大切なのは「次はなにする?」と考え続けること

株式会社福地組
代表取締役社長 福地 一仁 氏

「家業を大きくするだけが成功じゃないですよね」そう語るのは福地一仁氏。沖縄で70年近く建設業を営む株式会社福地組の三代目だ。昭和28年に嘉手納町の木工所から始まった福地組は、これまで嘉手納新町ロータリー地区再開発、新石川浄水場管理棟工事など大きな公共事業を手がけてきた。現在ではリノベーション事業にも力を入れている。

三代目の福地氏は東京大学、同大学院を卒業後、三菱商事に入社。中国・韓国向けの半導体設備の海外営業、グループ会社出向などを経て、2013年からはタイに駐在しJV設立に取り組んだ。人事、会計、販売等あらゆる業務を並行して担当。現地企業のM&Aなども経験し、帰任のタイミングで家業である福地組に入社した。

あまりに輝かしい経歴だが、当の本人はそういったラベルにさほどこだわりがない。家業の経営においても拡大ではなく、会社のあるべき姿の追求に重きを置いている。そんな福地氏に老舗アトツギ予備軍ズッキーが等身大の悩みをぶつけてみた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

起業するつもりが、じわじわ湧いてきた家業への興味

ズッキー
ズッキー
家業への興味はずっとあったんですか?
いいえ。父にも継いでほしいとは言われなかったですし、どちらかというと起業がしたかったんですよね。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど。福地さんは大学院まで進まれていますが、なにを専攻されていたんですか?

大学は理系で、工学エンジニアリングだったんですけど、大学院ではMOTといって経営工学というジャンルを専攻しました。経営工学の授業には大学からの進学組だけではなく、社会人の方も学び直しということで参加されていたんです。商社やメーカーの方が多かったんですけど、グループディスカッションとかしても全然太刀打ちできないんですよね。知識も経験も段違いでした。その頃から、メーカーや商社に興味を持つようになりました。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
それでメーカーや商社というジャンルのなかで、起業を視野に入れて就職先を選んだら、三菱商事であったと……そういう感じですか?

そうですね。当時はリクルート、三菱商事、ソニーあたり出身の経営者が多い印象でした。あとは海外事業に興味があったので、三菱商事を選んだかたちになります。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
その後、35歳で福地組に入られるわけですが、それにはどのような経緯があったんですか?

総合商社って、けっこう経営に近い視点でビジネスができるんですよ。出向もして、そういう経験を積むなかでだんだん経営が楽しいという感覚が芽生えてきました。そんなときに福地組が60周年を迎えたんです。
福地氏
福地氏

▲創業者の祖父母

 

ズッキー
ズッキー
2013年、福地さんが30歳のころですね。

はい。当時は転勤して北海道に住んでいました。そこに親父から60周年記念誌が送られてきたんです。それで「そういえば親父も経営者だったな……」と気づいたわけです。「しかも60年も会社やってんだ!!」と(笑)。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
そういえばって(笑)。それで家業を継ぐという選択肢が浮上してきたということですか?

そうですね。親父にも「いまの福地組ってどういう状態になってるんだ?」って聞いたりして、親父の方でも「家業に入ること、考えてみてくれないか?」という会話を、親子の間で交わすようになってきました。それまでは僕が三菱商事なんて大きいところに入ったので、戻ってこないだろうと諦めていたふしもありました。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど。家業を意識しはじめたのが30〜31歳とのことですが、その後すぐ退職するのではなく海外に駐在されていますよね?

そうですね。やっぱり商社に入って海外に行かないのはもったいないと思ったので。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
タイ駐在時のライフラインには「火中の栗を拾う」「トラブルを楽しむ」と書き添えてありますが、どういったご経験をされたんですか?

