電気通信工事会社にデザイン、アート、建築を掛け合わせ 空間プロデュース会社へとリブランディング

アンダーデザイン株式会社 代表取締役社長 川口竜広氏

川口竜広氏は、デザインやアート、建築の世界にあこがれながらも、宿命から逃げずに家業の電気通信工事業を引き継いだ。だが、先代の父はそれにタイミングを合わせるように事業から身を引いた。川口氏はもがきながらも自身のやりたかったことを既存事業にかけ合わせ、電気通信工事会社を空間プロデュース会社へとリブランディングを図った。過去、現在、未来、そしてテクノロジー、デザイン、カルチャーを掛け合わせながら、さらに会社の変革を図ろうとしている。

家業は逃れられない「宿命」だった

Q 会社を継いだ経緯を教えてください。

A 自分の人生を生きたいと思いながらも、宿命からは逃れられませんでした。

電話交換機設備の技術を活かし電気通信工事業を興した創業者の祖父が急逝し、父は26歳の時にやむなく経営を引き継ぐことになりました。私は、姉と妹の3人兄弟の真ん中の唯一の息子なので、幼心にも継ぐのは自分しかいないと感じながら、家庭を顧みることなく働く父の様子を見て、継ぎたいという気持ちにはとてもなれませんでした。しかし、頭のどこかに家業を継がないことは親を裏切ることになるという思いがあり、岐路の度に人生の選択に迷いながらも大きく道を逸れることが出来ず、大学は情報系の学科に進学し、家業につながる通信建設会社に就職しました。

自分の人生を生きるという思いを捨てきれず、30歳の頃に勤めていた会社を退職して、米国MBAに挑戦し、ミシガン大学MBAへ留学、卒業後に外資系ITコンサルティング会社の内定ももらいました。それでも結局親を裏切る選択を選ぶことはできず、内定を辞退し家業に戻ることを決めました。宿命から逃れるのではなく、宿命を受け入れ、乗り越えてから自分の人生を切り開く道を選びました。

 

Q 家業に戻って、どこに課題があると感じましたか。

A 課題だらけで途方に暮れました。

米国留学から帰国し、2007年の7月に入社した時には、既に父は叔父に社長を譲り会長の立場でしたが、私の入社のタイミングに合わせるように7月に非常勤の相談役になり田舎暮らしを始めました。父から帝王学を学ぶどころか父と同じ職場で働くことはありませんでした。以来、父とは経営に関する話も一切していません。むしろその方がやりやすかったと思っています。MBAで学んだことを生かそうと経営企画室で経営指標の分析から始めましたが、数字には表れない目の前の現場の課題を解決することが先決でした。コア事業である電話交換機の設備工事・保守の仕事は全盛期の勢いはなくなりつつありましたが、社内に危機感は感じられず、変化に立ち向かおうとする雰囲気もまったくありませんでした。

良いところを探し出そうにも出てくるのは課題ばかり。社内の部門間はぎすぎすし、取引先からのあからさまな過剰接待の要求が常態化し、下請けいじめも横行していたのですが、それに甘んじている状況に辟易としました。社内に隅々まで染みついた下僕体質から脱却し、お客様や関係会社とWin-Winの関係の構築を図ることこそが自分自身のミッションだと考えるようになりました。

 

改善への取り組みと失敗を経て、覚悟の改革へ

Q 何から取り組んだのでしょうか。

A 自立できるように、まず財務体質の改善に取り組みました。

2012年に旭コムテク、そして100%子会社のアイネットテクノの2社の社長に就任してから、思い描いていた構造改革に着手しました。第1次中期経営計画では「構造改革」を掲げ、人事制度、組織再編に着手し、生産性を向上することで、最大の課題であった財務体質の改善に取り組み、結果的に2022年には8億円あった借入金を完済することができました。

「構造改革」の成功で勢いをつけ、2015年からの第2次中期経営計画では本質的課題の「成長戦略」に取り組みました。新人事制度の元で、染みついた下請け体質からの意識改革を図ろうと勢いのある若い人材を採用し新規事業開発に挑戦しましたが、せっかく入社してくれた社員も古参の社員と共存できず退職、「成長」を掲げた改革は失敗に終わりました。

 

 成長戦略の失敗から何を学び、どのように変えていったのでしょうか。

A 中途半端な改革ではなく、リスクを伴った覚悟の改革が必要だと考えました。

父が1989年、元号が昭和から平成に変わる創業40周年のタイミングで、コンピュータの時代が到来したことを好機と捉え、旭電気から旭コムテクに社名変更し、第2創業をしたという過去の事実に目を向けました。私自身も2019年、平成から令和に元号が変わる創業70周年を機に、第四次産業革命が到来するタイミングを第3創業の好機ととらえ、旭コムテクが子会社のアイネットテクノを吸収合併し、アンダーデザインへと社名変更することを決意しました。

第2創業の際にも残した「旭」の名を消すことには社内外から強い抵抗がありましたが、未来に向かって変革する意思表示のためにあえて退路を断つことにしました。強みのICTインフラ事業を伸ばし、付加価値のない開発事業から撤退する事業の選択と集中を図りました。このリブランディングで70年続いた会社がつぶしてしまったとしたら責任が取れるのだろうか、と強いプレッシャーと恐怖との戦いでした。寝る間も惜しんで相当な覚悟で臨みました。

