「しんどいけど、楽しい!」 文化祭の前日みたいな開発集団

木村石鹸工業株式会社
代表取締役社長 木村祥一郎 氏

大阪府八尾市に本社を構え、まもなく創業100年を迎えようとする老舗、木村石鹸工業株式会社。石鹸洗浄剤の製造開発販売を行い、いまもなお伝統的な手作業による釜焚き製法の石鹸づくりが行われている一方、昨年はクラウドファンディングで発表した新作シャンプー「JU-NI」が1600%を超える達成率で話題を呼んでいる。

四代目社長木村祥一郎氏は、家業を継ぐつもりは一切なく、学生時代に起業したITベンチャーで充実した日々を過ごしていたが、2013年期間限定のつもりで家業に入る。OEM2社に依存していた会社の体制を整え、自社ブランドの開発、自律型の組織風土の醸成に取り組んだ。「ゴールを示すことはあっても、そこへの行き方は社員に任せる」と話す木村氏に、お話を伺った。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

 

家業に入るのは「絶対に嫌!!」・・・で、ITで起業

サモアン
サモアン
木村石鹸に入るまでの経緯を教えてください。

大学4年生のとき、同じサークルの2個上の先輩に誘われてインターネットサービスの会社(現:イーエージェンシー)を立ち上げました。ここで18年くらい副社長として働きました。

木村祥一郎氏
木村祥一郎氏

サモアン
サモアン

将来的には家業を継ぐんだというイメージは持っていたんですか?

むしろ家業を継ぎたくないから会社を作ったみたいなところがあります(笑)。もう、家業がすっごい嫌だったんですよ……。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

え?いつ頃からそう思ってたんですか?

小さい頃はここに住んでたんで、親父にもよく手伝わされてたんですよね。小学生のときは「お前が跡継ぎだから」とか言われてもよくわかっていなかったです。けれど、成長して、いろんな本や音楽に触れるにつれて文化の方面に興味が出てきたんですよね。そうなったときに「お前、四代目ね」と自分の人生がすでに決められていることにものすごい……

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

違和感が?

というよりも、憤りでした(笑)。父親がいつも家にいて商売の話ばかりするのも嫌で嫌で。もっとクリエイティブな世界、大きな世界で活躍したかったんです。絶対継がないと決めていました。

木村氏
木村氏

 

 

 

外部への事業承継が失敗、責任を感じて家業に戻る

サモアン
サモアン

そこまで嫌だった家業に戻ったのには、どんなきっかけがあったんですか?

外部への事業承継が2回失敗しているのを見て、「さすがに戻らないと……」と思って期間限定で家業に入ることにしたんです。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

期間限定!?外部への事業承継が2回失敗ってどういう意味ですか??

僕が戻るまでに2度の事業承継、トータルして9年他の方に会社を任せているんです。最初の人は、もともと木村石鹸で工場長をしていた方で、7年間社長を勤められました。

 

数字としては家庭用製品が伸びて業績も安定していたんです。でも、なにかのミスや失敗が起こったときに、社長や経営陣は社員に対して「お前が責任をとれ」と迫るような態度を取るようになって。結果として、木村石鹸をチャレンジできない組織にしてしまった7年でもあったわけです。結局その社長はうちの親父と揉めて、社員数人とお客さんを連れて独立しました。

 

2度目は、実は僕が紹介した人なんです。自分が継ぎたくなかったので(笑)。外資系化粧品会社の役員や社長を経験してきた方で、うちみたいな中小企業を応援したいというんで、僕が親父に紹介したんです。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

なんだかうまくいきそうな感じですけど。

その人が、さまざまな制度を取り入れて、外資っぽい能力主義的な経営を進めたんですよ。そうすると、不器用だけどすごく頑張っている社員がいても、全然評価が上がらずに会社から詰められるようになったんです。そのうち辞める人も出てきて、これはダメだということで、また親父が社長に戻りました。

 

自分が紹介したことで、そんな結果になったので、さすがにこれ以上放置するのもやばいかなと思い始めてやっと家業に戻ることにしたんです。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

イー・エージェンシーは辞めたんですか?