タイのプロジェクトには自分から手を挙げました。けれど、いざ行ってみると日本では想像もつかないようなトラブルの連続で。そういう意味では、火中の栗を拾ったということになります。例えば、立ち上げて間もなく、部下の会計マネージャ―が会計の記録をしっかり管理しておらず、そのずさんな実態が決算の直前に発覚したので、そのマネージャーを責任者から外して僕が残ったスタッフと一緒にゼロから正しい記録をつくり直すなんてこともありました。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
えー!!いきなり!?

なんせ月に数百もある契約書や請求書や在庫の記録などを、短い期間で全てチェックしなければならないので、渦中にいるときは「やべぇ……」って思っていました。毎日みんなで夜中の12時くらいまで朝から晩まで書類チェックをするわけです。スタッフ一人でも辞めたら終わりのタイトなプロジェクトだったので、タイ人スタッフを「大丈夫、最後は僕がなんとかするから!」とモチベートしつつ自分も必死で(笑)。

 

でも終わってみたら、一つひとつが良い経験になったと思えたんです。そういう意味で「トラブルを楽しむ」と書きました。その後、現地企業のM&Aやミャンマーへの事業展開にも携わって、35歳で帰任するタイミングに退職しました。

福地氏
福地氏

▲タイ赴任中の商社マン時代、会計トラブルを解決した日のチームメンバーと打ち上げした日の一枚

 

 

 

課題の見つけ方は、まず現場の社員の目線を理解することから

ズッキー
ズッキー
現在福地組では、もともとの大規模施工事業に加えて、新しくリノベーションや、SDGsに合わせた新しい住宅商品の開発にも取り組まれているとのことですが、そのなかで福地さんはどのような関与の仕方をされているんですか?

僕は基本的に新規事業がある程度軌道に乗るまでは関わっています。あとは、組織全体、各部における課題列挙や方向感のすり合わせなどマネージメント的な関わり方ですね。

うちはいま営業、建設、設計、総務の部署があるんですけど、それぞれに5〜7個の課題を提示しています。

福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
あの……すごく疑問なんですが、福地さんって家業に戻られてまだ2年半くらいじゃないですか。しかも異業種から入ってこられているのに、どうやって現場の課題まで把握できたんでしょうか?

まずひとつに、前職の総合商社での経験があります。商社ってグループ会社に出向したり、新会社設立して3年以内で事業化して収益いくら以上達成しろみたいな仕事が多いんですよ。そのなかで課題抽出の仕方とか、タスク設定していかにスピード感を持って進めていくかというスキルを身につけてきたんだと思います。
福地氏
福地氏

もうひとつ、課題抽出のために欠かせないのが、現場を見に行くということです。工事現場という意味の現場だけではなく、営業に同行したり、設計の会議に参加したり、システム管理について聞いてみたり。

 

とはいえ、設定した課題が100%効果的かどうかはやってみないとわかりません。課題というのは、あくまで仮説。これらを達成していけば業務効率化や収益向上につながるのではないですか?というメッセージみたいなものですからね。

福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
それって、反発はないんですか?「最近入ってきたばっかりのくせに……」みたいな。

うーん、多少はあると思いますよ。でも、課題も一方的に押し付けてるわけじゃないので。僕が現場を見に行って何をしているかというと、現場の社員が何に苦労しているのかを理解しようとしているんです。
福地氏
福地氏

たとえば「なんでこのお客さんとは全然話を進められないんだ」と思ったとき、実際に自分も営業に同行してそのお客さんと対峙してみるんです。そこで「なるほどね、こういう癖がある人なんだね」というところまで確認する。そのうえで「このあたりもうちょっと粘り強くやっていけば良い結果につながるんじゃないかな」と言う意味での課題設定をしています。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど。双方向的なコミュニケーションのなかで課題を探って、より良い方向へ進もうというメッセージを伝えているんですね。

はい。僕も社員も方向感は一緒なはずなんですよ。課題解決すれば、クライアントのためにも、会社のためにもなる。会社の収益が上がればそれは給与としてかえってくる。だから社内で対立しても時間の無駄ですよね。

 

それでも齟齬が生まれるんだったら、その人がいったい何を見ているのかをできるだけ理解する。僕が見ているものもきちんと伝える。同じ方向へ進んでいくためにはいくらでも腹を割って話し合います。相手が腹落ちできるまで。

福地氏
福地氏

 

 

 

規模より状態、どんな会社にしてバトンを渡したいのか

ズッキー
ズッキー
僕も400年続く鰹節屋のアトツギ候補なのですが、どうしても長い歴史に泥を塗ってしまったらどうしよう……という恐怖心が消えないんです。福地さんにはそういう恐怖心はないんですか?

