クリーニング業から染工場へ DGsを切り口に幅広い顧客を獲得
株式会社福井プレス 代表取締役 福井 伸 氏
クリーニング店として2代続いた㈱福井プレスに、染工場という全く違う事業を持ち込んだのが3代目の福井伸氏。アパレル会社向けの染色、個人向けの染め直しで事業を軌道に乗せたもののコロナ禍で事業は踊り場を迎えます。そこで着目したのが循環型のプロダクト開発でした。まずは「コーヒー染め」で残ったかすを菌床にしてキノコ栽培を行い、廃菌床をバイオコークスに変える循環を確立し、発信したところ、多くの企業からアップサイクルの依頼が増えつつあります。現在は、循環型染工場の魅力にひかれて入社した若い世代の社員がさまざまな企画を考え、さらにコアな顧客を増やしています。
Q 事業承継のことは頭にありましたか。
A 父のあとを継ごうとは思っていました。
氷河期世代で就職が難しかったため、家業を継ぐしかないと思っていました。入社前に外の世界も経験したほうがよいだろうと思い、まずはクリーニング屋さんに修業に行き、それだけでは面白くないので染料卸の会社に転職しました。営業担当だったのですが入社時の研修で半年間染色技術を学ぶ機会がありました。そこで、家業のクリーニング会社で使う設備を染工場の業務に転用できるのではと気づき、家業に戻って染工場を始めました。
染料卸会社を辞める時には、クリーニング業は斜陽産業だから戻らないほうがいいと多くの人に言われました。そこでまた同じく斜陽産業の染工場を始めるわけですから、マイナスどうしの掛け合わせであり、逆風に突っ込んでいくような思いでした。父は、染色事業をやることに対して賛成も反対もなく、黙って僕のやることを見てくれていました。
Q 染色事業を始めるのに苦労はありませんでしたか。
A デメリットの一方でメリットもありました。
ちょうどその頃は染工場が次々に倒産した時期で、そこで使われていた機械をタダで引き取ることができました。ただ、いざ始めてみると難点がありました。クリーニングは生地の汚れを洗うのに対し、染色は生地に色をつけるので、全く真逆です。当初は同じ工場内に機械を置いていたので舞い上がった染料や排液がクリーニングに悪影響を及ぼしました。
一方で予想外のメリットもありました。クリーニングは夏物に替える春と、冬物に替える秋の衣替えの時期こそ繁忙を極めますが、あとの時期は閑散期で、特に2月と8月はとくに閑散とした状態でした。ところが染色のお客さんであるアパレル会社からの依頼は春夏物が2月に、秋冬物は8月にピークを迎えるので、見事に補完してくれたのです。
Q どのように事業を伸ばしていったのですか。
A あらゆる仕事を引き受けながら覚えていきました。
知識も経験もなかったので、まずはなんでもやりながら覚えていこうとの思いから、染色も洗いも製品も反物も依頼のあった仕事はレザー以外すべて引き受けました。ITを得意としていたことから、当時の業界ではだれもやっていないホームページを立ち上げたところ多くの注文が入るようになりました。
あらゆる注文に応えているうちに加工の種類や技術が増え、小ロット多種の染色加工サービスが人気を得たことで、順調に売り上げが伸びていきました。2010年からは個人向けの衣料染め直しサービスも始めました。BtoCを加えたことでエンドユーザーのニーズをとらえられるようになり、サービスの幅が広がりました。
Q 循環型の事業を始めることになったきっかけは。
A コロナ禍がきっかけです。
順調に事業は伸びていったのですが、コロナでアパレルの生産が止まってしまいました。当初は、ガーゼマスクの抗ウイルス加工の仕事でなんとかしのいだのですが、ガーゼが不織布に取って代わるようになると仕事が激減しました。このままではいよいよ仕事がなくなってしまうと思っていた時に、光りがわずかに射し始める出来事がありました。
妹がたまたま東京でコーヒーの焙煎業を営んでおり、焙煎の際に捨てられるチャフ(コーヒー豆の薄皮)を以前から染め直しに使っていました。そのことを発信していたのですが、SDGsに関心を持っていたアパレル会社が採用してくれたのです。それをきっかけに今度はクラフトビールの会社から「麦芽かすで染められないか」、お菓子屋さんから「栗の皮は使えないか」とさまざまな業種の事業所から、そこで出てくる廃棄物を再利用するニーズが寄せられるようになったのです。
