売り方を変え、デザインを取り入れ、商品の幅を広げた4代目の挑戦

藤田金属株式会社 代表取締役社長 藤田盛一郎氏

量販店やホームセンター向けにフライパンをはじめとするキッチン用金属製品を製造していた藤田金属。際限のない価格競争からじり貧の一途をたどっていた家業に起死回生の矢を放った。塗装する色や持ち手を客が自由にカスタマイズできるようにした「フライパン物語」だ。価格競争のループから免れ、そこで生み出した利益を今度はデザインを取り入れた商品開発に投入し、近年はキッチン用品以外の開拓にも注力。19人の町工場は今、世界市場も視野に入れている。

 

際限なく価格をたたかれる業界の現実を知り、がく然

Q. 家業に入ったきっかけを教えてください。

A. 小さい頃から継ぐものと思い込んでいました。

祖父が1951年にキッチン用品メーカーとして創業しました。以来、現在の主力製品であるフライパンのほか天ぷら鍋や茶筒などを製造し、主にホームセンターに売っていました。

祖父から「おまえは会社を継ぐんだ」とずっと言い聞かされてきたので、継ぐのは当たり前だと思っていました。弟に2歳の息子がいるのですが、同じように言い続けています。

大学3年生の時に、父から営業担当の社員が退職するから手伝ってほしいと言われ、大学に通いながら現場に入り、卒業と同時に入社しました。ぼくだけが入社するのと思っていたのですが、上の弟が製造を、下の弟は経理と金型づくりを担当してくれています。だれ一人欠けても成り立たないので、尊重し合っています。

Q. 入社してみてどんなことを感じましたか?

A. 「なんじゃこの業界」って、がく然としました。

入社して営業を担当したのですが、売り先から値段は叩かれるわ、新しい商品が売れたと思ったら半年後には真似されるわでこのままの商売のやり方ではあかんなと思いました。でもなんとか仕事をこなしながらどうしたら生き残れるか自分なりの理想とする姿を思い描くようになっていました。

あとはそれをいつやるか。毎月赤字が続くようになって会社がしんどくなった2011年に社長が叔父から父に代わり、そのタイミングで自分のやりたいことを仕掛けていきました。

 

展示会に出展、そして「フライパン物語」が誕生

Q. どんなことから始めたのでしょうか。

A. 展示会への出展がターニングポイントになりました。

それまではホームセンターや量販店へのルート営業しかしていませんでした。新規取引先を開拓するために府から補助金をもらって東京ビッグサイトで開かれたギフトショーに出展しました。そうすると既存の商品を並べただけで、いろいろなお客さんが関心を示してくれました。例えばギフトカタログ。鉄製のフライパンって持っていないという人は結構多い商品なんです。

そうやって新たにつながった取引先が、量販店、ホームセンター向けの落ち込みをカバーするまでになっていきました。その後は国際雑貨EXPOにも出店し、当初3m×3mだった小間が今では3m×12mにまで広がっています。広げるほどお客さんも立ち止まってくれるようになります。続けることが大事やなと思います。

Q. 「フライパン物語」が誕生した経緯は。

A. 価格を守りながら売る方法がないか考え、たどり着きました。

ECショップにも力を入れていたのですが、どこでも出してたので値崩れがひどくて、下げ合いになってしまうんです。これはまずいと思い、新しい商品で、価格を守りながら売る方法を考えざるを得なくなりました。フライパン物語は、素材(鉄かアルミ)、サイズ、内面加工、外面の色、持ち手などを選べるようにし自由にカスタマイズできるようにしたことで、定価で売れるようになりました。

ただ、現場は混乱しました。「こんなん1個ずつ作れるか」って、注文を取るたびに怒られてました。そこで法人需要を狙っていったところ、テレビショッピングに取り上げてもらったり、大手食品メーカーの商品の景品に使ってもらったりして、大量に発注をもらえるようになりました。その後、アパレルのセレクトショップや芸人YouTuberとのコラボも仕掛けていきました。

フライパン物語がやる前は、3社の銀行の口座を集めてなんとか給料を払うほど追い込まれていたので、これがなければ間違いなく倒れていましたね。

 

「フライパン物語」の利益をすべて持ち手着脱式フライパンに注ぎ込む

Q. 次なる仕掛けは。

A. 商品にデザインを取り入れ、フライパン物語の利益の全てをつぎ込みました。

フライパン物語は、それまでにあった商品の売り方を変えただけでした。次はデザイナーを入れて新しい商品を開発しようと思い、コケてもいいくらいのつもりでフライパン物語で得た利益をすべて突っ込みました。現場は「デザイナー?」って感じでしたが。

