社員に寄り添い改革を進める、製缶業の6代目
側島製罐株式会社 【愛知県】
石川貴也 氏
「抵抗があっても、変革を進めていかなければいけない場面はあって。僕はいつも、『過激なことを丁寧に』と心掛けているんです。ガラリと変えるけど、可能な限り丁寧に導入や伴走することを心がけてます」。
そう、自身がアトツギとして意識している心掛けについて話すのは、愛知県海部郡に本社を置く側島製罐の6代目・石川貴也さんである。側島製罐は、お菓子や海苔、カーワックスなどを入れる一般缶の製造・販売を手掛ける企業だ。
大学卒業後は日本政策金融公庫に勤務し、中小企業の支援にやりがいを感じていたものの、「家業に対して、直接恩返しはできていない。このままでは後悔する」という思いから、家業へ戻る道を選んだ。
右肩上がりにはなっていない経営状況への危機感を社員にも共有し、ミッション・ビジョン・バリューを全社で作り上げるなど、社員とともに改革を進めている最中である。
家業に戻って以来どんなことに取り組んできたのかや、大事にしている「過激なことを丁寧に」の具体例について、石川さんにお話を伺った。
天職だった仕事を捨て、恩返しをするため家業に戻る
一般缶と呼ばれる種類の缶の製造・販売を手掛けています。缶には飲料缶や塗料缶、ドラム缶などいろいろな缶がありますが、弊社で製造しているのは汎用性が高くて何でも入れられる缶で。お菓子や海苔、お薬やカーワックス、蚊取り線香などを入れる缶を作っています。明治39年創業ですが、創業以来事業転換はしておらず、ずっと缶を作ってきました。
100年以上前から缶を作り続けてきたんですね。創業当時は今ほど缶に何かを入れる文化が無かったように思うんですが、何を収めていたんですか?
創業時は、蚕の養蚕に使う孵化装置としてブリキの缶が使われていたそうなんです。戦時中には陸軍から要請があって乾パン用の缶を製造していたみたいですね。
缶づくりの用途がどんどん変わっていったんですね。ぜひ、石川さんの学生時代や家業に入るまでのキャリアについても教えてください。
高校3年生のときは東京の私立大学を受けまくったんですが、偏差値が40くらいしか無くて全部落ちてしまったんです(笑)。双子の妹は現役で名古屋大学に進学したので、「まずいなあ、頑張らないと」と思いました。それで浪人して、1日15時間くらい勉強を続けて慶應大学に合格しました。
ビリギャルの世界ですね!当時は、家業を継ぐことを意識されていたんですか?
「継げ」と言われていたわけではないんです。でも「将来継ぐかもしれないから、いい大学に行っておかないと」とはジャブのように言われていて。だから、「いずれ愛知に戻ってきて継ぐのかもしれない」とは、ふわっと思ってました。
大学卒業後は東京で日本政策金融公庫に就職されてますよね。家業を意識して就職活動をされたんですか?
少しは意識してました。ただ、将来のために何かを学ぶというよりは、身近で中小企業を見て育ってきた原体験があるので、「中小企業を支援するような会社に行きたい」という思いがあった感じです。ただ、実際は当時の2ちゃんねるに書き込まれていた「ホワイト企業ランキング」を見て、受ける企業を選んでました(笑)。
「就活のソースは2ちゃん」の気持ち、わかります(笑)。
あと、大学時代にイギリスへ1年間留学していた経験も大きかったかもしれません。留学に行くまでは「日本のものづくりはすごい」と思っていたのに、いざ行ってみると日本製品はあまり見かけなかった。韓国や中国の製品が溢れていた。「あれ?日本やばくない?」って危機感を覚えましたし、僕は日本が好きなので、日本の企業や日本社会の役に立つ仕事がしたいなと思ったんです。
留学時の経験から、ものづくりへの考え方は変わりましたか?
機能的価値の訴求はもう難しいかもしれないなと思いました。これからは、情緒的価値やデザインにこだわって、打ち出していくことが大事だなとぼんやりとではありますが危機感を持つようになりました。。
なるほど。そうして入社した日本政策金融公庫には結構長く勤められたんですよね?
どんなところに楽しさややりがいを感じていたんですか?
