一代一事業が家訓/築いてきた信頼を未来の価値に置き換えてみる

三星グループ 
代表取締役社長 岩田 真吾 氏

http://mitsu-boshi.jp/

1887 年に木曽川のほとりに創業した三星毛糸の五代目。自社ブランドの立ち上げや海外展開・ベンチャー企業との連携など新しい挑戦を続ける。「使い手と作り手がつながる場」として東京・代官山にショールーム店舗を展開。「23時間を快適にするメリノTシャツ」はクラウドファンディング史上、最も支援を集めたTシャツとなった。 慶應大学卒業後、三菱商事、ボストン・コンサルティング・グループを経て2009年、三星毛糸に入社し、10ヶ月後に社長就任。2015年、エルメネジルド・ゼニアのMade in Japanコレクションに選出。2019年、ジャパン・テキスタイル・コンテストにてグランプリ(経済産業大臣賞)を受賞。

■話を聞いた人

本多プラス株式会社
代表取締役社長 本多 孝充 氏

https://www.hondaplus.co.jp/

1969年愛知県新城市生まれ。Lord Ashcroft International Business School(英) MBA修了。97年本多プラスに入社。代表取締役専務を経て2011年より現職。3代目としてデザイン戦略を経営に取り入れた第二創業を行い、脱下請け型の経営を実現。『技術』と『感性』を融合させ、『新しいカタチや価値』を世の中に提供できる『クリエーター型企業(メーカー)』への進化を目指している。

2011年1月 日本パッケージデザイン大賞・金賞受賞、2016年6月 公益社団法人 日本包装技術協会 第40回(平成28年度)木下賞受賞などの受賞歴を有し、2017年11月28日に開催された、新たな事業に挑戦するアントレプレナーの努力と功績を讃える国際的な表彰制度『EY アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2017ジャパン』日本大会においては、アクセラレーティング部門大賞、グローバル・エクスペリエンス・モナコ賞を受賞している。

アトツギたちが本音で事業承継への思いを語るトークイベント「Nagoya Atotsugi Venture Project」の2回目が2020年10月7日、名古屋市内で開催された。

ゲストは、三星グループの岩田真吾代社長と、本多プラス株式会社の本多孝充社長。事業承継の本質は物語を受け継ぐことだという思いで一致した2人は、アトツギだからこその思考回路で事業に新しい生命を吹きこんでいる。

【主催】名古屋市経済局産業労働部中小企業振興課

 

 

 

 

 

 

 

世界のラグジュアリーブランドから指名される生地ブランドに

奥村氏
奥村氏

最初に自己紹介をお願いします。

うちの会社はウールを主体とした天然繊維の生地メーカーです。色を染めるためのプラスチックのコンパウンドも作っていました。ぼくは大学を卒業してから三菱商事に就職し、ボストンコンサルティンググループ(BCG)を経て27の時に入社しました。

 

家業に戻ってからの挑戦として、世界の一流ブランドに生地を直接売りにいきました。うちの生地はいいって取引先から言われてはいたのですが、どれくらいいいの?本当に未来に残す価値あるの?っていうのがわからなかったので確かめたかったんです。今では世界のラグジュアリーブランドが指名してくれる生地ブランドになりました。

 

そこから自分たちの商品もつくっていこうということで、いわゆるDtoCにチャレンジし、自分たちのブランドを立ち上げました。素材と製品の2軸を融合したビジネスに取り組んでいるところです。

岩田氏
岩田氏

 

 

 

 

うちの容器に入れたら売れる、を目指して

奥村氏
奥村氏

では本多さんからも。

当社はBtoBのプラスチック容器メーカーです。以前は外注に作ってもらって、そしてできたものをまただれかに売ってもらっていたんですけど、34歳の時に思い切ってデザイナーを採用しクリエイティブな事業を展開しました。今ではメーカーでありクリエーターで、2つの顔を持つ会社です。

 

工場から出る廃棄プラスチックを使った、ameというブランドを立ち上げました。雨は天から降って川となり、海、雲や雪など形を変えて世界を循環しています。そのさまを、循環型素材であるプラスチックになぞらえました。プラスチックはゴミではないという思いを込めて、ブロー成形という本業で使う機械でリサイクル製品を作っています。

 

他人のやらないことをやる、という経営理念は父が考えました。良いと思ったらすぐに実行し、悪いと思ったらすぐやめようという言葉もよく言っていて、私も受け継いでいます。あと、本多家の家訓に1代1事業というのがあります。

本多氏
本多氏

 

 

 