持ち手を着脱できるフライパンの開発を1人で担当し、製造を担当していた父につくってもらいました。価格も従来品と比べると2、3倍するので、父は半信半疑だったようです。お皿の方はうまくできたものの持ち手の強度や安定性を確保するのが難しく、その開発だけで1年半かかりました。2019年1月に新ブランド「10(じゅう)」の発売を開始した時にPRTIMESで1本プレスリリース出しただけで、いろんなメディアが取り上げてくれてどんどん売れていきました。

はじめはフライパンの箱詰め作業まで一人でやっていましたが、売れ始めたのを見て回りが手伝ってくれるようになりました。半年で毎月500個の売上になり、現在は毎月1500個出ています。

Q. 現在はどのような取り組みを。

A. コロナがきっかけになり、キッチン用品以外の商品に取り組むようになりました。

コロナ禍の巣ごもり需要でフライパンの売上が伸びました。でも、それで逆に怖くなったんです。例えばの話、今急にガスが使えなくなったとしたら、フライパンが一瞬で不要になる、と。だれもが想像していなかったようなことがいつ起こるかわからないと考えると、キッチン用品ばかりに依存していてはいけないと思うようになり、インテリアランプや植木鉢など鉄製やアルミ製のインテリア用品や園芸用品を新たに商品化しました。今はスツールや文具も開発しています。

マーケットリサーチも含め商品開発は外部のデザイナーに任せています。ぼくたちはモノづくりに徹し、できない部分は外部にお願いしています。デザイナーによって値段もまちまち。どんなデザインをするかより、誰とやるか。自分と合った人とやるのが良いと思っています。

 

ものづくりの様子も見られる直営ショップをオープン

Q. 新社屋には直営ショップも併設されています。

A. 目の前で自分の作ったモノが売れる喜びは何物にも代えがたい。

大阪府の「大阪製ブランド」に選ばれた時に近畿経済局と八尾市の方が来られて「これからの町工場はオープンファクトリーをやっていかなあかん」と言われ、すぐに弟と新潟の燕三条の工場を見に行って背中を押されました。創業70周年という節目に向けて、会社を改装することにし、2021年2月に完成しました。

ガラス張りの直営ショップからは工場でものをつくっている様子が見られるようにしました。何よりここで購入してもらえば利益率も違いますし、従業員にも還元できます。モニターカメラも付けているのですが、現場は見られているという意識が根付き、緊張感が出ます。何より自分たちでつくったものが目の前で売れていくわけですからうれしいですよね。作業服もみんなでそろえようということになりジーパンにブランドロゴ入りの黒いTシャツでそろえています。

Q. 従業員の採用面での効果はいかがですか?

A. 今は若い人しか来なくなりました。

旧社屋の時は募集をかけても50、60歳代の方しか来なかったのですが、今は10、20、30代の若い人しか来ません。今、平均年齢は35歳くらいです。改装効果を実感しています。この春にも大手メーカーで内定を得た学生がうちに来たいというので、呼び出して「親が泣くからもう一度考えたほうがええで」と伝えました。それでも来たいと。聞けば「大手だと仕事が専門職になってしまう。ここで働けば開発から営業、仕入れ、広報まですべてやることができる。それがいいんです」と。3Dデザインの人材がいないことを伝えると入社までに勉強しておきます、と言ってくれました。

 

19人の会社で八尾から世界に挑む

Q. どん底からここまで這い上がれた要因は。

A. 計画してやったわけじゃなくて、目の前のことを必死にやってきただけです。

目の前で危機に直面して、どうにかしないと手を打っているうちに今に至ったというのが実態です。従業員は一番少ない時で9人でした。人数が少ないから自然と会話も生まれ、やってることを理解してもらえたように思います。

コロナ前から海外の展示会に出展し始めていて、すでにロンドンのお店でも扱ってもらっています。やっぱりモチベーションが上がりますよね。今年からもう一度海外の出展に力を入れていきます。19人の会社でどこまで世界と戦えるかチャレンジしたいと思っています。

Q. 家業の後継者にメッセージを。

A. 自分自身の理想をずっと追い続けてください。

こうありたいと思ったら、それに関するところに実際に足を運んでみるとよいと思います。キッチン用品を扱っているから、とキッチン用品ばかりを見るのではなく、文具など他の業種の商品も参考になります。ぼくの場合、特に海外の展示会で見る商品から大いに刺激を受けました。ヨーロッパのフライパンメーカーは自社の製品に自信を持っているから、ぶれないし、折れません。それがブランディングにもつながっています。この企業の商品がかっこいいなと思ったらそこを追いかけてみるといいと思います。

文:山口 裕史

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