息子だからロジックを無視して全力でぶつかれる/父親とうまくやれるのは娘の特権/常に冷静に対応できるマスオの強み
株式会社京葉エナジー 代表取締役
岩崎剛士 氏
https://www.keiyoenergy.co.jp/index.html
外資系ホテルグループにてキャリアをスタート。「教育」や「採用」を行う人材系ベンチャーで「人」と「経営」について学び29歳の時に家業に戻る。一般社員からスタートし、社長就任後には本業を活かした事業展開を行いつつ、地域貢献などを目的にプロスポーツチームと共同で環境保護プロジェクトを動かすなど、本業から派生した活動を始める。また、「自分には起業家精神が足りない」と考え、本業に一切関係のない業種で起業。現在は5つの会社の経営に携わっている。そのほか、ビジネススクールや大学などで後継者向けの講演活動も積極的に行っている。
株式会社イトーハウジング 取締役
株式会社GRACES 代表取締役社長
吉岡愛美 氏
https://www.ito-housing.co.jp/
東京都出身、東京都在住。青山学院大学中にカナダ留学後、大手物流会社に就職。 その後、女性起業家向けのイベント企画会社の営業を経て27歳の時に独立。 留学経験を活かして、訪日外国人観光客を対象とした民泊運営事業を開始。延べ1万人以上の外国人を受け入れる。一方、三軒茶屋にある不動産会社を経営している高齢の父の跡を継げるのは自分しかいないと思い、2019年から本格的に事業承継を考え始める。2019年に初めて受けた宅建試験、賃貸不動産経営管理士試験に合格。着々と承継する準備を進めている。
三起ブレード株式会社 代表取締役社長
笠原(田中)慧 氏
https://sankiblade.co.jp/
36歳 明治大学理工学部卒。沖電気にて主に交換機のミドルウェア開発、ECサイト、AI、RPA開発等にプレイヤーからプロジェクトリーダーまで従事。「漫画家になりたい。カラオケ大好き。アインシュタイン大好き」。先代がまさかの急死、倒産待ったなし状態から、嫁の「お前継げ」の一言で、辞めたくなかった会社を脱サラし、引継ゼロで事業継承。百戦錬磨の職人が跋扈する業界にただのサラリーマンが放り込まれる。努力と根性で先代の技術を復元し、ITを駆使して職人技が必要とされる仕事を主婦がこなす独自の路線をとる。現在は先代時代と比べ売上3倍。
「息子と娘と婿/三者から見た”アトツギあるある”」をテーマに、2020年11月4日「アトツギベンチャーMeet-UP!Vol.1 in CHIBA」が開催された。ゲストは株式会社京葉エナジーの岩﨑剛士代表と、株式会社イトーハウジングの吉岡愛美取締役、三起ブレード株式会社の笠原慧代表。
主催:経済産業省、関東経済産業局
猛者の妻の一言「実家の会社を継げ」
父が創業した会社を35歳の頃に引き継ぎました。サラリーマンをやってた時、いきなり父親から「この会社をどうするんだ!」と電話がかかってきたのがきっかけ。
その時は「わかりました。週末に話だけ聞きにいきます」と答えました。というのも、僕には「アトツギ」という認識が無かった。家庭でも話題に出ることは少なかったんじゃないかなあ。
父親の話を聞き、「自分のやりたいことができるかどうか」を自問自答すると共に、「誇りを持って働けるか?」という自分の仕事観に合っているかを考えました。結果、継ぐことを決心しました。
私の場合、継ぐ前にインバウンド向けの民泊事業などを手掛ける、株式会社GRACESを立ち上げていました。起業した理由は父親。楽しそうに仕事をしているし、家族にもちゃんと時間を使ってくれる。そのカッコ良さに、高校生くらいの頃から漠然と「自分も会社を創るんだ」という考えが頭に浮かんでいました。
家業を継いだのは、父親が高齢であることと社内のお家騒動がきっかけです。父親と共に騒動を解決して、今はアトツギとして経営を手伝っています。
うちは、妻の父が経営していました。後を継ぐ気はまったく無かったんですが、義理の父が急逝し、妻から「アトツギになれ!」と強く要望され、一念発起して代表になりました。
