我が町をスラックラインの聖地に/世界80カ国の眼科医療に貢献

浄光寺 副住職
林映寿 氏

1976年(昭和51年)生まれ 1999年(平成11)大正大学人間学部仏教学科卒業。

長野県小布施町 真言宗豊山派浄光寺副住職(浄光寺第34世)。仏教離れする現代において、いかに必要とされる寺院になれるかを課題にあげ数々の寺子屋活動を行う。書道ではなく筆で字を書く楽しさを伝える「筆遊び教室」、寺の裏山で快適で豪華なアウトドアを楽しむ「グランピング体験」どれも多くの人を引き寄せる五感体験となっている。2013年から導入したスラックラインは、地域や行政を巻き込み3年連続全国大会開催の後、2017年9 月にはアジアでは初となるワールドカップを開催。開催期間中人口1 万人の小布施町に3万人が訪れる。浄光寺に通う地元の子供たちの中からは、既にプロライダーも誕生。2016 年にはアメリカ・フランス・ドイツで開催された世界大会で世界チャンピオンに輝いた高校生も輩出。2019年9月、2回目となるスラックラインワールドカップを再び小布施町で開催。2018年4月から2年間、真言宗豊山派全国仏教青年会の会長として、青年僧侶や寺院改革にも尽力。2019年10月に発生した台風19号被害以降、日本笑顔プロジェクトとして精力的に復興支援を行う。復旧や救助に必要な重機や四輪バギー等の免許取得やトレーニングができる、nuovo(ノーボー)プロジェクトもスタート。

株式会社タカギセイコー 
代表取締役社長 高木一成 氏

1984年長野県生まれ。

1955年創業の眼科医療機器メーカー、タカギセイコーの3代目社長に2017年就任。

「Made in Nagano」の製品、創業来地道に培ってきた販売網を生かした事業を続ける一方、今後の事業環境に対応するための社内改革、さらなる販路拡大のために新市場への積極進出、コロナ禍で加速する遠隔医療への投資を行うなど、積極的に事業を加速させる。「Forbes Japan Small Giants Award 2019」で特別賞を受賞するなど注目を集めている。

アトツギたちのトークイベント「アトツギベンチャーMeet-UP!Vol.4 inNAGANO」が11月26日に配信された。今回は、「地方アトツギの活路~ローカルからグローバルへの戦略~」がテーマ。浄光寺の林映寿副住職と、株式会社タカギセイコーの高木一成代表取締役社長をゲストに迎え、株式会社鈴木法衣店の鈴木貴央取締役がアトツギ目線で、長野県と世界をつなぐ、二人の戦略を聞いた。

 

 

【主催】関東経済産業局

【共催】関東財務局長野財務事務所、長野県

【運営】一般社団法人ベンチャー型事業承継

【協力】野村證券株式会社、大同生命保険株式会社

 

 

 

アトツギと言ってもいろいろ……、なんと34代目!

 

鈴木氏
鈴木氏
今日は埼玉県からお邪魔して、先輩お二人にさまざまな取り組みについて根掘り葉掘り聞かせていただきます。では、今日この収録の場をお借りしている浄光寺の林さんから自己紹介をお願いします。
浄光寺の副住職をさせていただいています。えー、アトツギということで言いますと、私で34代目です。
林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
34!! 
ちょっとこの数字は、皆さんとかけ離れてる感がありますが、私どものお寺は国の重要文化財に指定されている薬師堂があって、室町時代初期に建立されました。

 

お寺というのは檀家さんがあって運営ができるんですが、私どもの寺はそもそも将軍さんの戦勝祈願をしたという歴史がありまして、格式が高いようなお寺だったゆえにですね、私の親父の代までは檀家さんがゼロだったんです。

 

寺の運営が難しい中で、「生きている人たちのためにもっと役に立つお寺になるべきじゃないか」と思いまして、今のお寺の改革というかイノベーションが始まりました。

 

僕は44歳なので、いつもは若いほうなんですが、今日は年長者ですね。ワクワクしながら真面目に頑張ります。よろしくお願いします。

林氏
林氏

タカギセイコーの高木と申します。眼科の医療器械のメーカーをやっておりまして、眼科に行くとある、「C」みたいなマークのどっちがあいていますか?右?左?というあの製品を日本で一番たくさん造っている会社です。

 

あとは眼科の診察で使う顕微鏡、手術で使う顕微鏡とかも造っていて、設計・開発から製造、販売、アフターサービスまで一貫してやっています。

 

祖父が65年前に創業しまして、私で3代目です。林さんの34という数字と比べちゃうとかすんでしまいますけど(笑)、よろしくお願いします。

高木氏
高木氏

 

 

 

高校3年間は好きなことをする! その代わりアトツギに?