Q そこから幅がさらに広がっていったのですね。
A コーヒーかすを菌床にしてキノコを栽培し、廃菌床はバイオコークスに変えました。
「コーヒー染め」の依頼が増えたのですが、染料用に使った後に残るチャフのかすは結局産業廃棄物として捨てていました。それではグリーンウォッシュではないかとの指摘を受けました。どうにかアップサイクルできる手段はないか調べるうちに、イタリアでコーヒーカスを使ってキノコを栽培しているという記事を見かけました。たまたまスタッフの中に近畿大学農学部出身の社員がいたのでそのプロジェクトを任せたところ、近大農学部にたまたまキノコを研究している先生がいらして、産学連携による挑戦がスタートしました。
キノコの菌床はできあがったのですが今度は、収穫した後に廃菌床が発生することがわかりました。これをどうしたものかと模索していたところ、生駒の造園業者が人工の薪であるバイオコークスを作っていることを知り、廃菌床を使ったバイオコークスが出来ないかと相談したところ可能との返事があり、商品化することができました。ゴミから食料、食料から燃料、そして最後は燃やして灰になり地球に循環するサイクルができあがりました。
近所で奇跡的な出会いがあり短期間のうちにサイクルができたことに驚きを禁じえませんでした。SDGsを打ち出すことで、同じようなことを考えている人たちが集まってくることを実感しています。最近では、菌床そのものに価値が見いだされ、ランプシェードや時計などに加工しています。
Q それにしても発想が柔軟ですね。
A 社員たちが面白がってやってくれています。
逆に同じことずっとしていることが苦手なんです。2024年11月に市内のものづくりの会社が工場を開放するイベントがありました。収穫したキノコが食べられる場所を作ろうと思い、そのためだけに飲食業の許可を取り、「染食還食堂」と名付けてオープンしました。食品残渣を染色に利用し、自社から産業廃棄物を出さないで資源として循環させ地球に還す、という意味を名前に込めました。
イベント当日は、社員が様々なアイデアを考えてくれました。三角フラスコでお茶を出し、ピンセットとアルコールランプでキノコをあぶってもらったり、と理科実験仕様のアイデアも好評でした。
ユニークなことを行っているせいか、募集せずともうちを目指して美大や芸大を卒業した人が入社してくれます。そうした社員たちが、私が思いついたことを、自分たちでいろいろ考えて落とし込んでくれます。その1日だけではもったいないということで、染食還の場を生かして染め物のワークショップと飲食を融合したイベントなどをも開いていています。私たちの取組を表現する場としてスタッフが染食還を活用してくれようとしています。
コーヒー染めのワークショップを開いてくれているスタッフもいます。カフェを経営されている方向けで、自分のお店のお客さん向けに開きたいとおっしゃってくださる方の要望に応えました。小さな会社ですが、たくさん事業部があって、日常の業務をこなしながら、それぞれのスタッフが楽しみながら準備をしてくれているようです。おそらく、染色の仕事だけお願いしていたらここで働き続けてくれないだろうなと思っています。聞いたことはないですけどね。
Q 本業の方はいかがですか。
A SDGsの取り組みが本業にも効果を及ぼしています。
面白いもので、こんなふうに皆が楽しんで仕事をしていると、その雰囲気が伝わってか、本業の方でもうちと一緒に仕事をしたいという声が増えつつあります。ぼくたちは勝手に思い込みで染工場のビジネスのターゲットはアパレルと繊維しかないと思い込んでいました。でも、SDGsという全く異なるくくりで発信したことによって可能性が広がったのです。
例えば大手電機メーカーからは企業CMで用いた生花を染料にアップサイクルし、Tシャツの染料として活用されました。15年ほど前から手がけていた染め直しについても、ものを大切に使うという意識が高まったことを追い風に伸びており、現在では当社の事業の柱の一つになっています。
繊維業界に属する染工場は石油業界に次いで環境汚染産業だと言われており、従来の生産活動を続けて行く事に疑問を感じていました。これからはさらに面白い発想と、面白いことを楽しみながら取り組んでくれる社員の力を生かして地域社会に必要とされる染工場になりたいと思っています。
(文・山口裕史)