挫折経験と信念を胸に、IT化と新規事業を進める

愛知県
ウメモト株式会社
常務取締役 梅本 隆太さん

食品から工業製品まで用途別にシール印刷を行う、創業約60年のウメモト株式会社。ここに娘婿として入社した次期社長の梅本隆太さんは、実家の事業承継がうまくいかなかった経験を生かしながらウメモトでIT化や新規事業を手がけ、会社と事業の存続を見据えている。
自分の得意分野だったITを少しずつ導入していった結果、今では社長からオンライン会議を提案してくるまで浸透。業務と並行して自己資本、単独で新規事業も立ち上げ、今では社内で認められるまでに積み上げた。
1度目の事業承継に失敗し「人生のどん底を味わった」という梅本さんが、「また失敗するかも」という不安の中で、2度目の挑戦にどう立ち向かったのか。慎重にIT導入を進める一方で、新規事業にたった1人で挑戦した大胆さも併せ持つ梅本さんから興味深い話を聞いた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

充足感に満ちた20代前半

マッキー
マッキー
梅本さんは娘婿としてウメモトに入り、アトツギになられたとか。入社までの経緯を教えてください。

私の実家は創業85年の歯科医療機器メーカーで、私が4代目になるはずでした。歯科技工士が使う研磨剤なんかを製造する小さな会社です。でも実父の家業承継には失敗しまして……。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
実のお父さんも、まったく別の業種で家業をされていたんですね。
そうです。家業を見て育ち「中小企業にはマーケティング力が足りない」と感じていたので、大学卒業後はマーケティング会社に入社しました。上場したばかりのベンチャー企業です。社長面接であらかじめ「将来的に後を継ごうと考えている」と伝え、4年で戻るつもりでした。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
実父の家業を継ぐ決心がついたのはいつごろですか?

小学4年生ぐらい。当時から、化学の分野でノーベル賞を取りたいと思っていました。物心ついたときから、書類にハンコを押したりという手伝いをずっとしてきたので、家業は生活の一部でした。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
私は運送業のアトツギ。将来がすでに決まっていることに違和感はなかったですか?
なかったです。周りがどう言おうが、「中小はいいんだよ」とずっと思ってましたから。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
なぜそう思えるんでしょう?ちょっとうらやましいです。
使ってくれているお客さんがいるからですかね。認めてもらっているということですから。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
なるほど、でもうちは斜陽産業なんで……。ちゃんとお客さんがいたら、斜陽産業だとかは関係ないですか?
斜陽産業なのか、それとも持続可能な産業なのか、ですよね。仕事とか製品の魅力と、業界の状況は別の話。今は斜陽産業かもしれないが、何十年か前はエースだったんだから、そこには存続する理由があると思います。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
マーケティング会社の後はどうなりましたか?
市場調査会社で営業力はついたとはいえ、営業だけがやりたかったのではなく理想との隔たりがありました。だから「ワクワクする毎日」を追い求めて、新卒2年目で退職。大学で同じサークルだった先輩が起業するのを手伝うため東京から福岡へ移り、ケアテック事業のビジネスモデルをゼロから考えました。
梅本氏
梅本氏

▲初めてのビジネスモデルコンテストで入賞

 

マッキー
マッキー
介護とテクノロジーを組み合わせたケアテック事業。そこで創業メンバーとして関わろうと思った背景は? 家業が医療系だったから、近い新分野に興味があったのですか?
当時、要介護状態だった祖母の嚥下能力が低下し、噛むことも飲み込むこともできなくなっていったのですが、そういう人でもおいしく食べられる食品が、探せば世の中に存在する。そういった、まだ世間に広く知られていない社会資源の可視化に興味を持っていて、そこにタイミング良くケアテックの話があったのです。偶然ですがこの先、家業にもつながっていくと考えていました。
梅本氏
梅本氏

 

 

 

実父と価値観異なり、1度目のアトツギはうまくいかず

マッキー
マッキー
歯科業界にも関わることなんですね。家業で実父の継承をする前に挑戦しようと?
それもまた違って、たまたまだったんです。福岡で2年半ほど経った頃に、実父が倒れてしまって。その時は継ぐ気満々で大阪に帰ったんですけど、結局事業継承に失敗してしまいました。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
どのあたりが難しかったんですか?
会社に入ったときは社員がもういなかったので、実父と二人三脚でやっていく必要があったのですが、うまくコミュニケーションを取れなかったのです。
梅本氏
梅本氏

