自問自答の日々を乗り越え、会社をセカンドステージへ。

株式会社シムックス
代表取締役社長 深澤利弘 氏

シムックスは昭和50年に創業し、オフィスビル、商業施設、工場などの警備員、現金輸送、交通誘導、機械警備などを行う警備会社だ。バブル、リーマンショック、東日本大震災など、良くも悪くも時代の波に乗りながら、現場に「警備をする人」を出すことで発展してきた。

「父と叔父で始めた会社。2人はスーパーマンで、自分はスーパーマンじゃないから、仕組み作りからやり始めた」。そう語るのは、30歳という若さで社長を継いだ代表取締役社長の深澤利弘氏だ。

実務経験もなく、自信もないまま、叔父に押し切られる形で始めた「社長」という仕事。業界の常識であるビジネスモデルへの疑問、変革に反発する社内ムード、「人」が命の事業なのに「人」が集まらないという近年の状況……さまざまな苦難を乗り越えているうちに、いつしか経営者としての覚悟が生まれていた。そして今、警備の領域を拡げ、新たなステージへと歩み始めている。

出典:令和2年度中小企業庁/プッシュ型事業承継支援高度化事業/「ロールモデルのクローズアップ」事業「継ギPedia」(http://tsugipedia.com/)

 

「つなぎ」で警備員のアルバイトとして家業に入る

ズッキー
ズッキー
まず、深澤さんが会社を継がれる前のことをお聞きしたいんですけど、子どもの頃から継ごうと思われてたんですか?
いえ、マスコミ志望だったんです。学生の頃は、取材とかビジネス雑誌とかいいなぁって憧れていまして。うちは父と叔父で始めた会社なんですけど、親からは「継げ」と言われたことはなかったですね。
深澤氏
深澤氏

ズッキー
ズッキー
ライフライン(History)を拝見すると、「マスコミ就職叶わず超ブラック企業へ」とありますが……、どんな会社だったんですか?

家のリフォーム関係の会社です。朝8時に出社して、定時どころかほとんど日付が変わるまで働いてました。残業代も出ないですし(笑)。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
どんな仕事だったんですか?営業ですか?

そうです。横浜市内に連れて行かれて、飛び込みの訪問販売で200軒行ってこいって言われるんですけど、建築のことなんて全くわからないのに、とれるわけないですよね。最初の1週間くらいで心折れて、時間を潰そうと公園で座ってたり(笑)。

 

同期もどんどん辞めていって、1ヶ月経ったときに事務職の男性が辞めたんで、ぼくが経理以外は内勤の仕事を全部やるようになりました。中に入ってわかったのは「この会社いずれ潰れるな」ということでしたね。資料見ると業績がきれいに右肩下がりしているのがわかって。自分が倒れるかこの会社が潰れるかどっちが早いかと思っていました。結局、ぼくが1年もたなかったですね。

深澤氏
深澤氏

ズッキー
ズッキー
退職されて、それからは?
ぶらぶらしたり、海外行ったりしていました。やりたいことも見つかっていない状況で、一番へこんでいましたね。海外から戻ってきて、とりあえず青年海外協力隊に入れば2年間どこかに行けると思って試験受けたんです。それが、結果が出るまで3ヶ月かかるって言われたから、待っている間どうしようかなと。そういえば、いつも実家で「人手が足りない」って言ってるから、アルバイトで警備員やろうと……。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
それが家業に入ったきっかけですか?
そう。3ヶ月の雇用契約書を交わして、一警備員としてアルバイトで入りました。で、青年海外協力隊はたいした準備もしてなかったから受からなくて、そのままお世話になることに……(笑)。ぼくは現場の警備員をやるつもりだったんですけど、3ヶ月の雇用契約が切れる時、課長に「本社の管理部門ね」って言われて、本社にスーツ着て通うようになりました。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
珍しいパターンですよね~。

 

 

 

経験も自信もないまま、27歳で支社長、30歳で社長に

ズッキー
ズッキー
その頃、ライフラインには「働く楽しさ少し実感」とありますが、仕事は楽しかったんですか?
前職では誰からも求められていないし、やりがいを見出せてなかったのが、とりあえず「人様の役に立てている」と感じられたし、前に比べれば充実した日々でした。ただ、当時プロパー社員の方に社長交代した時期で、その方がぼくのことを「育てて引っ張り上げますから」って言っていて、いきなり栃木県の支社長になるんです。実務も営業所の所長もすっ飛ばして27歳で支社長ですよ。何の経験もないのに内心困ったな、と。社員も200人くらいいるし、仕切るとかやったことないのに。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
でも、やるしかなかった。

