社員自ら変革できるチームづくり、先代とは違う領域で勝負しよう
株式会社西原商会
代表取締役社長 西原一将 氏
業務用食品卸として1971年に創業した株式会社西原商会は現在、二つの機能を持つ。1つ目は、商品を仕入れて販売する商社機能。国内60ヶ所・海外5カ所に拠点を構え、約10万点のアイテムを扱う。
もう一つが、自社工場で食品を製造するメーカー機能。全国に18社20工場を構え、オリジナルの商品を開発・製造する。西原一将社長は中学生の頃からアトツギを意識して育ち、大学卒業後はKDD(現KDDI)に就職。「5年間働く」という先代との約束通り2005年に家業に戻った。
「家督争いは戦争」と経験をサラッと語る西原社長。周囲のアトツギから兄貴分として相談を受けることも多く「大変な会社ほど変えがいがある」「会社に親子の感情は持ち込むな」「先代とは違うところで勝負しろ」と明快な言葉が次々に飛び出す西原氏に、アトツギとしての心得をきいた。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
跡を継ぐことを決めたのは中1の時
「5年で戻る」と約束、会社ではあえて自分を試す
だいたい同業のアトツギの場合、修業で食品メーカーに就職するケースが多いんですが、
ぼくはまったく関係ないところで自分がどれくらいできるか試したいって思いました。ちょうど通信の発展期で、携帯電話もみな持ち始めた時期だったってこともあり、面白いことができそうだなっていうのもありました。
というのは建前で、実のところは就職活動の時期に飲み会ばかり行って寝飛ばしてたもんで。たまたまKDDIだけはタイミングが合ったんです。
入社する時、「5年間仕事します」と親父と約束しました。周りのアトツギに聞いていると、入社して数年すると父親から戻ってこいと言われるケースが多いんで、最初に言質をちゃんと取っておかないといけないなと思ったんです。「いや5年という約束でしたよね」と言えるように。子供の方もだんだん居心地よくなって帰りたくなくなってしまうところがあるでしょ。だからお互いのために長くも短くもない5年にしました。
トラック配送からスタート
家督争いは戦争だ
飲んで語るしかない
▲会議や全国の支社とのオンラインミーティングが催されるミーティングスペース。
全員の顔が見えるよう、コの字型の作りにするなどこだわりが随所に見受けられる。
▲本社3階に展示されている横山剣さんの蝋人形。
ちなみにCMに氏を起用したきっかけは、熱烈なファンだった社員の夢を叶えるためだったとか。
M&Aの話は戦略的に進めているというより、そういう話が持ち込まれるので断れないだけなんです。文化を伝えるのが難しいのは新入社員も同じこと。飲んで語るしかないですね。だからやってることは大学生時代と変わらないんです。なんか面白いことをみんなでやって飲んでるっていう延長をいまだに会社でやっている感じです。
だから一番きつかったのは東日本大震災です。仙台に営業拠点を作って1年くらい経ったころで。社員の安否が確認できるまでは生きた心地しなかったですね。
先代あっての後継者だという思いを忘れずに
ありません。勘違いしたらいけないのは親は上司だということ。会社勤めの経験があればわかることですけれど、上司に企画書あげても通らないこともあるでしょ。そこに親子の情を持ち込もうとするから「なんで親父はわかってくれないんだ」ってなっちゃう。
我々後継者っていうのは、先代から「お前に引き継ぐよ」という一言がなければ後継者になる正当性はないんです。それがあっての後継者だっていうことを頭に入れておかないといけません。
ただ創業者と2代目は全然違うので、先代とは違うやり方でやれることをやっていけばいいんです。先代と同じことをしなきゃいけないっていうプライドを捨てることも大事ですね。
ビジネスモデルより大事なのは組織力
【鹿児島】
株式会社西原商会 https://www.nishihara-shokai.co.jp/
代表取締役社長 西原 一将 氏
■取材した人
サモアン
1990年生まれ。東京出身。公務員家庭に育つ。六大学野球では日本一を経験し、全てのビジネスワードを野球用語に置き換える根っからの野球好き。卒業後は、日本を代表する大手金融機関に就職。体育会系の粘りの営業スタイルでMVPも獲得するなどサラリーマン人生も好調。でも「いつかは起業したい」という思いもあり、後継者不在の会社の経営者になるM&Aに興味津々。勝負球は140kmを超えるストレートとしょんべんカーブ。