会社を引き継いだ話になると、僕の場合「恐妻家である」という説明が必要なので、話します(笑)。とにかく強烈なキャラクターの妻なんです。付き合う時は、向こうからアプローチされましたし、結婚する時も実家に来て「結婚しますから」と僕の両親に告げた猛者ですから(笑)。
そんな妻だから、当時ITエンジニアとしてサラリーマン人生を順調に歩んでいた僕を、一言で家業に入らせたんです(笑)。もちろん、いきなりOKしたわけではなく数ヶ月は悩みましたけど。
ポイントになったのは「ものづくり」。ITも製造業もソフトとハードの違いはあれど、根本は一緒だなあと。ただ、義父からの技術継承が無い状態で入社したので、最初は大変でした。
古い体質にITを。業務効率化や生産性アップを実現
業界全体でITが進んでおらず、いまだに「ドライバーが手書き」「そのメモを事務員が入力する」という書類ベースで物事が進んでいました。この工程をIT化したいと思ったんですが、既存のシステムは高価かつ複雑で使いづらい。そこで簡単に使えるシステムを業者に頼み、そのソフトを同業他社に販売。自分たちの投資コストを削減しました。
もう一つは、働き方改革。事務職の求人を出しても、本社が片田舎にあるせいか、全然応募がこない。そこで「リモート勤務可能」と打ち出したんです。すると、全国どころか世界中から500名の応募が集まった。コロナ禍になる前の話です。
不動産業界は同じエリアに多くの競合他社がひしめき合ってる。だから「独自のやり方で戦うべき」かなと。そこで参画したのが、留学生の賃貸物件。大学にアプローチし、提携を持ちかけて実現しました。自分の会社がインバウンド事業を扱っているので、得意領域だったんです。
うちは、職人の技術が優先される会社だったので、他業種からのイノベーションが起こっておらず、ITリテラシーが低かった。やりとりも紙ベースやFAX。「ちょっとシステム化すれば業務効率と生産性が上がるな」と。
最初に手を付けたのがシステム化。感覚に頼っている職人の技工を解析し、作業手順に落とし込んだ。その結果、「脱職人」に成功し、パートさんでも職人技を駆使できるようになりました。現場からも、システム化に対する、ネガティブな反応は無かった。
ただ、既存社員との間では「理念」に抵触する範囲内での衝突はありました。論理的に扱えないものを、無理に変えれば感情的になってしまうし、実績もあるので変える必要もない。そうやって、実績のある理念を残しながら、書類のデジタル化など「ロジックで説明できる部分」を推進し、改善に取り組みました。
「人・モノ・金」についての工夫と現状。
システム投資はものづくり企業に出る補助金を使いました。「人」については、ドライバーの採用は大変だけど、管理部門はベストな組織になっています。
良い人材を集められる理由は、オフィスをきれいにしたり、社内の仕組みを整えたりしたこと。産業廃棄物処理業者のイメージを一新したことが大きかった。
お金については、お2人と同じ。人については、最初は苦労しました。ものづくりの現場って「3K」のイメージもあるし、工場の仕事はリモートでできない。そこで、働く人になるべくフレキシブルに対応し、「責任レス」を打ち出しました。
たとえば、音楽聴きながら仕事してもOKにしたし、ドタキャンとかにも柔軟に対応しています。すると、「仕事をしたい」という主婦のパートさんたちが、順番待ちしてくれるようになりました。
息子も娘もマスオも、それぞれメリットがある。
息子だから父親と争う事はしょっちゅう。しかも当人同士は「経営の考え方」など、会社のことでバトルを繰り広げていると思っていても、古参の社員からみたら「ただの親子ゲンカだから、外でやってくれ」ですよね。
ただ、実の親子の良いところは、ロジックを振り切り、本気でぶつかり合うことができること。どんなにケンカをしても、「親子の縁」を切ることはできないし、失敗や挑戦も許される。最終的に頼りになる存在があることは、実の息子ならではの特権。
娘で良かったのは「父が優しい」こと。本気で怒られた想い出は少ないかな。女性って、男性と違って、仕事だけじゃなくプライベートも含めて「全部満足したい」という欲張りなマインドがある。うちは女系家族なので、父がそれを理解してることは大きいです。
