【老舗×ベンチャー】で守りと改革、両方を大切に卸売から事業を拡大

株式会社リブウェルヤマザキ 代表取締役社長 金井敬

今年で73年を迎えるリブウェルグループ。配管資材卸売からスタートし、現在はリフォーム、ソリューション、不動産、メンテ、配管洗浄と6つの事業を行なっている。

3代目社長の金井氏が入社後に立ち上げたリフォーム事業では2018年からショールーム型店舗を展開し、地域に根ざした ”住まいのかかりつけ医” という立ち位置を確立。ここ数年で新たな人材を積極的に受け入れ、事業内容も会社規模も大きく変化、グループ企業へと成長した。「ありがとうの連鎖」を生み出し続けるために今も革新真っ最中という、急速に変化を続ける会社の今とそこに至るきっかけを金井氏に聞いた。

 

就職活動に家業の影響あり

Q. 子供の頃から家業にはどういった思い、イメージを持っていましたか?

A. 幼稚園くらいの時から家業のことは何となくわかっていました

「夢はトイレを売る人です」と言ったりしてました。創業者である祖父はそれを聞いて喜んでいたようです。ただ、祖父が亡くなってからしばらくは親族でない方が社長をやっていたこともあり、正直大学生くらいまで家業という感覚はありませんでした。

Q. その後大学や就職はどういったところに?

A. 大学は一応経済大学の経営学部経営学科です。勉強は全然しませんでしたけど・・・。

就職活動の時は住宅関連事業ばかりを選んでいました。親には何も言われていませんでしたが、今思うと家業の影響があったのでしょう。結果的に外構エクステリアメーカーに就職し、東京勤務で5年間働きました。

営業職で代理店にルートセールスする仕事だったんですが、すごく楽しかった。仕事は大変でも、社内の人間関係もお客さんとの関係性も本当に良くて。入社2日目から23〜24時に帰宅するような激務でしたけど苦ではなく、当時の同僚とは今でもzoom飲み会をするような仲です。仕事で結果が出せていたのも楽しかった理由として大きいですね。当時、勤務していた時に配られた社史でした。やっぱりマインドは大事ですよね。だから自社の社史も社員に読ませるようにしています(笑)

 

「今後について」両親と初めて話し合う

Q. それだけやりがいのある会社を辞めて、家業に入ることになったきっかけは何ですか?

A. 両親から「今後について1回話をしたい」と連絡がありました。

2003年ごろのことです。そこで親子3人ではじめて話し合いました。サラリーマンを3、4年やっただけでは事業だとか売上規模とか、正直理解できなくて悩みましたが、その頃には父母が経営・改革をして会社は良い状況ではあったし、おじいさんがつくった会社だからもったいないという思いもあり、やってみることにしました。

Q. 家業に戻ってみてどうでしたか?

A. 社長の息子だからといって特にやりにくい空気はなかった。

けれど売上600億、1000人規模の会社から50人規模の会社に入ったので戸惑いはありました。PCが事業所に1台しかない、会議は当時の常務が3時間怒鳴りっぱなしで終わると12時とか。自分が勤めていたような良い雰囲気の会社にしたいと思っていましたが、当時のうちの会社はみんな苦しそうに見えたんです。

最初は卸売の現場に入って倉庫・配達を半年ぐらい務め、その後父の友達の会社に出向しました。浜松でエクステリアのショップをしていた会社で「勉強に行ったらどうだ?」と言われて半年間ぐらい。そこはもともと建材屋さんだったんですが、B to C展開をやりはじめた会社だったので、父はその辺りを経験させたかったんだと思います。

 

B to C事業への挑戦は厳しく

Q. 自社に戻ってすぐにB to C事業をスタートしたんですか?

A. スタートはしたんですが正直何をやっていいかわからなかったんですよ。

まだ20代でしたし、何かを一からつくった経験はないわけですから。B to Cの立ち上げは当時一人だけ社員さんがいて、その人と二人で始めました。卸売事業の一角に机二つだけ借りて小さくやっていた感じです。

当時、リフォーム業界は一次ブームが終わったくらいで。チラシ、イベント、webサイトで集客してはいましたが、お客さんは来ないし、会長や専務の知人の家のリフォームとかをやらせてもらっていました。まずは工事を受けて実績を作ろうと。ただ、工事をする体制も人もいないし、見積りの仕方もわからず何もない状態でした。

