
デザイン一新で「世界の定番」家具を/屋根屋、新規ビジネスに活路

株式会社マルニ木工 代表取締役社長
山中 武 氏
1970年生まれ。1993年慶應義塾大学経済学部を卒業後に渡米。1995年ウィスコンシン大学ミルウォーキー校経営大学院(MBA)を卒業後に帰国。1996年三井信託銀行株式会社(現在の三井住友信託銀行株式会社)に入社。2001年株式会社マルニ(現在の株式会社マルニ木工)に入社。入社後、銀行での経験を生かして会社を立て直すとともに、木工家具メーカーとしてデザインやモノづくりを見つめ直し、外部デザイナーとの取り組みを推進。2008年プロダクトデザイナーの深澤直人氏と協働してHIROSHIMAを発表。同年株式会社マルニ木工代表取締役社長に就任。

白神商事株式会社 代表取締役
白神 康一郎 氏
岡山県の屋根屋の長男として生まれ、大学にて陶器瓦のリサイクルコンクリートに関する研究を行い、引き続き大学院にて再生PET繊維を入れたコンクリートの研究に従事。大学院卒業後、野村證券株式会社にて金融商品の開発・営業・分析業務などを経て、企業買収などのM&Aアドバイザリー業務に従事。野村證券退社後、屋根材卸の白神商事株式会社に入社。常務取締役を経て、2015年11月に代表取締役に就任。屋根材卸と並行して、エンドユーザーと屋根工事店のマッチングサイト「やねいろは」を2016年2月に開設。
新規事業を立ち上げた先輩アトツギの経験談を聞くトークイベント「アトツギこそイノベーターであれ!in広島」が2020年10月24日に開催された。ゲストは美しいイスで米アップルを魅了した株式会社マルニ木工の山中武代表取締役社長と、屋根材卸と並行してエンドユーザーと屋根工事店のマッチングサイトを開設した白神商事株式会社の白神康一郎代表取締役。実体験に基づいた内容の濃いトークが展開され、視聴者からリアルタイムに寄せられた質問に2人が答える場面もあった。
「銀行が会社の再建計画を作れと言ってきた」
東京で銀行員をしていたころ、「お前も銀行員だったら分かるだろ?銀行がお金返せ、再建計画作れ、と言ってきてるんだ」と会長だった叔父に言われて帰ったのが2001年、30歳のとき。
創業者は木工の盛んな宮島出身。「工芸の工業化」を進めて「東洋一の家具メーカー」と認められる存在だったんですが、バブル経済が崩壊した頃から業績が徐々に悪化していってたんです。
そこで、世界的プロダクトデザイナーの深澤直人さんらとの出会いを機に、猫足を中心としたクラシックからスタンダードにデザインを一新しました。2008年に「HIROSHIMA」と名付けたイスを発表以来、世界最大の家具展示会「ミラノサローネ」に毎年出展し、30カ国63店舗で展開。米アップル本社に数千脚のイスを納め、国内外のオフィスやレストランで家具を選んでもらえるようになった。
ライターと言えばZIPPOみたいに、木のイスならMARUNI。「世界の定番と認められる家具を作り続けよう」がうちのビジョンです。

屋根材の卸業を岡山で営む3代目、社員5人ほどの会社です。父を亡くした17歳から「家業を継げ」と言われて大学生活も緊張感を持って送り、「家業が変化していっても生きていける力を」と残業月200時間の厳しい証券会社でM&Aアドバイザリーの業務など5年間働いて家業へ戻りました。
家業の売り上げはギリギリ維持していたんですが、どの分野でも問屋業界そのものが小さくなっていく中では将来的に厳しくなってくると思っていました。仕事量の割に収入が高くない屋根職人さんが「もっと評価されてほしい」「注目されてほしい」との思いから、屋根工事店とエンドユーザーをつなぐマッチングサイト「やねいろは」を開設しました。
雨漏りの工事を受注するハウスメーカーは下請け業者に投げて自社では工事しません。だから下請け業者を1軒ずつ発掘して直接受注できれば、リーズナブルで質の高い仕事を提供できる。家業とは別事業として立ち上げて、現在、全国約330社に登録してもらっています。

アトツギの新規事業が理解されなくてもへこまない
わがままで偉そうな父とずっと折り合いが悪かったんですが、社員が社長に言えないことを言わされているところもあった。だから社員にすれば、僕を触媒として、言いたかったことが実現してきたという感覚を持ってくれていたと思う。
ただ「デザインを変える」には大反対を受けたんです。百貨店、家具店からセレクトショップ、商業施設へとマーケットが変わるから、営業もインハウスデザイナーも猛反対。だが反発があっても、心のどこかにやってみたい気持ちを持つ人も多かったんです。

当時は業績が厳しくて、社員は「変わらなきゃ」と思ってもどうしていいか分からなかったと思うんです。そんなとき家業に入った私の教育係がむちゃくちゃ厳しい人で(笑)。7時半に出社して全員にあいさつして回り、会社からは最後に退社しなさいと。
「そんなこともできないのか」と言われるのが悔しくて真面目にやり切ったので、結果的には「この人よく働く人なんだ」という社員の信頼を得ることはできたと思います。
ぶつかって辞めていく人もいたけど、結果的に外部デザイナーや工場改善のコンサルを入れ、新しいことをやらせてもらった。ずるいやり方かもしれないけど、社員のハートをつかみたいなら、分かりやすい行動の変化を起こすことですね。
