トラック運送から国際総合物流企業へ 東北と海外をつなげる懸け橋に
白金運輸株式会社
代表取締役社長 海鋒徹哉 氏
岩手県奥州市でトラック運送業としてスタートした白金運輸。先代の時に、倉庫から流通加工までを担う総合物流業としての地位を確立し、2代目として事業を承継した海鋒徹哉社長が今度は、国際物流業にも業容を広げている。ベースとなる運送業を土台にしながらも、どうすればコスト競争に陥らず、差別化できるかという発想で事業展開を考えていたという海鋒社長に、新しい事業を生み出すまでのプロセスなどについて聞いた。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
トラック運送業の下請けから徐々に進化
白金運輸は、父が1974年にトラック運送会社として設立しました。当初は下請けとしてスタートしましたが、飲料メーカーから運送を直接受注したことをきっかけに配送センターを新たにつくり、運送から倉庫での仕分け、保管までを担う総合物流業への足掛かりをつかみました。現在は、預かったものを組み立てる流通加工も手掛けています。
わたしが社長になる直前に国際物流に着手し、通関業の免許も取得しました。2016年にベトナムに現地法人を設立、2019年には物流センターを開設し、今後は東南アジアにサービスを拡大していきたいと考えています。
先代に差別化を進言、役職を任されるように
リーマンショック、震災で承継のタイミングが延びる
父は65歳で社長を私に引き継ごうと思っていたのですが、その年にリーマンショックが起こり、売り上げが激減しました。「この状況で辞めたら、逃げたように思われる」と考えた父は社長を続けることを決断します。
結局、その3年後の2011年4月に承継することになったんですが、今度はその手前で東日本大震災が発生し、その予定も流れました。ああ、神様に自分は認められていないんだなと(笑)。でも結局震災の翌年に社長に就任しました。
根こそぎ仕事を取るには何が足りないのかと考えてみた
一つのトラックについては「あれは輸入原料を運んでいる」と言うんです。そして別のトラックについてまた聞いてみると「あれは輸出するお客さんに出荷するんだ」と言うわけです。
その後家に帰ったら、小さい娘が地球儀を回していて、それを見て地球は平坦で日本は、岩手は世界とつながっているなとふと感じました。それで、輸入も輸出も取り込んで、国際物流をやろうと思ったんです。
会う人ごとに、自分の思いを伝える
お客様の工場の倉庫に入っている製品のうち、輸出、輸入してきたものを運ばせてほしいと声をかけていきました。国際物流の競合相手は大手運送会社なのですが、そこの仕事のやり方に不満を持っているお客様が多かったんですよね。
それと、県内に産業集積をさせたいと考えていた岩手県から、誘致にあたって国際物流機能の充実は欠かせないと説かれました。さらに、うちに通関業の許可も取ったほうが良いとアドバイスをしてくれ、取得しました。そこからはお客さんにも恵まれ、シェアを高めていくことができました。
東日本大震災を契機にベトナムへ進出
ある時、たまたま釜石にある国の港湾管理事務所を訪ねたところ、その所長の前任地がハノイ大使館だったことから、とんとん拍子に話がつながっていったんです。日本のODAで整備したホーチミン南60キロのバリアブンタウ省の港湾がほとんど使われておらず、省政府も日系企業の誘致に熱心だったことから、これは大きなチャンスだと感じて2019年には現地に物流センターを設けました。
当初は現地に進出している日系企業との取引を考えていたのですが、日系企業は値段ばかりを求めていて折り合いがつきにくい状況でした。ただ、きめ細かいサービス力を評価してくれる外資系企業との取引を増やしつつあります。現在はコロナ禍で動きが止まっており、現地に2人いる駐在員も動けない状態でつらい思いをさせてしまっています。
【岩手】
白金運輸株式会社 https://www.srg.co.jp/
代表取締役社長 海鋒 徹哉 氏
■取材した人
ゴードン/編集長
家業である和紙卸問屋で4代目候補として8年従事。
アトツギの苦悩を誰よりも理解していることから、孤軍奮闘するアトツギに感情移入しがち。関西大学「ガチンコアトツギゼミ」非常勤講師。