とはいえ、「私の新しい考え方」と「創業者として譲れないところ」など、父親と争い事になりそうな場面もあります。そういった、すれ違いが起こりそうな場合、直接対決はしません。家族や弁護士など父親が話を聞き入れやすい、周りの人から伝えてもらうように工夫をしています。
義理の息子の立場から言うと「こんなに恵まれた環境はない」。感情でぶつかることがなく、論争があるのはロジカルで説明できることだけなので。
妻との関係も良くなるし、楽しいと思います。仕事もプライベートも一緒なので、「公私混同、待った無し状態」になります。家庭で仕事の話をするかと思えば、会社でも「あの靴下を脱ぎっぱなしにするな」みたいなことを言ってる(笑)。会話が豊富なので普通の家族よりも、絆は断然強くなりますよ。
アトツギの考える「第三者承継」について
非同族という選択肢は、全然あり。肉親じゃない方が、ドライに判断できるから、結果としてクレバーな選択をすることができるケースも多いんじゃないかなあ。「同族だから」という理由で、負の作用が起こる組織なら、家族以外が継承する方が断然良い。
実のところアトツギになる前、僕は同族経営に反対派でした。ただ、実際にやってみて感じたのは、日本の産業の発展の礎に、同族経営があったんだなあということ。家族でやっていると不景気に強いし、事業への強い想いや続ける覚悟も強い。だから、踏ん張れるんだと思います。
小さい老舗企業の中には、同族に迷惑をかけたくないためか「自分の代だけで終わらせよう」と考えている方がけっこういますし、実際に廃業しているケースも多々見受けられます。だから、アトツギのいない会社をM&Aし、発展させていくことには賛成です。
あとは、協力し合って支えあう仕組みを作ることも打ち手のも一つ。地域や社外の会社と連携して「街を盛り上げていく」事業をすることも、面白いんじゃないかな。
ものづくりは社会から必要とされ、製造業は需要の高い業界です。ただ、「事業を継続したいけれど、アトツギがいない。会社を引き取って欲しい」と声がうちにもよくかかることもあって、M&Aをしています。
吸収した会社は、高度な技術も良い顧客も持っているし、IT化すると生産性だって劇的に上がることが多いから、成長につながっています。これからもM&A戦略を突き進めていく方針です。
アトツギとして生まれた境遇が宝物
アトツギベンチャーって、良い響きだと思う。創業後、30年生き残る企業って、0.02%くらいと言われていて、だいたい代替わりで失敗している。
でもリソースが整っている状態で始められることは、ゼロからのスタートと比較すると大きなアドバンテージ。引き継いだ資産を活かし、事業体をさらに進化させることがアトツギの仕事だと、僕は信じています。
「継ぐべきか、継がないべきか」で悩んでいる人は、安定した環境から抜け出すことや、失敗を恐れているからじゃないかなあ?僕は何もない状態で入っても、なんとかなったから「大丈夫だよ!」と言えるし、後押しをしてあげたい。
たとえば僕は、アトツギになって、視野が広がりました。それは、会社にいた時には出会えなかったような幅広い職業の人たちと直接交流するようになったからです。これは、会社員では経験できない醍醐味。ぜひ、一歩踏み出してください。
アトツギ甲子園HPへ
■取材した人
サンディ/アトツギ総研 代表
1983年生まれ。京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。財務経理、経営企画を担当し、全社横断案件やグループ連結決算の開示業務に携わる。在職中に2年間のバンコク駐在を経験。2017年に同社を退職後、シンガポールのNanyang Technological University(南洋理工大学)にてMBAを取得し、2018年9月から2020年12月まで一般社団法人ベンチャー型事業承継事務局長を務めた。現在はアトツギ総研所長を務める他、在シンガポール企業のDirectorとして東南アジアでの事業に携わる。