グローバルニッチ分野で圧倒的な存在感!
株式会社レニアス
代表取締役社長 前田 導氏
レニアスはもともと商社からスタートして、主に建設機械の「窓」に使用されるポリカーボネート樹脂加工やアルミサッシュを製造していた会社だ。創業以来、様々な環境の変化に合わせて事業展開してきたが、現社長である前田導氏が会社を引き継いでからは、特に市場開拓と技術開発の両輪でこれまでにない飛躍を見せた。
ゴルフカートやバス、鉄道、警備盾等のセキュリティ商品など参入分野を広げ、海外市場も開拓。自ら海外をまわって視察し、マーケティング力、営業力、そして圧倒的な商品開発力を武器に、軽量かつ強度の高いポリカーボネート樹脂製品の開発と海外輸出に成功した。
一方、「会社やっていくんだったら、『どういう会社を作りたいか』っていうのが一番大事」と語る前田社長自身が、後を継いだ時に描いた「会社」とはどんなものなのか。そこには「モノ」だけでなく「人」への投資を惜しまない経営者の姿があった。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
海上自衛隊を辞めて家業に……
前田さんに書いていただいたライフヒストリーのシートを拝見すると、子供の頃から極端に山あり谷ありですよね。そもそも会社を継ごうという気持ちはあったんですか?
三人兄弟の末っ子で、後を継ぐ予定ではなかったんですよ。学生の頃からたくさんの仕事をしましたが働くことは嫌いではなかったので大学3年の時には企業研究で100社以上の会社説明会に行きました。就職活動中ならいろんな話が聞けるし、今だけだと思っていろいろまわりました。最終的に選んだのは自衛隊です。
なぜそこで自衛隊に?
高校卒業後アメリカに留学したんですが、日本から出て初めて日本のことが分かった気がします。否応なしに日本人としての自己と向き合ってきましたが、自然に国のため人のためになる仕事に命を燃やしたいな、と思い始めました。
自衛隊を辞めて、家業に入ったきっかけは何だったんですか?
ある日突然父親から「お前が一番経営に向いてると思うし、やってくれんか」とくどかれて、それで帰ってきました。モノを作ること、会社を経営することによって、社員の生活を守り、世の中を豊かにしていくことは、考えてみたら今持っている自衛官としての使命と形は違えど変わらないのではないかと、より身近なところからやってみるかと、その場で決心しました。
戻ってきて、最初は工場で製造の流れを学んだりしたんですか?
いや、先代は「何をしろ」と全く言わない人でした。「工場に入って学べ」とか「営業に出ろ」とか何も言われなくて、淡々と梯子を外されて、入社して二年で代表取締役に就きました。30億くらいの借金の連帯保証の肩代わりにされて、ひどいでしょ(笑)。
でも、海上自衛隊から急に経営者になるって、全然違うじゃないですか。どうやって経営みたいなのは学んだんですか。
士業のところに通って就業規則作るところから教わったり、たくさん本買ってきて朝方まで読んたり、色んな人の話を聞きに行ったりして。実際に業務を統括しながら理解するっていうところが多かったですね。
自衛隊の時に経験したことが活きてるって感じることありますか?
自衛隊からは本当にたくさんのことを学ばせていただきました。自衛隊はそもそも有事に備えている戦闘集団なので、民間企業においても将来のリスクに備えていろいろな準備をすると思いますが、危機管理には繋がりを感じます。教育隊にいた頃に司令からいただいた「常に目的を忘れるな」という言葉は今も胸に刻んでいます。
3年で50億円を投資して海外輸出に成功!
家業に入られてから前田さんがされてきた変革などを教えていただけますか。
2008年から代表になったんですけど、ちょうどリーマンショックがあって、うちの売上も半分以下になって、代表に就いたとたんに営業赤字を出したんですよ。当時は建設機械の部品製造の仕事が9割以上で、販路の一極集中は危険だと感じましたね。
また当時は海外進出が流行ってて、中国からの現地調達をお客様から求められてたんですけど、私たちは安さを追い求めていく仕事はしたくなかった。それなら商品に付加価値をつけるなり、新しい市場を開拓していくなり、という活動をしないとジリ貧になっていくのが目に見えていたんで、攻めに出ました。
海外市場もその時に?