「できません」とは言えないから。でも、自分の持っている力と求められていることのギャップはありました。その頃はお客様の所へ行くのが怖かった。何もわからないから営業マンについていって隣に座っているだけで、「何してるんだろう、何のためにいるんだろう」ってずっと自問自答している時期がありました。とにかく勉強しないといけない、誰よりも時間はこなそうと思って、土日でも仕事したり、現場に足運んで見させてもらったりしたけど、実力が追いつかないし、自信がないままでした。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
その時の周りの反応っていうのは、どんな感じだったんですか?

表向きは丁寧に教えてくれますし、なんとか頑張ってほしいって支えようとしてくれる人もいましたけど、評判はよくなかったと思います。ぼくは対人関係を築くのが上手じゃないんで……。何考えているかわからない、思いやりがないとか、ネガティブ評価がかなりあったと思いますね。でも表立ってダメだと言ってくれるわけでもないし、「会長が決められることですから」みたいな感じですね。

深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
そんな状態から社長になった経緯というのは?
支社長をやっている時に叔父に呼ばれて、「30歳になったら、お前社長やれ。私も28歳で会社をやれたんだから継げないわけがない」って言われて……。28歳で本社に戻されて、専務になって、副社長になって、30歳で社長になりました。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
早い!!!なんかすごいスピード感ですね。
実力は伴っていないとは思ってましたけど、でも「社長だ」って虚勢張ってましたよ。周りはぼくが無理してやってるのはわかってたと思います。ぼくの気持ちは閉じていたし、社員との関係性も近くなかった。弱いところを見られたくなくて、個人的な話をしませんでしたから。そんなスタートでした。
深澤氏
深澤氏

 

 

 

「1名いくら」のビジネスモデルを変える

ズッキー
ズッキー
深澤さんがそんな状態でも、会社の売上は伸びていったわけですよね。それは社長として何か変えたということですか?

最初はタイミングですね。大型のショッピングセンターがどんどんできる時期で、その警備の仕事がとれるようになったし、東日本大震災があって復興のための建築資材が不足したりして、福島と仙台の交通誘導の需要がぐっと増えました。ぼくが何かしたというよりも社員が頑張ったのと、何より時代背景に支えられましたね。ぼく自身が最初にやったのは、当時、年商54億円くらいだったのを「2022年までに年商100億円を目指そう」と。

深澤氏
深澤氏

ズッキー
ズッキー
「100億」という数字はどこから?
リーマンの後は、中小企業が全国規模の大手会社に取り込まれていった時代なんですね。うちは当時2000人くらいで群馬では一番大きかったけど、全国展開できるほどではなかった。逆にもっと小規模で完全地元密着なら潰れないんですけど、うちは大手から狙われやすい規模。それで、もうちょっと体力つけて、欲しい仕事もとれるようにしたいと思ったんです。100億だったら全国でトップ20に入るので、競争力も出てくるだろうと。実際、50億、60億、70億って売上は伸びていったし、営業所も増えました。でも、ぼくは「これが本当にやりたいことなのか」自問自答していて……。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
そのあたりを詳しく教えていただけますか。何を悩まれていたのか、そこからどうやって解決したのか。

このやり方でいいのかっていう葛藤があったんです。警備員の仕事って、「現場に1名出していくら」っていうビジネスモデルで、時代や地域によって値段を叩かれる。リーマンの頃なんて、お客様からいただくのが1名1万円切ることもあって、これじゃ警備員さんにいくら払うんだ!と。スケールを大きくすると薄利多売にしないといけないから、会社として儲けが出るわけがない。このビジネスモデルである限り利益率は変わらないし、経営を工夫しようがないんです。現場で大きな事故が起きた反省から安全対策や社員のためにお金をかけたくても原資が足りない。

 

さらに、働き方改革が進んで、従業員自身が「もっと働きたい、稼ぎたい」って言っても、こちらが休ませないといけなくなったでしょ。決定的だったのは人が集まらなくなったこと。2017年から高い広告費をかけても人が採れなくなったんです。働く人口が減ってるんだから、どうやっても人は集まらないですよね……。ぼくらの生きている時代はこういう時代なんだから、「1名いくら」のビジネスモデルではダメだと腹落ちしました。

深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
それでビジネスモデルを変えた?