最初はベンチャーの技術や方法を取り入れていこうと、いい雰囲気で話し合っていたのですが、父がだんだん「自社はベンチャーとは違う」と言い出して……。

「異業種に向けて商品を売っていこう」とか「製品情報を更新してホームページに載せよう」という計画も、動き出してから中止になったり、技術的な情報開示をしてもらえなかったり。

 

ベンチャーを立ち上げる時って若いから、日常の業務を夜8時までに終わらせて、それ以降に新しい取り組みを深夜までがむしゃらに頑張るじゃないですか。そういう文化が家業にはなかったのです。中小企業は毎日ルーティーンでやることがある。それなら時間を作ろうと、頑張って早く作業を終わらせたら、父は仕事を切り上げてしまう。

梅本氏
梅本氏

 

 

 

「息子さんをください」の言葉に、婿入りを決意

マッキー
マッキー
大げんかしたわけではなく、仕事の価値観が合わずズルズル距離ができてしまった感じなのでしょうか。その後の展開は?

当時付き合っていた、現在の妻との結婚がきっかけで方向が変わりました。婿入りが妻から聞かされていた結婚条件だったので、娘婿として家を出ることになったのです。

実父からは「よその娘婿になるんだったら、うちの息子ではない。息子はいなかったと思うから」と言われて、キャリーケース一つで家を出ました。

父には3代、80年続いた会社を残さなければと自負があったでしょうし、プライドもあったと思う。その存続を絶ってしまった私に対する怒りもあったのかもしれません。

梅本氏
梅本氏

▲唯一手元に残っている父との写真:大阪天王寺区にある生國魂神社の獅子舞を3代で守ってきた

 

マッキー
マッキー
思い切った判断ですね。どんな心境で娘婿として奥さんの家業に入られたのですか?
当時の私は人生のどん底。仕事に行き詰まり、お金もなくて、この先どうしようというときに知り合ったのが妻でした。「何もなくていいから一緒に暮らしたい」と言われ、「こんな人はもう現れないだろうな」と思った。けれど、娘婿なんてありえないと別れを迫る両親。ここまできて両親の言うことを尊重していたら、今後もう自分の意志決定はできないと思いました。

 

義父となるウメモトの社長が私の実家へあいさつに来てくださったとき、「息子さんをください」と言ってくれた言葉も重かった。「うちの会社には社員が50人いる。家族を合わせると100人以上の人の生活を支えている。彼には、その人たちを守っていく協力をしてほしい」と。事業を任せてもらえる言葉をいただき、受け継ぎたいという気持ちも一層高まりました。

梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
それでウメモトに入られたんですね。またうまく承継できないかも、という不安や恐怖心はなかったですか?

めちゃめちゃありました!今も怖いです。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
そこにどう立ち向かっていったんでしょう?
覚悟を決めるだけじゃないかと。子どもができたので、家族の存在も心強いです。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
なるほど。ウメモトでは何から始められたんでしょう?
最初は、IT化してエンジニアを採用して新しい形の会社を作って、とやりたいことを考えていたんですが、やっぱりすぐにはできなかったです(笑)。なので、指示書や見積書をエクセル化してルーティンワークの負担を軽くしよう、みたいな地道なことをやっていきました。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
今ではがっつりIT化を進めておられます。少しずつ社内に浸透させていったんですか?
1年ほど前ようやく営業全員にパソコンが行き渡って、私も役職に付きました。なので各自でクラウドサービスのアカウントを保有してもらって、今試運転しようとしているところです。そうそう、社長が先日「オンラインで打ち合わせしたい」と言ってくれたのは驚きました。今まで一切IT使わなかった人なので。少しずつ啓蒙ができてきたのかなと感じています。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
他の社員とぶつかることはなかったのですか?

私が入社した4年前は、書類はみんな手書き。だから私がパソコンに向かっていたら、よく後ろからのぞき込まれて「何してるんだ?」と言われました。遊んでいると思われていたんでしょうね(笑)。

梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
そうだったんですね。IT化したいと望むアトツギが多いので、梅本さんなりに工夫したところを教えてもらいたいです。
面倒な業務を自分から進んでやることですかね。パソコン関係は、ルーターの配線からすべて引き受けました。実父が得意だった影響で、私も小学校の頃からパソコンを組み立てたりするのが好きだったんですよ。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
ウメモトの社長とは良好な関係ですか?

