身近な人達を幸せにすることこそアトツギのやりがい/ 前職のノウハウ×家業の資源
【名古屋】
株式会社ビートソニック 代表取締役
戸谷 大地 氏
1982年生まれ、早稲田大学理工学部卒。2007年に株式会社ドリコム入社。2009年に家業のビートソニックに入社。2014年にデザインLED電球「Siphon」を立案し、クラウドファンディングで1500万円以上の支援に成功。2020年4月にビートソニック代表取締役に就任。
株式会社ナカムラ 専務取締役
中村 慎吾 氏
平成元年生まれ。名古屋市出身。大学卒業後ジーンズメーカーに就職し、2年後マーケティングのコンサルティング会社に転職。音楽アーティストの商品開発やマーケティング戦略などに携わる。お菓子の卸問屋三代目で、現(株)ナカムラ専務取締役。江戸時代から続く『組み飴』の文化を孫の代まで残すため、まいあめ工房からmyameへブランドをリニュアル。飴でさまざまな企業のPRや商品を開発している。
2020年10月14日に開催された『Nagoya Atotsugi Venture Project』のキックオフミーティング3回目。ゲストスピーカーに株式会社ビートソニックの戸谷大地代表取締役と、株式会社ナカムラの中村慎吾専務取締役を迎え、株式会社LEO代表取締役の栗生万琴さんがモデレーターとして司会進行を担当。他では話せないアトツギのリアルトークが炸裂!参加者からも、積極的に質問が飛び交い、盛り上がりました。
主催:名古屋市経済局産業労働部中小企業振興課
運営:一般社団法人ベンチャー型事業承継
ベンチャー企業を経て家業に
大学卒業後、Web広告のベンチャーを経て、2009年に父が創業した家業の「ビートソニック」に入社しました。 僕が代表に就任したのは2020年4月。コロナ禍の真っ只中(笑)。うちのことをお話すると、1991年に父親が創業した会社。今は約40人の従業員がいますが、当時は父親1人でやってました。作っていたのは、音楽の振動に合わせて、車のシートが一緒に動く「体感オーディオシステム」。1台30万円くらいする高いモノなんですが、結構売れてて。 そこから車のオーディオなんかを作るように。うちの会社って車をイジるような、いわゆる「やんちゃな車」が好きな顧客に支えられていたんですよ。ただ、時代は「車に改良を加えること無く、そのまま乗る」というスタイルに移行していきます。で「このままじゃダメだ」ってことでLEDを作るように。 紆余曲折を経て、僕が2014年にリリースした『Siphon』の開発につながる感じですね。クラウドファンディングで資金を調達したので、おかげさまで全国で話題になりました。
ビジネスの種は足で稼ぐ
今は、江戸時代から続く『組み飴』の文化を孫の代まで残すため、新ブランドを立ち上げて展開中です。大企業のロゴが入った飴を、ノベルティとして作ったり。飴って、昔から「飴ちゃん」と言われるくらい身近なコミュニケーションツールだったんですよ。 将来的には、駄菓子で人と人をつなげるコミュニケーションを生み出していければなあと。あ、あとはコンサル業もやってますね。アトツギになって感じたのは、サラリーマンと経営者の違い。サラリーマンって仕事が細分化されてるじゃないですか?「営業は、あなた」みたいにそれぞれ専門性があって、任されてる。でもうちみたいな8人くらいの会社の経営者になると、企画も営業もその他の業務も全部自分がやることになるって気付かされました(笑)。
飴を通じて社会に何かできるんじゃないか
高校生までは「東京に行きたい」という一心で(笑)。だから、東京の大学に合格したら、即決。その後、入社後は当時ベンチャー企業だったWeb広告会社で働いてたんですが、その頃って、ネット界隈がほんと賑わっていて、お祭り前夜みたいな感じ。今でもITを席巻しているような人たちが集まってた。今でも交流は続いてます。 Web広告は、とにかく面白かった。ブラウザの履歴なんかを使って、ユーザーの行動に応じた広告を出す事業。たとえば、「車に興味を持ってる人に対して、車の広告を出す」みたいな。「これはイノベーションだな」って感じてたし、実際、何百億円もの巨額な広告費を使う大企業とも一緒に仕事をしてて充実した毎日を過ごしたんですよ。 ただ、一転して暗雲が…。ある日、総務省に呼び出されて「このビジネスには問題がある」とのお達しがあって、事業がストップしちゃった。数年かけて、血を吐くような気持ちでやってた自分の事業領域が強制的にストップさせられたことに、とても悔しい思い気持ちになると同時にやる気を失っちゃったんですよね。ここが「急降下の時期」ですね。その頃に、家業を継ごうと思いました。あ、その後、結婚して「上がり」ましたよ(笑)。