はい。で、潤沢な資金があるわけでもないので、先ずはどこに投資をして、どこを集中的に強くしていって、どこの市場に入っていったらビジネスとして成り立つかを確かめるために、世界中をまわって。
社長自ら?実際行くとわかるものですか?
規格が遅れている国にアプローチしたところで成立しないとか、ここでは既に素材として使われているけど品質はどうかとか、現地に行くといろんなことが見えてくるんですよね。それで構想を練りながら、フロントの窓に使うにはワイパーが要るので樹脂の表面硬度を高めないといけないなとか、運転手が見えづらいので視界をクリアにしたら喜ばれるなとか。
それが「Forbes」にも掲載されてたチェーンソーの話につながっていくんですね。飛んできたチェーンも貫通しない最強の樹脂製の窓を造ろうと、世界最大の高性能射出成型機の開発のために50億円かけたって……。
売上はその当時35億前後だったけど、借金が70億近くまでいきました。今では売上も倍近くになり、その当時の投資はほぼ回収できましたが、当時の記憶は無いです(笑)。それだけ無我夢中だったと思います。
そこで50億の判断って、すごいなと思うんですよね。
顧問の公認会計士からも絶対無理って止められました(笑)。
そりゃそうですよ(笑)。でも、それだけ勝機があったってことですか?当時、ライバルは世界的な石油化学会社ですよね。
うーん、ライバルは確かに大きい会社ですけど、でも、うちみたいな中小企業とはビジネスの戦略が違うじゃないですか。
うちは技術的にも負けない自信がありましたし、大手では成立しないニッチなところを小回りきかせて色んなマーケットから積み上げて仕事とっていってますから。ライバル企業に比べたらうちは吹けば飛ぶような会社なんで、スピードと戦略では負けていられないです。しっかりとユーザーの苦労とか現地の課題をつかみながら、カッコ良く言えばソリューション型の営業スタイルを超えて製造方法やサービスの方法からフレキシブルに作り込んでいくのがうちのやり方です。
従業員の幸福度の最大化を図る
事業の変革については把握できました。前田社長が継がれてから、会社作りとしてはどんなことをされてきたか伺えますか。
前提として、会社をやっていくんだったら、「どういう会社を作りたいか」っていうのが一番大事だと思うんですよね。先代のやってきたこと、現実を受け入れながら変えるべきところと残すところを見定めて、どう自分の思いを込めていくか、私は先ずは事業をしっかりと成功させること、そのうえで従業員の幸福を追求することを考えてやってきました。
具体的にはどんなことを?
モノだけでなく人に対する投資ですね。そもそも投資の回収が描けなければ銀行はお金を貸してくれませんが、大切なのはすぐに成果に繋がることばかりではないと思います。
収益を上げてから従業員に還元って言葉にするのは簡単だけど、先ず収益を上げるために今どういう環境の整備が必要なのか。投資と利益は卵が先か鶏が先かみたいな話ですが、たとえば退職者を出さずに優秀な人材を集めるためにも、社屋をきれいにするとか、ホームページを作り直すとか、ユニフォームを変えるとか、駐車場を砂利からアスファルトにするとか、社員を大学院に通わせるとか、風通しのよい社風を築くために懇親会をひらくとか、単純に給料を上げるだけではなくて、すぐに利益に直結しないことだけど、長い目で見て必要な投資もやってきました。ここら辺の目の前の運転と資金の調達、中長期的な投資のバランスと中身が経営者の判断で大事なところだと思います。
「どういう会社にしたいか」というのは、継ぐ時にはもう考えられてました?
