自身のリソースは新しい挑戦や未来への準備に充てる
株式会社堀商店 【愛知県】
企画室 室長
堀 新太郎 氏
愛知県名古屋市にある株式会社堀商店は、お祭りや縁日用の景品、おもちゃに文房具など、“子どもたちが喜ぶもの”を取り揃えている卸問屋である。
堀商店の4代目である堀新太郎氏は、総合商社に勤めていたが、家族の体調不良により2019年5月に家業に戻った。ただ、仕方なくというわけではなく、「家業なら、自分がいいと思ったものを仕入れ、お客さんに薦めて喜んでもらうことができる。商売として健康的に映ったし、一生の仕事にするなら合っているかも」とも思ったという。
家業に戻ってから、堀氏は広報・PR活動に注力。メディアに取り上げられ、堀商店を多くの人に知ってもらうために、精力的に活動を続けている。
堀氏が注力する広義の意味での「PR活動」の内容や、目指していきたい「堀商店の組織としての在り方」について話を聞いた。
「お客さんの喜ぶ姿を見られる家業は、自分に合っているかも」
堀商店さんのHPは眺めているだけでもすごく楽しいですよね。あらためて事業内容を教えていただけますか。
子どものための商品の卸問屋です。おもちゃ、文房具、身の回りの雑貨、お菓子など、子どもたちが喜ぶものや学校生活に必要なものを幅広く取り揃えています。名古屋駅から徒歩15分のところに本社兼店舗があり、自社で運営しているECサイトで全国に販売・出荷しています。
会社の歴史についても教えていただけますか?
もともとは戦後の焼け野原からの商売で、最初は名古屋の飴を東京に持って行って販売し、東京でおもちゃを仕入れてきて名古屋で売る仕事からスタートしたと聞いています。その後は、お祭りの露天商や、当時隆盛だった駄菓子屋さんがメインのお客様になりました。そして、徐々に幅を広げていき、お子様ランチの景品を飲食店に卸したり、ショッピングモールの催事やアミューズメントパークにも商品を卸したり、幼稚園・保育園のPTAの方々から要望をいただいて夕涼み会やハロウィンの景品なども販売したりするようになりました。
卸売という形態は変わらず、お客様が広がっていったんですね。堀さんは、学生時代から家業を意識されていたんですか?
家業の商店の軒先で育ったようなものなんで、高校生のときは自分がサラリーマンになる姿があまり想像できませんでした。もちろん、家業で働いているスタッフはサラリーマンなんですが、「みんなで楽しく商売をやっている」雰囲気があったので、そんな気がしなくて。そういった原体験もあって、会社に“おんぶにだっこ”状態になる姿は想像できなくて、サラリーマンになるとしても、自分で価値を生み出すことができて、お金を稼げる能力を身に付けた人になりたいと思ったんです。
なるほど。その考えは進路にも影響したんですか?
はい。こうした考えがあったからこそ、大学では人と情報が集まる東京に出ましたし、ビジネスを勉強したいから経営系の学部を選びましたし、かつ人との繋がりも大事になると思っていたのでOBとの繋がりが強い慶應義塾大学へ進学しました。
高校時代にそこまで考えてるのがすごいですね。お父様は、その決断に賛成だったんですか?
高校までも、大学時代も、父から「家業に入ってほしい」と言われたことは一度も無くて。たぶん、あえて言わずにいてくれたんだと思います。「家業の枠に収まってほしくない」と思ってくれているようにも感じたので、すぐ家業に入るという選択肢は外して、広い世界を見ることのできる仕事に就こうと思いました。
それで、新卒では総合商社に入社されてますよね。
はい。経営に繋がる仕事に就きたいと思っていて、いろんな業界を見比べてみたときに、「実業と、実業をサポートする立場」の業種の大きく2つに分かれると思ったんです。僕は実業に携わりたかったので、ものづくりをするメーカーと仕入れて販売する商社に絞られて。分業制が進んでいるメーカーと違って、企画・仕入れ・製造・マーケティング・販売・代金回収まで一気通貫でやれる商社を選びました。
商社ではどんな仕事をしていたんですか?