僕は、幼少期は奔放主義で自由に遊んでました。この頃は楽しかった感じですが、高校に入って下がります。大学に入ってからは、遊びまくってたんで更に下がった(笑)。 大学卒業後は、ファッションが好きだったんで、ジーンズメーカーに就職しました。企画営業を希望していて、最初はそこに配属になったんですが、社内の都合で、地方の店舗での販売員に配属に。自分としては不本意な仕事だったんで、ここが「一番底の状態」かなぁ。企画書を本部に出したりもしてたんですが、通らない。 で、コンサルティング会社に転職。ここではwebやマーケティングなどを学べたし、面白い仕事だったんで「激上げ」っすね。家業を継ぐきっかけは、「社会に貢献したいな」という気持ち。家業の強み「組み飴」って、世界で最も丁寧に作られている飴だと考えていて。 それを継承していきたいという想いと、飴を通じて社会に何かできるんじゃないかと思いついたんですよね。ちなみに、うちの家庭では「家業を継げ」と言われたことは一度もなかったですよ。
アトツギだから新規事業に挑戦できる
お2人とも、新規事業を立ち上げて成功してるけど、既存事業との両立は大変じゃなかった?
新規事業はおかげさまで順調。新しいことに挑戦する時、本業が儲かっていたらやっぱりやりやすいっていうのはあるかな。うちの場合は、カー用品全体で見たら業界的には「頭打ち」状態だったけど、自社は利益がしっかり出てたので、新規事業を進めやすい環境だった。 でも最初の頃はLED電球を開発しても「どこにニーズがあって、売れるか?」が全くわからないから、本当に売れなくて(笑)。小ロット生産になるなので、大手メーカーが作ってる価格よりもどうしても高くなっちゃうんですよ。事業としては全然ダメでしたけど、やり続けました。 続けられた理由の一つは、時間が作れたからかな。アトツギで家業に入ると、他の従業員は経験者。未経験の自分はやることないので、前職での経験を活かして広報をやったりしつつ、新規事業に取り組むことができた。アトツギで入って数年くらいは、挑戦しやすいんじゃないかな。ただ、最初から高いモチベーションで新規事業に取り組んだってわけじゃなく「周りの人たちが一生懸命汗を流してる中で、何かやらないと」という気持ちが、強い推進力になったって感じますね。
まずは、本業の「飴」を研究し、ターゲット設定を行なったんです。そして「新しいことをしたい」となった時、前職で経験を活かして、ノベルティ事業に。飴を使った、広告代理店のような展開をしてますね。本業に掛け合わせることで、シナジー効果を追っかけてます。あとは「やってみないとわからない」ということかな。トライアンドエラーで、挑戦を続けていくことって大事かなあと。
お2人の共通点って、前職でもともとweb周りを経験して、ITや最新テクノロジーに詳しい。それをめいっぱい活かせてるんだなあって。戸谷さんはクラウドファンディングで資金調達にも挑戦しましたよね。
確か前職の時に、アメリカで「クラウドファンディングが流行り始めてる」って話を聞いたんですよね。たとえば、クーラーボックス。普通のクーラーに音楽が聞けるシステムなんかを満載した「多機能クーラーボックス」というプロジェクトがあって。3~4人くらいの小さな集団が、一夜にして数億円を集めてたんですよ。 そんな事例を見て「未来」を感じました。自社の事を考えた時、メーカーとして「これは売れるぞ」って意気込んでつくっても売れないってことって結構あって。メーカーである以上、1つ2つ作るんじゃなく、どうしても1000とか2000とかを生産することになる。で、売れなければ在庫に。 クラウドファンディングは、プロトタイプみたいなモノのを作っておいて、需要ができてから製造にかかれる。「在庫を持たなくて良い」って、メーカーからすれば天国みたいなもの。IT業界しか知らなかったら「在庫の大変さ」はわからなかった。前職でITを経験して、家業でものづくりを経験し、「どっちも知っている強み」はあるかな。
自分のレベルアップと会社の業績が連動
お2人とも「ずっと順調にいってる」ように感じるんだけど(笑)、実際は大変なことも多かったはず。中村さん、どうですか?
