家業とキャリアの化学反応に未来を描く。一地方の繊維工場が世界に認められるウールメーカーに。
三星グループ
代表 岩田 真吾 氏
愛知・岐阜にまたがる尾州産地は古くから繊維業が盛んな地域だ。岐阜県羽鳥市に拠点を構え、今年創業134年を迎える三星グループは、和服で使われる綿の「艶つけ業」として創業したが、現在では世界で認められる最高級のウールメーカー。さらにサステイナブル(持続可能)な事業展開を目指す企業として、繊維業界の注目を集めている。
その立役者は、5代目社長の岩田真吾氏。東京の大手企業で経験を積んだ後に家業を継いだ岩田氏だが、華やかな経歴と事業承継の成功の裏には様々な困難があった。歴史ある工場の閉鎖、従業員との不調和、苦しみの中で見出したのは「共に挑む」プロセスの大切さ。ウールはもちろん、グループで手がける全ての事業の可能性を信じて尾州全体の活性をめざす岩田氏の言葉が、アトツギ予備軍の背中を押す。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
家業を継げるのは自分だけのオプション
最終面接の前日、父から「俺だったら“一緒に儲けよう”と言うやつを雇いたい」と言われました。“この会社で成長したい”なんて自分本位の考えでなく、会社というチームのことを考えろと。念願叶って内定をもらえたときは、一番に父に報告しました。後から聞きましたが、その時父は、もう僕が家業には戻らないと思っていたようです。その会社で2年働きましたが、グローバルなビジネスのダイナミズムを感じる一方で、大企業特有の体質にもどかしさも感じていました。より企業変革に特化して、スピーディーにビジネスを動かしたいという思いがつのって、外資系のコンサルティングファームに転職しました。そこで3年半ほど経験を積んでから28歳で家業に戻ったんです。
インターンをしていたころは後を継ぐことへの意識は弱まっていましたが、就職して働いているうちにだんだんと、自分の意思決定で進めたい、自分の力を試したいという気持ちが強くなって、逆に「自分で会社をやりたい」というマインドにつながっていきました。当時ベンチャー企業が出始めてきた頃だったので起業もアリだったのですが、「家業を継ぐ」のは自分だけに与えられたオプションなんだと思ったんです。そのチャンスを試したいと。
それでいうと、僕は七光りって言わせたくないのもあって外の会社に就職したんです。家業で成功したとしても、結局は親のさじ加減一つと思われたりするけど、外の会社でキャリアを積んだら誰にも何にも言われない。特に外資系ファームは完全に実力主義。人様の会社で結果を出して出世して初めて、家業に戻る自信がついたところもありますね。
いま海外のラグジュアリーブランドと直接仕事ができているのは、元商社マンだから外の世界に営業をかけていくのが当たり前の感覚だったからかもしれません。既存の国内の下請け構造の感覚で続けていたら先行きが見えなかったと思います。
家業の可能性。入社10か月で社長就任
ひとことで言うと、家業に可能性を感じていました。自分が学んできたことを「地方」や「中小企業」というカテゴリの中に持ち込むことで、面白い化学反応が起きるんじゃないかと。僕はかなり特殊な例だと思うんですが、入社して10か月後に社長になったんです。
まあこれは自分がというより、親父が変わっていたんですけど(笑)。古い産地なので、土地のしがらみがあったり年配の事業主が権力を持っていたりする。親父は、そういうのがイケてないと思っていたみたいなんですね。いわゆる老害にだけはなりたくないと。父なりのロマンチズムでしょうか、入社して10か月後に「ちょうど4月になるから、お前社長やれよ」と言われました。
正直、さすがに早いなと迷いましたが。若いうちから継げばいろんなことを試せるけど、経験不足ゆえに稚拙さがある。一方で、歳をとってから継ぐとそれまでに経験を積めるけど、動きが悪くなるかもしれない。メリットデメリットどちらも足したら同量なんじゃないかな、と思ったんですよ。だったら失敗してもやり直せる今の年齢で継ごうと決心しました。
思うようにいかない社長業。そして歴史ある工場の閉鎖
早々に新規事業を立ち上げて投資して、早速失敗しました(笑)。本業については本気でテコ入れすれば1年くらいでV字回復できるはずだと思い込んで、業務改革に躍起になって。もうガチガチにKPI(重要目標達成指標)を設定して、毎週ミーティングで詰めまくって社員を泣かせたり……。でも結局、1年経っても数字はほとんど何も変わらなかったんです。言うは易し行うは難しだなと学びました。やっぱり早いうちにいろいろ失敗できて良かったと思います。
その頃にひとつ大きな経験をしました。昔からあった工場を一棟閉鎖したんです。
あんなことはもう二度とやりたくないですが。僕が家業に戻ったころは、リーマンショック直後で、会社が最悪の時期だったんですよね。大量生産大量消費を前提とした工場の業績がものすごく悪くなってきていて。ずっと続けていても何もいいことなかったんです。機械は老朽化して社員の給料も少なくて、誰も幸せじゃない。
