送り込まれたのはM&A先、31歳外様社長が信頼と実績を獲得するまで

株式会社オカモトホールディングス
取締役副社長 岡本将 氏

新聞販売所として70年前に帯広市で産声を上げたオカモトグループは、その後ガソリンスタンド、スイミングスクール、飲食、フィットネスクラブ、デイサービスなど次々に事業領域を広げ、今や国内外のグループ7社で642店、売上高1千億円を超える企業グループに成長した。

先代から「跡を継ぐなら海外の大学でMBAを取得するのが最低条件」と言われ、米国留学後、石油会社での勤務を経て2008年に3代目として入社した岡本将氏。2011年にM&Aしたヤマウチ(香川県高松市)の経営を任され、“外様社長”としての辛酸をなめながらも、就任後9年で店舗数は4倍に、売上高は2倍に、利益は10倍の成長へと導いた。

グループトップを務める先代とは「意見を言える人間は自分しかいない」と、ときに激しくぶつかりながらもコロナ禍の苦境を力強く乗り越えようとしている。家業、そして買収した会社の二つのアトツギとして奮闘する岡本氏には、「徹底的に得意分野を磨け」という先代の教えが貫かれている。

 

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

海外の大学でMBA取得、がアトツギの最低条件

ズッキー
ズッキー
家業である北海道のオカモトグループの子会社で、香川県にあるヤマウチの社長を務めていらっしゃいますよね。

家業のオカモトグループには2008年に入社し、3年ほど父のカバン持ちをしながら金融機関や取引先との接し方、会議での発言の仕方などを学んでいました。2011年にヤマウチを買収した際に、父から社長として行ってこいと言われ、社長デビューを果たしました。

 

香川県高松市に本社を置くヤマウチはガソリンスタンド、ファミリーレストラン、自動車整備、フィットネスの4事業を展開しており、買収当時の20店から現在は106店にまで増えています。

岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
家業のことは小さい頃から意識していたんですか。
私が高校生の頃から会社が大きくなっていくのを見ていて、興味は持っていました。ただ、父は厳しい人間なので、父の会社に入社するならビジネススクールに行って、英語を身に付けMBAを取得すること、それが最低条件だと兄と私にはっきりと言いました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
お父様がそういう条件を付けたというのはどんな思いだったのでしょう。
父は自分ができなかったことを息子に託そうとしたのかもしれませんね。高校時代は野球部で主将を務めていました。ただ、野球一筋だったので勉強の成績が悪くて(笑)。不安はありましたけど、アメリカの大学に留学しました。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

大学では人脈を広げることに徹する

ズッキー
ズッキー
家業に戻るつもりではいたのですね。
父との約束で、語学学校に通う準備期間も含めて最長でも7年で帰って来い、と。その代わりその間はやりたいことやれ、と言ってくれました。とにかく人脈を広げようと思っていたので、大学の野球チームに入って、国際生クラブの会長も務めましたし、地域でも不動産会社からお金を引っ張ってきて野球チームをつくったりしてました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
すごい行動力ですね。
父からは「なんでもいいから得意分野を一つ持て」と言われました。とことんやらないと得意にはならないし、それを体にしみこませながら、変化、成長をさせていくことが大事だと。野球や留学時代の経験で、自分の行動力や積極性を深めていくことはできましたね。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

まずは足しげく現場に通う

ズッキー
ズッキー
その後、エクソンモービルで3年間勤めた後に、家業に戻っています。まずどんな仕事をされたのですか。
石油元売会社で勤務していたこともあって北海道エリアのガソリンスタンドの統括をしながら、父のそばについて経営を学んでいました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
その後、配属された経営企画室ではどんな仕事をされてたんですか?
リーマンショックの後で収益が低下していたので、その時にトヨタ生産方式に出会って、小売・サービス業にカイゼン活動を導入して、店舗運営の最適化を進めました。当時はすごい勢いで店舗を増やしていた時期だったので、人員配置や労働時間を標準化し、経費の在り方を見つめ直しました。再び、リーマンショックのような経済危機が来ても、利益が残るよう10年かけて取り組んできたことが、このコロナ禍で生きているかと思います。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
でもすでに出来上がっている組織で新たなことを浸透させようと思うと苦労もありそうですけど・・・
プロパーの役員と現場の社員と一体感を持ってやっていかないと活動は進んでいかないので、当初は苦労しました。ただ、すべての事実は現場にしかないので、足しげく現場に通って、話をして、会議にも積極的に参加して、少しずつ近づいていけたように思います。その中で、トヨタのカイゼンというやり方があってね、というふうに持っていきました。今となっては、TOPS(Toyota Okamoto Production System)というオカモトグループの哲学にまでなっています。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