仮に泥を塗るような事態が起こったとしても、それも含めて歴史じゃないですか?
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
そこまでポジティブになれません……。

うーん、でも失敗してもそこからどういう風に歴史を紡いでいくのかという楽しさがあると思うけどな。一瞬一瞬の業績の落ち込みや、今後の発展とかって、僕はあんまり気にしていなくて。

 

アトツギとしての僕は、バトンの受け手でしかありません。そのバトンを次の世代に渡すときに大事なのは、自分がなにを思ってどういう会社にしたかということであって、規模拡大や目覚ましい発展ばかりが成功ではないと思いますよ。

福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
そうか……、会社を大きくするというより、どんな会社にするかということに目標を置くわけですね。

そうです。僕らの父親世代や創業者の人たちって、パワーのある人がなるべくして社長になったというケースが多いんですね。彼らと同じことをやろうとしてはいけません。縮小することを恐れてしまうと逆にドツボにはまりますよ。会社を存続していくにあたって、規模以外の指標を持たないといけない。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど。そういう角度でなら、僕なりの経営について冷静に考えられる気がしてきました……!!

 

 

 

 

周囲の理解を得るためには、目標・予算・期日。

そして「やってみせる」こと

 

ズッキー
ズッキー
福地さんは新事業として、SDGsを意識した住宅づくりにも取り組まれています。SDGsに取り組もうと思われたのには、どんな経緯があったんですか?

経緯というか、SDGsって現代の会社が当然取り組むべきことだと思っています。コンプラと同じですよね、やって当たり前。SDGsっていうと、ちょっと流行にのっているみたいな見方をされることもありますが、そういうものではないですね。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
僕の実家だと、食品を扱うのでフードロスの問題は気になるところです。でも、うちの親父はきっとSDGsという言葉も知らないですし「やらないといけないんだよ」と言っても、なかなか納得してくれない。福地さんは、新事業や新しい課題感を持ち出すとき、現代表でいらっしゃるお父様との間で摩擦などはないでんしょうか?

僕がアトツギとして恵まれているのは、先代にかなり信用してもらっていることです。僕が戻るときにも「お前の経験してきたことを生かして、福地組でやりたいことに挑戦してみてほしい」というやりとりでした。だから信用して任せてもらっているので、口を出されたりはないですね。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
そうなんですね……。

でもね、もし僕が鈴木さんのような立場で先代を説得しないといけなくなったら、まずは予算を勝ち取ると思いますよ。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
予算を勝ち取る、といいますと?

「とりあえずトライアルさせてくれ」ってことです。こういうことがしたいから、そのトライアルをするための予算をつけてくれ、と。実験的にやる程度だから小さな金額でいい。期間も区切って、それまでに目標達成できなかったら諦めます、とあらかじめ宣言する。「やらしてくれ、やらしてくれ」ってディマンディングだと向こうも納得できませんからね。これはちょっと商社的なやり方かもしれないです。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど!確かにそういう完全ビジネスチックな目線で話してみたらいいのかも。

うん。実際に進めてみたら、意外と応援側に回ってくれたりしますよ。物事が動き出すことで新しく見えてくる情報もあるでしょうし。フードロスという言葉にはピンときていなくても、実は同じようなことを気にされていて「なるほど、お前はこれがやりたかったのか……」と共感を得たりするかもしれません。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なるほど〜!!めちゃくちゃ勉強になります!!「いまはこういう時代だから」というセリフ一辺倒で押していってもダメですよね。これまで先代たちが培ってきたものを否定せず、実際にやってみせることで先代や社員さんを巻き込んでいくことが大事なんですね。

そう思いますね。
福地氏
福地氏

 

 

 

地位や名誉にはさほど興味がない。やらずに後悔したくないだけ

ズッキー
ズッキー
もう、なんていうか……福地さんってピカピカですよね!!学歴も職歴もピカピカ、しかも男前だし。どういうことなんですか!?許せない!