10年近くいました。支店では地域のステークホルダーと連携して金融支援を行ったり、本店では制度設計や運用、関係省庁との調整業務等をしていて・・・社会を支えている実感がすごく得られたんです。お客さんから「融資のおかげで、従業員を守ることができて、子どもを大学に行かせることができました」といった話を聞くとすごくうれしかったですし。内閣官房に出向した際には政策運用や企画にも携わったので、黒子ではありながらも「日本社会のためになることをできている」という実感があったんです。
それだけのやりがいを感じられていたのに、どんなきっかけから退職して家業に戻ろうと思ったんですか。
金融の本店や中央省庁で中小企業支援の旗振りをする一方で、「家業に対しては何もできてないな」とふと思ったんです。自分がここまで来られたのは、家業のおかげであり、そこで働いてくれている従業員の方がいたからで。大局的に見ると支援できているのかもしれませんが、個別に恩返しはできていない状態で。「もしこのままアトツギにならず、父ちゃんの会社を無くしてしまって、自分を育ててくれた人たちが職を失うようなことになったら、自分は本当に胸を張って生きていけるのか?」と自問自答して。悩んで悩んで結論を出しました。
日本政策金融公庫のようなところで働いていると、マクロで物事を見て全体の絵を描く仕事が多いですし、それって楽しいじゃないですか。一方、家業に入ると泥臭い現場仕事も多くなるわけで。その辺りに対して抵抗は無かったですか?
僕は、仕事の内容や規模の大小でやりがいは変わらないと思っていて。日本政策金融公庫にいようが、内閣官房にいようが、側島製罐でみんなと一緒に缶を作っていようが、社会に対して価値を提供して、誰かの幸せをつくることは変わらない。そう思うからこそ、全く気になりませんでした。
石川さんの確固とした価値観がある証拠ですね。とはいえ、家業に戻るにあたって不安もあったと思います。奥様からは何か言われなかったですか?
反対はされませんでした。妻はフィンランド人なので祖国の価値観の影響もあると思うんですが、「ご飯が食べられて、みんな幸せに暮らせるならいいんじゃない」って(笑)。
「なぜやるのか」をとにかく丁寧に説明する
家業に戻って、一番最初に何をしましたか。
まず、会社全体を把握して、できていることと不十分なところの棚卸しをしました。父親に紹介してもらった、似た規模の同業他社で半年くらい修行を積んでから家業に入ったこともあり、そこと比較もしつつ、改革しなければいけないところを洗い出していったんです。その後、最初のアクションとして取り組んだのはSlackの導入だったと思います。
Slackの導入にしても、新しいことに取り組んだり何かを変えたりすることって、既存の社員さんにとってみると相当抵抗感があると思うんですが、いかがでしたか。
「なぜそんなことを」とか「今までのやり方があるんだから」といった、抵抗はあったと思いますよ。それでも、変えなきゃいけないのでガリガリやりました。僕、「過激なことを丁寧に」って心掛けていて。ガラリと変えるけど、導入や伴走はめちゃくちゃ丁寧にやるようにしてるんです。
「過激なことを丁寧に」っていいフレーズですね。具体的にはどんなことに気を付けていたんですか?
HowやWhatの話をしても響かないので、何をするにしても「なぜやるのか」をセットで言い続けてました。たとえば、今までは見積書を各自が手書きで作っていて、ひな形もバラバラだったんですね。それを自動化するにあたっては、「電卓だと計算ミスが起こりますよね。それに、人によって見積の方法が違ったら、価格が違ってお客さんを混乱させてしまう。お客さんに迷惑を掛けないためにも自動化するんですよ。それが信頼であり、仕事の価値ですよ。」ということを、とにかくわかりやすく言語化することに努め丁寧に丁寧に説明しました。
社員の方に対してはどんなメッセージを打ち出したんですか?
2021年の年始早々、約6時間くらい掛けて全社員に話す機会を設けました。内容としては、「うちの会社、現状維持ではそろそろまずいですよ」という話と、「みんなが幸せに働くために、どうやっていけばいいと思いますか」という問題提起です。それまでは、会社全体が個人商店の集まりのような雰囲気で、「他の部署のことは知らない」という空気が流れていたし、軋轢も多かった。けれど、社員一人ひとりと膝詰めで話をしてみると、「もっと仲良くやりたい」「もっといい会社になってほしい」と熱く語ってくれる人も多くて。だから、そんな想いに応えるためになんとか変えていきたいなと。
6時間のミーティングというところに本気度が表れていますね。
社員とともに、ミッション・ビジョン・バリューを策定
全社会議以降は、どんなことに取り組んでいったんですか?
