「ドラッグストア」×「他事業」の掛け算で唯一無二の会社に/酪農を“魅力ある産業”にイノベーション
サツドラホールディングス株式会社 代表取締役社長兼CEO
富山 浩樹氏
1976年札幌生まれ。札幌の大学を卒業後、日用品卸商社に入社。2007年株式会社サッポロドラッグストアーに入社。営業本部長の傍ら2013年に株式会社リージョナルマーケティングを設立し、北海道共通ポイントカード「EZOCA」の事業をスタートする。2015年代表取締役社長に就任。2016年より新ブランド「サツドラ」の推進をスタートする。同年8月にはサツドラホールディングス株式会社を設立し代表取締役社長に就任。その他 AWL株式会社 取締役 / 株式会社コンサドーレ取締役を務める。
「地域をつなぎ、日本を未来へ。」のコンセプトのもと、店舗や地域の資産を活かして新たな課題解決型ビジネスの創造を目指す。
有限会社十勝しんむら牧場
代表取締役 新村 浩隆氏
1971年北海道上士幌町生まれ。1993年酪農学園大学卒業。卒業後、別海、ニュージーランド、オーストラリアで放牧酪農を学び1994年家業の新村牧場に就農。就農後、繋ぎ飼育から放牧酪農に転換。2000年から、乳製品の加工販売を開始。有限会社 十勝しんむら牧場を設立。2005年、牧場内にショールーム「クリームテラス」を開店。2015年、豚を導入。山林放牧で健康な豚を飼育。1年以上の長期肥育により独自のブランド「山森野豚」を開発。循環型農業から環境負荷の少ない持続可能な経営を実践。
出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)
アトツギたちのトークイベント「アトツギこそイノベーターであれ!in北海道」が2020年11月8日に開催された。
ゲストは、サツドラホールディングス株式会社の富山浩樹社長と、有限会社十勝しんむら牧場の新村浩隆社長。
それぞれ「ドラッグストア」「牧場」という既存事業の枠組みに捉われず、積極的に新規事業へ挑戦。その原動力やビジョンを語ってもらった。
主催:中小企業庁、事業継承ネットワーク全国事務局(野村證券)
運営:一般社団法人ベンチャー型事業承継
アトツギとして事業を承継しながら、新規事業に挑戦!
私はサツドラというドラッグストアを北海道で約200店舗運営していて、その他にもいろんな事業を多角的に展開しています。あと、ウサギ飼ってます(笑)。
サッポロドラッグストアーに入社したのが2007年。当時は100店舗くらいで、北海道では略されて「サツドラ」と呼ばれていました。ただ、非常に危機感を抱いていましたね。ドラッグストア業界はM&Aが進んで、アメリカがそうだったから、日本でもいずれ数社しか残らなくなるだろうなと思って、いかにして“競合と差異化するか”というのを考えていました。
それであえて愛称であった「サツドラ」を屋号とするなどリブランディングを推進したり、地域マーケティングに力を入れて「EZOCA」と命名した北海道共通ポイントカードを運営しはじめました。それから、地域活性、地方創生にも力を入れ、インバウンド事業も拡張し、インバウンドマーケティングの会社も設立しました。
他にも、AIソリューション事業、小学生向けプログラミングスクールなどの教育事業、POS開発のIT事業などサツドラホールディングスとして、さまざまな事業をやるという戦略をとってきた。つまり、ドラッグストア市場で規模拡大によるナンバーワンをめざすことはせず、ドラッグストアに他の事業を掛け合わせることで差異化していく、ということをやってきたんですね。このような「サツドラの掛け算」で、今では日本でも世界でも唯一無二の会社になってきた。
そして、僕自身も自分らしく掛け算を増やしていったら、日本でも世界でも唯一無二の経営者になった。そうなると「北海道のドラッグストアの2代目経営者」ではなく、「いろんなことをやっている経営者」として、いろんなところに呼んでもらえるようになりました。
私は北海道の十勝で牧場をやっています。4代目ですけど、牧場をやりたくなかったのがスタート。牧場なんて、カッコ悪い、汚い、臭いで、いいイメージがなくて、子供の頃から家業を手伝っていてだんだん嫌になっていった。
大学卒業直前くらいに、バブルがはじけて就職氷河期になって、何を職業にして、どういう人生を生きるかを考えた。で、魅力を感じなかった家業だけど、「魅力がなければ、魅力ある産業にしていくべきだ」と思った。それで、牛舎で飼っていた牛を放牧し始めて、28歳で結婚して乳製品の加工を始めたのが最初の新事業。5年後にカフェを展開、それから豚を飼って、最近はサウナ事業を個人的に始めました。
新しい事業としては、牧場の観光とグランピングとバーベキューと宿泊を一体化した施設をつくっています。
「変えていく」過程で辞めていく古参社員
聞きたいこと満載なんですけど、「承継した経営資源をベースにした新しい挑戦は?」というテーマに沿って、いろいろ話を掘り下げさせていただきます。
まず、家業を継がれる前から継がれた後の気持ちの変化を、ご自身のヒストリーを見ながら教えていただけますか。
北海道にいるとどうしても「サツドラの息子」と呼ばれるので嫌でしたね。それで、福島の会社で卸の営業マンとして働き出したんですけど、最初は毎日怒られてばかりで全然ダメでした。でも、どんどん仕事が楽しくなってきて、福島から東京へ転勤して、イトーヨーカドー本部の担当をさせていただくようになった。
自分でも自信がついてきた頃に、急に父のほうから「戻ってこないか」という話があって、いろんなことができるのであればと思って入社したんです。店舗に入って、店長とかやって、チェーンストア理論に出会って、これはいい産業に入ったと思ったんですけど、だからこそこれが淘汰されていくこともわかってしまった。
それで、「変えていこう」としたら、昔からいる社員の方とぶつかった。「どうしても変わらないといけないですよね。こうあるべきなんです」と理論武装していたら、社内で少しずつ若手の味方が増えていって、外部も含めて一緒にやっていく人が増えてきた。で、そうなってくると、「自分の役割はもうないな」と幹部の人たちが辞めていった。