M&A先の冷たい視線に耐えながら

ズッキー
ズッキー
その後、入社4年目でM&Aをしたヤマウチに社長として着任されますよね。家業を継ぐアトツギも大変ですけど、他社のアトツギとしてってどんな感じなんですか???
大変でしたね。ヤマウチの社員にしてみたらいきなり31歳の社長が来るわけですから、「こんなにいちゃんが社長で大丈夫か?」みたいな目線で見られました。会社に行っても、現場に行っても、ああ来たな、みたいな感じで。ただ、そこで対立しているわけにはいかないので、自分から寄っていきました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
うわー、心折れそう・・・どんなふうに関係をつくっていったのですか。
ヤマウチのような歴史ある地域密着型企業のM&Aで生じる衝突は、親会社から役員やらマネージャーやらを何名も連れてきて、自分たちのポジションを奪おうとしているんじゃないか??というところから生じます。その点については、私一人で乗り込んでいったのは良かったと思います。あとはヤマウチという会社に勤める人、文化や社風を理解して、彼らのよいところ、大切にしているものを尊重しました。

 

たとえば、会議や朝礼などで会社の経営理念をとても大切にしている姿を見たとき、私もすぐにそれを覚えて唱和できるようにしました。私のヤマウチの社員の印象は「まじめ」でしたから、それを当初のホームページリニューアルで「人にマジメ」というコーポレートスローガンを打ち出したりしました。オカモトの人や文化をいきなり持ち込んでいたら反発は大きかったでしょうね。

岡本氏
岡本氏

 

 

 

社長日報を毎日発信し、関係を作る

ズッキー
ズッキー
31歳が1人で他社のアトツギとして乗り込むわけですから“道場破り”感が強いですよね。若かったからむしろ良かったと思えることはありますか。
失敗してもなんとかなるさと思ってましたね。あと、ヤマウチの社長になるとともにオカモトグループの副社長になったので、グループ全体を早く継いで父に楽をさせてあげたいと思っていて。そのためにもヤマウチで早く実績をあげないと、という思いがありました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
ということは急いで改革に着手した感じですか?
新しい事業、サービスをやるぞと意気込んでいたので、急にアクセルを踏み込んだときには辞める人も出てしまいました。その反省の意味も込めて、私が普段何を考えているかをしっかり伝えたほうがいいなと思って毎日、社長日報を発信しました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
どんなことを書いたんですか。
今日はこういう会議があったとか、だれと会ってこんな話をしたとか、新聞読んでこう感じたとかですね。ああ社長ってこんなこと考えているんだ、と。ふだんなかなか話せていなくてもちゃんと寄り添っているということを感じてもらいたいと思って。日報がネタとなって社員と会話ができるんです。社員も日々日報を書いているので、私もそれを読んで彼らと会話しています。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

守ろうとすれば変化なんて起きない

ズッキー
ズッキー
岡本さんは自己分析をしたら、何が得意だと思いますか?
誰とでも仲良くなれることですかね。アメリカの大学を卒業した後もことあるごとに大学を訪ねて、教授のもとに近況報告をしに行っていました。2019年に日本でラグビーW杯があったときには、ラグビー好きのすごい経営者が世界中から集まってくるはずだという確信があったので、実際にいろいろな経営者を探し当てて、話を聞かせてもらいに行きました。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
普段のお仕事でもそんな感じなんですか。
セミナーに参加したら、そこの講師や参加者に名刺がなくなるまで配りまくるタイプですね(笑)。だれとどこでどうつながるかわからないんで。そこで面白いと感じてもらえれば、紹介したい人がいる、ってまた次につないでもらえますから。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
私もアトツギの1人なのですが、父からはどちらかいうと、仕事のことをペラペラよそでしゃべるな、って言われるんです。やろうとしていることがバレるだろ、って心配してるみたいで(笑)。
いやいや、情報は出さないともらえませんよ。しかもビジネスなんてどれだけ独自性のあること始めたところでしょせんパクられますから(笑)。守り続けようとしてたら社内でも変化なんて起こせませんしね。モタモタしてたらあっという間にGAFAに飲み込まれちゃうんで。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

