父親との衝突も乗り越え、昔ながらの畳店を“お客様に感動を与える企業”へ改革!

株式会社 佐々商
代表取締役 佐々木 康幸 氏

佐々商は大分県にある昔ながらの畳店。父親やベテラン職人は技術に誇りを持って店を続けてきたが、二代目アトツギ・佐々木康幸氏は家業を継がずに東京へ出た。父親の病気をきっかけに実家へ戻り、“昔ながらの畳店”を従業員の意識から改革していく。

「営業はモノを売るんじゃない。自分や信頼を売るんだ。」

「お客さんの意識が変わっているんだから、うちも変わらないと!」

佐々木氏は辛抱強く訴え続け、東京での経験を活かしながら、“今の時代に合った畳店”へと変革してきた。そして、今や“畳店”の枠を超え、地元の人たちに感動を与える企業を目指して歩み始めている。

先代や古参従業員の意識改革や、スムーズな事業承継は、若いアトツギたちの参考になることだろう。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

畳店のアトツギは嫌だ!夢を抱いて東京へ出る

ティム
ティム
子どもの頃から家業を継ごうと思われていました?
親や親戚からは「アトツギはお前だ」って言われてきましたよ。高校時代は遊びたい盛りだったのに実家の手伝いをさせられていて、それがすごく嫌でしたね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
ライフラインを拝見すると、高校時代にものすごく下がってますよね。家業は継ぎたくなかったんですか?

 

反抗期ということもあって、「アトツギ」って言われるのが嫌でしたし、「東京に行って社長になりたい」っていう夢があったんですよ。その頃は地元の良さもわかっていなかったし……。それで親の反対を押し切って神奈川大学に行きました。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
その時は家業に対してマイナスイメージを持っていた?

 

マイナスでしたね。しんどいし、汚れるし。正直なところ、将来は父親のようになりたくないなと思ってましたね(笑)。
佐々木氏
佐々木氏
ティム
ティム
それで神奈川大学に行かれて、音楽活動をされていた。
そうですね。大学時代は音楽活動してCD出すくらいまでにはなったんで、迷ったんですけど就職しないで音楽を続けていました。焼肉の「叙々苑」でバイトしながら、25歳くらいまでフリーター。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
アルバイト先に「叙々苑」を選ばれた理由って?

 

働くまでは、高級焼肉屋ってこともあまり知らなくて、近くにあったから面接を受けて入ったって感じです。接客は好きだったし、仲間も30人くらいいて、仲間うちで仕事をする楽しさを覚えましたね。最終的に、ランチタイムとかお店の仕入れも任されるくらいになって、店長の次くらいのバイトリーダーでした。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
そこまで頼られて、仲間もできて、接客も好きだったけど、その後就職されている。そのきっかけみたいなのは?

 

音楽はやっぱりなかなかうまくいかなくて、解散してフリーターが続いたんですけど、このままではやっぱり不安だということで、不動産会社に就職しました。賃貸営業をやっていて、常に成績はトップでしたね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
不動産を選んだのはどうしてですか?

 

うちは畳屋だから、アパートの畳を替える時とか、小さい頃から父親についていって、いろんな家を見てたんですよね。だからもともと不動産には興味があったし、自分が東京で最初に家を借りた時も、不動産の営業マンを見て、「こういう仕事もあるんだ、やってみたいな」って思ってたんです。
佐々木氏
佐々木氏

 

 

 

実家に戻り、ベテラン職人の意識を改革

 

ティム
ティム
営業成績も良かったのに、辞めて地元に戻った理由というのは?

 

やっぱり営業もサラリーマンもやりたいことじゃないなと気づいて葛藤していた時期に、父親が病気をしまして、畳店が動かなくなってしまったんです。母親から「長男のあなたが家を継いでくれないか」と泣きながら電話で言われて。兄弟は姉と妹だし、その時点で「長男として地元に帰って畳店を継いで、家を助けよう」と。
佐々木氏
佐々木氏
ティム
ティム
戻った時、実家に従業員は?

 

父とずっとやっていた畳の職人さんが1人いたので、僕は営業して、仕事は職人さんに任せて、というのを続けました。帰ったのが30歳くらいだったんで、そこから3年は畳の勉強。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
アトツギは古参社員とぶつかって前に進まないって話をよく聞くんですけど、その職人さんとは?

