シリコンバレーで抱いていた情熱は、いまふたたび家業で燃え上がる ―「アトツギ」を世界へvol.3―

 

一般社団法人ベンチャー型事業承継によるシリーズ連載「『アトツギ』を世界へ」の第三弾。

これから世に出ていく挑戦的なアトツギたちは、まだ若い世代であるがゆえに、大きな挑戦を許され、超ニッチ戦略や大胆な戦略へと舵を切る。ベンチャー型事業承継の審美眼を通ったアップカミングなアトツギたちの挑戦を眺める。

出展:リンクタイズ株式会社運営「Forbes JAPAN」SMALL GIGANTS AWARD(https://forbesjapan.com/small_giants/

(記事:https://forbesjapan.com/small_giants/article/detail/22091401.html

 

生産者の想いや売り手の熱意まで届けるリアルな店舗体験を、ARで実現したい

「来年もしくは再来年は、AR元年になるのではないかと思っているんです」
株式会社志成販売の代表取締役社長、戦 正典(せん まさのり)は語る。

「ARグラスなどAR関連の製品が登場して、一気に世の中に浸透していく、そのタイミングがもうすぐ来ると思うんです。その時、既存のウェブサイトは確実に3D化を求められます。いかにコンテンツを3Dで表現できるか。イノベーター理論では、ユーザーの2.5%が新しいものを真っ先に受け入れるといいますが、僕は、その波に乗りたいと考えています」

戦が波に乗せたいと話すのは、彼がローンチしたAR Mall(エアモ、以下AR Mall)のことである。eコマースにおいて、買い物をしたい顧客に対し、デジタル上で物理的な店舗体験を提供するサービスだ。既存のeコマースに追加する形で導入でき、顧客のデジタル上での消費活動をよりリアルな体験に近づける。

もともと志成販売は、服飾雑貨やインテリア雑貨の卸としておよそ50年前に創業し、戦は同社の2代目である。AR Mallは、B to Cビジネスの強化を目指す同社のeコマースのリソースのもと、戦が、自身の入社以前に培ってきたファッションテクノロジーのノウハウを生かすかたちで立ち上げた事業である。

AR Mallの軸となる機能は3つ。まず、商品をARで表示できる。これにより、顧客にサイズ感や質感を3Dで確かめてもらうことができる。また、あらかじめ録音した店舗スタッフの音声やAIの会話機能により、リアル店舗で接客をするように、デジタル上で商品説明を提供することができる。そして、戦がなによりも重視している機能が、商品の背景にある売り手や生産者の想いを届けることができる、というものである。

「一つの商品が生まれる背景には、いろいろな人のとてつもない努力があるわけじゃないですか。それをリアルに伝えられるのは、テキストや通販みたいなビデオなどではなくて、やっぱり店舗スタッフなんですよ。スタッフさんの熱い想いを聞いたり、どういうところでどういう人が作っているのかを知ったりすることで、商品への見方が変わって購入を決めることってあると思うのです。こういうことって、既存のeコマースではなかなか見えてこないと思っています。そういうリアルな体験を、AR Mallを通じてeコマースに落とし込みたいですね」


エアモにて土鍋をテーブルに投影したところ


エアモの操作画面

AR Mallの一番の目標は、生産者や店舗の想いを、デジタルを通じてリアルに消費者に届ける仕組み構築である、と戦は話す。eコマースの導入を考えるユーザーにとっての課題は、例えば、返品率を1%でも下げること、あるいは1%あれば十分と言われるコンバージョン率を引き上げることなどにある。もちろんAR Mallはそれらの課題解決も目指しているが、コンバージョン率を上げるために、例えば、ユーザーにとって使い勝手がよいUXにしたり掲載商品を見栄えのいい写真にしたりという手法とはまた異なった、新しい角度からアプローチしたい、と戦は続けた。彼が最終的に目指している表現は、どこのeコマースに行っても店舗スタッフがいて、リアルな店舗さながらに質問したり、説明を聞けたりするというものである。それは、来訪者が「自分はAIとしゃべっているのではない、店舗のスタッフとしゃべっている」と実感できるeコマース体験である。 「デジタル上で、リアルな体験をいかに提供できるか。そこに軸を置いたほうが、イノベーションが起こるのではないかと思っています」

一度は手を引いたファッションテクノロジーへの想い 家業でふたたび

もともと戦には、創業者である父の跡を継ぐ意志はなかった。独立志向が強く、むしろ自分の手で会社を起こすことを志していた。スタートはアメリカのサンフランシスコ、シリコンバレー。ファッションテクノロジーのスタートアップにエンジニアとして参画し、そのかたわらで、ニューヨークに自身の会社も設立した。しかし、この会社ではあまり成功を収めることはできなかった。

「そのころは、いわゆるエドテック(テクノロジーを用いて教育を支援する仕組み・サービス)にも興味があり、もう一度チャレンジしようという気持ちはありました。スタートアップの設立に向けて準備を進めていたんです。でも一方で、定期的に家族と電話をする中で、当時社長だった父がどんどん元気がなくなっているのを感じていたんですよ。会社が苦しい状況にあって悩んでいるのだと分かっていました。一度実家に戻って、家族のそばにいないといけないのでは、という思いも少しずつ生まれていました」