いやいやいや……。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
そんな福地さんに少し意地悪な質問がしたいです。家業に入る前、もしも福地組の業績がかなりピンチで、規模も小さくて、借り入れもめちゃくちゃある……という状態だったとしたら、どういう選択をしたと思いますか? 

本音を言うと、タイミングだと思います。僕にも妻や子どもを養っていかないといけないという現実があるから、「戻って頑張ります!」とは即答できないかな……。うーん、でもやっぱり戻ってきたんじゃないでしょうか。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
なんでそんな風に思えるのでしょうか?

三菱商事を辞めたあと「え、なんで辞めたの?」って何度も言われました。でも僕にとって三菱商事もキャリアのひとつでしかなくて。そこでやりたいと思っていたことは一通り経験できたので、もうしがみついている理由はなかったんです。経験したことを糧に、じゃあ次はなにをするの?ということが大事だと感じていました。
福地氏
福地氏

さっきおっしゃったようなピカピカなものを保持していきたいという考えが、そもそもないんです。ゼロからだとしても、その瞬間瞬間できることをやるだけ。そこで成功しても失敗しても、挑戦して得た結果は自分の現在地を教えてくれます。それを受け入れたうえで、どうするか。僕が一番嫌なのが「あのときやっときゃよかったな……」と、あとから後悔することです。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
だから、もしも家業が傾いていたとしても、後悔しない方を選んだだろうと思われるわけですね。

そうですね。もちろん実際辞めるには葛藤がありましたけど。妻にも、退職する5年前くらいには「家業を継ぐために沖縄に戻る可能性がある」とは伝えていました。東京で生まれ育った人なので、全く知らない環境に連れてきて苦労も多いと思うんですが応援してくれています。前職時代よりも仕事の話をよくしてくれるようになったね、とも言われましたね。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
いい話だ……。最後に、この沖縄という地で会社をやっていくということも含めて、今後の展望についてお聞かせください。僕のイメージですが、沖縄ってあまり事業承継の文化が強くないような感じがしていて。後継者不在率も高いと思うのですが、そういう地域性のなかでこれからどういう会社を目指しますか?

僕の周囲にはそこそこアトツギの人たちっているんですけど、全国平均でいうと少ないんでしょうかね……。沖縄に百年企業が少ないのって、たぶん戦争で一度全てがリセットされてしまったことがあるのではないかと推測しています。あとは産業のバリエーションが少ないこと。どうしても観光系に偏りますよね。それからやはり本土から海を隔ててしまうと、一度沖縄を出た若者はなかなか帰ってきにくいのもあるでしょうね。
福地氏
福地氏

ズッキー
ズッキー
家業に戻るというハードルの前に、地元に戻るというハードルもなかなか高いわけですね。

僕自身これから会社を経営するうえで、一緒にやっていける人材と出会えるかという課題はかなり大きいんです。沖縄のなかで探すパターンもありますが、沖縄を出て広い世界を見てきた若者たちからも「福地組でなら、いろんなことに挑戦できそうだ」と思ってもらえる会社でありたいと思っています。事業を多角化しつつ、やりがいとそれに伴う収入を得られる組織体にしていきたい。

 

口で言うほど簡単なことではないですが、次世代の若者たちが地元に戻っても活躍できる環境づくりは、これからの僕の大切な仕事です。

福地氏
福地氏

 


【沖縄】

株式会社福地組     https://www.fukuchigumi.co.jp/

専務取締役 福地  一仁  氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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