たとえサンドバッグ状態になっても

ズッキー
ズッキー
先代と考え方でぶつかることはないんですか。僕の場合、父はネットを生かしたビジネスをやりたがらないんです。ぼくはやっとくべきじゃないかって思ってるんですけど。
これは進めていかなければいけないってことについてはけんか覚悟でバンバンぶつかってますよ。っていうか、親子の関係だからこそ私があえてぶつかるようにしてますね。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
意外!先程からのお話でも、岡本さんは先代へのリスペクトが深いし、ぶつかることはないのかと思ってました。親近感(笑)!
やっぱり他の社員はサラリーマンですから父にはびびってぶつかっていけませんよね。そういう社員の気持ちを理解して代弁し、ぶつかっていくのは同族のアトツギの役割なのかなと。だからいくときはサンドバッグ状態になろうがいきますね。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
言うべきところは言うわけですね。
亡くなった祖父から聞いたんですけど、父も先々代に対してはだいぶやんちゃやってたみたいですから。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
お父様とはどんなバトルがあるんですか。
それこそこのコロナ禍でフィットネスクラブはたくさんの会員様が退会されてしまいました。家でYouTube見ながらトレーニングするようなライフスタイルが出来上がってしまったためです。父はちゃんと会員様をお迎えできる環境さえ整えていれば、収束後、お客様は戻って来ると考えてるいるようですが、私は会員様へのサービスをデジタルを活用して広げるという形をとりたいと思っています。店舗に来なくてもアプリを通じてオンラインレッスンでトレーニングできるようにしたり、落ち着いたらまた戻ってもらえるようにしたいんです。こういう部分での考え方の違いではぶつかっています。ひかずにどんどんアプリを作ってますけどね。
岡本氏
岡本氏

ズッキー
ズッキー
そこは親子がお互いにどこかでノーサイドっていう気持ちがあるからぶつかれるところがあるんでしょうか。
そうですね。父もここまでわたしがムキになって言うのは何かを意味しているんだろうと思ってくれてますし。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
コロナ禍で今まで当たり前だったことが覆されて、先代世代がそのパラダイムシフトに自信を失って、次の世代に任せるようになったという話も聞きますが。
いやいや、うちの父はすごくてですね。ユニクロの柳井さんも日本電産の永守さんもすごいじゃないか、こんな時代だからこそじじぃが頑張るんだ、って張り切ってます。もちろん、すごく勉強もしてますしね。オーナーがマジになってる、ってグループ内にもいい緊張感が漂って、ある意味一枚岩になってるような気がしてます。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

培ったビジネスモデルを深掘りし、横に広げる

ズッキー
ズッキー
今後の事業展開についてはどのように考えていますか。
うちは、エンドユーザー向けの現金商売に徹するってことですね。ガソリンスタンドは斜陽産業ですが、その中でもうちはいち早くオイル交換や洗車を勧めるようなプッシュ型のセールスはやめていち早くセルフ化を進めていきました。ローコストオペレーションに徹して1円でも安くガソリンを安く提供するというこの考え方は、24時間営業のフィットネス事業にも生きているんです。マシンを置いてスタッフは最小限にしてお客さんが好きな時間に好きなだけ利用するオペレーションはガソリンスタンドと全く同じなんでね。こういうビジネスモデルがはまる事業でエンドユーザー向けの商売だったらやろうか、って考えてます。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
やはり得意分野をとことん極めるやり方ですね。
得意分野を磨きこんでいくとそこから次の事業に横展開していく時のひらめきにつながっていく。だから、ガソリンスタンドもフィットネスももっと深掘りしていこうと思ってます。下に深く掘っていくほど、横へも広がっていくでしょうから。
岡本氏
岡本氏
ズッキー
ズッキー
先代とぶつかってでも、自分がこれはと思うことは引き下がることなくやるんだという大切な学びを得ることができました。ありがとうございました。

 


【香川県】

株式会社ヤマウチ https://y-grp.com/ 代表取締役社長 

株式会社ウェルネスフロンティア https://wellness-frontier.co.jp/  代表取締役社長

株式会社オカモト  https://www.okamoto-group.co.jp/jp/   取締役副社長

岡本  将 氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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