コロナ禍を地産地消で乗り切る地域の結束力/近距離のアドバンテージから生まれたロボット協業
\横須賀のアトツギベンチャー/
ANAテック株式会社 代表取締役社長
安藤知史 氏
http://anatech.jp/
神奈川県横須賀生まれ、横須賀育ち。
幼い頃から工業団地の近くで生活を送り、22歳で祖父が経営して いた会社に入社、金属ものづくりの世界へ。25歳の際に父親が独立と共にANAテックに入社。鉄道・造船・ 自動車関連の仕事をする中で創業1年後、 リーマンショックに直面。当たり前にあった仕事が無くなり、新たな活路(販路) を見出す中で生活の中に埋もれている図面のない仕事『 IronLife事業』をスタートさせる。産学協同やD2C販売などを進める中で現在は若い世代への業界の 継承や女性や障害を持たれた方でも活躍できる、 誰でも簡単にものづくりが出来る工場構築を目指し尽力している。
\東京のアトツギベンチャー/
株式会社ミヨシ 代表取締役
杉山耕治 氏
https://www.miyoshi-mf.co.jp/
1977年生まれ。大学卒業後、三造環境エンジニアリングに就職し、廃棄物処理プラントの補修工事監督に従事。2003年に先代である父の要請でミヨシに入社。2007年に専務取締役、2012年に代表取締役に就任した。「捨てられないものづくり」を企業理念に環境負荷を減らすものづくりを目指している。
アトツギが大集合するオンライントークイベント「アトツギベンチャーMeet-UP!」が11月19日に神奈川県横須賀市内で開催された。テーマは「ベンチャー型事業承継の手法 都会の戦略vs地方の戦略」。横須賀代表・ANAテック株式会社の安藤知史代表取締役社長と、東京代表・株式会社ミヨシの杉山耕治代表取締役をゲストに迎え、東京と地方のメリットやデメリット、事業承継の手法や戦略に違いがあるのかなどを探った。
【主催】関東経済産業局
【共催】横須賀市
【運営】一般社団法人ベンチャー型事業承継
【協力】野村證券株式会社、大同生命保険株式会社
「お前たちには絶対継がせない」
地元企業約250社から依頼を受けて、鉄道や造船、建築の部品を作っています。父が13年ほど前に独立した会社を手伝うようになりました。社員の平均年齢は20代後半。父が始めた中学生のサッカークラブがあって、その出身者が卒業後に入ってくれるのが当初は多かったです。2020年春には、採用活動を通じて地元高校出身の新卒者も入社しました。
「サッカー選手になる」とバカな夢を追いかけていて(笑)、スポーツ系専門学校を出たので関連の仕事でもやろうかと思っていました。ただ自宅から徒歩5分の近さに父の職場があったので、「いつかやらしてもらえるかな」と淡い思いはありました。工場でかいだ油っぽいにおいが忘れられず、戻りたいようなモヤモヤした感覚もずっとありました。
でも簡単にできる仕事じゃないので、現場経験を積もうと米海軍の横須賀基地で空母キティ―ホークの塗装を落とす仕事を半年やりました。地元の先輩に紹介されて、「ちょっとはきついことをやっていこう」と思ったんです。それで決心がついたというか、22歳のとき実家に「働かせてください」とお願いに行きました。
うちはいわゆる町工場で1階が工場、2階が住まい。工場にあるクギをマンホールの上でハンマーで叩いて平たくし、砥石で研いで刃物を作る。それを半ズボンのポケットに入れて血だらけに…という幼少期(笑)。ものづくりはすごく好きでした。ところが親の教えが、「お前たちには絶対継がせない」(笑)。私は男ばかり3人兄弟の真ん中ですし、継ぐつもりなんて全くなかったんです。
大学卒業間近に環境問題に興味を持ち、ごみ処理プラントの仕事に就きました。そしたら2年後ぐらいに「そろそろ戻って来いよ」と言われたわけです。ちょっとよく分かんないですよね(笑)。きっかけは父親のC型肝炎と糖尿病の併発。当時C型肝炎は特効薬がなく本人も不安がっていた。社員たちの顔が浮かび「継がなかったらどうなるんだろう」と考えて、25歳ごろ戻りました。
私は二男ですが長男の兄がすでに、父の会社にシステム系で入ってIT系部門を作っていたんです。「継がせない」と言われていたのに(笑)。それで「工場とITを掛け合わせて強い会社に」という狙いで、私が工場の方に入り、いろいろあって代表にも就くことになりました。
2つの高いハードルを飛び越える
何にも考えてなかったから、事業として進んだと思います。先のことを考えていたら、たぶん踏み出せなかった。「座面は鉄じゃ冷たいから木材だよね」となったときは、木材触ったことないから知り合いの大工さんに教えてもらった。助けてもらいながら進めています。