最初は両立するつもりだったんですけど、共同創業者に怒られたんです。「会社が何年も混乱して社員が大変なときに、片手間で事業立て直すなんて社員がついてくるわけないだろ!」と。それで、木村石鹸に集中させてもらうことにしました。とはいえ、内心は、木村石鹸は3年くらいやって戻ろうと考えていたんですよね。でも、気づけば面白くて戻れなくなった(笑)。

木村氏
木村氏

 

 

 

 

長年の慣習と価格を見直し、会社の基礎を固める

サモアン
サモアン

木村石鹸に入って最初にしたことはなんですか?

うちは、家庭用製品のほかに、銭湯や工場などで使う業務用も扱ってたんですけど、最初にやったのが集金活動の廃止と、製品の値上げでした。当時は、毎月80社くらいのお客さんを一社ずつ回って集金していたんですよ。集金をやめることで生まれた時間を使って、マーケットの大きい東京への営業にしっかり時間を取れるようになったので売り上げも伸びました。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

値上げの方はどうでしたか?

業務用製品の値上げはね、けっこう大変でしたけど、それでもほとんどのお客さんが納得してくださいました。だって15年間も値上げしていなかったんですよ(笑)!そのあいだに、原価がどれくらい値上がりして、利益が全然出ていないんですというのを全部ご説明して。

 

でも中には「こんな時期に値上げするなんて、もう二度と買わねー!」って言う会社もありましたけど、結局それで良いお客さんとのお付き合いだけが残って、効率も上がったので結果的にはプラスの状態になりました。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

家庭用品はどうでしたか?

家庭用品の方は僕が戻った当時、ほとんどOEMでした。しかも生協さん向けの特定2社。2006年以降なぜか営業利益が下がり続けていて、調べてみるとOEMの商品単価が下がっていたんですね。お得感を出したいというOEM先の要望に答えざるをえなくて、利益の出ない段階まで値段を下げていたんで、「もう値下げはしません」とお伝えしました。

 

結局、のちのち自社ブランドが注目していただけたおかげで、「木村石鹸さんと一緒になにかやりたいです」というお声がけをいただくようになって、いろんな業界の会社をはじめ、平野レミさからもダブルネームでの商品開発の話も舞い込むし、OEM自体も幅が広がって数字は伸びました。

木村氏
木村氏

 

 

 

 

自社ブランドは「まずは自分でやってみて実物を見せる」

サモアン
サモアン

自社ブランドは2015年からですね。新商品の開発に反対意見は出なかったんですか?

自社ブランドは、木村石鹸に戻ってから実現まで結局2年かかりましたけど、今は全体の売り上げの約20%になっています。反対もなにも、最初は僕含めて3人でやっていただけですからね。なので、商品が完成するまでみんな何をやっているか知らない状態でした。

 

お披露目したときには、けっこう価格が高いというところで反発はありましたけどね。「誰が買うねん、私なら買わない」とか(笑)・・・予想していたことですが。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

人に任せるという選択肢もあったと思うのですが、なぜ木村さん中心で自社ブランドを開発することにしたんですか?

説明が難しかったからです。安全性の高いものを作る技術力はすでに持っているんだけど、アウトプットのやり方やビジネスモデルが従来と全く違ったので。僕自身はっきりしたイメージがあったわけではないし、実物を作って見せる以外の方法がないなと思いまして。でも、ある程度まで進んだらもうお任せで、今はほとんど関与していないです。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

今は常時50件の開発が進んでるんですよね。いつもどんな感じでスタートするんですか?

いつのまにか誰かが動いている感じです。ある商品は開発者が個人で始めて、マーケティングのメンバーにアドバイスを受けながら作っていますし、逆にマーケティング側から「こういうの作りたい」というアイディアが出て、開発の人に助言を求めに行っていたりとか。

 

僕は案件の数と利益はしっかり見てますが、開発の中身は全て現場に任せてます。僕も作りたいものがあるんですけど、あんまり相手にしてもらえない(笑)。

木村氏
木村氏

 

 

 

 

前職で学んだ「ルールがあると人は考えなくなる」

サモアン
サモアン

やりたいことをやれるという社風は、さきほど伺った外部への事業承継のときにはなかった雰囲気ですね。木村石鹸さんは、自律型組織や自己申告型給与制度にも取り組まれていますが、組織づくりで意識していることはありますか?

前職のITベンチャーでも感じたことなんだけど、組織って会社っぽくすればするほど無責任な人が増えてくると思ってるんですよ。だからあまり会社っぽくしたくない。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

「会社っぽく」「したくない」???