ミッション・ビジョン・バリューを作ることにしました。うちの会社は、下請けでやってきたこともあり昔から経営理念が無くて。当初は人事制度や就業規則を変えていくことから取り掛かろうと思っていたんですが、何をやるにも「なぜやるのか」という筋が無きゃいけないなと思ったんです。「こういったミッション・ビジョンがあるから、それに沿った取り組みをしましょう」、「バリューがあるから、それに沿う行動をしている社員のお給料を上げましょう」という軸がなければどんな取り組みもその場しのぎのパッチワークになってしまうなと。
ミッション・ビジョン・バリューはどのようにして作っていったんですか?
まずは自分が勉強しまくりました笑 自分自身家業に戻るまで、ミッションとかビジョンという言葉も聞いたことも無ければ、それを作るなんてやったこともありませんでしたし、そもそもプロマネ的な事すらやったこともなかったので。
本を読み漁ったり、Twitterで繋がっていたベンチャー企業の社長に頼み込んで直接レクチャーしてもらったりして知識を深めつつ…アトツギ仲間に10時間ぶっ通しで壁打ちしてもらったりしたこともありました(笑)。
そこからは、社員と一緒に「僕たちが何を目指すのか」を考えて作っていきたかったので、プロジェクトを立ち上げました。有志を集めたところ、社員30人中約半数くらいが参加してくれたんです。半年ほど掛けてみんなで考え抜いて、ようやく最近バリューまで完成しました。あとはこれからその価値観に基づく行動集を全社員で作っていくところです。
そんなにたくさんの社員を巻き込むことができたんですね!
社員もうすうす「経営状況が昔ほど芳しくない」と気付いていたのは大きかったかなと思います。アトツギの仲間の話を聞いていても、経営が順風満帆な会社は、何かを変えるときに「今、儲かっていて給料にも不満が無いのに、なぜそんなことやらなきゃいけないの?」と社員から声が上がりやすいようで。
確かにそうかもしれません。
一方でうちは、昔に比べると利益も少なくなり、赤字を出すこともある会社なので。みんな言葉にはせずとも、「うちの会社はこのままで大丈夫かな」という不安があって。だからこそ、僕の呼び掛けが届いたんだと思います。
なるほど。ちなみにミッション・ビジョン・バリューの重要性って、特に年配の社員さんにとっては、言葉もとっつきにくくて、なかなか理解してもらいづらいように感じるんですが。
うちは60代以上の社員が8人と、年配の方も働いていますが、基本的に「ミッション・ビジョン・バリュー」という言葉はそのまま使っています。ただ、「それって何?」「なんで必要なの?」と思われて当たり前だと思うので、最初は説明資料を作ってめちゃめちゃ丁寧に説明するようにしています。
ここでも「過激なことを丁寧に」を意識されたんですね。
<Mission>
「世界にcanを」
<Vision>
「宝物を託される人になろう」
<Value>
「歴史を超える価値をつくろう」
「自分の言葉で熱く語ろう」
「まっすぐやろう」
「高め合うために、分かち合おう」
「笑顔に全力でコミットしよう」
ミッションは、文字通り缶屋さんの「缶」と「できる」の意味の「can」を掛けていて、「できることで、感動をつくりたい」という思いからです。昔から、缶って思い出のものを入れるじゃないですか。それに、お菓子用の缶も「このお菓子を食べて、喜んでもらいたい」という作り手の思いを預かっている。思いを預かる役割が缶にはあるし、誰かの思いや宝物を託される存在になることが理想です。
そして、ミッションやビジョン実現のために僕らがどんな価値観でやっていくかという姿勢を、バリューに込めました。
これを、皆で納得して作り上げたのがすごいですね。
衝突や失敗もたくさんあり本当に大変でしたが、みんなで納得いくものが作れたというのはすごく達成感がありました。
「欠員を埋めるための採用」ではなく、「戦略的な攻めの採用」を
新規の採用についてはどう考えてますか?