鉄道の部品作りも楽しいけど、乗客からはどこに使われているか見えない。若い社員のモチベーションが少しでも上がればと考えて、「人に見えるものづくり」を新しいテーマに掲げました。
うちは基本「待ち」の営業でした。「いいものを作っていればまたいい仕事が来る」という先代の考えは仕事があふれている時代はいいけど、今は積極的にこちらから動かなければ仕事がなくなる。
そこで「量産の一歩手前をやれる私たちならではの仕事を」と行動に移しました。ある飲み会の席で「ロボットを作りたい」と自己紹介していた人に、後日会いに行って話を進めました。社外に出て行ったからつながった結果だと思います。
それがロボットキッドの「RAPIRO」。ラズベリーパイで動くロボットです。ラズベリーパイというのは、パソコンほどのスペックを持った基盤。学生が買える値段で、興味を持つデザイン。プログラミングして動かし、ロボットを勉強できる教育ツールです。国内でロボット工学を高める必要がある中、学生の技術レベル向上につながると共感できました。
私が事業承継する前は自動車メーカーへの依存率が高く、トップ3が売り上げの6、7割を占めていました。1業種が不況になっても耐えられるように、業種を分散させる必要を感じていたところでした。
勘違い、的外れに思えることもチャンスになる
休日でも仕事のことを考える癖が付いたことでしょうか。子どもと遊んでいるときに公園の鉄棒を見て「あの仕事に使えそう」と思ったり、デパートでショーウインドーの棚を見て「うちの会社でも作れそう」と考えたり。そういう過信が勘違いを生んでいきました(笑)。
何か形を残したいという意地はあったかな。アトツギって会社を一から作るわけにはいかない。「だったら新事業を」というプライドみたいなものはあったかもしれません。
めちゃくちゃある。ホームページを充実させると、一般の人から「マフラー(原動機)の形を変えたい」「ベビーカーが壊れたから溶接してほしい」と電話がかかってきた。的外れに思えることでもこなしていって事例を紹介すれば、次の仕事が生まれることもあります。
横須賀にある地ビール工場の2階レストランには、アイアン家具を納めました。ありがたいことに「IronLife」の看板を掲げて、事業のショールームにもさせてもらっています。それでお客さんが地ビールを飲み地元食材を使った料理を食べながら思いついたアイデアを教えてくれたりする。それが新たなものづくりにつながったりもします。
ホームランより安打を刻んでイノベーションを生む
私は前職場でごみが山積みになる様子を見てきました。東京都では1人1日900gもごみを出す。ごみを減らしたかったのに、ものを作る側に回ったらどんどん生み出す。私たちが作るものは、いつか絶対ごみになる運命。ものづくりは好きなのにと、葛藤がありました。
突破口は環境マネジメントシステム「エコアクション21」を導入して、「廃棄物や電気、水の使用量を減らそう」と始めたこと。この話は事業承継にも影響しています。家業に入ったころは何かを提案しても技術や実力がなくベテラン社員はこちらを向いてくれませんでした。エコアクション21を運用して「ものづくり企業でも環境負荷を減らせる」と結果が出てから、「お前にハンドリング任せても大丈夫」と判断してくれる人が増えました。
それまでは企業理念もなかったので、「捨てられないものづくり」と「人の役に立つものづくり」の2つに定めました。今は子孫にとって有益なものづくりを進めています。
大きな目標を一気に達成させるのではなく、根回しをしながら少しずつ実績を積み上げ、周囲に信用してもらうようにしました。私のモットーは「ホームランは打たない」「内野安打で良いから結果を積み重ねる」。ヒット商品を出すと一瞬盛り上がりますが継続性の方が大切。「先月よりごみが1キロ減りましたね」みたいな小さな積み重ねは習慣化して、結果的に大きな変化を生むことが分かりました。
同業は近いが、一次産業は遠い
東京は会社間の距離が近い。葛飾は特に。横のつながりもできて、お客様との打ち合わせも30分以内で行けます。一方で工場はある程度の土地が必要になるが、東京は土地が高い。うちの周辺で一坪100~150万。100坪で1億かかると厳しいですよね。
東京のデメリットは、住まいと工場がすごく近いところかな。昔は工場が多かったが、今は減って住宅地が広がり、騒音や振動問題が出てきました。トラックが停まっているだけで怒られる。だから工業団地みたいなところがうらやましいです。