レニアスのことは分からなかったのですが、商売のイメージはぼんやりとありました。もともと私は目的がないと何もやらない人間で、学校の勉強もしてこなかった。でも、目的があれば麻雀の点数計算も1日で覚えられる(笑)。
投資するにしても、「こういう会社を作りたい」があるからそこに到達するリターンはどのくらい必要で、その為のリスクを取るとか取らないとか判断していくんで。「どういう会社にしていきたい」というのがないとギアの入ってないニュートラルの車と同じでしょ。成り行き任せは危険です。
今後のビジョン、目標みたいなのはありますか?
我々が目標としているのは3つあるんですけど、「2025年度に売上高100億円達成」「従業員の年収、1人当たり平均1千万円以上」「週休3日制の導入」。これに向けて動いてるんですよ。やっぱりうちを仕事場として選んで貰ったからには応えていきたいです。
3つとも達成しそうなんですか?
100億達成はある程度形になってきてます。先ずは収益の確保でそれから待遇面ですね。従業員にとって、基本的には「高い給料」と「短い労働時間」と「安全で快適な職場環境」この3つが大事だと考えています。
逆に言えば、「世界に羽ばたく」とか言っても、転勤したくない人間もいる訳じゃないですか。「社会に貢献する」とか、必要なことではありますが、本当に従業員のためって思うなら、綺麗事をいう前に、ちゃんと収益上げて、高い給料出してあげないと。
いろんなカタチの事業承継があっていい
前田社長が先代から会社を継いだ時はスムーズだったんですか。
事業のオペレーションは丸投げされたので否応なしです。アトツギ問題って「受け取る」側だけの問題じゃないんで、「渡す」立場の方にも想いと残された人生がある訳なので、しっかりと話し合うことは大切だと思います。
ご自分の後継者についてはどう考えられてますか?
私はアトツギを子息や娘婿に限定することにこだわりは無いです。オーナー経営は、はまれば一番強い形だと思ってますが、あまり抱え込まないほうが、従業員が幸せになることだってあるし。資本業務提携も国際社会の中で日本企業が競争力を持って戦うためには必要な選択肢の一つだと考えています。
確かに親族内で承継する人いなかったら外の人がやらないといけないので、事業承継という意味では、M&Aも親族外承継もありますからね。悩まれている方もいます。
ただ、親族じゃない人が事業承継する場合、社員の人って、経営者になるイメージって持ってない人が多いんじゃないかと思うんですけど、そこをくどき落とすのか、やりたそうな人を見つけてくるのか、そのあたりはどうですか?
従業員の中から相応しい人を探そうと思ってます。なりたくない人間をくどいてまでなってもらうつもりはありません。誰でもできることでは無いと思いますが、やっぱりやりたい人間に任せたいです。
いずれにしても企業価値を高めていくことです。そして従業員を大切に雇用し続けていきます。企業価値を高めていけば、次の担い手にも渡しやすくなります。そしてリーダーの育成と経営管理の体系化に取り組んでいます。
理想を持ちつつも、現実的な目標は立てないといけないですね。
そうですね。
経営者は夢を語るだけでは無くて現在から未来はどうなのかを正しく認識する理想を持った現実主義者であるべきだと思います。いつも悲観的に準備しながら、理想を掲げて方針を打ち立てて、楽観的に動く粘り強さと、明るさが大切だと思います。事業を軌道にのせて、しっかりとした待遇を構築したうえで、従業員にはそれぞれの人生設計における壮大な夢を抱いて貰いたいと心から願っています。まだ道半ばですが、必ずやり遂げたいと思います。
いろいろ勉強なりました。ありがとうございました。他のアトツギの方とは印象が違いました(笑)。
アトツギ問題は生々しい話が多いので、続きはオフレコで(笑)。
こちらこそありがとうございました。
【広島県】
株式会社レニアス https://www.renias.co.jp/
代表取締役 前田 導 氏
■取材した人
ズッキー
1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。