点と点がつながり、戦は家業に戻ることを決意した。いまから4年ほど前の、2018年のことである。入社を最終的に決断する前に、戦は勤続10年から20年のベテラン社員たちと一人一人面談をした。会社の状況を知るために始めた面談だったが、結果として、社員たちの会社に対する想いに触れることができたという。

「会社が危機的状況にあることは、皆さんも分かっていました。賞与は出ていないですし、昇給もずっと発生しない状態が続いている。なんとかそれを打破したいと思っているものの、それぞれがバラバラで動いている。皆さん、情熱はあるし会社のことも好きなんです。自分たちがここまで作ってきたというプライドもある。『いい会社なんだな』と思いました。だから業績さえ良くなれば、もっと良くなると感じたので、その年にアメリカの会社を辞めて入社しました」

戦が最初に取り組んだのは、会社の問題点を改善すること、ただその一点だったという。戦は入社3年目の後半にさしかかったころ、ようやく会社が抱えていた問題も少しずつ片付いてきたという手ごたえを感じた。「新しい仕組みが少しずつ回るようになってきた部分も見えて、時間の余裕もできてきました。それで、そろそろなにかを始めたいという思いが湧いてきました」

そんなとき、ふと耳にはさんだのが『アトツギ甲子園』だった。2021年の12月のことである。エントリーの締め切りまで残された時間は約1週間しかなかった。当初は家業の事業の延長線上で、IoTを組み込んだサービスを考えたが、戦に次ぐ社の二番手として外部取締役に就任した仲間と話を重ねる中で、自分が情熱を傾けてきたものにプラスアルファしたものを作りたい、という方向に気持ちが傾いていった。そして、アメリカで培ったファッションテクノロジーのノウハウを生かすかたちで打ち出した企画が、AR Mallだった。

「商品もプロトタイプもまったくなくて、アトツギ甲子園のエントリーのために書いたビジネスキャンバスと、10ページの事業内容が最初の一歩でした」

その後、2月のピッチに向けてプロトタイプの作成は急ピッチで進められた。家業ですでに導入されていたeコマースのリソースが活用できたため、数カ月で完成にこぎつけることができた。戦は言う。
「リソースをうまく使えるのは、アトツギとしての強みですよね」

その後、AR Mallは着実に前進している。すでに同サービスを導入している企業もあり、戦たちはさまざまなデータを収集しつつ、さらなるスケールアップを目指している。今年に入るころには、AR Mallの開発を進めるチームを出島化し、株式会社デジアルを設立。「デジタルな体験をもっとリアルに、リアルな体験をもっとデジタルに」という想いを込めた社名を掲げ、デジタルとリアルの融合を目指したサービスの展開を進めている。

かつての夢を家業に託し、世界へと挑戦したい

「テクノロジーが好きな人って、開発してそれをすぐに見せて、見てくれた人から『すごい!』と言われるのが好きなんですよ。僕もそうです。AR Mallはその感覚をスケールアップした感じだと思います」 AR Mallに対する自身のモチベーションについて、戦はこう語る。「一番のモチベーションは、シンプルに言ってワクワクするからです。未来に進んでいる、いままでにない可能性に触れている、そういうワクワク感があるんです」
一方で、家業に対するモチベーションは「責任感」だという。入社以来、家業が抱えていた課題をいかに解決するかに重きを置いてきた戦にとって、「解決した」という安堵感と、ここまで受け継がれてきたものを自分の代で途切れさせたくないという責任感が、何より強いモチベーションなのだ。「先代の想い、社員さんの想い、そういうものをプラスへの形にしていきたいです。われわれはマイナスからスタートしていますから。ここからいい未来を作っていけるというのはおもしろいと思います。草野球選手がメジャーリーガーを目指しているような感覚ですね」

戦は、会社の将来についてさらに大きな夢を抱いている。いまは、しかるべきタイミングが訪れたらすぐにアクションがとれるよう基盤を固めている状況だが、いずれはアメリカに戻って挑戦したいとチャンスを窺っている。「自分としては、アメリカを狙わずして世界は狙えないという思いもあります。それから中国進出にも興味があります。事業をグローバルに広げていきたいと、すごく思っていますね。シリコンバレーから世界を変えるサービスはこれまでたくさん出てきましたが、そういうものが船場センタービルから出たら、おもしろいじゃないですか」(注:船場センタービル:卸店・販売店・飲食店・事務所合わせて約850店舗が入居する大阪の巨大な区分所有ビル)

戦は笑いながら話す。同じことをやっていてもおもしろくない。失敗はするかもしれないけれど、人生は一度きりなのだから世界に挑戦したい。シリコンバレーから家業へと舞台を移し、かつて抱いた夢はふたたび未来に向けて動き出している。

SNSで記事をシェア