経営者の業務が大変っすね。うちは、あとを継いだ瞬間、父親が別の会社の取締役になったんですよ。だから経営者としていきなり初めての経験をしまくったので、失敗ばかり。自分で動いて色々営業したりもしてたんですけど、父が経営した時よりも、業績を悪くしてしまって。父親からは直接言われなかったけど、親族からはいろいろ言われて辛かったです(笑)。 そんな中でも、事業のブランディングやターゲットの再設定に取り組みました。改善をした結果、会社の業績も上がっていった。感じるのは「自分のレベルアップと共に、売上も伸びていってるな」と。ただ、今年はコロナ禍の影響はもろに受けてて…。
アトツギで入ると、父親の経営の元で、会社を支えてくれた従業員たちと対峙することになりますよね。当時の僕は「考え方の違いがある」にも関わらず、相手をリスペクトするどころか「なぜ、もっと効率的にしないの?」ということばかりを話していた。当然、社内では浮き、一匹狼的に。大切なことは、歩み寄ってお互いのことを理解し合い、「自分の良しとする経営方針」を丁寧に伝えていくこと。それが出来てなかったし、全体が見えていなかった。 そこに気づいてから、今は良い雰囲気の中で仕事をできているんじゃいかな。環境も企業文化も違うから、アトツギで入った最初はみんな大変。自分の殻を打ち破って、いろんな人とコミュニケーションを積極的にとって、よりよい方法を模索するってのは経営者としては最も重要なことだと思う。
「専門分野にとらわれる人」と「視野を広げて横に展開出来る人」の違い
せっかくなので、会場のみなさんから「こっそり2人に本音を聞きたい」という方、ぜひ手を上げてください。
【<<会場からの質問>>】
家業に戻ってから、前職の経験で「これはより役立ってるな!」というものはありますか?
会社員時代に「とりあえずやってみろ!」とずっと上司に言われてたんですよ。「何でもビジネスになるから」と。そこでの経験が「思ったことを具現化し、商品になれば売れる」というマインドづくりに繋がり、今の家業に役立ってるかな。
今、せどりが流行っていて、やってる人は多いはず。でも、もう一歩踏み込んでみて、「何かしら自ら作って売る。売った後にお金を頂いて、顧客フォローをする」という、お金についての「一回転」を学ぶのは、できるだけ若いうちに経験しといたほうが良い。自分の力一つで課題に挑み、解決する力っていうのを実感できるから。その経験が有るか無いかで、「自分の専門分野のみにとらわれてしまう人」と「幅広く視野を広げて、横に展開出来る人」との違いになると、強く感じますね。
その分野で一番売れている製品を分析する
【<<会場からの質問>>】
新しい事業を展開するにあたって、どのように価値を決め、そして価格戦略を練ったのかを教えてください。
新規事業を始める時、その分野で一番売れてる製品を見て、「2~3倍くらいの価格で売れるモノ」を考えてみるというのは、良いかも。うちの『Siphon』も市場の5倍位の価格。大きなマーケットの中でも「マニアックでニッチな層」に向けて、ドンピシャで作るっていう戦略かな。 『Siphon』は、照明の専門家から選ばれることを考えて、作り込んだ製品。専門家たちに寄り添い、欲しい物を開発しました。そのために、足繁く専門家のところに通って、実際に手掛けた物件なども見学した。新規事業なんて、わからないことだらけじゃないですか?だから「こんなものないの?」と言われたら、こっちのもの。あとは「ここまでできるけど、どうっすか?」みたいな感じです。
うちも、単価で見ると、一番高い飴になるんじゃないかな。それはロゴを飴にできる高い技術力もあるし、1年間で8000社と取引してるという豊富な実績があるので、他社と比べてコンテンツの量が圧倒的に違う。たとえばLIXILさんからの受注は、10万個単位なんですよ。「飴ちゃんがメディアになる」というのを武器に、大手企業と大量取引をしてることが価格競争力に繋がってるし、差別化になってますね。
家業に戻る動機はなんだっていい
【<<会場からの質問>>】
実家が広告代理店をやっていて、継ぐ予定です。「家業を継いだら家族から喜んでもらえるんじゃないか?」というのが理由なんですが、それって弱いですか?あと、サラリーマンだと自分がいなくても会社は回るけど、経営者として入ると、会社の命運を握ることになるので、不安もあって。
