「甘えを捨てて全ての責任を背負いたかったから」33歳で代表に就任

株式会社石垣商店 【愛知県】
代表取締役社長
石垣雅裕 さん

愛知県名古屋市に本社を置く株式会社石垣商店は、変圧器や制御盤などのメーカーを主な取引先として「伸銅品」加工を手掛けている。

「美容業界に就職したものの、『失敗したら家業に戻ればいいや』という気持ちがどこかにあったため、真剣にのめりこめなくて。このまま仕事を続けるくらいなら早く家業に入ろうと思い、自分から父に『戻りたい』と言いました」。

そう家業に入った経緯を振り返るのは、2019年に33歳で代表取締役に就任した石垣雅裕さんだ。

若干33歳で代表に就任したのも、実は石垣氏の能動的な姿勢からである。家業に入って現場と営業、そして取締役を経験したが、20代後半から当時の社長であった父親に「早く社長になりたい」と直談判。すべては、甘えを捨てて、全責任を自分で背負うためだ。

ストイックかつ積極的にアトツギとしてのキャリアを切り開いてきた石垣社長に、現在に至るまでの道のりと今見据えている未来について話を聞いた。

 

 

 

家業を「逃げ道」と思いたくない。弱さを断ち切るため家業に入った

 

ティム
ティム

まずは事業内容について教えていただけますか。

 

銅専門の町工場で、平たく言えば部品加工屋です。基本的には受注生産で、お客様からいただいた図面に沿って作り、納品します。変圧器や制御盤などのメーカーが主なお客様で、当社が提供した製品は発電所や電力会社の設備など、社会インフラを支えるさまざまなところで用いられています。

石垣さん
石垣さん

ティム
ティム

御社の歴史を見たところ、昭和23年に創業した際は銅の販売から始まって、途中から加工まで手掛けるようになったんでしょうか?

 

はい。最初は、銅や真鍮やアルミのような伸銅品の卸売販売から事業が始まりました。ただ、問屋業はリスクが高い商売だったため、1970年代~80年代ごろから、リスクが少なくてお客様により付加価値を提供できる加工も手掛けるようになり、私の父が代表になってからは完全に加工に舵を切りました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

石垣さんが家業に入るまでのお話も伺いたいのですが、大学は関西の立命館大学に進学してますよね。このときは、家業のことは意識してなかったんですか?

 

はい。でも、自然と経営学部に進学してるので、「将来役に立たないことはないだろう」といった考えは無意識の内にあったのかもしれません。ただ、大学1年の冬には「美容業界に行きたい!」と思って、一時は大学を辞めようかとまで思ったんですけどね。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

えっ、そうなんですか?

 

きっかけが何だったかは覚えてないんですが、ずっと部屋にこもって、それまでの人生を振り返りながら「自分は何がしたいんだろう?」、「何が好きなんだろう?」って自問自答してるうちに、美容業界に行きたいと思うようになったんですよね。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

なぜ美容業界だったんですか?

 

髪に興味があったし、髪をセットすることが好きだったからだと思います。それで、ヘアメイクアップアーティストになりたいなと。正直、心の中に「いつか家業に戻るだろう」という気持ちはあって。だからこそ、一度思い切り好きなことをやってみようと思いました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

そこから、美容業界に入るためにどんな行動を起こしたんですか?

 

ヘアメイクアップアーティストになるための第一歩として、大学4年のときは美容室でアルバイトをしていました。アルバイトといっても、火曜から日曜まで毎日働いてたので、ほぼ社会人ですね。そこで経験を積んで「この業界でやれそうだ」と自信を得たので、大学卒業後は美容専門学校に進学して免許も取得しました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

専門学校にも行かれたんですね。けれど、美容業界で働き続ける道は選ばず、24歳という早いタイミングで家業に戻ってこられてますよね。これは何がきっかけだったんですか?