2年かけて先代を説得しました。新しいことを始めるばかりでなく、時代的、歴史的役割を終えた事業を適切に終わらせるのも、後継ぎの重要な仕事だと思います。
迷いながらも向き合う社員との関係性
ある同業他社が会社を閉めて、事業と従業員はあなたみたいな若い社長に任せたいと託されたんです。そのとき、その従業員の皆さんに対して僕は「前の社名は残さない」とか「うちの会社のルールに従ってください」という風にやっちゃったんですよね。いま考えるとNGなことばかりで。歴史ある会社で働いてきた方にとって社名や文化が変わるのは受け入れがたいことだと、当時の自分はわかってなかった。6〜7人入社したのに結局一人しか残ってもらえませんでした。経済的なダメージは何もなかったんですけど、精神的にはかなりダメージがあった出来事ですね。
そうですね、海外展開についてはそんなに反対意見はありませんでした。初めにプルミエールビジョンという展示会に参加したのですが、やっぱり繊維の世界では憧れの展示会なんでね。そこに自分たちが出られるっていうのは、苦労もありますけど、みんな楽しみもあったのかなと思います。世界のトップブランドが自分たちを選んでくれるのか、自分たちの目で確かめようって。売れないことよりも、売れなかったときの理由がわからないのが一番だめなんです。
それよりも、自社ブランドの立ち上げのときに専任者を外部から雇ったんですが、そのときの方がいろいろ大変でした。急な抜擢だったので「なんなんだあの人は」みたいな感じで変な空気が流れたり。そこは時間をかけて距離を縮める努力をするしかないですね。
共感持てる指標でチーム力を育てる
2017年の130周年のときに僕たちのミッションとビジョンを表す「目指すこと=“100年すてきカンパニー”」と、「大切にすること」というのを決めました。この指標に共感してくれる人は、右腕になり得るんじゃないかと思っています。
ただ、ミッションやビジョンは社長が決めればいいんですが、バリューは社員と作った方が良かったかもしれないと今になって思っています。
バリューというのは価値観、つまり行動指針になってくるものだと僕は思っているんです。行動指針が腹落ちしていないと、行動に結びつかないですよね。与えられた言葉ではなく、自分たちから紡ぎだされた言葉が必要だと。僕ひとりが持っている時間は有限なので、これからは自ら行動できる人たちがチームを組んで、事業を育てていく体制づくりが大事だと思います。
核は「サステイナビリティ経営」と「地域との協力」
目標は二つあります。ひとつは「サステイナビリティ経営」というのを核にしたいと思っています。数年前からファッションの世界でも重要なテーマになっていて、弊社では今年(2021年)の年次目標として、人にも地球にも優しい素材づくりを目指す「Green 2021」を掲げています。元々「100年すてきカンパニー」でサステイナビリティを重視する方向だったのが、偶然にして昨今の流れの後押しがあり、益々力を入れてやっていきたいと。グループ会社でプラスチック加工業もあるので、天然繊維をやりつつの葛藤はあったんですが、今だからこそ自然に優しいプラスチック開発といった分野にも挑戦したい。繊維や樹脂の可能性を探りながら邁進していきたいですね。
「地域と協力していく」ってことですね。昔の僕は産地の古い空気に馴れ合うまいと、あまり地域の同業者の集まりとかに近づこうとしていなかったんです。でも、今回コロナで業界の状況が悪化していくのを見る中で気持ちが変化しました。例えば以前ウールTシャツをクラウドファンディングで出して大成功したことがあるんですが、翌年には同業者が似た商品を売り出していて、真似されたと嫌な気持ちになっていました。でも今は、ウールの良さを知ってくれる人が増えたらそれでいいじゃんと思えるようになったんです。
尾州全体が盛り上がったらそれで良い。最近は若手のアトツギたちが集まって、繊維産地としての尾州を盛り上げようという流れができています。繊維の可能性は僕らがこれから作らないといけないと思ってます。元々斜陽産業の上にコロナの影響もあって、いま産地は壊滅状態です。でもそういう時にこそ無理やりにでも前を向いていかないと。昔の繊維だと思われがちなウールは、今のSDGsの観点から見たらものすごく優秀なんじゃないかとか。コロナは一見すると気持ちの下がる出来事なんですが、逆に新しい一手が見えたという感じです。
「迷ってるんだったらやめとけ。こんなに大変な事ないよ」と言いたいですね(笑)。お客様に叱られて頭を下げて、社員からも突き上げられて…だけどそれを分かった上で、覚悟を持って後を継いだら、その先に面白いことがあるかもしれない。実際こんな楽しそうにやってるやつがここにいるんだから(笑)。
【岐阜県】
三星グループ http://mitsu-boshi.jp/
代表 岩田 真吾 氏
■取材した人
ティム/マスオ型アトツギ
コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!