鈴木氏
鈴木氏
じゃあ、早速本題へ。まず林さんから、お寺を継ぐことになった経緯を伺えますか。
僕は三人兄弟で姉が二人なので、小さい頃からお寺を継ぐという意識はありました。檀家がいないので、祖父は高校の教員をしながら、親父は地元の放送局でサラリーマンをしながらという状況だったので、僕も何か別の仕事をしながらこの寺に、と思っていましたね。

 

仏教系の大学に行って卒業を前にした時、親父が自分はサラリーマンをやってたくせに、「他に仕事をしてしまうと、それがどうしても優先になってしまうから、お前は寺に戻れ」と言ったんです。

林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
仏教系の大学ということは、大学に入る前には継ぐことを意識されていました?

親父に「大学は後を継ぐために仏教系に行くから、高校は好きなことさせてくれ」と言って、競技スキーを中心とした体育科のある高校に行ったんですよ。

 

好きなこともできたし、親父との約束もあったし、サラリーマンの親父も見ていて、そんなに大変じゃないなぁと思っていたところもあったので、あまり抵抗はなかったですね。

林氏
林氏

 

鈴木氏
鈴木氏
継ぐ時に悩んだりはしなかったんですか?
そうですね、大学へ行ったら、全国各地のお寺のアトツギがいて、檀家の数が多いお寺に限ってみんな「継ぎたくない」って言ってました。というのは、週末は必ず法事があって、檀家さんが多いお寺ほどとにかく忙しい。僕はそういう問題はなかったので、あまり悩まなかったですね。
林氏
林氏

 

 

 

東京で就活するも、親父の一言で家業へ

鈴木氏
鈴木氏
高木さんにも同じ質問を。会社を継がれた経緯は?
私も長男だったんで、「後継ぎが生まれたよかったね」みたいな雰囲気が子供の頃からあって、私も「将来は継ぐもんだ」と思っていたんですけど、せっかく東京の大学に来たんで、どっかで働いてから戻ろうかなと思って普通に就職活動してました。汐留とか丸の内で働くのに憧れて、人気のある企業を上のほうから受けてて(笑)。
高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
わかります、わかります(笑)。
それが、大学3年の年末年始に実家に帰って親父と話をしていた時に、「どうせ帰ってくるなら早く帰ってきたらどうだ」と言われて……。それまで親父に継げと言われていなかっただけに、言われた時にインパクトがあったんですね。
高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
私も4人兄弟で長男だから、親戚から「将来社長になるね」と言われてきて、幼い頃はそう思ってましたけど、高校くらいから本当に継ぎたいのか葛藤し始めました。その点どうでした?悩まれたことは?

葛藤という意味では、あまりなかったかな。会社はそれなりに安定していたというか、入っても安心だな、ということもあったので。

 

あと、親父が仕事で海外によく行っていたので、楽しそうだな、いろんなところ行けるならいいじゃないかと思って入りました。まあ、理想と現実は違いましたけど(笑)。

高木氏
高木氏

 

 

 

寺のライバルはコンビニだ!

鈴木氏
鈴木氏
では、林さんはお寺を継がれてから、どんなチャレンジをしてきて、何を課題と思って取り組まれましたか?

うちのお寺は、犬の散歩か迷った人しか来ないという致命的な課題がありまして……。

 

全国にはコンビニが5万、郵便局は2万5千あって、寺は7万7千と言われています。みなさん、コンビニには結構行かれるじゃないですか。でも、うちに限らず寺にはあまり行かない。それでチャレンジの1つとして挙げたのが「コンビニをライバルとする」。

 

どの業界よりも頑張らないといけないのがお寺なんですよ。だって、分母でコンビニに勝っているのにも関わらず、人が来ないんだから。それで、お寺に来るきっかけを作ろうというのがスタート。

林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
人を呼ぶとなると情報発信したり、来やすいきっかけを作らないといけないですが……。

いい質問!「お寺に来てください」と言ったところでなかなか来てもらえないのが現実。なので、「生きている人たちにもっと利用してもらおう」と、寺子屋のようなものを始めたんです。

 

最初は人を集めようとしていたんですよ。そうすると全然集まらない。ある時気づいたのは、人を集めようとすると労力もお金も時間もかかる。「人を」じゃなくて「人が」集まるに変えればいい。人が楽しみを求めたり学びがあったりして、そこに行きたいな、行って良かったなと思う部分をつくろうと。

林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
具体的にはどんなことをされたんですか?