 

「アトツギとして、いつか家業に戻るだろう」という気持ちが自分の中にあったために、弱さや甘えがあって、仕事に真剣にのめりこむことができなかったんです。「失敗したら戻ればいいや」と、家業を逃げ道のようにとらえてしまっていた自分がいて。もちろん、深く考えずに30歳くらいまで仕事を続けることはできたと思います。ただ、「中途半端な気持ちで仕事を続けるくらいなら、家業に早く戻ろう」と決意して。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

自身の気持ちや性格を見つめて、引き際を考えられるのがすごいですね。家業に戻るときは、ご家族に相談されたんですか?

 

自分から、父に「戻りたい」と言いました。父は「いいよ」と受け入れてくれましたね。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

それで、アトツギとして家業に戻られたんですね。

 

 

 

家業のスタイルややり方を、まずは「知り」、「受け止めた」

 

ティム
ティム

美容業界から銅の加工業へ、全然違う分野に飛び込むわけですが、戸惑いはなかったですか?

 

家業に戻ってから、まずは現場に入ったんですが、「業界が変わっても、仕事は全然違わないな」という印象だったんです。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

えっ、そうなんですか?

 

機械もあるんですけど、うちでは基本的に手を動かして加工の作業をするんですね。つまり、手を使って何かを作るということに関しては髪の毛を触ることにも似ていて。だから、現場仕事はとても楽しめていました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

職人さんとのコミュニケーションは難しそうな印象があるんですが、どうでしたか?

 

どうしてもアトツギとして見られているので、距離は多少あったと思います。けれど、特に対立することはなく、仕事を行う上では十分なコミュニケーションが取れていました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

良好な関係性が築けていたんですね。ちなみに、石垣さんが戻られたときはお父様が代表をされていたと思うんですが、家業に戻ってみて「これ、おかしいぞ。改善すべきだな」と感じたことはなかったですか?

 

それが、意外と無くて。なぜなら、どんなやり方にもそれを採用している理由があると思ったからです。これは家業に限りませんが、新しく入った場所では、まずそこで2~3年働いてそこのやり方を理解しなければ意見が言えないだろうという考えもあって。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

きっちり現場のことを学んで、家業のことを知って、意見するならそれからだという感じですね。

 

はい。もしかしたら当時、違和感や「変えた方がいいのに」と感じることもあったのかもしれませんが、今の自分はまだ考える段階じゃないだろうと思ってました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

そういった素直に学ぶ姿勢を石垣さんが持っていたから、お父様や社員の方と対立することがなかったんだと思います。どうしても、家業に戻るとすぐに何かを変えたくなるところですが、一度受け入れてみる姿勢も大事ですよね。

 

そうですね。昔からわりと素直な性格なので、それができたのかもしれません(笑)。

石垣さん
石垣さん

 

 

すべての責任を背負って甘えを捨てるため、代表になりたいと父に直談判

 

ティム
ティム

現場では何年くらい働かれたんですか?

 

2~3年働いて、その後は営業を2~3年経験しました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

営業もされてたんですか。

 

と言っても、うちの営業は何かを売り込むというよりは、お客様と納期を調整することと納品に伺う配達の役割が強いんですけどね。加えて、仕入先さんや外注先さんとの関係構築も担っていました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

現場とはまた全然違う環境ですよね。苦労したことは無かったですか?

 

お客様と話すのが苦手なので、「やっぱり自分はものづくりをする方が好きだな」とは思いましたが、特に苦労は無かったですね。苦労と言うと、営業を経験した後、取締役に就任したときが一番大変だったかもしれません。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

どんな苦労があったんですか?

