仙台箪笥から家具へ、国内から海外へ。 未来の顧客層を育てる挑戦。

宮城県
株式会社門間箪笥店
代表取締役 門間一泰さん

創業以来約150年にわたり、伝統的工芸品である仙台箪笥の製造を続けているのが、株式会社門間箪笥店だ。同社が新規事業に乗り出した背景には、時代と共に普段から着物を着る人が減っていき、同様に箪笥も徐々に不要なものとなっていったことが挙げられる。

「親はいずれなくなる産業だと思ってましたから、僕も継がなくていいって言われていました」。そう語るのは、代表取締役の門間一泰氏だ。大手民間企業に勤め、後を継いでほしいという周囲の期待もなかった中、なぜ自らアトツギとなる道を選んだのか。それは、150年の歴史や伝統工芸という文化、何より「自分の腕に誇りを持って働く職人たちの姿を守りたい」という想いだった。

アトツギとなってからは、高品質な木材を使った家具の販売、海外店舗の展開、全国の伝統工芸の職人をつなぐビジョンなど、果敢に新しいことに取り組んでいる。その成功の陰にある失敗や試行錯誤、アトツギとしての想いなどを門間氏に聞いた。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

 

何もやらずに会社を潰すのは嫌だった!

モデレーター/ズッキー
モデレーター/ズッキー
そもそも門間箪笥店はどういう事業をされていたんですか。

仙台箪笥っていう伝統的工芸品を工場で造って店で売っていました。江戸時代とか、昔の商売は商圏が町ごとで、狭くても成り立ってたじゃないですか。でも時代と共に商圏が変わっているのに、うちは変えてこなかった。遠くから買いに来てくれる人もいますけど、今は伝統工芸が必要とされる時代じゃない。

 

箪笥は着物を収納するために造られているので、着物を着なくなれば必然的に箪笥も不要になりますよね。今は備え付けのクローゼットがあるから洋服ダンスも必要ないし、テレビボードとかを造ることもできたけど、それもやらなかったから、まあジリ貧でした。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

危機感はなかったんですか?

歴史ある会社にありがちなんですけど、土地を含めて最低限の資産はあるから危機感はなかったみたいですね。僕はリクルートに勤めてたんで、給料も良くて安定してたし、親からも「継ぐ必要ない」って言われてました。「いずれなくなる産業だから」って、親も何かを変える気もなかったですね。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

「継ぐ必要ない」って言われていたのに、どうして継ぐことになったんですか?

たとえば、食材が同じでも、誰が料理するかで最終的なアウトプットは変わってきますよね。それと同じで、親ができていなくても、僕がやってみたらできるかもしれないと。それでダメなら潰せるけど、やらないで会社を潰したら後悔するかなと思って継ぐことにしたんです。歴史というのはお金で買えるものじゃないし、職人も後から急に雇えるわけじゃないんで。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

家業に入られたのが東日本大震災の後ですよね。

リクルートに入ってちょうど10年だった年に辞めて継ぐつもりだったのが、東日本大震災が起こって、いったん見合わせようとしたんです。そしたら父が病気で死んじゃって、結局、震災の後に継ぎました。辞めるのをやめることをやめて、辞めた(笑)。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

子供の頃から継ぐという意識はありました? 僕も鰹節屋のアトツギで、大学の頃くらいからは「30歳くらいになったら戻るかな」とふんわり思ってはいたんですけど……。

ずっと継ぐことを決めてたから、リクルートに入ったところもある。リクルートって社員が辞めることに対して前向きな会社で、「退職」じゃなくて「卒業」って言うんですよ。AKBみたいに(笑)。僕も30歳くらいまでって考えてたかな。ただ、30歳くらいの時って、仕事が面白くなってくるんですよね~。結局継いだのは35歳くらい。

門間氏
門間氏

 

 

 

前職で培った人脈が新事業で活きた!

ズッキー
ズッキー

実家に戻った後って、どういう仕事から始めたんですか? 特にお父様が亡くなってたら、経営者目線でのビジネスのやり方とかわからなかったんじゃないですか?