前職で社員が急激に増えていったときに、マネジメントを強化しようと、ルールや制度を強化していったんです。でも、ルールを作ると、当然ですが、それに乗っかって仕事する人が増えるので、あまり考えなくなるんですよね。 考えないので、何か問題が起きたら、すぐルールのせいにする。それで、さらに新たなルールが作られる。それが繰り返されるんです。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

いたちごっこですね。でもなんか深いですね。

そのときリカルド・セムラーという人が書いた『セムラーイズム』という本に出会いました。趣旨は「社員を大人として扱いましょう。心配ではなく、信頼しなさい。そうすれば社員は信頼に応えてくれます」というものです。

 

木村石鹸に帰ってきたときも、そういう会社にしたいなと思いました。そこで、まずは責任回避やリスク回避のためのルール類をすべて廃止したんです。承認のフローや稟議書。あと、開発依頼書もなくして対面コミュニケーションだけでいいよと。社員がやりたいことがやれる文化を作りたかった。

木村氏
木村氏

 

 

 

 

成功か失敗ではなく、やり遂げたかどうかで評価する

よく言うんですが、責任には「取る責任」と「果たす責任」があると思うんです。責任を取るというと、ペナルティを受けたり、損を被るイメージがありますが、これは経営陣のするべきこと。社員が持たないといけない責任は果たす方の責任なんです。

 

とにかく自分が始めたことは、失敗しようとも最後までやり遂げること。その責任を果たしてくれるなら、失敗してもいい。その人がちゃんと最後まで仕事に向き合ったなら、それは周りの人もわかってくれるし、より信頼してくれるようになるんですよ。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

SNSでも社内の皆さんの楽しそうな雰囲気が伝わってきます。

確かに雰囲気は変わりましたね。もともと商品開発の能力がある人たちだし、成功事例なんかも出てくると周りもそれに引っ張られて、取り組む人は増えていきました。ひとつの商品を生み出すってしんどいけど面白いですしね。

木村氏
木村氏

 

「しんどいけど、でも楽しい!」文化祭の前日みたいな会社でありたい

サモアン
サモアン

自律型組織がかたちづくられていくなかで、社長である木村さんの役割はどういったものになるんですか?

僕はなにもしない(笑)。

木村氏
木村氏

サモアン
サモアン

なにもしない(笑)!?

なにもしない(笑)。でもなにもしないのって意外と難しいですよ。ついつい声をかけたくなるから、あらかじめ決めたりするんです。この2週間は一切指示しないぞ、とか。

 

僕の仕事は、基本的には環境づくりとか文化的なものになります。具体的な仕事にはできるだけ手を出さず、社員たち自身に考えて動いてもらいます。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

もっと良いやり方があるのに……と思っても黙っている?

そうですね。「あ、こっちの方が楽だよ」とか言いたくなりますけど、経営陣やマネージャーの声って大きいので、どうしても影響されちゃうんですよ。それだと、自分たちで考えて行動する能力が育たないので。

 

どこを目指すのかというゴールは示すけれども、行き方の指示はしたくないんですね。限界利益とかいろんな数字は細かく見ますけどね。だから僕が会社のなかで一番忙しくないと思う(笑)。

木村氏
木村氏
サモアン
サモアン

10年後「こうありたい」、会社の姿はありますか?

あまり明確なイメージはあえて持たないようにしています。大切なのは、信頼できる社員たちと楽しく働ける環境を作り続けること。人生のなかで仕事に関与している時間は長いですからね。

 

文化祭の前日みたいな会社でありたいな、と思っているんです。同じ目標に向かって、がんばることが、とてもしんどいけど楽しい感じ。いろんな人がいてもなんだかんだ協力しあえる雰囲気があって。そんな「しんどいけど熱量がある」状態を維持したいと思っています。

木村氏
木村氏

 

 


【大阪】

木村石鹸工業株式会社 https://www.kimurasoap.co.jp/

代表取締役社長 木村祥一郎 氏


 

■取材した人

サモアン

1990年生まれ。東京出身。公務員家庭に育つ。六大学野球では日本一を経験し、全てのビジネスワードを野球用語に置き換える根っからの野球好き。卒業後は、日本を代表する大手金融機関に就職。体育会系の粘りの営業スタイルでMVPも獲得するなどサラリーマン人生も好調。でも「いつかは起業したい」という思いもあり、後継者不在の会社の経営者になるM&Aに興味津々。勝負球は140kmを超えるストレートとしょんべんカーブ。

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