使命は次へつないでいくこと。みんなの会社はみんなで変えていく
宅島建設株式会社 代表取締役
宅島寿孝氏
「会社は預かりものですから」そう話すのは宅島建設株式会社三代目の宅島寿孝氏。長崎県雲仙市を拠点として、総合建設業を中心にさまざまな事業を展開する宅島建設はまもなく設立70周年を迎えようとしている。
昭和21年に初代が創業した鉄工所から始まり、昭和26年には宅島塩業有限会社を設立、昭和31年に宅島建設興業有限会社に社名変更して建設業へ進出、昭和45年に宅島建設株式会社に組織変更し現在に至る。売上130億を超えるグループは370名の社員を抱え、地元の活性化や雇用にも貢献している。社長就任10年目を目前に控えた三代目社長、宅島寿孝氏にお話を伺った。
剣道に打ち込んだ学生時代から家業への思い
小学1年生からずっと剣道を続けてきました。学校は休んでも剣道は休めない⁉ 国士舘大学では厳しい寮生活で鍛えられました。剣道を通じての出会いや経験が、なによりもまず今の私をかたち作っています。
何年か経験を積んでから宅島建設に入ろうかと考えていましたが、急に父から「ハウステンボスを受けてみろ!」と言われまして。ハウステンボスの創業者である神近さんと父は昔からのお付き合いで、それで入社試験を受けて、3年間お世話になりました。
入社して半年は、場内の文化施設で接客業をしていました。その後、ホテルの新規開発が始まったタイミングで、会社の立ち上げや開業準備に1年半ほど携わることができました。開業後も半年ほど総務を担当することに。
大きな事業の立ち上げに参加させてもらうなんて、なかなか経験できないことですから、とてもありがたかったですね。
すべては「みんなの会社」がより良くなるために
子供のころから現場に行っては職人さんと一緒にダンプに乗せてもらっていました。昔からの社員さんはみなさんよく知ってくださっています。
本当に病院に行って良かったですね……。そしてご病気も回復されて、40歳になる前に社長を引き継がれたんですね。
社長が変わると、以前とは違う新しいやり方も多少は取り入れられていくと思うのですが、そこで反発が起きたりとかはなかったんですか?
私がやろうとしたことの大前提には、社員みんなが良い環境で働くために、という動機がありました。平等に公平に。そのために必要だと思う取り組みばかりです。なので、躊躇はありません。
ただし、みなさんの承認をいただきながら進めました。今でも、私が上から「ああしろ、こうしろ」と言うのではなくて、みんなで考えて、みんなでどんどん変えていこう、というスタンスです。
5つの【C】で風通しの良い組織を、そしてより強い会社へ
ずっと続いてきた組織のなかには、変えていって良いものと、変えてはいけないものが当然ありますよね。変えるべきではないものを「変えろ」とは絶対言いません。けれど、変えてより良くなるものは、どんどん変えようと思っています。5Cもそのひとつです。
祖父や父の時代は、それこそトップダウンといいますか、一社員の意見がどうのこうのなんてものは関係ない!黙ってついてこい!みたいな空気があったと思いますよ。そこは変えていきたい。自分ひとりで回している仕事ではないですからね。一人ひとりが自ら考えて力をつけていけば、それにともなって会社もより強くなっていく。社員には「自分たちが作りあげていこう、自分たちの会社なんだから」といつも言ってます。
組織としてどう動いていくか、ですね。社長個人がどうこうよりも、よっぽど大切なことだと思います。 私は社長ですが、単にこの会社を預かっているだけのことなんです。社長を交代してから10年近く経ちますが、私自身の一番の使命は「次にどうつなぐか」に尽きますね。
はい。そのために次の70周年を節目として、グループの企業理念も変えようかと思っています。感謝、誠実、報恩という言葉を軸にして。
「この世に生を受けたこと、今があることに感謝する。そして一日一日を誠実に生きることで、お世話になった方や育ててもらった地域に恩返しをしよう」と。ずっと伝えてきたことですが、改めて理念として掲げたいと考えています。
これまで、会社が続いてきたのは地域のみなさんに育てていただいたからです。
例えば、28回を数える長崎県のジュニアユースサッカー選手権大会の後援をさせて頂いたり、お世話になった保育園、幼稚園へクリスマスプレゼントを届ける「宅島サンタ」も2007年から毎年続けています。でも、一番良いのは雇用で貢献していくことですよね。地元での採用を意識的に行っていて、今年も数人の内定が決まっています。
いま平均年齢は43歳くらいで、全体的にバランスが取れている状態です。
けれど、若いうちはやっぱり「都会に行ってみたい」とか「他の企業で経験を積みたい」と思う人が多いでしょう。そんな彼らに私は「わかった。研修期間として行ってこい。そしていつでも帰って来いよ!」と送り出しますが、まだ誰も帰ってきません(笑)。それは「家業を継ぐ」のも同じで、嫌々継ぐくらいなら継がなくて良いのではと思います。ただ私には自然に、継ぎたい、会社を存続させたい、という想いがあっただけなのです。
【長崎県】
宅島建設 株式会社 http://takushima.co.jp/
代表取締役 宅島 寿孝 氏
■取材した人
サモアン
1990年生まれ。東京出身。公務員家庭に育つ。六大学野球では日本一を経験し、全てのビジネスワードを野球用語に置き換える根っからの野球好き。卒業後は、日本を代表する大手金融機関に就職。体育会系の粘りの営業スタイルでMVPも獲得するなどサラリーマン人生も好調。でも「いつかは起業したい」という思いもあり、後継者不在の会社の経営者になるM&Aに興味津々。勝負球は140kmを超えるストレートとしょんべんカーブ。