まず、写経や書道ではなくて、ただ「筆を持って楽しく字を書こう、自分の想いを筆に託そう」という「筆遊び教室」をやりました。これはお堂の中でやる静的な五感の体験。外では動的な体験ということで、スポーツを取り入れました。

 

そしたら人が集まるようになって、「筆遊び教室」は多い時で3教室やって100人も来ましたよ。それだけ集まると、そこでつながりがまたできて、檀家さんに、という人も増えていきました。

林氏
林氏

 

 

 

従業員の満足度にフォーカスして、人事制度を整えた

 

鈴木氏
鈴木氏
高木さんは、家業に入ってからのチャレンジは?

目指したのは自走する組織。それぞれの部署があって、会社の示す方向性に対して、会社やお客さんにとって何がいいのかを自分たちで考えてやる。

 

人事の入れ替えは思い切ってやりましたよ。倍近く管理職を増やして、それも社内での叩き上げだけじゃなくて、中途採用でも力のある人にはポジションについてもらいました。あとは、最初から幹部クラスで実績のある人に外から来てきてもらったり。

高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
急にテコ入れすると、情報伝達の数が増えたり、社員が受け入れてくれなかったりしませんでしたか?
摩擦はありますけど、そこは苦い顔しながらもうなずいてくれた。僕が社長になるまでは先代の方向に沿ってやっていたので、ガラッと変えてびっくりした人もいたかもしれないけど。
高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
変えたこととは?
経営計画の発表をして、売上や利益もオープンにしました。それから従業員の満足度にフォーカスして、中小企業にしては珍しいくらい、人事制度も1年以上かけて自分たちで作り込んだ。60歳以上の人の働き方、年功序列でなく若手を早く抜擢できるような形、やりがいを持って働いてもらえるような形の改革を一番にした。新しいことをやるというよりは、それをやる体制を整えたという感じですね。
高木氏
高木氏

 

 

 

スラックラインでワールドカップ!何より自分がワクワクできるか。

鈴木氏
鈴木氏
ご自身のスキルと家業の資源というものを組み合わせることでイノベーションが生まれると思うんですが、まずは林さん、かなり幅広くプロジェクトやられていますけど、ご自身のスキルをどのように展開されましたか。

外のプログラムは、寺の裏山を使った自然体験やグランピングみたいなもの。で、2013年にスラックラインというスポーツを始めました。寺の境内、本堂の前に綱を1本張って、そこからスタート。

 

小布施町は人口1万1千人で、小学校、中学校が1校ずつ、幼稚園が3園なので、そこにスラックラインを導入して、社会問題である子どもたちの筋力・体力の低下を解決できたらいいなと、お寺の境内地の広場を開放しました。

林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
スポーツがいろいろある中で、なぜスラックラインだったんですか?
男女、年齢問わずできるスポーツだったこと。それに、綱を1本張っておけばシェアできるから、導入としては非常に簡単なものだったということですね。
林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
スラックラインで世界チャンピオンを輩出されたり、この地でアジア初のワールドカップを開催されたりしていますよね。世界を意識的に考えられていたのか、自然とそうなったのか、いかがでしょう。

 

スラックラインを愛好する子供たちに、もっと上手な人たちの技を見せてあげたいという想いが出てきたんですね。それで、2014年から日本にいるトップの人たちをこの地に集結できたらすごいと思って、2014年、2015年、2016年と全国大会を行いました。

 

子どもたちもスキルアップして、わずか3年で世界チャンピオンが誕生した。それで今度は世界の舞台を僕たちがつくりたい、アジアで初めてのワールドカップをやりたいと思ったけど、「認知度もなく、スポンサーが集まらないし、世界の大会が地方でできるわけない」と言われました。でも、僕は「前例がない」と言われるとワクワクしちゃうほうで、モチベーションになって(笑)。

 

そこからスイッチ入って、通常は2年準備期間が必要なところ、わずか10ヶ月で開催しました。2017年に、台風が来るからと長野県下の大きなイベントが中止になる中、前日に進路が変わってワールドカップだけができた。人口1万人しかいないのに、3万人が訪れるというミラクルが起きたんです。それ以降、毎年やって、今年もコロナ禍でしたけど無観客でやりました。

林氏
林氏
鈴木氏
鈴木氏
すごいお話!実現するために、立ち回り方で意識されていたのは?
僕がワクワク感を持っていること。あとはいかに人を巻き込んでいくのかということですけど、ワクワク感があると変わった人たちが寄ってきてくれるんですよ。で、「絶対にやりたいんです」と言うと、足りないリソースが集まってくる。「自分はこれなら協力できますよ」みたいなのが意外とあるから、口にするようにしています。口にしないと伝わらないし、僕が無理でも誰かはできることがある。実際、開催の費用は5ヶ月で集まりました。
林氏
林氏

 

 

 

横のつながり、海外とのつながりで事業が飛躍した!