「全員に反対されても継ぐのか」家業に戻る前に思考実験

奥村氏
奥村氏
家業に戻った経緯を聞かせてください。

ぼくは祖父からもおやじからもおまえはアトツギだって言われて育ちました。うまいこと洗脳されてましたね(笑)。でも、大学行っていろんな人と会って話したら、なんだ選択肢はいろいろあるじゃん、って。外の世界を知って考えが変わっていきました。

 

大手広告代理店のインターンシップに行ってみたら、サラリーマンとして誰かと一緒になんかやるってのも面白いなって思って。三菱商事では経営に興味を持つきっかけになりました。BCGでは徹底的に考え抜く力が養われました。

 

でも新しい事業に挑戦するなら20代のうちにって思ってました。失敗しても次のチャレンジができるでしょ。選択肢はアトツギになるか、ベンチャーを起業するか。ベンチャーの社長はいつでもやれる。せっかくアトツギというオプションがあるんだからそっちのほうは面白そうだなと。

岩田氏
岩田氏

奥村氏
奥村氏
その時、父上は何ておっしゃいました?

おやじは「おれが戻れと言ったから戻った」って言うんですけどそれは違いますね(笑)。もしおやじが反対したとしても戻りたいかどうかという思考実験はしました。反対されてでもやりたいと思わないと後でくじけるなと。

 

自分がリーダーとして物語を作っていきたいという気持ちで仕事をしているので、人のせいにするというのは物語の主人公としてはあり得ない。全員に反対されてもやろうと思えるか。そこまで考えたうえで戻ることを決めました。

岩田氏
岩田氏

奥村氏
奥村氏
ちなみに大学卒業後、家業に関係のある繊維業界で働こうとは考えなかったんですか?

まず、サラリーマンとして働こうと決めたのは、仲間と共に人の釜の飯を食う経験はしたほうがいいんじゃないかなと思ったのが一つ。あとは、出世したいなというのもありました。つまり実力を試してみたいということです。BCGは2年でコンサルタントに上がれないとクビなんで、ちゃんと上がれたのは自信になりました。

 

で、質問への答えなんですけど。家業に近い業界で働いたほうが役に立つ度合いは高いかなとは思います。ただ父親の紹介でそういう会社に入ったとしたら、実力を試すのもバイアスがかかるなと思いました。それは求めていなかったので。

岩田氏
岩田氏

 

 

 

 

会社がハッピーになれるタイミングで家業に戻る

奥村氏
奥村氏
家訓の1代1事業に照らし合わせると、本多さんの場合、デザイン業に取り組んだところがそれに当たると思うんですけど。そう思ったきっかけは何でしょうか?

イギリスに留学している頃に、もし会社を継ぐならどうしようかなと1日1回は考えていました。子どもの頃から絵を描くのが好きで、そういうことを事業にしていけたらと言うのはずっと思っていました。

 

あるとき、ロンドンのハロッズであまりにも美しい香水のガラス瓶の容器を見たときに思ったんです。こういう容器ならそれだけで買いたいと。それをプラスチック容器で実現したいと思ったのがきっかけですね。

本多氏
本多氏

奥村氏
奥村氏
アトツギベンチャーって、自分のやりたいことに家業を寄せていきますよね。そのときに周囲から反発はありませんでしたか?

会社に戻った当初、社員と同じ目線に立ち、悩みを共感する必要があると思い実行したことは金型の内製化でした。デザインをやるうえでも金型を内製化しておくと製品を作りやすいんです。2、3年かけてやりました。

 

また、デザインで事業を大きくしたいということを東京の友人等に話し、知人の輪を広げていきました。いい知恵を授けてくれる人がたくさんいたんです。どこに向かって話をするかというのは大事なことです。

本多氏
本多氏

 

 

 

 

命をかけて説得してもダメだったら自分で新しく会社をつくればいい

【会場からの質問】

家業に戻ってきてからあえて続けたこと、やめたことがあれば教えてください。 

去年、祖業に最も近い繊維の染色加工の工場を閉めました。大量生産、大量消費の時代に最適化された工場で、歴史的な役割は終えていました。おやじを2年説得してようやくできましたが、まあまあ大変でした。番頭さんは父のやりたいことを何とかするのが仕事ですから閉められない。そういう意思決定はアトツギしかできないんじゃないかと思います。
岩田氏
岩田氏

祖父母からの言い伝えがあって、「ひまになったら銀ブラして来い」と。あるとき東京に出張して日帰りで戻ってきたら、父が「どうして泊まらないんだ」と言うんです。アンテナをしっかり張ってこいということですよね。それは共感しました。

本多氏
本多氏

 

【会場から質問】

父親は会社では上司、家では息子。どう使い分けているのでしょうか?

