何よりも行動力。そして本質を追求すること/今だからこそ挑戦も失敗もできる
【大阪】
堀田カーペット株式会社 代表取締役社長
堀田 将矢 氏
https://hdc.co.jp/
1978 年大阪府生まれ。北海道大学経済学部卒業後 2002 年にトヨタ自動車株式会社 入社。
2008 年に堀田カーペット株式会社に入社、2017 年代表取締役就任。
「カーペットを日本の文化にする!」をビジョンにかかげ、敷込み用ウールカーペットブ ランド「woolflooring」、ウールラグブランド「COURT」、DIY カーペットブランド 「WOOLTILE」を展開する、カーペットメーカー。5 つ星ホテルや、高級ブティックなど の有名物件にも納品。
【大阪】
常磐精工株式会社
喜井 翔太郎 氏
https://www.tokisei.co.jp/
2年間建設機械メーカーに勤務後、看板製造業の家業に入社。
看板に緊急時にはストレッチャー に変形する機能を付け加えた新商品『防災看板サポートサイン』を開発し、その広報活動を担当している。
更に今年4月には看板製造の技術を生かして、コロナ対策の飛沫防止パーテーションや消毒液用スタンドを開発。
先のサポートサインと合わせて、家業に安全用品メーカーという新しい柱を作ることに奔走中のアトツギ。
関西人にとって馴染み深い南海電気鉄道株式会社(通称・南海電車)が主催した、「南海沿線アトツギソン」。2020年12月11日から3日間、34歳未満のアトツギたちが集まり、新しいビジネスアイデアを考え抜く日間耐久レースだ。そのキックオフイベントとして、トークイベントに登場したのが、家業で新しいカーペットブランドを誕生させた大阪和泉市の堀田カーペットの堀田将矢社長と、今まさに看板製造業のアトツギとして新規事業に取り組んでいる常磐精工株式会社の喜井翔太郎氏だ。新規事業開発の舞台裏について語ってもらった。
堀田カーペットは1962年に祖父が創業した会社で、僕は3代目。大学卒業後、全く違う業界で違う仕事をしていたんですが、2008年に家業に戻ってきました。製造しているのは58年前から変わらない古い機械を使って作る「ウィルトンカーペット」。日本では作れるところは数社しかありません。従業員は40名程度で売上規模は約7億円。ただ、今年はコロナの影響を受けて相当落ちることを想定しています。5つ星ホテルや、ブティックのカーペットを特注で作る事業と、自社ブランドを3つ展開中です。自社ブランドのうち「COURT」は2016年に僕が立ち上げたブランド。2008年入社した時、ちょうどリーマンショックのタイミングで売上が激減。その中で「良いモノをせっかく作ってるのになぜ売れないんだ」という単純な疑問があって。それが新規ブランド立ち上げのきっかけですね。
私自身、土木関連会社のアトツギなんですが、家業で「すぐに動ける」って凄いですよね。その行動力ってどこから来るんですか?
動いていないと死んじゃうタイプだからかな(笑)。動かないと何も始まらないという強い危機感を持っていて。でも「動くこと」は決して難しいことじゃないですよ。このイベントに参加してる時点で動いていること。事業をやっているうちに、自分のタイミングで動けるようになり、成功体験にもなってくる。家業に戻ったばかりのアトツギには「とにかく動け!」というのが僕が一番伝えたいメッセージですね。
でも先代から反対とか無かったですか?「アトツギあるある」なんですが、「チャレンジしようにも、先代やベテランが反対してくる」とか。社内に仲間はいました?
確かに、僕も最初は孤独だと思ってました。ただ、これは振り返って思うことなんですが、「仲間がいない」と思ってんのは自分だけなんですよね、実は。経営者が「危機感を持っているので、本気でやりたい!」と思っていることに「メチャクチャに反対する」って社員は実はいないのかなあと。「自分たちの会社が無くなって欲しい」とは思ってないわけだから。
ただ、やっぱり新しいことをやろうとした時、推進力を持てるのは自分しかいない。だから、巻き込み力はとても大事だと思うんですよ。でも正直「しっかり社員を巻き込めているか?」というと未だに疑問ですが(笑)。
周りを巻き込んでいるからこそ、新規ブランドが実現してるんでしょうね。
僕はやり切ることの方に重きをおいています。
やりたいことを一生懸命とことんやって、成功にまで持っていくしか無い。その間に、自然と巻き込まれてくれたらいいなあと。挑戦を続けてたらメディアなどに取り上げたりするし、「取材でカメラマンが来るよ!」となったら、社員さんのテンションや士気も上がる。
あとは、新規ブランドの立ち上げに外部のコンサルタントやアートディレクターと組みながら進められたことも、大きい。ものづくりの会社は、良いモノを作っている。でも、それを(マーケットに対して)どのように伝えることが課題だと考えている企業は多い。そんな悩みに突き当たった時は、外部の力を借りればいい。ただ、外部の「誰と繋がるか」はとても大事ですけど。
それから「既存事業と中々両立できない」という声も良く聞きます。堀田さんは、どのように両立させたんですか?時間配分とか。
結局の所「やるしかない」ってことになるんですけど(笑)、最初の頃はとても苦しかったですよ。ただ、新規も既存もどちらも苦しいんですよ。僕の場合は、どんどんと内向きになっていって。やっぱり新規ブランドの推進力は自分しかいないわけですから。それはしんどかったんですけど、それ以上に「動かないこと」の方が僕は辛かった。だから、本を読んだり、作業をしていましたね。時間配分については、考えたこと無いです。やるべきことがあれば、朝早くやったり、徹夜したりと、とにかくやるだけ。
あと、他社のブランドも含めて、何年にもわたって観察し続けることが大事。自社の場合、もしブランドが思ったように育たない時「何が違うんだろう?」と、ひたすら自分なりに仮説を立てて考え抜く。そうすると、普段喋ってくれない舞台裏のことをしゃべってくれるようになるんですよね。だから、僕のやり方は「好きだ」「気になる」ブランドや会社、人をひたすら追いかけています。それは、先の質問にあった「仲間を作ること」に繋がるコツかもしれない。
「本質は何か」を考え抜く
堀田さんの場合は、「家業継いだからこその強み」ってなんですか?。さらに、そこに掛け算した自分の強みってありますか?
