者が若手アトツギに教えるべきは「時間軸」の捉え方だと思っています。僕は20代後半~30代後半までつらい時期が続いたんですが、なぜかと言うと、理想と置かれている現状がすごく乖離していて、その差をどうやって埋めるべきかもわからなかったからなんですよね。もがいてた。

 

だけど、50歳を迎えた今わかったんです。理想と現実のギャップに悩めたのは、まだたっぷり時間が残されていたからだって。50代になると、人生の残り時間が少なくなっていることが目に見えてわかってくる。でも、だからこそ全力疾走できるんです

村岡氏
村岡氏
ズッキー
ズッキー
マラソンのゴール地点が見えてきたからこそ、ラストスパートできるという感じですか?
そう。ゴールがすぐそこまで来ているから、理想まで追い付けようが追い付けまいが、とにかく倒れるまで一生懸命走ってみようと思えるし、心が燃えるんです。こうしたことに気付けたから、年を重ねることは悪くないなって思います。
村岡氏
村岡氏

ズッキー
ズッキー
20代や30代は、時間が有限という実感がまだ無いからこそ、あれこれ悩んじゃうんですね。

20代30代、僕もいろんな失敗をしてめちゃくちゃ打ちのめされました。でもね、いま周囲にいる人で僕の昔の失敗を覚えている人なんていない(笑)。今だけがすべてじゃない。これからも人生は続くんだから。

 

先代が健在なら、きっとリカバーもしてくれるでしょ。アトツギは「Stay Foolish」の精神で何でもやってみたらいいんだよ。“いい子”になっているだけではもったいないよ。

村岡氏
村岡氏

 


【宮崎】

株式会社 一平ホールディングス https://ippei-holdings.com/

代表取締役社長 村岡 浩司 氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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