「世の中そんなに甘くない!」っていう考え方の人もいるだろうけど、僕はぞれで全然良いと思っていて。正直、家業を継ぐモチベーションは何でもいいと思っている。家業がうまくいくとが、家族の笑顔や喜ぶ顔に結びついている。「そのために頑張る」って、凄く良い価値観なんじゃないかな。
飴や駄菓子って世の中から無くならないし、「人を幸せにするモノだ」という信念があってやってますね。
【<<会場からの質問>>】
今大学3年生で、就活中。「家業を継ぐこと」を考えて、どんなファーストキャリアを選んだら良いかを教えて欲しいです。
いろんな人がいるので、一概には言えない。会社に戻ることを見越して、近い業界に行く人もいるし、金融やコンサルみたいな業界に入って、一流と言われる人たちの息遣いを感じたりって人もいる。多分「家業の前に、これをやればいい」っていうデータって無いんじゃないかなあ。だから答えはない。僕がここで発言することで、あなたの行動が縛られることの方が良くないって感じるから。 ただ一つ言えることは「自分で作ったものを売る」という経験はした方がいいよ。今は、副業もできる時代だし、多様な選択肢があるから。あ、うちにインターンシップで来てもらうのも、歓迎(笑)。
僕の場合は、何も考えずに就活したなあ。経験から言えることは「チャレンジさせてくれる会社が、一番経験値を積める」ってこと。それができる環境であれば、どこでもいいんじゃない?20代の貴重な時間を使って、「挑戦すること」を経験することって、素晴らしいことだから。
それぞれの勝利のカタチがある
【<<会場からの質問>>】
ちょっと生々しい話を聞きたいなあと。家業に戻ってから孤独だった時期があったそうですが、どうやって乗り越えられたんでしょう?
浮いてた時は、何の結果も出せてない時期。親父とはケンカしてるし、従業員との心は離れていくし、みたいな感じ。その時感じたのは「周りを変えるんじゃなくて、自分を変える」ってこと。だから、まずは社長のいうことや、古参の従業員の言うことを、愚直にやってみるってことをやってましたね。そうやって徐々に乗り越えていったかな。
僕は元々、反骨心の塊なんですよ。音楽もロックが好きだし(笑)。だから「とりあえずバトってみる」的な感じ。何でもそうなんですが、最初は誰も自分を認めてなんてくれない。でも、結果を出すと職人さんも父親も認めてくれるようになる。結果を出すためには、どんどんチャレンジするしかない。僕の場合はそうしてましたよ。
最後に一言話すことがあるとすれば「それぞれの勝利のカタチがある」ってこと。会社としての成功は、会社によって全然違うもの。「売上を伸ばす、会社を大きくする」ってことだけが全てじゃない。 株式投資をやってる個人投資家と話をしてる時「経営者の務めは、株主の利益を最大化することだけだ」と力説されてて。それ以外の価値観は一切認めないと。うちの会社の規模だと、そういう制約を受けない。これって幸せなことだなって感じてます。 「みんなが疲れているな」って思ったらちょっと一休みしたらいいし、頑張る時は一致団結して乗り切るみたいな。自分の幸せも含めて、家族や身近な従業員の利益を最大化する、そこがハッピーになることを考えて経営できるのがアトツギ企業のいいところなんじゃないかな。
アクセル踏みっぱなしではなく、時々休むのもありなんだ…。本日はお2人共、ありがとうございました。
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■取材した人
なごのキャンパス 企画運営プロデューサー 株式会社LEO 代表取締役 粟生万琴氏
エンジニアとしてソフトウェア開発に従事した後、大手総合人材サービス会社にて社内ベンチャーを立ち上げ、Webアプリ開発に特化した事業を手掛ける。2012年 TECH系カンパニー 女性初の役員に就任、新規事業、およびマーケティング責任者として、海外事業(Thailand)の立上げ(JV)、タレントシェアリングWEBサービス(JOB HUB)の分社、産官学連携スタートアップの立ち上げ支援を担当。2016年 関西発AIベンチャー、株式会社エクサインテリジェンス(現 株式会社エクサウィザーズ)取締役として創業より参画。2019年10月 名古屋駅前の廃校になった小学校 次の100年をつくるインキュベーション施設 「なごのキャンパス」プロデューサー就任。2020年4月よりZIP-FM「Startup [N]」のナビゲーター就任。