あと、東京って一次産業があまりない。農業や漁業と掛け合わせてビジネスがやりたいと思ってもすぐに動けない。業界の違うところでビジネスを生み出そうと思ったら、東京以外の方がいいかもしれません。
地方のデメリットは場所の不便さ。都内に近い大手からは「横横道路(横浜横須賀道路)は通行料高いから、うちの仕事は割に合わないんじゃない?」と頭ごなしに言われます。横横はこの間まで日本で一番高い有料道路だった。運賃を埋めるために単価を下げないといけないときはあって、どうしても大手とつながりにくいです。
地産地消はあります。コロナで大手からの仕事が減ったとき、地元で仕事を回すスモールビジネスが増えました。地域の建築業や飲食業から仕事をいただき、強い結束力を感じました。
「今日も採用のことで悩んでいます」
横須賀は転出超過人数で全国1位になったことがあって、横須賀の人は横浜や東京に出たがっています。だから残りたいと思うような魅力的な企業にならないといけません。
うちは3Kと言われる仕事で機械をよく使うんですが、目指すのが「誰でも簡単にものが作れる工場」。女性のほか、2、3年前からは障害者や元々引きこもりだった人を2週間ほど研修に迎え入れている。人を採るのは難しいので、地盤を固めるためにやっていきたいです。
同じくまだです。明確化したくて下地を作っているところなんです。うちはどんなに能力やスキルが高くても、方向性が合わなければ続けられないので、ミスマッチが起こらないように判断基準を作りたいと思っています。
社員が8人いて、1日に1人ずつ、15分間のヒアリングをしています。すると何を考えているかが分かってきて、「どういう人と働きたい?」と聞くと「嘘をつかない人」「整理整頓できる人」とか出てくる。最大公約数を拾えば「こういう人ならみんなとうまくやれる」が分かります。
既存社員は長年ここで働けている人たち。どんな人が自社に適しているかの答えは社員が持っていると感じています。個性はそれぞれでいいけど、方向性は合わせたい。気持ちよく一緒に働けて、結果長く働いてもらえたらうれしいですから。
新規事業は社員を巻き込め
SNSを使ってBtoC向けに発信していると、そのうちBtoBのお客さんにも「フェイスブック見たよ」と話が広がっていく。 BtoCの仕事は図面がないような手間のかかる仕事だが、手間の中にBtoBに使える技術があって転用が効く。
家業は急ぎの依頼にスピード対応できるのが特徴。急ぎの仕事もある中で、社員の首根っこ引っ張っていくぐらいのつもりでBtoCを進めないと製造業の行き場はありません。社員が若いので教育という面でも使っています。
新しいマーケティングの勉強は行き当たりばったり。「教えてグーグル先生」の積み重ねが知識になっていきます(笑)。
コロナで本業が激減したときに「ネットショップを作ろう」と考えて、「まず自分たちが欲しいものを作ってアップしよう」となった。ただし企業理念に沿って、在庫にするのではなく受注生産で。仕事が減って危機感を感じていたからできたと思います。
本業が回復してやや宙ぶらりんになっていますが、期日を決めて進めてはいる。ウェブサイトやSNSは社員がやってくれている。私から社員へ「こういうのやりたいな」と言い続けていたら、「社長うっとうしいな、でもそろそろやるか」みたいに手を挙げてくれました(笑)。
時代に敏感なU34よ、自信を持って!
私は先代と相当けんかして代替わりした。でもここまでやってきた先代を敬う点は必ずある。感謝と尊敬の念を抱きつつ、戦うべきは戦って新しい道を進んでほしい。いなくなってからでは遅いって。あ、父はまだ生きているんですが(笑)。
U34は、世の中に何が必要かを敏感に感じ取れる年代。いろんなアイデアを持っているはずなので、自信を持って一歩踏み出して欲しい!もしプラスチック製品で困ったことがあればご連絡を(笑)。
アトツギ甲子園HPへ
■取材した人
サンディ/アトツギ総研 代表
1983年生まれ。京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。財務経理、経営企画を担当し、全社横断案件やグループ連結決算の開示業務に携わる。在職中に2年間のバンコク駐在を経験。2017年に同社を退職後、シンガポールのNanyang Technological University(南洋理工大学)にてMBAを取得し、2018年9月から2020年12月まで一般社団法人ベンチャー型事業承継事務局長を務めた。現在はアトツギ総研所長を務める他、在シンガポール企業のDirectorとして東南アジアでの事業に携わる。