僕は、自分自身に「ゼロから全く新しい何かを生み出す力」って無いと認識しているんですよ。だから、そもそも家業との掛け算でしか事業を考えることはできなかったですね。うちの会社の場合は「ウィルトンカーペットを作っている会社が日本で減っている」という環境があります。日本に数社しかないということ自体が、強みだなと。父親の話を聞いていると「本当に良いモノを真剣に作っている」ことはひしひしと伝わってくるし、そんなカーペットメーカーであることは、本当に有り難い。その良さを強みにするしか無いし、どのように伝えるのかということに一生懸命でしたね。既に売上があり、実際に利用してくれている、買ってくださるお客様がいるということはゼロからのスタートより、圧倒的に優位。これを利用しない手はないです。
あと重要なことは「本質を見失わないこと」。うちはモノを作っているメーカーで、良いものを安定的に供給することが本質。表面的に「ブランディングをやりました」みたいなことだけやっちゃうと、本業がヘタっていく。だから、「本質を見失わないこと」を強く意識し、考え抜くことが大事なことだと僕は思っています。
家業の歴史をつくった先人に想いを馳せる
それでは、喜井さんのお話を伺います。喜井さんは、29歳のアトツギで、このイベントに参加しているみなさんに近い立場ですよね。自己紹介をお願いします。
私は、大学卒業後、建設メーカーに就職しました。「いずれは家業を継ぎたい」と思っていた時、2015年に「ホームページや生産管理システムの導入などが求められているが、ネットのことはよくわからない」と代表である父親に告げられ、家業に入りました。当社は、店舗向けの看板やディスプレイツールを作ってる会社で、1967年に祖父が創業。創業時は金属の切削加工屋でしたが、父親の代で事業変換。会社の規模としては、年商5億円、従業員18名です。今年はコロナ禍でお客様の飲食店も大きなダメージを受けている状況ということもあり、既存の技術を転用し、飛沫防止用のアクリル版や消毒液のスタンドを製造したりしています。最近では、新規事業として、防災看板「サポートサイン」を立ち上げました。これは、街中にある看板が、いざという時、患者さんを運べる「ストレッチャー」になるというモノです。
新規事業には、社員さんをどのように巻き込こんでますか?また、仲間づくりって意識してます?。
堀田さんもおっしゃっていた通り、推進力は自分しかいないので、結果に繋げていくしかないですね。現在も自社の「看板」というリソースに新しいテイストを付け加えた新商品の開発も進めているところです。新しいことを進めていると「面白い」とメディアなどで取り上げてもらえることもありますが、売上にはいまのところ全然貢献していない(笑)。ただ、採用には役立ってます。「こんなモノを作っている会社に入りたい」と入社してくれることもあったりするので、売上以外の効果も出ていることを感じます。
喜井さん、せっかくの機会なので、事業の展開など困っていることがあれば、先輩アトツギの堀田さんに、質問をぶつけちゃいましょう。
あと、3年くらいで事業継承をして欲しいという要望を父親から受けています。堀田さんは先代が社長の時に、どのような準備をしてましたか?また、実際に代表になってからまず始めたことってなんですか?
継ぐ前に、意識をしてやっていたは、特に無いですね。粛々と目の前のことをやってるという感じ。社長になったから変わったことというと、借入金の書類に判子を押させられたことくらいで(笑)、実際のところあまり変わらない。
でも、振り返って思うと、歴史を生の声で聞いておくのは必要かなと感じます。うちの場合は、100年カレンダーに父親が細かく「いつ、どんなことが起こったか?」などを書き込んでいたんです。僕はそれをEXCELに転載する作業をしていたのですが、書かれていることを移すのはできるけど、「どんな想いで書き込んでいたか」まではわからない。そこを聞くようにしています。意識していることはそれくらいかなあ。組織や設備などについては、後々考えればいいかなあと。
あと、中小企業の経営者は「プレイングマネージャー」だから、自分で作業をすることは多いんですが、やるべきことはやる一方で、任せるところは任せてると思い切る決断も重要じゃないかな。
何をやるにしても動くしかない
僕も今まさに「プレイングマネージャー」をやってますね。堀田さんの今のメインの仕事は新ブランドの立ち上げですか?