 

意見の食い違いはありましたよ。「僕は技術がないので畳はお任せするけど、今の時代はお客さんも変わってきてるから、今までのやり方ではダメだから、接客は変えていくのでよろしくお願いします」って言いました。やっぱり職人さんは頑固でなかなか聞いてくれなかったけど、辛抱強く話しましたね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
変わってくれたんですか?

 

いや、最初の2年くらいは苦労しましたね。それに、3年くらい経った時には父も復帰して一緒に仕事をするようになったんですよ。父と職人さんは考え方が似てるんで……。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
2対1じゃないですか。

 

そうなんですよ。自分がやりたいことを言っても変わらない。どうしようかと考えて、若い人を入れて新しい考え方を入れようとして募集をかけました。でも、2、3人来たけど続かなくて。失敗を繰り返しながらもっと働きやすい環境を整えて、今は3年続いている人が1人います。その人が自分の考え方をすごくわかってくれるんですよ。それで、職人さんも徐々にスイッチが切り替わってきた感じですね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
若手従業員の育成が古参社員の方に影響を与える、というのは面白いですね。その人が入らなかったら、ベテラン職人さんも変わらなかったってことですよね。

 

正直、今もなかなか難しいところがあるんですけど、今はどんどん変えて、引っ張っていくようにしています。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
変えるって、具体的にはどういうことですか?

僕らは畳屋なんで、ご自宅にお伺いするんですね。僕はこれを接客業だと思ってるんですよ。けれど昔から職人さんは汚い靴下で、スリッパも履かずにお部屋に上がるのが普通だったから、清潔感とか、今の接客業として当たり前のことができない。 だから、自分や若手が「こうやったらいい」って職人さんに見せて、「お客さんも変わってきてるから、こっちも昔のままじゃダメなんだよ」って伝えていますね。
佐々木氏
佐々木氏

 

 

 

父親と衝突!深夜に飛び出し、大阪で修業

 

ティム
ティム
お父さんも復帰されて、同じように変わってきた?

 

父と最初の1~2年は、トラブルはなかったんです。僕もその頃は「地元もいいもんだな」と思うようになっていましたし、仕事の喜びだとかお客さんからの感謝の声とかで、やりがいも感じていました。それが、ある時父と衝突したんです。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
衝突の原因っていうのは?

 

最初はがむしゃらに勉強してたんですよ。父の姿も勉強になるので取り入れてやってたんですね。ただ、接客もそうなんですけど、お客さんのニーズと父のやることにズレがあるのが見えてきたんです。それで、なんとかしないといけないって思って、自分は「こうしたい」というのを父に話すんですけど、「30年これでやってきたんだから間違いない。俺の言うこと聞いとけ」って頭ごなしに言われて。自分は「お客さんが変わってるんだから、うちも変わらないと」って言って……。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
決着はどうやってつけたんですか?

 

 

「お前は技術がないのに口だけで言ってる」って言われて、本気のケンカになったんですよ。それで、大阪に父親が修業した親方がいるんですけど、そこで技術を徹底的に教わろうと思って、深夜に家を飛び出しました。それで父に認められるかなと。短期間でしたが、大阪で修業して戻りました。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
すごい!お父さんを納得させられました?

 

父は「そこまで言うならやってみろ」と。「じゃあ、見といてくれ」っていうことで、いろいろやれるようにはなりましたね。それにプラスして従業員を1人育成したことで、自分がやりたかったことをどんどんカタチに変えていけるようになったんです。業績もアップして、昨年に事業承継して、代表就任して、個人事業主だったのを法人化して現在に至る、というところですね。
佐々木氏
佐々木氏

 

 

 

まわりの声のおかげで事業承継もスムーズに

 

ティム
ティム
事業承継のタイミングで法人化された理由は?