 

製造部を頑張って率いてくれていた40代くらいのリーダーが退職してしまったんです。そのときに初めて、組織がうまく回ってなかったことに気付かされましたし、「自分自身が組織をもっと見ることができていたら、防げたのかもしれない」と後悔もして。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

なるほど…。

 

辞めた方は現場のものづくりのリーダー的存在かつ精神的支柱だったために、周りのメンバーも落胆したり不安に思ったりしていて。リーダー不在の穴を埋めるために僕が現場に戻って仕切ることになったんですが、メンバーを鼓舞してまとめていくことに苦労しましたね。それが、30歳のときのことです。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

大変ですね。どうやって乗り越えたんですか?

 

「これをしたからうまくいった」というわけではなく、とにかく試行錯誤しながらいろんなやり方を試しました。現場のリーダーという立場は未経験だったので「リーダーとしてどう動くべきか」を考えて行動しましたし、メンバーへの伝え方ひとつをとってもいろいろ試して。当時は朝から夜遅くまで働いてましたし、とにかく動きながら状況を打開していきました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

なるほど。それで、取締役を経て代表になったんですよね。

 

取締役を3~4年経験して、2019年に33歳で代表に就任しました。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

そのタイミングで代表に就任したのはどうしてですか?

 

28歳くらいのときから、「早く社長にしてくれ」と父に言っていて(笑)だから、早いタイミングで代表交代することになりました。

石垣さん
石垣さん

ティム
ティム

えっ!自分からですか?またなんで?

 

美容業界にいたときも、「失敗しても家業がある」と考えてしまう甘さがあったように、僕は責任を持たないと情熱を注ぎにくいタイプなんです。取締役も、結局は代表である父に最後の最後はカバーしてもらえる立場でしょう。そういった、すべての甘さや逃げ道を断ち切りたいなと。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

へえ…!ストイックですね。

 

人生においての責任を早く取りたかったんですよね。それに、「この先40歳や50歳で代表交代したら、『もっと早く代わっていれば、いろいろなことができたのに』と絶対に思うだろうな」と感じて。早く社長になって、決断の責任を全部自分で取りたかったんです。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

なるほど。代表になるにあたって、何か準備したことってありますか?

 

20代後半に中小企業診断士の資格を取りました。近い将来社長になるとして、どんな知識を持っておくべきかってわからないじゃないですか。けれど、とりあえずは網羅的に勉強しておいた方がいいかなと思って取ったんです。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

代表になって生かされていますか?

 

はい。経営戦略の立て方やフレームワークが役立っているのはもちろんですが、銀行からの信用度も上がるので、資格自体の価値も感じています。お客様から、「中小企業診断士の資格を持ってるんだね」と言われることも多いので、「コイツはある程度ちゃんと学んでるんだ」と思われるためにも役立っているのかもしれません。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

信用されるための肩書きとしても役立っているんですね。

 

はい。あと、周りに中小企業診断士の知り合いがたくさんできたので、「今こういった経営戦略を考えてるんだけど」と相談できて助かっています。

石垣さん
石垣さん

 

 

「今あるリソースを使って、未来をどう変えていくか」を決めるのがアトツギの使命

 

ティム
ティム

ちなみに、石垣さんはベンチャー型事業承継や名古屋のアトツギ事業によく参加していただいてますが、どんなきっかけから興味を持ってくださったんですか?

 

去年、中小企業家同友会という組合に入って活動をする中で、「社長にはなったものの、事業のことや会社の未来のことを考え切れていないな」、「社長としての考え方をまだ全然身に付けられていないな」と考えさせられる機会があって。いろいろ勉強しなきゃと感じてるときに、周りのアトツギ仲間からベンチャー型事業承継のイベントに誘ってもらったのがきっかけです。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

「アンテナを広げてみよう」と思っていたときに出会われたんですね。ちなみに、いろんな経営者やスタートアップの起業家がいるじゃないですか。その中で、特にアトツギと交流・連携する意義はどんなところに感じていますか?

 

一番は、課題感や考えていることが似てるところです。社会的課題などを解決したくて事業を興す創業者とは、違う課題をアトツギは抱えているでしょう。「すでにあるリソースを使って、これからの未来をどう変えていくか」という発想を持つ方といろいろ話したいと思うと、やはりアトツギの方になるんですよね。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

確かにアトツギ同士でしか共感し合えない思いってありますもんね。今後のビジョンについてはどのように考えられていますか?