リフォームの方は別会社を立ち上げて社長に就任してはいたんですが、2010年ごろまで鳴かず飛ばず、赤字続きで債務超過までいきました。正直、元々あった親会社の方に甘えていたと思います。資金も出してもらっていたので赤字でもつぶれない、そんな考えが頭のどこかにあったんですよね。僕はアトツギベンチャーだなんて偉そうに言えないんですよ・・・。

Q. 収益化するために何をしたんですか?

A. ヒントを求めて全国のリフォーム会社を訪ねました。

ある会社でお話を伺った時「お前のやってることは経営者でもなんでもない。俺らと一緒にするな」と辛辣に言われたんです。そう言われて本当に悔しかったけど、事実だと思いました。それをきっかけに、とにかく結果を出すぞ!と、がむしゃらにやれることをやりました。当時の社員は10人で親会社からの出向だったんですけど、全員リフォーム会社の方に転籍させました。こっちで利益を上げないと給料を出せない状態に追い込んだんです。その社員たちにはかわいそうなことをしたなと思いますが。

アトツギの人は結構経験していると思いますけど、新しくやっている事業の収益が悪いと赤字のお荷物事業と見られるんですよね。親会社の人たちに「自分達の稼ぎで食ってる」「ボンボンの道楽だ」と思われたり。皆がボーナスを貰える時期でも、親会社に借りて一人数万円しかボーナスが出せませんでしたから。

Q. リフォーム会社の方で奔走しつつ、一方で親会社の方も2015年に継承していますよね?そちらでの苦労はありましたか?

A. 現会長も70歳になるときだったので、年齢的に引退ということで本社の社長にも就任しました。

うちの会長は自分がどうというより「事業を繋ぐ役割」を全うされたので潔かったですね。よく言われる老害のようなものもなく、継ぐ苦労というのは全くありませんでした。親会社の方のマネジメントもそれ以前からやっていたので、実務はあまり変わらず、対外的に世代交代した感じです。

Q. 親会社の社長に就任してすぐに事業を広げたのでしょうか?

A. いいえ。社長に就任してすぐの年に売上がガタッと落ちてしまい。

特別大きな理由もなくです。正直、卸売業は衰退していくのが目に見えていたので、その先をつくらなければいけないとは思っていたんです。B to Cもさらに伸ばして、不動産事業も広げていくつもりで意気込んでいた矢先でした。卸売の新たな事業所を出す予定もあったのに、長く務めていた社員が続けて3人亡くなる出来事があったり・・。2015〜2018年は暗黒期というか、何もうまくいかない時期でした。2018年からやっと進んだ感じです。

 

訪れた転機はリフォームのショールームと「人」

Q. 何が転機になりましたか?

A. 一番大きいのはリフォームのショールームを出店したことです。

その頃にはリフォーム事業も3億円くらいの売上で推移はしていたのですが、次の一手として2018年に一つ目のショールームを出店しました。

リフォームって一般の人にはすごく分かりにくくて、見積りを取っても何と見比べたらいいのかわからない、チラシに載っている物も実際に見れない変な業界なんです。そこで実物と価格をパックで見せて、お客さんが安心して買えるようにしたいと。

地域に根ざしてやっていきたかったので、ショールームなら地元の人たちに見てもらえると思いました。それが当たって4億の利益になり、翌年にもう1つ事務所型の店舗をショールームとして松原に移転。更に売上4億円まで上がったんです。

あと、もう一つ大きかったのが人ですね。先代と働いてきた人は良い人ばかりで、長年既存の事業を守ってくれたという感謝はあります。ただ、リフォームの方は0から6億になっている一方、卸の方は下がっていて。リフォームの方はコンサルなど外部の人を結構入れていたし、そこに新卒も加わり変化に強い、柔軟な対応ができる会社になっていました。でも親会社の方はそうはいかず・・・既存のメンバーが悪いわけでは決してないけど、変えるにはもう人しかない!と思ったんです。それで2019年に初めて経営企画室、人事部を立ち上げて2名採用しました。しかもキャリアのある人を中途採用で。それが大きな転機です。

 

Q. その中途採用の方々はどうやって探したんですか?

A. 人材紹介会社です。2人とも私と意気投合して入社し、今も大活躍中です。

既存のメンバーを決して否定せず、うまくやってくれたのがありがたかったです。2019年秋から約3年間で中途組を9名採用し、この3年で全く違う会社になった感じがします。スピード感がそれ以前の約15年とは全然違うんですよね。

初めて採用したwebクリエイターの採用条件の一つが副業だったので、副業も解禁しました。コーポレートサイトも刷新してブランディングを進め、そこから更に、DXを推進する人、Eコマースができる人など、様々な能力者が集まった感じです。組織の中で足りない部分を埋める人を探すのが、僕の今の仕事だと思っています。