正直、コロナ禍でめっちゃ暇なんですよ(笑)。ただ、やっぱり新しいことをやるしかないかなと思っていて。新ブランドを立ち上げても売上はそこまで上がらない。今は社内に向けた「インナーブランディング」が弱いなと感じているので、人事制度の見直しをしています。僕たちはどんな人と働きたいと思っているのか、それに対してどんな組織がいいのかということを追求していますね。
当社は、4つのミッションを持っていて。それが、カーペットの「気持ち良い暮らしを伝えること」、カーペットの「ものづくり」を維持発展させること、カーペットを身近に「選び買える環境」をつくること、インテリア業界で「一番働きたい会社」をつくること、なんです。僕たちはカーペットのメーカーであると同時に、カーペットの活動家だとも思っていて。「どうやったらカーペットを選んで買ってもらえるようなマーケット環境を作れるのだろう?」と仮説を立て、周りに聞きながら進めています。
なるほど。業界全体のことを考えるのが自社の将来につながるんですね。ありがとうございます。別の質問なんですが、当社も堀田さんの会社もコロナ禍をの影響を受けています。世の中が激変する中で専業メーカーとして、時代にどのように対応していくべきか頭を悩ませてます。
コロナ禍の影響は大きいです。今年はだいたい30%売上を落とすという感覚。当初は正直めっちゃキテてて。僕の言い方だと「心のコロナ」になってたんですよ(笑)。でもそこから抜け出したら、物質的なコロナはどうしようもないと思ったんです。だから今はテレビなどから「コロナ禍」の情報が入らないように、全部シャットアウトしています。
一方で考えるようになったのは「カーペットビジネスだけで大丈夫か?」という疑問から「他業種への進出も含めて、事業全体の新しいポートフォリオを構築することが必要じゃないか?」ということ。ただ、やっぱり自社の製品にこだわりがあるから、全然違うことをするんじゃだめ。そこで思いついたのは「カーペットの原料になる羊毛、羊が好きだから、牧場をやりたい」ってこと(笑)。半分本気、半分冗談なんですが、この7月に北海道に行って、4件くらい牧場を回ってきた。結果、牧場は無理だっていう結論に達しましたけどね。もう一つ、カーペットを体験できる場を提供するという意味で、不動産業界にも興味があります。今、業界の方々から色々なアドバイスをもらっているところですね。
喜井さんは、「看板と防災」を組み合わせた新規ビジネスは、なんで思いついたの?
もともと父親が「看板で社会貢献」という想いを持っていたんですよね。当社のミッションが「たかが看板、されど看板」。実は私自身が最初、個人的な考えとして、看板自体に「宣伝するだけのもの」「表面的なもの」というイメージがあって、好印象だけではなかった。ただ、「看板で色々できる。看板が実際にその場に存在しているからこそのメリットを社会に提示できるじゃないだろうか?」という考えを深堀りしていく中で、「非常用のストレッチャー」に思い至りました。そこからは行動。自分たちだけでは、ストレッチャーに必要な強度のことなど、何もわからないので、防災関連の外部の方々に話を聞きに行ったり、アドバイスをもらったりしながら、作り上げました。
結局、何をやるにしても「動くしか無い」と僕は思いますし、常に意識しています。「動く」ことは簡単なことじゃないけれど、決して難し過ぎることでもないんです。「とにかく何かをする」という小さな一歩を踏み出す、勇気を振り絞ったことが重要だなあと。そうした行動をする人たちに対して「何かをサポートできる人」になりたいと、僕自身考えています。あ、もう一つありました。事業をやる時「なぜ?」が深いほど、僕は良いビジネスになると思っていて。これは好みもあるかも知れないけど「なぜやるのか?」「なぜこの商品なのか?」といった「なぜ?」を深く深く追求していくことに、僕は共感しますね。
私は「一緒に頑張りましょう!」という世代なんで、その立場から一言。社長になる前の「アトツギ」は社内的にも社外的にも、挑戦しやすい環境だと思うんですよ。たとえば社長になってから、新規事業をスタートしてコケてしまった場合などに、「あの会社が失敗した」という全体のイメージになってしまう。だから「アトツギ」の立場で自由に動けるうちに、色々チャレンジしたいと考えていますね。
アトツギこそ「なぜ」を追求する。そして社長になる前の今だからこそ行動を起こす。僕もアトツギの一人として響きました。今日はありがとうございました。
■取材した人
ティム/マスオ型アトツギ
コテコテの理系男子の元ITエンジニアから結婚を機に土建屋アトツギへ華麗なる転身。この選択は正解だったのか...俺たちの戦いはこれからだ!!!