 

新しい市場の開拓は視野に入れています。今は変圧器・制御盤向けの部品加工事業を手掛けていますが、個人的には再生可能エネルギー関連の市場にも進出したくて。今の市場の延長として、目指せると思っています。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

財務的に新たな柱が必要で飛び込むのか、10年後の飯のタネを作るために飛び込むのかでいうと、どちらですか?

 

どっちもですね。売上は低下こそしてないものの、生産性を表す「社員一人あたりの付加価値」を計算してみると、下がってはきていて。なんとか、売上も利益を上げていかなければなりません。一方で、将来を見据えたときに再生可能エネルギーの市場に進出しておくべきだという考えもあります。いずれは「二酸化炭素削減に向けた、脱炭素社会の実現を支援できる会社」や「ものづくりで環境に貢献できる会社」といった存在になれたらなと。

石垣さん
石垣さん

 

 

 

 

アトツギの特権は、家やお金だけでく家業を受け継ぐことができること

 

ティム
ティム

事業面以外で、「将来こういった会社にしたい」というビジョンはありますか?

 

究極のビジョンは、自分がいつ死んでも30年以上会社が持続できるような状態を作ることですね。目の前の仕事でいっぱいいっぱいというのではなく、常に数十年先を想定できている状態が理想です。こうした企業づくりをすることが、私自身の使命でもあります。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

それは確かに代表としての理想ですね。では、最後にこの記事を読んでいるアトツギの方に向けてメッセージをいただけますか。

 

一般的な家庭では、両親やおじいちゃん、おばあちゃんから遺してもらえるものってお金や家ですよね。一方でアトツギは、会社というものを遺され、託された先代からの思いを受け継ぐことのできるチャンスを持つ立場です。だから、まずは「これって、特別なことだし、恵まれたことだ」ということを受け止めるべきだと思います。もちろん、家業について興味を持ち、自ら働きかけて知っていくこともその第一歩かなと。先代からのバトンを未来に引き継ぐことができるのは、とても素敵なことだと思いますし、たとえ家業を継ぐ以外の選択をするにしても「家業が何をしているのか」、「両親や祖父母がどんな思いで家業を繋いできたのか」を知ることに価値があると思いますよ。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

家業が資産になるか負債になるかは経営状態にもよりますが、受け継がれてきたものに違いはないですし、「まずは知ることが大事」という考えにはすごく共感します。

 

そうですね。それと、もし後を継ぐなら「自分がいつ社長になるか」を決めて、能動的に動いた方がいいですよ。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

決めないと、誰も仕切らないまま、宙ぶらりんになることがありますもんね。

 

はい。もちろん、アトツギを誰が決めるかによって状況も異なりますが。僕は自分で決めることができたので。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

本来はそれが理想だと思います。家業って、先代からすると「継がせて終わり」かもしれないけど、継いだ後に経営を続けていかなければいけないのはアトツギの方じゃないですか。だからこそ、アトツギ自身が「継ぎたい」と思えることが一番ですよね。

 

「継ぎたい」と自発的に思えるマインドが無いと、しんどくなると思います。僕が中小企業診断士の資格を取ったのも、「継ぎたい」と思えたからなんで。アトツギの方は、今後の人生を踏まえて、ご両親ともよく話して、「継ぎたい」と思えるようになるといいですよね。

石垣さん
石垣さん

 

ティム
ティム

本当にそうですね!石垣さんのように、前向きなマインドのアトツギの方が増えたらいいなと思います。今日はありがとうございました。

 

 

【愛知県】

株式会社石垣商店

http://ishigaki-st.com/

 

■取材した人

ティム\マスオ型アトツギ絶賛準備中/

コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!

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