表具屋を再定義、30年後に渡す経営のバトンから逆算で考える

株式会社清華堂
専務取締役 岡本 諭志 氏

清華堂は、掛け軸や屏風などの美術品を新調、修復する表具屋を大阪で98年営んでいる。だが、表具業界は住宅の洋風化とともに衰退の一途をたどるばかり。父から「継ぐな」と諭される中、4年前あえて家業に飛び込んだのが4代目の岡本諭志専務だ。

表具業の仕事を、飾る、直す、守るという3つの軸でとらえ直し、それぞれで新規事業を打ち出そうとしている。中でも美術品を守る目的で着手した抗菌・抗ウイルスコーティング事業はコロナ禍で一気に弾みがついた。現在34歳の岡本専務は、30年後に「会社を面白い形で息子に承継するのが経営のゴール」と語る。

衰退産業から新規事業を生み出す着眼点、そして事業承継のタイミングをふまえそこから逆算して考える家業ならではの経営の発想法について聞いた。

 

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

自分の文脈(家業)を生かせば他にないものを生み出せる

 

ティム
ティム
もともと事業を承継しようという思いはあったんですか。

幼い頃から次期社長とか4代目とか周りから呼ばれて、漠然と継ぐんだろうなというイメージは持っていました。ちゃんと意識したタイミングは2回あって、1回目は高校生の時です。親父から「この業界は斜陽産業だから継ぐな」と言われまして。継ぐなって言われると継いでみたくなるもので(笑)。

岡本氏
岡本氏

弊社の仕事は、掛け軸が柱。それを作る、直すことで文化を支えてきました。どうしてそれが斜陽産業になっていったのかって考えていくと、和室が減ってきたからだよなという結論に至って。そこから建築の変遷に興味を持って、建築学科に進もうと思ったんです。
岡本氏
岡本氏

 

ティム
ティム
2回目のタイミングは?

 

建築学科に進んでから建築の魅力にすっかりはまりました。最初は関西大学の建築学科へ、3年次の編入で京都工芸繊維大学へ進み、院に行く時に慶応大学に行きました。ただ慶応には親が建築家だったり、建築設計事務所を経営しているようなサラブレッドがたくさんいたんです。とてもそこには追い付けないなと。そこで、より高みにいくには自分の文脈を生かすことが大事だなって気づいたんです。そういえば自分にも家業があるじゃないかと。建築を家業にフィードバックすれば戦えるんじゃないかなって考えたのが2回目のタイミングです。
岡本氏
岡本氏

 

 

 

面白い仕事を得るにはどうしたらよいかを考える

 

ティム
ティム
卒業後は建設会社に進んでいますね。

 

学生時代に大手ゼネコンで模型を作るアルバイトをしてたんです。そこで社員の方を観察していたら、面白い物件に当たり続ける人がいる一方で、面白くない物件に当たり続ける人もいるなと気づきました。自分は面白い仕事に当たり続ける方になりたいなって思ったんです。

 

面白い仕事に当たろうと思ったら社長に目に止まらなきゃいけない。就職した建設会社の社長は田中角栄を思わせるようなカリスマタイプだったので、きっと人を大事にするタイプだなと思って、入社してまずやったことが600人の社員全員の名前を覚えることでした。

岡本氏
岡本氏

▲建設会社でのサラリーマン時代