僕は天然鉱産物の営業を担当していたんですが、中国のど田舎の工場や南アフリカ共和国のヨハネスブルグで駐在を経験させてもらうなど、非常に恵まれたキャリアを積ませていただきました。
▲南アフリカ駐在の商社マン時代、ヨハネスブルグ支店のメンバーと
そうなんですね。今の仕事に生かされていることもあるんじゃないですか?
はい。「何かをやりたい」、「世の中に対してこういったものを届けたい」というときに、実現するためには関係者への根回しだったり、マネタイズの工夫だったり、全体を見てさまざまな準備をすることが必要じゃないですか。そういった、全体を見て先回りして、何を準備すべきかを考えるような感覚は、商社時代に身に付けたのかもしれません。
そうですよね。ちなみに、8年ほど商社に勤められていたそうですが、どんなきっかけで家業に戻ろうと思ったんですか?
祖父母が体調を崩して、代表である父がそのサポートに回っていたために、会社経営に不安が出てきたことが一番のきっかけです。父から「そろそろ戻ってきてほしい」と言われたので、決断しました。
ただ、仕方なく戻ったわけではなくて、そのときには家業に入りたいという気持ちも強くなっていたんです。というのも、商社での仕事はとてもダイナミックで楽しいけれど、原料を届けて当たり前という立場であるため、喜んでもらえる機会はそうないわけです。一方で、「家業なら、自分がいいと思ったものを仕入れられるし、いいと思ったものをお客さんに薦めて喜んでもらうことができる」ように感じて。とても商売として健康的に映ったし、一生の仕事にするなら僕には家業の方が合っているのかなと。
すでに整備されていた家業。だからこそ広報・PRに全力を注いだ
家業に戻ってみての印象はいかがでしたか。
2019年5月に戻ってきて、最初は一通り業務を覚えました。うちの会社は社員11名、アルバイトさんやパートさんを含めても30名くらいの所帯なので、全員何でもできないといけないような状態だからです。ただ、業務を覚えながら会社全体を見ての感想が、「この会社、仕上がってるな」だったんですよね。
えっ、そうなんですか?一般的に、家業に戻ったばかりのアトツギは、何もかも時代に取り残されている状況に愕然とするものですが(笑)。
商品の品揃えも素晴らしいし、基幹システムが入っていて在庫管理や受注管理はリアルタイムでなされている。店頭の接客スキルもレベルが高いし、ECもSEO対策がきっちりされていたんです。普通、アトツギが家業に戻って取り掛かるのって、課題を解決して不十分なところを整えていく作業じゃないですか。でも、そういったところが見つからなくて。
すごい!先代が素地を作られていたんですね。その中で、堀さんはどんなことに取り組んでいったんですか?
すでにしっかりとした土台があるからこそ、堀商店のことをもっとたくさんの人に知ってもらえたら伸びしろがあると感じたんです。SNSはみんなが頑張ってくれていたので、僕は“1人広報部”として、マスメディアに取り上げてもらうための広報・PRに力を入れました。具体的には、初めて展示会に出展したり、プレスリリースの書き方を学んで、書いては持ち込んだりして。地道に続けていたら、徐々にメディアに取り上げてもらえるようになったんです。
なるほど。地道な仕事を積み重ねていったんですね。ちなみに広報やPRって、予算を掛けようと思えばいくらでも掛けられる分野じゃないですか。社内からの反発は無かったんですか?