 

自分がやりたいことをやるには従業員の存在がすごく大事なんですね。だから、会社にすることによって、福利厚生を整えて、従業員に長く継続して働いてもらえる環境づくりをしたかったんです。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
事業継承のタイミングは、お父様と定期的に話し合ったりしてきたんですか。

 

衝突した後、僕がいろいろやり始めて1年くらいしてから「譲ってもいいんだけど」って言い始めましたね。「仕入れからお客さんのことから、やってるのはお前だし、もう俺が出なくてもまわるんだったら」みたいな。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
スムーズだったんですね。なかなかお父さんが譲ってくれないって話をよく聞くので……。

 

僕だけじゃ父は「うん」とは言ってなかったと思うんです。事業引継ぎ支援センターも活用しましたし、先生たちや県の方が来ていろんな話をしたり、大分の新聞社の取材が来たり。テレビの取材も来て、それをちょうど父が見てくれてたんですよ。父の時代にはなかったことがどんどん起こっていて、まわりの人の声が父の耳にも入るようになったからですね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
外からの声がうまく届いてお父様を動かした。取材なんかはそういうメリットもあるんですね~。

 

 

 

 

東京での営業経験を活かした、新しい畳店のカタチ

 

 

ティム
ティム
代表就任されてから、まだ1年ちょっとですが、今やられていることと、今後10年くらいのビジョンを聞かせてください。

 

畳店のお客さんは年配の方が多いんで、畳を替えに行くと、大きな荷物を動かせないとか、電球替えられないとか、困っていることがあるんですよ。それで、畳を替える時に、生活の中で助けられることがあるんじゃないかと従業員と話しています。

目指すのは、顧客満足度を上げるんではなくて、“感動を与える”ような仕事。それが社会貢献にもなるんじゃないかと思いますし、地域の方に密着して、「あそこに頼んでよかったね」「あそこだったらいろいろしてくれるよ」って頼られる会社にしていきたいんです。

佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
奥深いですね。そういう考えに至ったきっかけは?

 

お客さんと対面でいつも仕事させてもらうんですね。ご自宅に上がって、畳を引き取りにいって、入れ替えた時に、お客さんが喜んでくれるんです。涙を流して「あんたの所に頼んでよかったわ」って目の前で感動してくれる。なかなかないと思うんですよ、こんな仕事。お客さんから教わることが多いですし、畳以外のことでも全力で返していきたいんです。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
畳をきっかけに他のお困りごとも解決しようっていう発想は、東京での営業経験が活かされているところはないですか?

 

まさしくその通りで、営業やっていく中で「営業はモノを売るんじゃなくて、自分自身や信頼を売ったり、心を売ったりしているんじゃないか」って気づいたところから、数字が伸びていったんです。畳も同じなんですね。畳を売るんじゃなくて、お客さんの困っていることを解決してあげると、自然に畳も売れていくし、紹介もしてくれるんだな、と。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
なるほど。ホームページを見ると、デザイン性に富んだ畳の実績が多いんですが、それもお客様からの要望で?

 

そうですね、畳ってイグサのイメージですけど、若い方にも「こんなおしゃれなのがあるんだな」って思ってもらえるようなものを取り入れて、いろんなラインナップから選んでもらえるようにしています。そのほうが楽しいじゃないですか。驚きも与えたいと思ってやっています。
佐々木氏
佐々木氏

 

 

 

父親が築いてくれた土台があるから、今がある

 

ティム
ティム
家業に入って、改めて気づいたことってありますか。

 

一番思うのは、父親がすごく頑張って土台を築いてくれたから、今があるんだなということですね。衝突もしたけど、父親と従業員には感謝していますし、僕はこの会社をもっと皆さんに知ってもらって後に続けていきたいですね。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
家業に対してマイナスイメージを持ってる人って多いので、これから家業を継ぐ若い人に向けて、家業を継いでよかったことを教えていただけますか。

 

よかったことのほうが多いですよ。楽しいし、やりがいもあるし、思い通りのことができる。細かいことを挙げ出したら、資金も信用もあるし、銀行さんとのやりとりもできるし、キリがない。ゼロからスタートするより断然いいですよ。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム
佐々木さんは「社長になりたい」っていう夢も叶いましたよね!

 

あ、それもありますね(笑)。
佐々木氏
佐々木氏

 

ティム
ティム

佐々木さんのお話を聞いていると、アトツギは1つの選択肢として考えてもいいし、むしろプラスのことが多いのかなと思いました。ありがとうございました。

 

 


【大分】

株式会社 佐々商    https://sasakitatamiten.com/company/

代表取締役 佐々木 康幸 氏


 

■取材した人

ティム/マスオ型アトツギ

コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!

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