私は欠員補充じゃなくて、攻めの採用をしていきたいと思っていて。というのも、内閣官房にいたときに、首都圏の大企業人材を地方の中小企業に送り込んで中小企業の成長を促す「プロフェッショナル人材事業」というものに携わっていました。そこでの経験から、穴埋めではなく、新しい事業領域の強化に貢献できる人材や専門性を持った人材、今後の戦略を実行するための人材を採用する意義を感じていたんです。家業に戻ってからも、こうした意識の元で採用活動を行ったところ、アトツギとしての私の思いに共感していただいた自動車関連企業の元工場長の方を迎えることができました。
すごいですね!中小企業は欠員が出たら採用するのが一般的だと思いますが、石川さんは「攻めの採用」という意識をお持ちなんですね。アトツギが会社を変革していく上で、参謀となるような存在は重要ですもんね。
はい。そして、採用をするためにもミッション・ビジョン・バリューの確立は絶対欠かせませないと思います。ビジョンの無い会社に人は集まりませんから。
仲間とともに、「関わる人みんなが幸せになる会社」へと育てていきたい
では、今後についてのお話も伺えればと思います。石川さんは6代目だそうですが、いつ事業承継をされる予定なんですか?
5年以内を目途に事業承継を行う予定と勝手に思ってます(笑)。当初は父親が70歳になる3年後の予定だったのですが、社内の立て付けを整理して、組織の基本の「キ」を整備するスタートラインにまだ立てていなくて。フリーハンドで動きやすい今の立場であるうちに、出来ることを全部やって、インフラを整備して、それが整ったところで交代したいなと思っています。
理想の形だと思います。代表になったら、フリーハンドで今出来ていることに制約が出てきちゃいますもんね。
はい。それに、僕が社長になった瞬間、すべてが命令に聞こえてしまうのも少し懸念してます。今回のように「ミッション・ビジョン・バリューを作ろう」というときも、僕が社長として呼び掛けたら、命令や強制に聞こえてしまってただろうなと。僕の今の立場を最大限生かして、社員を巻き込みながらやれることをやり切りつつ、自分が継ぐまでにボトムアップが強いフラットな組織を作りたいと思います。
基盤が整って代表になった後は、どんなビジョンをお持ちなんですか。
一番は、「みんなが幸せになる会社」をつくりたい。いわゆる近江商人の「三方良し」じゃないですけど、側島製罐に関わる人たちがみんな幸せになる会社になりたいなと。以前、ある記事で読んだんですけど、「金曜日をみんなが嫌がる会社」というのがあるそうで。
「金曜日を嫌がる」ですか?
普通は、日曜日に「明日から仕事なんて嫌だ」と思うじゃないですか。でも、その会社の社員さんはチームワークが良くてみんな楽しく働いているから、「同僚に会えなくなる週末が寂しい」って言うんだそうです。うちも、会社に行くことや仕事自体が楽しみになるような、そして「働くことで人生が豊かになる」と社員に実感してもらえるような会社にしていきたいです。
なるほど。石川さんのお話を聞いていると、そういった会社づくりが実現できそうだなと感じました。ちなみに、今後の事業領域はどう考えてますか?
もちろん缶の製造が柱のひとつであることには変わりませんが、その領域だけにとどまる必要は無いと思っています。
新しく構想していることもあるんですか?
ミッション・ビジョン・バリューを作っていて浮かび上がってきた思いなんですが、「大事なものを守ったり、託されたりする仕事」という軸に沿っていれば、手段は缶に限らなくていいと思っていて。たとえば、写真入れやハードディスクという手段もひとつでしょうし。
なるほど。
人って、大切なものを缶にしまう瞬間には特別何も思ってないんです。けれど、入れた瞬間に「大事に思っているから、取っておくんだ」という意識が植え付けられる。自分にとって大事なものが増えれば増えるほど、人生の幸せにも繋がると思うので、そういった場面をつくれるような事業をしていきたいと思います。
深いですね…素敵です!最後に、これから家業を継ごうとしているアトツギの方たちに向けてメッセージをいただけますか。
大変なことも多いので、「継いだ方がいいよ」と軽々しく言うことはできませんが、アトツギはとても面白いです。何より、どこを目指していきたいかを考えて仲間を巻き込んでいったり、新しい仲間を作っていったりする過程がとても楽しい。こうした旗振りができる仕事は世の中に決して多くは無いし、何にも代えがたい体験なので、継ぐ価値は十分にあると思いますよ。
石川さんの言葉に勇気を貰うアトツギの方がたくさんいらっしゃると思います。今日はありがとうございました。
【愛知県】
側島製罐株式会社
■取材した人
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