無かったです。なぜなら、お金を掛けずにやったから。そういう意味でも、「広告」じゃなくて「広報」活動に取り組んだんですよね。今でこそプレスリリース配信サービスも利用していますが、最初は地元の商工会議所にある「名古屋経済記者クラブ」に印刷した紙を持ち込んで、記者さんに取材してもらい、新聞に取り上げてもらうところからスタートでしたから。
泥臭い取り組みをされていたんですね…!でも、そういった活動から知名度が広がっていくんですよね。
組織に余裕があれば、クリエイティブに挑戦できる
広報以外にはどんな業務をされているんですか?
商品企画やイベント企画をしています。商品企画については、社内のアイデアや自分のアイデアを実現したり、他社とコラボしたりしながら、いくつか新しい商品をローンチしてきました。イベント企画は、去年「ハロウィンラリー」という回遊型のイベントを企画して。地域の飲食店さん20店舗くらいと連携したもので、仮装してお店を訪れ、写真をSNSに投稿してくれたらポイントを進呈し、ポイントが貯まれば抽選に参加できるというものです。僕らのお客様である飲食店さんがコロナ禍で苦しんでいたので、少しでもサポートになればという思いもありました。
時代性も社会性もあって、いいアイデアですね。
ただ、実は商品企画もイベント企画も、広報・PRに繋げることを見据えています。商品企画については、家業に戻って1年後くらいに取り組み始めましたが、時には「プレスリリースを打つためにも、そろそろ新しい取り組みをしなきゃ」というきっかけで考えることもあります。
なるほど。
本来は、新しい利益の柱を作るために新商品を開発するのが普通でしょうし、もちろんその状態になるのが理想ですが、まだそこまでの成果は出せていません。でも、見方を変えれば、新商品開発というそれ自体がニュースになり、堀商店の認知度を高めることになっているので価値はあるよね、と捉えています。
その発想は素敵ですね。新商品で得た認知をきっかけに、既存の商品の売上が上がることもありますもんね。
はい。ちなみに、新商品開発に大きなコストは掛けていません。段ボール製の宝箱だけ開発して、その中に既に扱っている商品をバリエーションを変えて入れるなど、既存のリソースを生かして開発するようにしてますから。初期投資5万円とかで取り組んでいます。そもそもリスクを持たない、そして「ダメでも、広報・PRのネタになる!」という精神でやっています。
コストを抑えつつ、新しい仮説を試す感じですね。素晴らしいです!ちなみに、商品開発は何名でされてるんですか?
主に上司と2人でやっています。彼はいわゆる番頭さんかつアイデアマンで。彼が「こんなことできたら面白いよね」、「こんなことしたいな」と言ったことを僕が形にするケースが多いかもしれません。最近は、彼のリソースにも少し余裕が出てきたので、彼が自分で主導して商品化までを実現することも増えています。
番頭さんの力を最大限に発揮するために、支えるような役割も担ってこられたんですね。
うちの父はものすごく人材マネジメントがうまくて、人を余らせずに仕事を回すことが得意なんです。それって経営効率としては最高なんですけど、一方で社員はみんな常に忙しくて、新しいことに取り組む余裕が無かったんです。そこに僕が帰ってきたことで、人数が1人純増した。だから、新しいことができるようになったんです。
なるほど!堀さん自身が、新しいことを始めるための「余力」になったんだ。
コロナ禍になって本業が少し暇になったこともあり、新しいことに取り組む時間も増えました。業績としては厳しいですが、僕は新しいことにチャレンジできた事実にものすごく価値があると思っていて。新しいことをしたら、メディアに取り上げられて、新しいお客様も増えたという成功体験ができたので、人員に余裕を持たせる意義を父にわかってもらえるきっかけにはなったと思います。できるだけ余裕を持った組織を作って、クリエイティブなことができる状況を維持したいですね。効率の時代ではなく、いわゆるVUCA※の時代になったからこそ、変化に対応できる余裕が必要だと思いますから。
※VUCA:「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」を意味する略語
お父様が率いてる今の代は、短期的に見るとすごく完成されていると思うんです。一方で堀さんは、10年先や20年先を見据えて新しい取り組みをしている。この2人が揃うと、経営としては盤石だなと感じました。
社員が高齢化しても働き続けられる基盤としくみを整えたい
まだ代表交代の時期は決まってないとのことですが、堀さんが代表に就任してからのビジョンも教えていただけますか。
まず、新しく軸となる事業は作りたいと思っています。先代が残してきた資産をうまく活用するのがアトツギベンチャーの役目である一方で、アトツギの先輩である三星グループの岩田さんがおっしゃっていたように、「一代一業」も目指したいなと。
なるほど。「堀商店をこんな会社にしたい」というビジョンはありますか?