 

Q. キャリアの中途採用は失敗しやすいと聞きますが、問題はありませんでしたか?

A. それもよく聞きますが、僕は新卒と中途の両軸が必要だと思っています。

グループ全社員の1/3が新卒入社メンバーです。キャリア採用はここ3年で9人入社しました。全員が理念とビジョンに共感して入社してくれた人たち、というところは共通しています。グループ経営に切り替えていけたのは彼らのおかげですし、僕が見てもすごい人たちが改革を進めています。

残念ながら既存メンバーの中にはその渦についていくのがしんどい人もいるんです。でも辞めてもらおうとも思いません。できることが皆違うし、既存メンバーも大好きで大事ですから。この1年だけでも色々進んでいて、昨日も入社した人がいます。今も日々変革中です。

 

「老舗×ベンチャー」でビジョン実現をめざす

Q. 今後の展望は?広げていきたい方向などはありますか?

A. 今後はB to B、B to C、リフォーム、不動産の融合をもっと進めていきたいです。

 

不動産は実は昔からやっていて何度か失敗しているのですが、中途入社した人が担当して収益化してくれています。不動産はリフォームやメンテにも繋げられるし、可能性を感じている分野です。

卸売事業も、こんな遅れた業界いつかやめよう!と思った時期もありましたが、実際は1000軒近いお客さんがいて、毎日注文が入るんですよね。B to C事業をやってみて顧客をつくることの大変さを知ったので、営業せずに注文が来る長年の信頼関係のすごさを感じています。

だからこそ、既存の、今も売上の大半を占める卸事業を活かした改革をしていきたい。圧倒的にデジタル化が遅れている業界で、自分が入社したころからいまも、注文方法とか変わっていないんですよ。何か改善できるはずだと思っています。

 

Q. 「老舗×ベンチャー」を出していこうと思ったきっかけは何ですか?また、それを打ち出してからの変化はありますか?

A. 経営ビジョンの実現に向けた、新しいやり方を模索していました。

「誰も真似できないサービスで身近な人に感謝を届け ”ありがとう” の連鎖を生み出す」が我々の経営ビジョンなんですが、誰も真似できないサービスをつくり続けていくには、やり方を変えていかなければいけないのでは?新しいことをしなければ!と思ったんです。

「老舗」は、例えば人を大事にしていくなど、変えずにいきたい部分です。「ベンチャー」は得意分野、組織体制など誰も真似できないものを生み出すためにはベンチャースピリットがないとできないだろう、ということで。

社内では浸透しきっていない部分もありますが、中途採用にはこのスローガンが効いています。若くてやる気があっても安定した基盤を求める人、ビジネスの面白さも知っているけどベンチャーすぎると怖い人、地元が好きな人、そんな人たちに刺さっているようです。老舗とベンチャーの両立をできる会社がうちだ!と。数年前までは絵に描いた餅だったけど、今はだいぶ現実味を帯びてきています。

 

Q. 若い世代のアトツギへ伝えたいことはありますか?

A. 第一に、創業家、繋いできてくれた人たちへの感謝とリスペクト精神は持とう。第二に、新しい事業を立ち上げよう。ビジネスマンになろう。

うちは特に家業を守ってきてもらったという意識があるし、繋いできてくれた人がいなかったら今はありません。家業を継いで本業をぶっとばす人もいるけど、それまでやってきたビジネスモデルが古くても、資源を活かしながら変わっていける可能性はあるはずです。多くのアトツギがいきなり新しいことをできる訳ではないし、やってみて僕も10年は上手くいかなかったので、まずは本業を活かす方向で考えていくのが良いと思います。

そして、会社を継いだだけでは経営者ではないので、うまくいってもいかなくても何か自分で立ち上げてほしいです。勉強になるし、その苦労や経験は後々本当に役立ちます。社員にも勧めているし、自分の子供にも勧めたいです。僕もアトツギとして卸売だけをそのままやっていたら、こうはなっていなかったと思います。自分に経験も器もない時に今のメンバーが来てもついていけなかっただろうし、ついてきてくれなかったはずなので。若い頃の苦労があるから対峙できるんですよね。

昔は「経営者たるものは!」と思っていましたが、肩の力を抜いたら人が集まってきました。ひとりでは絶対できないし、そうじゃないとここまで言えません。うちもまだ変革中ですし、その過程を見てまた新たな人が来てくれると思います。やりたいことはいっぱいあるので、ここから更に進んで行くつもりです。

(文・写真 宇野 真由子)

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