シフトしていこうと思いました。「規模」の拡大ではなく、「質」の拡大にしないといけないと、2年くらい前から本気で思うようになったんです。

深澤氏
深澤氏

 

 

 

先を見据えて、若手メンバーと「新しい価値」を提供

ズッキー
ズッキー
質の拡大って、具体的にはどういうことをしようと思われたんですか。
たとえば、これから車が自動運転になったら、交通誘導の仕事はどうなるのか。警備員はドライバーにアイコンタクトを送って誘導してるのに、自動運転だったら何を見て誘導するのかってことです。そうなったら、警備員を派遣することよりセンサーを設置、運用することが必要になりますよね。10年後はどうなってるかわからないから、今から準備しないと。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
なるほど、人的なビジネスモデルではもう通用しないと……。ただ、若いアトツギが新しいことをやろうとすると、古参の社員から反発がある……みたいな話をよく聞くんですけど、そのあたりは問題なく進んでいるんですか?
反発はやっぱりありますよ(苦笑)。ずっと「1名いくら」のビジネスモデルでやってきたわけですし、ショッピングセンターやオフィスビルの警備は、直請けじゃなくて下請けも多いんです。利幅は少ないですけど、受注はしやすいし、それで伸びてきたところもありますから。ぼくがこういう話をしたら、「警備やめるんですか?」って言われたり。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
そこはどうやって乗り越えたんですか?
中にはわかってくれる人もいて、2年前に「新しい価値提供」ということで、「新価値再定義会」というのを立ち上げました。若手メンバーがいろいろ考えてくれて、少しずつ新しい商材を探してきては売って、実績も出てきています。時代を先取りして役に立てる会社になる。時代は変わるんだから今のやり方にこだわるなと言って。警備の周辺領域でお客様に貢献できるものを考えて、「警備」ではなく、「施設の安全」「顧客の安心」を提供できるように展開しています。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
新しい商材って、たとえばどんなものですか。

工事現場のカメラは去年の夏から成果が出てきていますし、コロナ禍になってからはアルコール消毒の販売、企業向けの出張PCR検査もやっています。これからはオフィス消毒や光触媒を使った抗菌ですね。さらにはITを活用した防災分野もトライしたい。

 

社員には、「挨拶だけじゃなくてお客様に商材を持って行って」と言っています。お客様から「警備員を出す会社」だと思われているから、ぼくらの警備の仕事を守るためにも、下請け意識じゃなくて提案しろと。同時に、社員任せにしないでぼく自身も探して提案していますよ。妻のネットワークもあるので……。

深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
奥様の?
妻はバリバリのベンチャーで、東京で会社やってるんですよ。情報の最先端は東京なので、ぼく自身もよく東京に行って、お互いの人脈使いながら新しい商材を探しています。ぼくがこうやればいいと見せて、わかってもらえたら、社内でも輪が広がっていくんじゃないかなと思うので。
深澤氏
深澤氏

ズッキー
ズッキー
最初はアルバイトで入って、何もわからなかったのに社長を継いで、今これだけやれているっていうのは、実地で学ばれることがめちゃくちゃ多かったんだなぁと思いました。
決してカッコ良くはないですよね。どうせ継ぐなら帝王学みたいなのを学ばせてもらって、手順を踏んでほしかったけど(笑)。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
今日は勇気をもらいました。ぼく自身、継いだ後に「何が起こるか」っていう恐怖があったんですけど、お話お聞きして、苦労はあっても前に進んでいけば、それ相応の実力や考え方もついて、味方も増えていくんだなぁと思いました。
ぼくは妻に出会ったことが大きかったかな。妻は継ぐモノもなくて、ベンチャーでゼロからやってきた人なんで突破力があるんですよ。いい影響がありました。
深澤氏
深澤氏
ズッキー
ズッキー
いい関係ですね~! 今度は出会いの話もゆっくりお聞きしたいです(笑)。

 


群馬県

株式会社シムックス https://www.keibi-sems.co.jp/

代表取締役社長 深澤利弘 氏


 

■取材した人

ズッキー

1994年生まれ。大阪で140年続く老舗鰹節屋に生まれてしまった生粋のアトツギ。専門商社退職後、東京で動画制作会社を創業。最近は本業にも徐々に関与するようになってきたため、起業家と後継者のハイブリッド型のアトツギの道を探る日々。趣味は料理。最近魚を三枚におろせるようになったことを周囲に自慢してはスルーされている。

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