実務的なことは母がやっていたので、父がいなくて困ることって、実はあまりなかったんですよ。箪笥を造るのも分業化が進んでて、職人は指物師、塗師、金物師って分かれていて、誰が何をやるのか決まってるんで、僕が特にまわす必要もなかったですし。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

その中で次のステップを目指そうとされたわけですが、新しい事業はどう展開していったんですか。

百貨店の催事も含めて販路を広げてます。将来、お客さんになってくれる方々へのアプローチとして、高品質の木材の家具を扱うようにしました。今から種蒔きして、顧客の層を増やしていこうと。それはそこそこ売れたんですけど、限界を感じて、次は海外で売り始めました。日本よりお金持ちが多いから香港で始めて、今は上海にも店舗があります。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

新しいことを始めた時の課題とか、やっていく途中での壁とかありました?

そもそも僕自身が小売りしたことなかったので、どうやって売ったらいいかわからなかったし、職人が工房で造ってるような家具の仕入れ先とかもわからなかった。

 

ただ、リクルートにいた時、最後の2年間はブライダルの「ゼクシィ」の部署にいたんですよ。そこで「ゼクシィインテリア」っていって、結婚した後の新生活の家具を扱う領域にいて、家具屋さんの販促のコンサルをやってたんです。そこで知り合った大阪の家具屋さんがいて、相談したら「こういうところ行ったら」って展示会を教えてもらって。そこで目利きして、うちに合うものを増やしていったって感じですね。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

うわー、アトツギベンチャーの定義として、「家業の資産」×「アトツギの資源」って言ってるんですけど、まさに門間さん自身の資源を上手く活かせたんですね!「家業」と「かつての仕事での人脈」との掛け算!

確かに、あの人脈がなかったら厳しかったかもしれないですね。

門間氏
門間氏

 

 

家業に戻って最初は上手くいっていると思っていたけど……

ズッキー
ズッキー

僕の実家では、鰹節の削り方とかカンナの刃の合わせ方とか、技術みたいなのはあるので、それを僕が継承すべきなのか、そこは完全に別の人に任せちゃって、僕は営業とか企画とかをやるべきなのか、悩んでいるところなんです。

 

鰹節を扱える人が父の世代しかいないから、若手の職人を入れないと技術が継承できなくなっちゃうんですよね。門間さんのところはどうですか?

昔から若手はいましたね。来るもの拒まずだったし、たまにやりたい人がいて、知り合いの紹介かなんかで雇ってくれと言われたり。今も一人若い職人がいるし、来年戻ってくる人も若いですよ。30年いる72歳のベテランも一人いますけど。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

若い人がいるのはいいですよね。僕は帰ってすぐ同世代や若い仲間を採用するところからスタートです。育てたあげく離職する可能性もあるし、壁は多い……。門間さんはリクルートで培った人材系のノウハウも活きていると思いますか?

どうなんですかね、活きるかなと思ったけど、それほどできてないかも。マネジメントの知識はあるけど、人って個性があるでしょ。リクルートのスタッフと、家業のスタッフはタイプが違うし、仕事も違う。それなのにこっちがリクルートと同じことやってたら結果は出ない。最初はそれを理解してなかった。正しいと思ってたんで。でも正しくなかった。結局、揉めて辞めた人もいました。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

どれくらいでそのすれ違いに気づいたんですか? 気づいてすぐ立て直せるもんですか?

5年くらいで見えてきたかな。最初は上手くいってる感じになるんですよ。経営者の子どもってことで周りも気を遣ってくれるから。リクルートの人は嫌なことは嫌と言う人たちだったし、フラットな上下関係だった。でも、家業では、社員がなんでも言えるわけじゃないし、遠慮もあったんだと思う。僕は勝手に仲間になったつもりでいたけどそうじゃなかった。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

見えてくるまでに時間がかかったってことですね。蓋を開けたらそうだったっていうのは辛いですね……。

蓋が開かない。開いた時には手遅れで、漏れてるって話(笑)。それで気づくパターン。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