 

鈴木氏
鈴木氏
高木さんは、人事について取り組まれたということでしたが、ご自身の得意なところやスキルをどのように掛け合わせましたか?

 

僕が得意なのは、人とのコミュニケーションかな。3年くらい前に眼科の先生と「眼科も目の画像をスマホで撮って診察する時代が来るんじゃないか」と話していて、先生のアイデアが面白くて盛り上がったんです。

 

例えば、離島とかだと診療施設がなかったりしますし、日本はまだ行き届いているけど、アジアとか海外では眼科の専門医が国に数人しかいないというところもあるんですよね。だから、スマホで写真撮って専門の先生がいるところに送れば遠隔診療ができるよね、と。

 

スマホには眼科の診察に必要な写真が撮れるアタッチメントを付けないといけないんですけど、うちはそのノウハウあるので、「じゃあ、うちでつくりましょう」と。先生はアプリをつくって、うちはデバイスつくるだけじゃなくて販路もあるのでそれも提供して。そんな感じで横のつながりみたいなものをつくっていくのは得意かな。

高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
高木さんの会社は80カ国とつながりがありますよね。世界とのコネクションをどうつくったのかということと、海外で戦う上で意識していることを教えてください。

うちは50年くらい前から海外の売上のほうが多いという状況がありまして。なぜかというと、医療器械メーカーの部品の下請け工場からスタートした中で、徐々に部品加工だけでなく組み立てとか塗装も引き受けるようになって、製品を造れるようになったと。

 

そんな時にメーカーから値下げ要求があって、製品造れるんだから、自分たちでいいものをアイデア出して造ればいいんじゃないかと、メーカーになったんです。当然、仕事出していた会社からの逆風があって、それで海外に目を向けるようになった。

 

祖父も父も、英語もできないのに年に何回も展示会とか行って製品アピールして・・・すごいですよね。MADE IN NAGANOにこだわって、アイデンティティとして日本製の良さをお客さんに届けている。それをずっとやってきたことで培われた信頼が競争の源泉になっているのかなと思いますね。

高木氏
高木氏

 

 

 

前例のないことをやろう!アトツギにしかできないことをやろう!

鈴木氏
鈴木氏
まだまだ聞きたいことありすぎるんですけど、最後に若いアトツギの方にエールをお願いします。
どの業界も本当に今、大変な状況だと思います。私たち寺院も皆さんに負けず劣らず意識改革しなければならないし、可能性も無限にある。「前例がない」ことに突き進んで、これをモチベーションに変えてほしい。「前例がない」ということは自分たちがルールを作れる、パイオニアになれるということです。守るべきもののためにはそういったイノベーションを起こしていく必要があると思います。
林氏
林氏

アトツギの良いところでもあり難しいところでもあると思うのは、すでにある程度成り立っているところに入っていくことだと思います。事業をただ継続させていくだけなら今やっているナンバー2の人が継げばいいわけで、アトツギとして入っていく使命は、他の人がとれないリスクをとっていくこと。先代がやったことをひっくり返すくらいのことができるのはアトツギだけなので。

 

新しいことをやれば抵抗はある。でも、あなたがそれをやらなかったら他にやれる人はいないんだから、いろんな逆風に負けないで気持ちを強く持って、リスクをとって新しいことをやっていってほしいなと思います。

高木氏
高木氏
鈴木氏
鈴木氏
お二人とも力強いメッセージ、ありがとうございました。

 

 


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■取材した人

モデレーター/株式会社鈴木法衣店 取締役 鈴木貴央 氏

創業1917年、法衣(僧侶の衣服)の製造販売を営む(株)鈴木法衣店の4代目アトツギ。現在同社の取締役を務める。入社後はHPリニューアル、新商品開発、コンテンツ配信サービスリリースなどを手掛ける。現在は人事制度改革、基幹システムのクラウド化、サブスクサービスの事業化などを推進。お寺と社会と家業が共に発展していける未来を模索中。【受賞歴】EC-CUBE AWARD 2019 、日経スタアトピッチ(2019年開催)アトツギベンチャー賞・野村ホールディングス賞【その他】1990年生まれ。1歳の息子を愛してやまない新米パパ。

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