今までのものを中途半端に残すと変われないので、社名だけでなく、部署名も役職名もすべて横文字に変え、意見を言い合えるフラットな組織を目指し、東京・大阪・名古屋にあったすべてのオフィスのデザインも一新し、作業着もデザイナーに依頼しスタイリッシュに刷新しました。デザイン経営の考え方を取り込み、ブランディングと新規事業開発を同時に行い、事業領域としてはICTインフラ工事だけでなく、新たに内装も建築も手がけ建設業の施工管理の範囲を広げていきました。

 

デザイン経営で進むべき方向を示す

Q 新規事業の構想はどのように練り上げていったのでしょうか。

A デザイン経営の考えを参考に、ブランド力の向上とイノベーション力の向上を目指しました。

2018年5月に経済産業省が日本企業に普及を図るべく発表した「デザイン経営」の考え方が腑に落ちました。デザイン経営とは、ブランド力の向上とイノベーション力の向上を通じて企業の産業競争力向上を目指す経営指針です。社内の人間は変わることへの抵抗があるので、外部専門家とチームを組み、後押ししてもらいました。クリエイティブディレクターには中学時代の同級生、戦略コンサルタントは米国ミシガン大学MBA時代の同級生と信頼のできる仲間が加わったことで、思い切って勝負することができました。

最初の3年間は勢い重視のイメージ先行でハリボテでしたが、その後、次第に中身が追い付いてきました。2022年10月にホームーページを刷新する過程で、会社が進むべき方向、考え方を再定義することができ、それを社員全員で共有できたことで、ようやく一息つくことが出来ました。この会社の社長です、と自信を持って名刺を渡せるようになったのもその頃です。課題だらけの会社を引き継ぎ走り続け気づけば10年が経過していました。

 

社員の間にも当初戸惑いもあったと思いますが、働く環境を変え、ビジョンを再定義し、情報通信インフラを支える社会貢献できる仕事なんだという誇りを芽生えさせ、生産性の向上に合わせて給料も上げました。それに伴って、新しいことを前向きにとらえる社員が少しずつ増えていき、若い社員も入ってくるようになりました。

Q 何を原動力に、変えることができたのでしょうか。

A 自分のやりたいことを混ぜ合わせ、仕事を面白くしようとしてきました。

もともとデザインやアート、建築が好きで、芸術系の大学への進学も考えたほどでした。強みであるICTインフラ工事の仕事に自分の興味のあるデザインやアート、建築を掛け合わせることで他社と差別化が出来るのではと考えました。ちょうど、デザイン経営やアート思考といった考えが世の中に普及したことにも後押しされ、周囲を納得させ、「世界一マジメでユニークなインフラの会社」を目指しICTインフラ工事の会社にクリエイティブな要素を積極的に取り入れていきました。

 

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズは「神は細部に宿る」をだれよりも実践したからこそ、成功できたと考えています。どんな仕事でも、だれもが気付かないほどのこだわりが付加価値を生み出すと考えています。だからアンダーデザインでは、天井裏の見えないところにある配線すらアーティスティックにやろうと考えています。中小企業は社長が一番の差別化要素だと思います。他社と同じことをしていても価格競争に陥るだけ、既存の強みのある事業に社長の思いのある事業を掛け合わせることで、その会社にしかない付加価値を生み出すことが出来ます。過去を踏襲することも大切ですが、恐れず自分の色を出すことが会社を救うことになると信じています。

 

時代をとらえて自分らしく道を切り拓く

 今後の事業展開を教えてください。

 スタートアップ型のビジネスを立ち上げたい。

現在の中期経営計画(タイムマシンプロジェクト)のテーマは、「歴史に学び、未来に思いをつなぐ」です。これまでの厳しい時代を生き抜いてきた社員がいたからこそ今がある。それを土台に未来を作っていくのだという意識を共有するとともに、世代間の特性を理解しながら、それぞれを尊重する研修なども取り入れることで、未来に向かって一丸となれる体制を整えています。

 

現在は、テクノロジー(ICT事業)、デザイン(ワーク&アートスペース事業)、カルチャー(ケースステディスタジオ事業)の3つを掛け合わせ、社会価値を創造する事業を展開しています。また、東京・高田馬場に、リアルスペースとウェブジャーナル、そしてICTサービスの3軸をシンクロさせた実験的なスタジオ「BaBaBa(バババ)」を設け、地域に密着して社会貢献や文化貢献に取り組んでいます。

 

今はニーズが顕在化している領域で新規事業の展開を行っていますが、これからは世の中に顕在化していない潜在ニーズの領域のスタートアップ型のビジネスを立ち上げたいと考えています。7月から新たな新規事業開発プロジェクトがスタートしたところです。

 

Q アトツギ経営者にメッセージをお願いします。

A 引き継がないことを引き継いでいきたい。

父は祖父から直接経営を引き継ぐことなく、私も父から同じように経営を引き継がずに、今の経営の形にたどり着きました。そして、次の世代へも引き継がないことを引き継ぎたいと考えています。時代をとらえながら、自分の頭で徹底的に考え行動し、強い意志と覚悟で経営を推進してほしい。そこからしか道は切り拓けないと思っています。

(文:山口裕史/写真:中山かなえ)

 

 

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