門間さんは課題解決能力みたいなのはどこで身につけたんですか。

やっぱりリクルートですかね。ダメでもいいから最後まで「やり切る」というのは身につきました。「やり切る」っていうのは、「いつまでに何をやるか決めてきちんとやる」ということ。計画を立てて、お尻を決める。やり切ってダメなら、あきらめる。

門間氏
門間氏

 

 

30年の長期スパンで目標を追えるのがアトツギの良さ

 

ズッキー
ズッキー

門間さんの原動力って何ですか? たとえば、仙台箪笥っていう地域の伝統工芸という文化を残すことなのか、150年も前に先祖が創業した家業の営みを残すことなのか……。

後者が近いですね。正直、社会的なところはそこまで考えてはいないけど、うちが生き残ることが結果的に社会貢献になると思っています。子供の頃に見ていた職人は腕に誇りを持って活き活き働いていて、その姿が素敵だなと思っていたんです。それって昔の日本の原風景みたいなものだと思っていて、僕の原動力、使命感は、その原風景を守りたいっていうことですね。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

今後のビジョンは?

海外を伸ばしていくこと。これは間違いないですね。やり方としては香港と上海に直営店舗があるから、そこの売上を伸ばす、店舗展開する国を増やす、今はBtoCでやってるから、BtoBもやったりとか、いろいろ選択肢はあります。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

日本全国の伝統工芸を横でつなぐプラットフォームを作ろうとされてますよね。

緩やかに進んでます。うちの会社だけで実現できることではないんで、賛同してくれる人がいるかどうかが大事ですよね。ただ、賛同してても僕が海外で結果出してないと不安だと思うんで、まずは僕がもう少し成長しないと。

 

それと、商品を預かって売るだけではなくて、要望に合わせてカスタマイズして向こうのお客さんにフィットする商材にしたいから、「既存の物しか作れません」みたいに言う人とは一緒にできない。本気で取り組みたいと思ってる人とやらないと意味がないと思っています。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

日本の商品を持って行って海外で売るというより、ある程度カスタマイズして売るっていうことですか? 

そうですね、日本の製品を売ってる会社なんていくらでもあって、そういうところは製造元でもないから、売れなくなれば他の商品を仕入れるだけ。でもうちは自社製品を売ってるから必死。どうしたら売れるか考えるし、お客さんの「こうしてほしい」という要望には当然応えていく。

 

だから、同じ本気度の人がいいけど、無理やり仲間を増やそうとは思ってなくて、共感してくれて仲間になってもらうっていうのが理想。それも30年くらいかけてやろうと思ってます。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

30年!そんな長期目線なんですか!!

家業のいいところは、定年ないからね(笑)。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

そういう長期目線は僕の頭になかったです!継いだ後、5年くらいで何しようかっていうのは考えてたけど、30年先の視点はなかったなぁ。

いやいや、継ぐ前から考えてたらすごいよ(笑)。僕は継いだら何とかなると思ってたけど、そうは問屋が卸さなかった。人によってスピード感は違うから、こっちは5年でやろうと思ってても周りが進まないし、押し付けたら離れていく。でも、30年で実現しようって考えたら、気持ちが楽になったんですよ。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

確かに、そこまで長いスパンで考えたら気持ちに余裕出ますね。

ベンチャーで仲間が集まったら3年とか5年でも結果が出るかもしれないけど、家業は根っこが生えているんですよね。それがいい意味での根っこなら安定だけど。抜けないってなると、無理して抜いてもいいことない(笑)。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

良くも悪くも、「アトツギベンチャー」と「ベンチャー」って違うんですかね。

違う生きものだと思いますよ。ベンチャーは下に生えてるものがないから、身軽ですよね。意志決定も早いのが強みですよね。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

確かに、「ちょっとやってみてダメなら次行こう」っていうのは、アトツギにはないですよね。

そう、それができない。それならベンチャーやっとけって話(笑)。

門間氏
門間氏

ズッキー
ズッキー

いろいろ伺いましたが、30年くらいの長いスパンで目標を追えるのがアトツギの良さ。これが今日最大の気づきでした。ありがとうございました!

 


【宮城】

株式会社門間箪笥店 https://sendai-monmaya.com/

代表取締役 門間一泰 氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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