うちは、いわゆる古き良き中小企業で。お昼にはお米が炊いてあってスタッフが自由に食べられるような、アットホームで家族的な会社です。今は状況に応じて転職を繰り返すような多様な働き方が流行っていますが、企業側としては社員に「人生を通してここで働きたい」と思ってもらえる会社でありたいと思っています。だから、社内で多様な働き方ができる会社にしていきたいです。
多様な働き方とは、具体的にどういったことですか?
父の発案に私が強く共感して検討を進めているのですが、今、うちで働いている社員で一番年上の方が50代前半なんですね。年齢を重ねていった社員が、働きづらさを感じてしまう組織ではいけないと思っていて。だから、他の働き方の選択肢を用意したいと思っています。たとえば、新しく農業の事業を始めて、年配のスタッフをはじめ希望者は週の半分は今の仕事、もう半分は農業をする、といった働き方も一案かなと。今ちょうど、新しい事業をどんなものにしようか検討中です。
なるほど!「社員の方が高齢になっても働き続けられるように、新しい事業を作って働き方の選択肢を増やしていく」という発想はすごく面白いですね。
はい。新しい事業を始めることで広報にも繋がりますし、いろんな良い影響が期待できますから。簡単ではないと思いますが。
他に、注力していきたいことはありますか?
地域社会との繋がりを深めたいと思っています。これまで、地元の小学生や中学生の職場体験の受け入れはしていたものの、父がそれほど社交的なタイプじゃないのもあって、長く地域に根を張って事業をしている割に地域との結びつきが弱かったんです。ただ、これからは地域との繋がりを強めたいなと思って、動き始めている最中です。
先ほど紹介してくださった「ハロウィンラリー」のイベントもその一例ですか?
そうです。今は、地元の小学校のPTAと一緒に水鉄砲を使った対戦型スポーツである「ポイポイバトラー大会」を100人規模で企画しています。ECで全国に商品を販売する一方で、地元に根付いて、地域と一緒にコトづくりをしていくような企業でもありたいなと思っています。
堀さんなら、地域コミュニティと上手く連携して、良い関係性をすぐ築けそうですね。
ありがとうございます。ただ、思い付きで一度やって終わりではそれまでなので、継続して積み上げていくことが大事だと思っています。
その姿勢はとても大切ですね。では最後に、この記事を読んでいるアトツギの方に向けてメッセージをいただけますか。
僕、家業を継ぐことにめちゃくちゃ価値があると思っていて。なぜかというと、裸一貫で起業した場合は、大きなリスクを背負いながら事業を大きくしていかなければならないでしょう。一方で、アトツギにはすでに飯を食っていく基盤があります。
確かにそうですね!
「理念を追い掛けて起業したはずなのに、理念とは異なる形でお金儲けをしなきゃいけない」というケースもあるように、理念を追求するためにはお金や生活の安定が必要なんですよね。そういった意味でも、家業を継いで自分のやりたいことを実現するというのは、とっても良い選択だと思います。
お話を伺って、堀さんは広報をされているからか、会社を客観視する能力にすごく長けていると思いました。今日のお話は、時代の潮目にいて「何をお手本に進んでいけばいいかわからない」と戸惑っているアトツギにとって、すごく学びになると思います。本日はありがとうございました。
【愛知県】
株式会社堀商店
https://www.horishoten.co.jp/official/
■取材した人
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