ようやく 義父ではなく家族と感じられるようになりました。最初の頃はずっと緊張していましたから。出会って1カ月で結婚を決めて、半年で入籍。どこの馬の骨かも分からない人間に信頼がおけるはずはないわけで…。
梅本氏
梅本氏

 

 

 

若いうちの時間を大切に

マッキー
マッキー
どうやって現状の関係まで持って行ったのですか?
うーん、私たち夫婦に子どもが授かったからというのも、もしかしたら良かったのかも。ちょっと参考にならないでしょうか(笑)。少しずつ関係性を築いていくことで、温めていた新規事業を公にして、動きやすくなりました。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
どういった新規事業ですか?
SNSで1枚からシールを試作できる「ユメカラ」という事業です。30歳のときに名古屋市のプログラムに手を挙げ、社名が使えないから社外で個人事業として参加していました。機械もなかったから自費で買って、自宅の6畳部屋に持ち込んでやっていました。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
新規事業立ち上げるって大変なことで、それも勤務外の時間を使って自宅で!そのモチベーションは?

時間がもったいないからです。入社したとき、周囲から「新規事業を始めるなら40歳になってから」と言われて、10年は待てないと思いました。始めてから10年後に花開くかどうかだから。20~30代の1年間と、40代の1年間って大きく違う。若いときの時間を大切にしないと。モチベーションは、「1日でも早く成長分野に入りたい」という思いでした。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
既存事業だけで今後20、30年はやっていけないから新しいことをと考えていたのですね。
会社の事業として提案する前に、まずは自分の時間を使って。「儲かるのか?」「どれだけ売り上げが上がるのか?」と言われても、机上の空論でしかないですから。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
やってみないと分からないですもんね。
すぐにお客さんが集まって結果が出る事業内容ではないので。それまでにもデジタルプリントの領域で新規事業の提案をしたんですが、前向きな返答は帰ってこなかった。現状維持で、リスクを取らない方針ではやっぱり難しいですよね。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
今では新規事業も認められているんですね。
そうですね。結局自己資本でやっているから、会社に損失はなくメリットしかないので。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
奥さんは新規事業に肯定的だったんですか?
はい、「おもしろいんじゃない、やりたいね」と。後押ししてくれています。
梅本氏
梅本氏

 

 

 

人を大切に、会社と事業を継続していく

マッキー
マッキー
これからのこともお聞きしたいのですが、梅本さんが次のステージに行くために必要とするのは何ですか?
人です。福岡のケアテック事業がうまくいった理由が人だった。エナジーを持って一緒に取り組んでくれる人が一人でも多ければ、その事業の成功率が上がると思う。会社の価値を挙げるのは人。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
いい人材を集めるため、魅力的な会社にしていくために取り組んでいることはありますか?
そのための新規事業ですね。ユメカラに集まった課題の中から、「面白いからやってみたい」と思うものに方向性を固めて、サービスを打ち出す。それから一緒に進めてくれる相手と出会う。という順番がいいのかなと考えています。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
ウメモトという大きな箱にはビジョンや野心を持つ若手が集まりにくい。だから、小規模でハンドルしやすいユメカラで?
その通りです。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
最後に10年後のビジョンを教えてもらえますか?

人がいないと会社は回っていかないので、従業員が満足できる環境を10年後には整えていたいです。テーマはワクワク仕事ができるような場所づくり。いい人材が集まったら、社会に貢献できるような事業を持続可能な状態でやっていきたいです。やっぱり中小って何代もつないでいくことで企業の魅力が出る。だから継続するための基盤を作りたいと思っています。
梅本氏
梅本氏
マッキー
マッキー
若いアトツギの心に響くお話、ありがとうございました。

 


【愛知】

ウメモト株式会社   http://umemoto-print.co.jp/

常務取締役 梅本 隆太 氏


 

■取材した人

マッキー

大学卒業後、某ベンチャー企業にエンジニアとして就職。実家は福岡の物流企業。家業に戻るまでに、アトツギベンチャー経営者の体験をシャワーのように浴びようと、副業で「アトツギU34」に参画。全国各地のイベント運営やアトツギベンチャー経営者の取材などに携わる。

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