実は、会社では父と喧嘩するべきじゃなかったなと反省しています。というのも以前、会社で父にものを言えるのはぼくしかいないと思ってよく会議で議論を超えた喧嘩をしていた時期がありまして。その会議に出ている社員のモチベーションの下がり具合がひどかったんです。当時の自分に言うとすれば、会社では上司と部下なんだから父の意見を聞いておけ、ただ実行したいことは会議の外で勝手にやれ、と。
岩田氏
岩田氏
父を説得する方法で伝えることがあるとすれば、きちんと自分なりの経営戦略、ビジョンを持って見せることだと思います。申し訳ないけど今はこういう時代なんだということでわかってもらえるように話す。あと父がこの人の話なら聞くという人に話してもらうのも方法の一つです。
本多氏
本多氏
突き詰めると、会社はだれのものなのっていう話になるんだと思います。おやじの代から守ってきたものを否定するときに、命をかけて説得してもダメだったら自分で新しく会社をつくればいい。
岩田氏
岩田氏

 

 

 

事業承継の本質は物語を引き継ぐこと

【会場からの質問】

事業を承継して良かったと思えることがあるとすれば何でしょうか?

ぼくは事業承継って言葉がイケてないなって思っているんですけど。社員も資本も事業の内容もどんどんと変わっていく中で、何を継いでいるのかなって考えたときに、今日本多さんが言われた家訓、1代1事業という言葉がしっくりきました。
岩田氏
岩田氏

何を継いだのかと言えば、物語を引き継いだだけなのかなと思います。

本多氏
本多氏
ぼくも物語を引き継ぐっていうのが事業承継の本質なんじゃないかなと思うんです。じゃあうちの場合それは何かって言うと、信頼でありブランドをつくってきた物語なんです。これはベンチャーがいくら欲しがっても得られないもの。ただその物語を未来にとって価値のあるものに置き換えていくチャレンジは必要です。
岩田氏
岩田氏

ぼくは人生の大半は仕事だと思っていて、日々トラブルはあるけれどやりがいがあって楽しい。しかも家業ということはやればやるだけ子孫につなげていける醍醐味があります。

 

一代一事業なので、同じことを同じようにやらなくてもいいし、新しいことをやってもいい。一国一城の主でやれるというのはありがたいですね。

本多氏
本多氏

 

 

 

 

クソみたいなプライドを削り取ってこそ原石は磨かれる

奥村氏
奥村氏
最後にアトツギの方たちにメッセージをお願いします。

すぐに結果は出ないかもしれないけれど、自分のやりたいことに向けて努力すれば、やっただけの結果が出ます。もちろん父や古参社員という壁はありますが、皆さんが主人公になる時が必ずやってきます。相談相手を見つけておいて、わからないときは聞いてみるといいと思います。
本多氏
本多氏

伝えたいことは二つ。まず社長になると会える人が増えます。アトツギとしてこういうことをやりたいということをちゃんと発信すればだれにでも会えます。

二つ目。めちゃめちゃ大変です。親に言われたからだとか、得だからと思うなら継がないほうがいいです。いい人生を送ろうとすれば自分磨きをしないといけないし、そのためにはハードな体験がないといけないと思うんです。

 

ある人が自分をダイヤの原石だと思っていると言ってて、ああいいな、と思いました。でも原石の周りにはクソみたいなプライドが覆っているんです。かっこいいこと言うのが恥ずかしいとか。そんなしょうもないプライドを削り取るには、イヤなこともやんなきゃいけないんです。それを躊躇するようだったらやめたほうがいい。

 

いや、それでもやりたいという情熱があるんだったら、しょうがない、やるしかないですよね。みなさんと一緒にダイヤ磨きをできたらいいなと思っています。

岩田氏
岩田氏

 

 


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■取材した人

サンディ/アトツギ総研 代表

1983年生まれ。京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。財務経理、経営企画を担当し、全社横断案件やグループ連結決算の開示業務に携わる。在職中に2年間のバンコク駐在を経験。2017年に同社を退職後、シンガポールのNanyang Technological University(南洋理工大学)にてMBAを取得し、2018年9月から2020年12月まで一般社団法人ベンチャー型事業承継事務局長を務めた。現在はアトツギ総研所長を務める他、在シンガポール企業のDirectorとして東南アジアでの事業に携わる。

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